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つけられている。
何者かが自分の跡をつけているのを感じる。
それも単独の気配ではない。
複数のはっきりとした気配。少なくとも三人以上いることがわかる。
気配を感じ始めたのは今日の朝、迷宮に入ってすぐからであった。浅い階層では遠くに感じていた為、気のせいかと思っていたのであるが、深い階層に進むにつれて、その気配が徐々に近付いてくるのを感じる。
しかし、それでも、すぐにこちらに何かを仕掛けてくるという様子はなかった為、気にすることなくそのまま放置。
気づかぬフリでいつものように淡々と迷宮の中を歩き回っていた。じっとこちらの様子を伺うような気配が続く。だが、彼はそれに構わず探索を続ける。いつものように淡々と、いつものように日々の糧を得る為の作業をこなしていく。
彼にとってはいつものこと。その日の最初に狙いを定めた種類の敵を探し出してこれを倒し、収入の高い素材だけを素早く剥ぎ取ってまた次の獲物を見つけるべく移動を開始する。
素材として剥ぎ取るのは本当に高い部位だけ。他の部分は完全に放置。
欲張ってはいけない。
この迷宮で生き残っていく為には絶対に守らなくてはいけない鉄則だ。
彼はこれをきっちり守りながら、今日の稼ぎを叩きだしていく。そうして、どれくらいの敵を葬り、どれくらいの稼ぎを叩き出したであろうか。
ふと立ち止まってバックパックの中に入ったたくさんの戦利品を確認した彼は、いつの間にか普段以上に稼げいていたことを知った。
もう十分である。これ以上は必要ない。そう判断した彼は、帰り支度を始めることにした。
しかし。
彼はそのとき、唐突にあることに気がついて体を強張らせる。
ずっと背後に感じていた複数の気配。今までずっとのんびりした感じでついてきていたそれが、突然動き出したのである。
向かってくる。自分のほうに凄いスピードで迫ってくる。
相手は明らかに全速力で走っている。
何かから逃げてきているのか?
いやそうではない。向かってくる気配の中に、自分に対する明らかな殺意と害意。
どうやら、相手は彼を殺そうとしているようだ。狙いは彼のバックパックだろうか? 恐らくそうなのだろう。
朝からずっと彼の跡をつけてきた相手だ。当然、彼のバックパックの戦利品がどれくらい価値があるものなのか知っているはず。
高いというほど高くはない。しかし、初級から中級程度の冒険者では、とても一日では稼げない金額であることも確かである。
正直、『くれ』と言うならくれてやらないこともない。別に一日くらい稼ぎなしの日があっても困りはしないくらいには蓄えがあるのだから。だが、相手にしてみればそういうわけにもいかないのだろう。
一度でも迷宮の中で強盗まがいのことをしでかし、それをギルドに報告でもされた日には、ギルドから除名処分を受けた上にお尋ね者になってしまうからだ。
そして、なによりも、相手の口を封じてしまうほうが手っ取り早い。いくら中央庁から【ライセンス】の発行を許された【ダイバー】であるといっても、所詮は魚心も水心もあるただの『人』である。別に悪人でなくとも魔が差すときは誰にでもある。
また、ここは中央庁の目が光っている地上ではない。何があってもおかしくない地下深くの闇の中。毎日毎日たくさんの【ダイバー】達が様々な理由で命を落としている場所である。一人や二人いなくなったとしても誰も気がつかない。
彼はそっと溜息を吐き出して背後へと視線を向ける。
気配はどんどん距離を縮めてきているが、まだ、その姿は見えない。薄暗い廊下には闇が広がっているだけ。しかし、このままここで待ち構えていたならば、そう時間を置くこともなくその襲撃者達の姿を見ることができるであろう。
その場合、彼は真正面から襲撃者達と事を構えることになる。
そういう展開は正直ありがたくない。
一応、それなりに戦闘能力があると自負してはいる。この死の地下迷宮で何年も生き残ってきたのだ。そんじょそこらの強盗如きに遅れを取るつもりはない。正面からぶつかってもなんとかなると思う。
しかし、そうなると彼自身も無傷ではすまないだろう。いくら相手が自分よりも格下だからとしても、複数人を相手取って、一撃も食らうことなく勝つなどとどこぞの名のある剣豪でもない限り不可能だ。
彼はもう一度溜息を吐き出すと、襲撃者達の気配を感じるほうとは逆方向に向きを変えた。そして、一気に走り出す。
素晴らしい速度でぐんぐん距離をあけ、襲撃者達をあっと言う間に引き離し、その気配は徐々に遠ざかっていく。この速度を保ったまま走り続ければ、完全に襲撃者達から逃げることができたであろう。
だが、彼はそれをしなかった。
一定の距離をあけると速度を落とし、襲撃者達が再び距離を縮めるのを待つ。そして、その距離が縮めればまた速度をあげ、距離があけばまた速度を落とす。
それを何度も何度も繰り返す。
襲撃者側に気配探知能力を持つものがいるのは確かであるようだが、どうやら彼の動きを完全に把握できるというほどではないらしい。
その証拠に、襲撃者達の速度はずっと一定のまま。何度も繰り返されているはずの彼の不審な動きに感づいて立ち止まるという様子は全くなく、ひたすらに彼を追いかけてきている。
彼はそれをしっかり確認するとまた走り始めた。
ある場所に向かって。
そう、彼は襲撃者達をある場所に誘い込もうとしていたのだった。