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006.Punish

 海は生命の宝庫、なんて言葉を誰が言っただろう。

 ティルナ・ノーグの西部に広がるエクエス海には、ヒトと異なる生態系が広がっている。

 サンゴ礁や、海を故郷とする特殊な精霊こと海精ワダツミ。色とりどりのマーメイド。そして――クラーケン。

 クラーケンは怪物だ。この世の絶望と失望と残虐と残酷に一抹の恐怖を加えてかき集めて煮詰めてしとって形を成せば、あんな奇怪な海の化け物が出来上がるのかもしれない。ドラゴンのように巨大で、魚のように俊敏で、人間のように貪欲な怪物に。

 クラーケンに人の常識は無い。貿易のために進む船を嗅ぎ付けては、すぐさま触手を伸ばして粉々に砕いてしまう。まるで紙細工みたいにざっくりと。


 食べたいから? 違う(ノー)

 金が欲しいから? 違う(ノー)

 力を見せ付けたいから? 違う(ノー)


 彼らは世界が燃えるさまを見て楽しんでいる、大事な何かが壊れた生き物なのだ。ゆえにおぞましい。 

 20年前に名うての海洋ハンター――マクシミリアンが退治してくれなければ、ティル・ナ・ノーグは永遠に世界から孤立していたであろう。

 おかげで海の向こうから冒険者や商人が訪れ、やがて定住者となり、ティル・ナ・ノーグは文化の中心地として栄え始めた。事業と貿易で活気があふれ、世界で最も人口密度の高い都会のひとつとして名をはせた。


 クイーン・エウリュアレー。


 それはとある交易船。闇夜の中を、風にあおられて進む帆船だ。船体と帆は黒く塗り潰されており、まるで幽霊船のようだった。

 船に積まれている木箱には【黄金林檎】と登録されている。ティル・ナ・ノーグの名産である、黄金色に輝く林檎が詰まっているのだ。――ある会社の商品として。

 会社の名前は【東レムリア貿易会社】

 そして、木箱の中に実際に入っているのは金色の林檎などではなく――鈍色にびいろに輝く何丁何十何百丁ものライフルだった。

 名前はスミルノフ。アクチェ・ヴァルカが交渉のときに口にしていた武器の名前である。




 

「ああっ、畜生! またかよ。そうやってお前ら俺のことカモにしてるんだろ!」

 船乗りを生業にしているにしては、やや恰幅の良すぎる男が不満を叫ぶ。

 男が持っているのは5枚のカード。ダイヤの10やスペードの3といった、俗に言うトランプと呼ばれるものである。

 そして同じようにカードを持った男たちがあと2人ほどテーブル――近くの樽を代用品とした――を囲んでおり、どうやらポーカーの真っ最中だったらしい。

 ポーカーは5枚のカードの組み合わせで強い弱いを決めて競い合うゲームだ。そして大人のゲームと呼ばれるゆえんだが――金を賭ける。

 そして恰幅のいい男が持っているカードはいわゆる〝ブタ〟――ルール上最低の組み合わせ――と呼ばれる札だった。しかも5回やって5回出ている。ブタが。

 これで期限を良くしろというのが無理な話だ。

「お前が弱いんだよ」

「ああ、顔に出やすいからな」

 相手の男たちが口々に野次を飛ばす。こちらは勝ち進んでいるのだから機嫌がいい。


 風に煽られ、マストが軋みだす。その音はまるで引っ掻いているような、あるいは掻きむしっているような――あるいは悲鳴のような。

 このクイーン・エウリュアレーは、元々貴族の船だったものを海賊が奪って改造し、さらにそれを貿易会社が安く買い叩いたという奇妙な系譜けいふを持つ。ありていに言うなら、たらい回しにされたのである。

 しかしそんなもの賭け事には関係ない。幽霊がでたらポーカーに誘って根こそぎ奪い取ってやる。――海の男たちの心臓はかなり図太く出来ていた。


「今度負けたら奢ってもらうからな」

 マストの音を無視してカードを切りながら、相手の男がつぶやいた。

「海竜亭か?」

「いや、シラハナの寿司だ」

 その言葉に、恰幅のいい男が目をいて怒鳴り散らした。

「ちょっと待て! それは新手のジョークかァ!?」

 異国の文化が入り混じったティル・ナ・ノーグだが、それでも生魚を食すという文化は浸透しきっていない。

 酢を混ぜた米を手づかみで食べるなんて風習は彼には理解できないのだ。

「あれのどこが美味いんだよ? 火も通してない魚を食うなんて正気じゃねぇ。食中毒起こしたらどうすンだ」

「いや、シラハナ料理フードも捨てたもんじゃないぞ? テリヤキとかテンプーラとか、それに寿司は低脂肪で健康的なメニューだ。お前ステーキばっか食ってるからそんな太鼓っ腹になるんだよ」

「俺はイヤだね。だいたい何だよ、魚と米の間に入ってるあの緑色のペーストはよォ!? 俺は新手の爆弾グレネードか何かと思ったぜ。――ったく」

 愚痴りながら、恰幅のいい男は立ち上がる。

「おいおい、勝負を捨てる気か?」

 野次る仲間に、男はまさかと吐き捨てる。

「積荷を確認してくるンだよ。盗まれたら大変だからな」





 カシュッ、と音がした。

「おおっと、アブねぇアブねぇ」 

 言いながら、男は手にしていたボウガンを下ろす。

 この船は密輸船だ。船員は全て金で雇われたならず者ばかり。男のそのならず者の一人だ。そしておそらく船長も。

 当然ながら、合法でないものを多く扱っている。

 今運んでいる物はスミルノフ。戦争産業が盛んなブリタニア帝国の最新式ボウガンである。平和主義を貫くティル・ナ・ノーグには少々似つかわしくない。無論合法の品でもない。本来手にしてはならない代物である。

 そして、やってはいけないと言われるとやりたくなるのが――おそらく神にも治すことは出来ない――オトコノコという生き物のさがなのである。

 積荷に手を出し、あまつさえ引き金まで引いてしまった男は、あわてて品を木箱の中に戻して蓋をする。壁に刺さった矢を回収しておくことも忘れない。


「…………」 

 積荷を触った証拠を隠滅しながら、男はふと思う。

 果たしてこんなものを盗もうとするやつがいるのだろうか、と。

 ここは海の真ん中だ。仕事帰りの亭主じゃあるまいし、ドアの前に立ってトントンとノックするわけにもいかない。

 だが盗もうとするやからはいる。――海賊だ。

 人の積荷をかすめ取って利益を得るハイエナたち。クラーケンを退治したマクシミリアンですら、人の強欲は追い払えなかった。

 とはいえ、海賊の盗み方は非効率的だ。

 地平線も見えない海の真ん中で獲物を狙うなんて論外だし、事前に船の航路を調べて待ち伏せる手もあるにはあるが、確実にそこを通る確証性はない。餌もなく釣り針をたらして、釣れる魚などあるわけがないのだ。

 港の近くで待てば、もう少し大きな魚も狙いやすいが、そうしたら今度は海賊のほうが天馬騎士団てんまきしだんに狙われやすくなってしまう。ティル・ナ・ノーグ直属の治安維持機関は、いつでもどこでも悪を見逃さない。

 港に近いと天馬騎士団に目をつけられる。かといって港から離れると船を見つめられない。


 しかしあるのだ。港から離れて、確実に積荷を奪える方法が。たとえば――


 カシュッ


 妙な音がして、男は振り返る。

 しかし、薄暗い倉庫に人の気配はない。深夜の倉庫は深い闇に包まれていて、声を出したところですぐに溶けて消えてしまう。情けない話、怖くて声も出せなかった。


 カシュッ


 またあの音がした。


 カシュッカシュッカシュッ


 何度も何度も。

 こすれるような嫌な音が、男の脳をかき回す。この感情が何かを男は知っている。恐怖だ。


 カシュッカシュッカシュッカシュッカシュッカシュッカシュッカシュッ


 ふと思い出す。

 積荷を確実に奪える方法。

 ここにいる船員は、みんな金で雇われた人間だ。男も含めて。

 たとえば……そう、たとえば――男以外のほとんどの人間が――金で雇われた海賊だったとしたら?

 港から遠く離れ、海で孤立する瞬間までずっと船の中で待ち伏せていたのだとしたら?


 そしてそのときが来た。――今だ。


 嫌な音はまだ続いている。しかし別のものも次第に混ざり始めていた。人の悲鳴だ。

 闇が染み込んだ倉庫の中に、 阿鼻叫喚の地獄が忍び寄ってくる。間違いない。この船は海賊による侵略を受けている。しかもその地獄は徐々に近づいてきていた。

 しかし一つだけ疑問がある。海賊はどこから武器を調達したのだろうという点だ。

 ナイフくらいなら服の下にでも隠しきれそうだが、シージャックをするには心もとない。もっとスマートに攻めるには、圧倒的戦力で攻め倒す必要があるだろう。

 たとえば、ボウガンとか――



「――っ!?」

 ここで、男は気付く。ようやく気付く。

 そうだ。もっと早く気付くべきだったのだ。

 あの音を、男は聞いたことがあった。ついさっき聞いたではないか。

 ついさっき自分が積荷から出して引き金を引いたその時に!


 嫌な気配がした。

 男が振り返ると、そこに人影がいた。

 よく見てみると、さっき外でポーカーをやっていた男だった。

 無事だったのか、と声をかけようとして、自分の間抜けさを思い知る。

 彼が持っていたのは一丁の――積荷から奪ったボウガンだった。それはまっすぐ自分に向けられていた。



 カシュッ


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