004.アール・エドレッドの災難
四方から様々な〝商人〟が、ティル・ナ・ノーグにやってくる。
自分の土地の自慢の品を売りつけるため――一攫千金を夢見てこの貿易都市に足を運んでくるのだ。
気候こそ春のように穏やかだが、人々の活気は真夏の太陽よりも熱い。領主が自分の財産を投じて築いた港には、世界中の商品と富が集まり、それらは売られ、買われ、加工されて再び世界中へとばら撒かれる。
ここでは何でも金になる。それが例えセイレーンの羽根一枚ぽっちであっても、ペンにして売るだけで家が傾くほどの価値を得るのだ。
そんな伝説や噂が人を奮い立たせ、またティル・ナ・ノーグに人を集める。
――金も。富も。夢も。
ここは世界の中心。欲望渦巻く夢の都。
平日には時計の歯車のようにフル回転する商業の中心地で、国際的な貿易と輸送。莫大な数の不動産取引。昔ながらの飲食業。小規模ながら活気に満ちた衣料品製造業。そんな多彩な産業がひしめき合う屈指の怪物都市。それがティル・ナ・ノーグだ。
さて、工業と貿易が盛んなこの街にも、憩いの場というものが存在する。
〝藤の湯〟
レンガや石を用いた建築様式が多いティル・ナ・ノーグにおいて、その場所は非常に『浮いている』。
石よりも軽くて頑丈な樫の木と、東洋の国〝シラハナ〟独自の設計技術によって作られた木造家屋。檜の浴槽に蓄えられた湯水には、人々に様々な効能をもたらすと言われている。それはまるで、浴びるだけで半身不随や治らぬ火傷を癒す神の泉。
そこはティル・ナ・ノーグであってティル・ナ・ノーグではない。違う文化で築かれた異国であり異世界であり異端であった。
まるで魔法だと噂する常連の客も多く、『シラハナの神秘』と謳いながら駆けこむ人々があとを立たない。今ではティル・ナ・ノーグ中の住人が、シラハナの聖水をこの身に浴びようと通っているのだ。
と、そんな聖域に足を踏み入れた者が一人いる。
彼の名前は、アール・エドレッドと呼ばれていた。
「なーにが魔法だ。バカらしい」
浴槽のへりに肘を乗せ、広げた手にあごを乗せたくつろぎスタイルでアールはつぶやいていた。この街の人間にしては珍しく、東洋の神秘に毒されていないようだ。湯を吸いこむカラダは、ほんの少しくつろいできていたが。
「ただのミネラルやマグネシウムの水だろ?」
言ってみれば聖水でもなんでもない。硫黄と鉄分とラジウムと――その他十種類以上のイオンが混じりあった水溶液でしかない。科学的観点でいうところの不純物だ。それを聖水だと言い切るティル・ナ・ノーグの住人には呆れてしまう。
「まぁ、そう言ってやるなよ」
皮肉げなスマイルを浮かべて、ユリシーズが話しかけてきた。着やせするタイプなのか、いつもよりも逞しく見えてしまう。表情こそ軟派な印象だが、鍛え上げた筋肉に刻まれたいくつもの生々しい傷跡が、彼の海洋ハンターとしての歴史と経験を物語っている。
「分からない、理解できないところに神を見る。人間ってのは、そう出来てるんだ」
ユリシーズの赤銅色の髪が浴槽特有の湿気で頬に張り付いている。気付いてみれば、アール自身の髪も水気を吸って少しばかり重たくなっていた。
平日の昼間ということもあってか、今はアールとユリシーズ以外に誰もいない貸し切り状態だ。こんな悪口を聞かれたら、常連の連中にどんな目で見られるか分かったものではない。――たぶん、誰がいたとしても口を閉じる気はないだろうが。
どういった物事にも、いかなる人の言葉で囁かれても、現実的で客観的な視点を持ち込める人種がいる。俗に言う〝ひねくれ者〟というやつだ。アールとユリシーズは、そっち寄りの人間であると言えるだろう。お人よしの多いティル・ナ・ノーグの中では異端に近い。
とはいえ、
「ところでユリシーズ。物は相談なんだけどさ――」
「金なら貸さねーぞ」
ユリシーズの返事はにべもない。
「まだ何も言ってねえよ!」
「お前の相談はワンパターンなんだよ。どうせまた要らないアイテムでも買ったんだろ。こないだもゾロにからかわれやがって」
「う、うるせえよ」
話す内容はきわめて平凡で日常的だ。異端であろうと、話すことなどどんな人種でも大差ない。
「…………」
子供みたいにはぶてて湯船に沈むアール。なにやらぶつくさ言っているのか、愚痴で膨らんだ泡が何度も口からこぼれ出てきている。
それを見ていたユリシーズが楽しそうに――ただし、あくまでニヒルに――笑って、それから唐突に話題を変える。
「そうだ思い出した。旅のメンバーだけど、シーラを連れてくからな」
「シーラ!?」
アールが湯船から顔を出し、素っ頓狂な声を上げる。
「そうだよ」
「あの商人のシーラ・ベックか?」
「他にシーラ・ベックがいるなら教えてくれ」
アールは眉をひそめて、頭の中からシーラに関する引き出しを片っ端から探っていく。
シーラ・ベック。花が栄えるキルシュブリューテという町の出身。人間の女性で、年齢は24歳。
身一つで上京したタイプで、モットーは確か〝恋より金〟。食いつけるおいしい情報は根元までしゃぶりつくしてモノにする。
そして好奇心に任せてどこまでも突き進める若さがある。アールたちと同じ現実的な視点を持っているし、それなりに頼もしい仲間になれるはずだ。
とはいえ――
「あいつ自分の家でも迷うんだぞ? 大丈夫か?」
アールは不安そうに尋ねる。好奇心が強すぎて彼女は突っ走りすぎるきらいがあるのだ。つまり――後先をまったく考えない。
エッカルトは複雑怪奇な迷宮だ。方向音痴を連れて行けるほどの余裕はない。
「安心しろ。地図職人を用意した」
「地図屋のウイリアム・トムか?」
覗き屋トムの異名を持つあの男なら信用できる。
「やっこさんなら死んだよ」
「嘘だろ。ダンジョンでか?」
「肺ガンだ」
タバコに殺されたのか。
「葬式には行ったのか?」
「カミさんと寝た」
「…………」
おい、オマエ今何て言った?
軽蔑の混じったジト眼でアールは、隣の優男をにらみつける。
「……奥さん、四十三だろ?」
「カラダと感度は二十歳だったぜ」
「死ねよお前」
毒を吐きつけ、アールは頭を抱える。戦いに関しては頼りになるのだが、このユリシーズという男にはどうしようもない問題がある。性格も尻も軽すぎるのだ。出来ることなら重石をつけたい。さらに願えるなら沈めてやりたい。海に。
もしも「お前は地獄行き決定だな」と言えば、彼の返事は決まっている。「ラッキーだ。あそこならいい女がいっぱいいる」
幸い、今はアールとユリシーズ以外誰もいない。いっそこのまま風呂の底に沈めて始末しようかと考えなくもないが、相棒をここで亡き者にするのは気が引ける。なんだかんだで頼りになるのだ。
――なので、エッカルトから帰ったあとで殺すことにする。うん、そうしよう。
「で、誰なんだよ?」
アールが話の先を促す。
「ユータス・アルテニカ」
「…………」
しばらくアールは考え込み、考え込み、考え込む。
視線がユリシーズから壁に移る。この藤の湯は建てられてから10年。まだ歴史は浅い。それでも昔から受け継がれている技術というものがあり、壁には独特のタッチで描かれた雄々しき山脈――シラハナの霊峰フガクをイメージした図柄がタイルに焼きこまれている。サン・クール寺院の繊細な絵画と違って、こちらは大胆にして豪胆。力強さを感じる。隣の風呂場――女湯から甲高い子供の声が聞こえてくる。そういえば女湯の絵画は子供が喜ぶ騎士や魔女の絵が多いと聞いたことがあった。
子供の声よりやや大きめの声で、アールは言った。
「どんなヤツだったっけ?」
忘れてんのかよ、とユリシーズが突っ込む。
突っ込まれても、忘れたものは忘れたのだ。たしか前の依頼で、領主がいるブランネージュ城に招待された時に一度出会ったはずなのだが、上手く思い出せない。
「くそっ。忘れちまっ――」
と、次の瞬間。勢いよく男湯のドアが押し開かれる音がした。
「だまっちょらちゅうかんはっちからに! 湯でも浴びて出直してこい!」
なにやら妙に訛った言語が銭湯中に響き渡る。声のトーンから若い女性と判断できたが、入ってきてるのは明らかに男湯だ。それでも彼女が止まる気配はない。――というか何か担いでないか?
「待て、イオリ。まだ服着てる……」
問答無用で投げ飛ばされた男が砲弾のように着水し、派手な水しぶきを撒き散らす。
アール・エドレッドの目の前で。
「…………」
ミネラルとマグネシウム、その他イオンが混じったお湯でずぶぬれになったアールはただ一言だけ、こう答えた。
「思い出した」
風呂に落とされた男――ユータス・アルテニカが、足だけを突き出した状態で沈んでいた。
「このメンバーでエッカルトに行く」
植物を編みこんだ奇怪なカーペット――シラハナではタタミと呼ばれている――の上でくつろいでいるユリシーズが言った。
「ピクニックに行くんじゃねえんだぞ……」
頭痛を抑えるようにアールはつぶやいた。手に持っているのはシラハナスイーツの商品こと〝白花パルフェ〟。
程よい甘みの粒餡に、抹茶のアイスとフルーツを添えた甘味。和洋折衷。ティル・ナ・ノーグに居を構える藤の湯ならではの発想だ。
ちなみにイオリが詫びにと奢ってくれたものである。別にいいと思ったのだが、人の好意は素直に受けておいたほうがいい。それに、実際金がない。
今いるのは風呂場ではなく、藤の湯の二階にある休憩所だ。喧騒とは無縁の閑静なたたずまい。心癒される穏やかな風景に、訪れている人々の表情までもが心なしか穏やかに見える。
浴衣の上に半纏をまとい異国情緒溢れる庭園を眺める老夫婦。
気の合う友人同士で和やかに将棋――東洋におけるボードゲーム――を打ち合うご隠居たち。
都会のせせこましさを忘れて、子供と一緒につかの間の休日を楽しむ実業家夫婦たち。
平和なものだ、とアールは思う。しかしそんな穏やかな空気に身を任せている場合ではない。
「ユータスは冒険者じゃない。職人だぞ? アマチュアばっかそろえて大丈夫なのか?」
アールの声は不安げだが、ユリシーズの態度は実に堂々としているものだった。何せ傲岸不遜が服を着ているような男である。
「エッカルトに結界が張られてるのは知ってるか?」
「安全対策として、魔法による結界を何重か張ってるんだろ? モンスターを逃がさないための檻みたいなもんだ。それがどうしたのか?」
「あれの解除に使うアイテムな、シーラが持ってる」
なるほど。彼女は『鍵』を持っているというわけだ。
「それに、エッカルトの地図は信用できない。ユータスなら、あいつ自身が地図になる。それもかなり精度の高い信用できる地図に、な」
確かに、ユリシーズが言っていることはもっともだ。これで『最高の地図』が手に入ったことになる。あとは『金』と『ボディガード』
「『金』はどうするんだ?」
「スポンサーが出してくれる。このあと会う約束をしてるからたっぷり巻き上げるつもりだ」
「準備が早いことで」
パルフェの粒餡を口にしながら、アールはぞんざいに答えた。
それにしても、と考える。
彼の知っているユリシーズはもっと自己中な個人主義者だ。こんな風に根回ししてメンバーをまとめていくような性格ではない。
そもそも――エッカルトで何をするつもりなのだ? 事実、アールはマジックアイテムを拾いにいくとしか聞かされていないのだ。よくよく考えてみれば、具体的な内容も、スポンサーが何者なのかも知らない。
何を、企んでる?
「おい、ユリシーズ――」
言おうとして、アールは何かを投げつけられたことに気づく。
とっさに手でキャッチして、広げて見ると――手のひらにあったのは一枚の銅貨。
「どうせ無一文なんだろ? 風呂代くらいは貸してやるよ」
兄貴分のような笑みを浮かべて、ユリシーズは背を向ける。なんだかんだで面倒見はいいのだ。
「貸しにしとくよ」
「当てにはしねぇよ。その代わりさ、ちょっと付き合え」
それからユリシーズは笑って、こうつぶやいた。
「スポンサーに会いに行くんだ」
Special Thanks
シーラ・ベック(Sheila Beck)
考案・デザイン――(仮) さん
ユータス・アルテニカ(Utas Artenica)
考案・デザイン――宗像竜子さん
イオリ・ミヤモト(Iori Miyamoto)
※日本語表記――宮本伊織
考案――香澄かざなさん
ビジュアルデザイナー――宗像竜子さん
藤の湯の甘味メニュー――白花パルフェ
メニューアイコン製作――汀雲さん
スイーツイラスト製作――猫乃鈴さん
キャラクターイラスト――himmelさん
皆々様のお子様を貸していただけたことに感謝します。
本当にありがとうございました。
ちなみにイオリのセリフで「だまっちょらちゅうかんはっちからに」は訳すと「黙ってたら調子に乗ってからに」になります。