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【ダイバーギルド】の建物から歩くこと五分ほどのところに、【ウサギの尻尾】亭という小さな店がある。
店はいまどき珍しい木造建築の三階建ての建物。すこぶる年季が入ってはいるものの、非常に落ち着いて趣味のいい外観をしており家主の手入れが行き届いている為か、見るものに古いという印象は与えても汚いという印象は決して与えはしない。
店の一階は飲食フロア。昼はレストラン、夜は酒場として営業されている。コックはワイルドオーク族の店主が勤めており、非常に美味い料理と酒を出すことで有名。店の中は、昼も夜も近隣住人やダイバー達でごった返している。
店の二階は宿泊フロア。部屋数はそれほど多くはない。ほとんどの部屋は馴染みのダイバー達が一定料金を払って住み込んでいる為、駆け込みで泊まることはほとんどできない。
店の三階は店主達のプライベートフロア。店主であるワイルドオーク族の夫婦と、その子供達が住んでいて、いつも賑やかな声を響かせている。
そんな【ウサギの尻尾】亭に、現在、彼は住居を定めている。
この店の二階の一番手前、階段上ってすぐの部屋が彼が寝泊りしている場所だ。
彼はいつもここから迷宮へと出発し、一日の終わりにはここに戻ってくる。
毎日毎日それの繰り返し。
今日もまた、彼はここに戻ってきた。
疲れた体を引き摺りながら階段を上り、部屋の鍵をあけて中に滑り込む。
腰につけた緩い湾曲型の小剣を外して壁に立てかけ、バックパックを窓際にある小さなテーブルの上へと置く。暗視ゴーグルと一体化した鉢がね、防塵防毒を兼ねた黒いマスクを取り外し、体のあちこちに忍ばせている様々な迷宮探索用の小道具を次々と外していく。
やがて、ほとんど全ての装備を取り外し、濃い青のシャツに薄手のズボン姿になった彼は、その小さな体にはかなり大きく感じるベッドの上に座り込み、大きく溜息を一つ吐き出す。
思った以上に疲れている為か、いつも以上に眠たくてこのまま眠ってしまいたくなる。
しかし、彼はなんとか体を叱咤して立ち上がると、軽装のまま部屋の外へと歩き出す。
先ほど上ったばかりの階段を下り、いまだに喧騒に包まれている飲食フロアに顔を出す。
「あら、ゲンちゃん帰っていたのかい」
すぐに彼に気がついた年配の女性が声をかけてくる。はちきれんばかりに大きな二つの胸に、負けないくらいに大きな腹。大きく突き出た鼻に大きな口。この店の主ともに店を切り盛りしているワイルドオーク族のおかみさんだった。
彼は疲れた表情ながらも穏やかな笑みを浮かべて軽く片手をあげてみせる。
「おやまぁ、今日は随分疲れてきるみたいだね。ご飯食べれるかい?」
ドスドスと巨体を揺らせながら近付いてくるおかみさんに、彼はこっくりと頷きを返すと、すっかり定位置となっているカウンターの一番奥へと進み、彼専用の小さな椅子にちょこんと座る。
すると、すぐに目の前に水が並々と入ったコップが置かれ、彼はそれを無言で取りながら、コップを置いてくれたカウンター向こうの人物に片手をあげてみせる。
「相変わらず不健康な顔色してやがんなぁ。体のちっこいのはしょうがないにしても、もっとお天道様にあたらねぇとダメだぜ、坊主」
そういってガハハと笑うのはこの店の主。おかみさんよりもさらに一回り大きな腹をしたワイルドオーク族の男性。
「ちっと待ってな。すぐに定食の用意するからよ。今日は鶏肉だぜ。って、坊主、鶏肉大丈夫だったよな?」
自慢の料理を見せ付けるように盛り付け始めた店主。しかし、メニューの内容に一抹の不安を感じたのか、慌てて目の前の彼に確認を取る。彼は、全然大丈夫という風に笑顔でサムズアップを返し、店主はほっとした表情でまた料理の盛り付けを再開するのだった。
「あはは、ほんとにあんたは、あわてんぼうさんだねぇ。ゲンちゃんがダメなのは、鶏肉じゃなくて大ワニ肉だよぉ。鶏肉はむしろ大好物だったはずだよ。ねぇゲンちゃん」
「ああ、そっかそっか。鶏肉は大好物か、そりゃよかった。そういえば、『人』型種族は顎の力が弱いから大ワニ肉は噛み切るのに相当苦労するんだっけか」
「そうだよ、しっかりしとくれよぉ」
「すまねぇすまねぇ、がはははは」
そう言って豪快に他愛なく笑いあう夫婦に釣られ、周りの客達も盛大に笑い声を上げる。そんな店の雰囲気を楽しそうにみながら、彼はカウンターに置かれた夕食を突っつき始めた。
今日の夕食は、黒パンに、サラダ、コーンスープ、それにメインディッシュの鶏の香草焼きだ。
おかみさんの言葉通り、鶏肉は彼の大好物である。彼は美味しそうに出された夕食をたいらげていく。
やがて、夕食をすっかりたいらげた彼は、空になった皿を下げてもらうときにカフェオレを注文。
満足そうな表情で足をぶらぶらさせながら、彼はカフェオレが来るのを待つ。
いつもは店主が淹れてくれるのであるが、今日はおかみさんがカフェオレの用意をしてくれていた。二人ともコーヒーを淹れるのが非常に上手い。だからどちらに淹れてもらってもいいのだが、カフェオレに関しては若干おかみさんのほうが腕は上。
給仕の仕事が忙しい為、滅多に淹れることはないのだが、たまたま今日は手が空いていたらしい。今日はいつも以上にうまいカフェオレが飲める。そんな風に少しわくわくしながら待っていた彼。
そんなときだった。
一人の女性が彼に声を掛けて来たのは。