(1)オレ、頑張るからね
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「うわー、きれーい」
明来は思わず感嘆の声をあげた。卒業式の三日後には、福岡空港に降り立っていた。
中心市街地から近距離に位置し、アクセスに優れ、アジアへの玄関口として有名な空港だ。高い天井に、ガラス張りの広々とした空間は、遠くまで見渡しやすく、清涼感溢れている。自然豊かな九州のイメージどおり、杉やヒノキをふんだん取り入れ、モダンかつ日本的な風格があった。
飛行機なんて、修学旅行以来だ。
明来はきょろきょろと辺りを見回すと、地下鉄への通路標識を探した。その瞬間、携帯がバイブで着信を知らせてきた。フリップを開けると、高宮からのメールだ。
『無事、到着しましたか?』
明来は慌てメールを返信した。
『はい。福岡空港に着きました。今から予定通りホテルに向かいます』
高宮からの返信はすぐで、「了解です。気をつけて」、と短いものだった。
明来はナイロンバッグをぐいと肩にかけると、前を向いて歩き出した。
スケジュールは、高宮の作成で、二泊三日だ。まずは地下鉄で西新まで行って、百道にあるホテルにチェックインだ。
資料の写真を見てみると、ビジネスホテルではない。海辺にそびえ立つリゾートホテルだ。となりはSドームに、博物館、図書館、有名な芸術家のモニュメントが並んでいた。
「なんかもう、豪華旅行って感じなんだけど。いいのか?」
明来はちょっと気遅れしながら、取りあえず地下鉄へと方向指示に沿って歩き出した。
福岡の導線は分かりやすく、指示のある方向へ動けば行きたいところへ行ける。指示版に中国語や韓国語があることが、流石にアジアの玄関口だと伝えていた。
旅費は高宮から渡されていたし、ホテルは先払いしてあるらしい。はたからみれば、気楽な一人旅だ。だが、明来には東辞の母親を探すという使命があった。
目の前に、すっと地下鉄の車両が入ってきた。銀色の近代的な列車だ。シートは緑色にところどころ模様が入っていた。今は3月下旬の春休みと年度末だ。海外旅行用の大きなバッグを引っ張る学生や、出張帰りのサラリーマンの姿が多く見られた。
ぱんと両頬をたたくと、明来はすっと乗車口へと向かった。
西新で地下鉄を降りて、タクシーに乗り、目的のホテルと向かった。まずはチェックインだ。ホテルのエントランスの豪華さにのっけから驚かされた。
海を背後に控え、ロビーから全面ガラス張りで海岸線が眺望できる。ロビーの一角には海が見えるような広々とした喫茶店が併設されており、そこは南国のイメージか、亜熱帯系の鳥が色とりどりの羽を自慢げに広げていた。
ちょっと気遅れしながら、明来はフロントで名前を言った。
「お待ちしておりました。斉藤様。お部屋にご案内いたします」
丁寧な対応で、ホテルマンが言う。そばに控えていたポーターが寄って来た。さほど荷物もないので、いえ、と頭を振るが、にっこりと笑うと、ポーターは明来の荷物を奪い取った。
明来は緊張して、ホテルマンのあとをついていった。
満開に咲くチューリップのホールを抜けて、エレベーターまでいくと、数字が18階まであった。ホテルマンは16階を押すと、にっこりとほほ笑んだ。
「斉藤様のお部屋は最上階になっております。17階から18階は展望レストランとなっておりますので、どうぞご利用ください」
「最上階ですか?」
「はい。お部屋は二部屋しかございません。斉藤様のお部屋はゆったりとしたプライベートタイプのお部屋になっております。もう一室はスィートでございます」
「ええっ?」
明来は素っ頓狂な声をあげた。確かに、『いい部屋が取れたので、卒業のお祝いです。ゆっくり羽を伸ばしてきて下さいね』、などと高宮が言っていたのを思い出した。いくらなんでもやりすぎだよー、と心中で叫んだ。
「どうかなさいましたか?」
ホテルマンが怪訝な顔で覗きこんできた。
「いえー」
明来は変な汗をかいて、くいと額をぬぐった。
「福岡は初めてでいらっしゃいますか?」
ホテルマンは少し首をかしげて、見降ろしてきた。
「あ、はい。九州は初めてです。もっと温かいかと思いました」
「よく言われます。九州でも北にあたりますので、玄界灘もあって風が冷たいのです。3月でも雪を見かけます」
「そうなんですね。なんだか鹿児島とか暑そうだから、てっきり」
「はい。ですが、海が近いので魚介類は新鮮で美味しいですよ。お魚はお好きですか?」
「はい。見るのも食べるのも」
「見るのもですか? それは良かった。福岡には大きな水族館もありますから。お時間ありましたら、ぜひ」
「はい。ありがとうございます」
「いいえ。何かお困りなことがありましたら、何でもおっしゃって下さい」
少し長めの黒髪を後ろになでつけている。歳の頃は三十五歳くらいか、笑うと目じりの下がった優しい顔だ。明来はホテルマンににっこりと笑いかけた。
(なんだろう、親しみやすい感じだ。誰かに似ている?)
営業スマイルという笑みではなく、心から優しそうな雰囲気が伝わってくる。明来はふいに高宮を思い出した。そうだ、雰囲気が似ている。一緒にいる時の、安心感が似ているのだ。
以前、友人の平川を傷つけて苦しめた時、降りしきる雨に打たれた自分を、高宮はそっと抱き寄せた。自然と、無理強いでもなく、明来は高宮の肩に抱かれていた。
視線を目の前に移した。
背が高く、肩幅が広い。高宮よりも大きいかもしれない。明来は知らずとホテルマンをじっと見つめていた。
「あの、なにか?」
「いえ。あ、すみません」
明来は慌てて、手を振った。
ホテルマンは先に歩いて、部屋の前につくと、薄いカードキーをかざした。ガチャリとロックがはずれた。ぱっと開け放たれたドアの向こうに、唖然となった。
目の前のゲストルームがかなり広い。この一部屋が、明来の自宅の全部屋合わせても足りないらだいだ。
またそこからの眺望が、空中庭園なみだ。真っ青な空が目の前に広がっている。薄い雲が真横を横切っていた。さらにふと足元を見ると、遥か下をカモメが飛んでいるのだ。ガラス張りの窓に張り付くと、玄界灘が見えていた。その向こうは小さな島がいくつもあり、一つは檀和男が住んだという能古の島だろう。水平線がかすかに見えていた。
きゃーきゃーと喜ぶ明来に、ホテルマンが言った。
「お気に召していただきまして、ありがとうございます。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
「はいっ」
明来は弾んだ声を出した。
ホテルマンが出て行ったのを見て、明来はいきなり部屋の中を走り回った。テンションマックスだ。ベッドルーム、リビング、書斎、バスルーム、どれもがケタ違いの豪華さだった。少し、東辞の家に似ていると思った。
とりあえず、きゃーっと言ってベッドにダイブする。セミダブルサイズのベッドは、ふかふかな羽根布団で、マットは硬過ぎず柔らか過ぎず、なんともいい具合だ。まるでアラブの石油王の息子と言ったとことか? 明来は羽根布団に顔をうずめると、ゆったりとした時間を感じていた。飛行機が少し揺れて、なんだかまだ浮遊感が残っていた。
はたと気付いて、ばっと飛び降りた。
こんなことをしている場合じゃない。
ばっと荷物を取り出すと、明来は高宮の作ったスケジュール表を確認し始めた。
リビングのソファに深く腰掛け、ぱらぱらと資料をめくった。出発前から目を通していたが、今日の予定で一番大事なことは、諏訪さん宅を下調べすることだ。
目の前のウェルカムティーと焼き菓子をもぐもぐ食べながら、明来は地図をチェックした。
場所はホテルからだいぶ西にある。JRに乗り換えて、十分ほどだが、駅から歩くようだ。いわゆる住宅街の一角で、自宅の地図はなく、番地から探していくしかない。
腕時計の時間を見た。四時を過ぎたくらいだ。今なら、十分明るいうちに場所の確認ができるだろう。明来は部屋を出ると、フロントに鍵を預けに行った。
先ほどのフロントマンがいた。
「お出かけですか?」
「はい。JRに乗って西のほうまで」
「19時には、最上階の中華レストランでご夕食を予約しておりますので」
「そうなんですね」
明来は資料を頭の中に思い起こした。そう言えば、高宮の資料にあったような。
「はい。それまでに帰ってきます」
「はい。お待ちしております。西のほうだと、ホテルから地下鉄までシャトルバスが出ておりますので、それに乗られるのが便利だと思います」
「ありがとうございます」
明来は会釈をして、ホテルをあとにした。
(続く)