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第8話:ホテルにて

心が少し満たされたところで、事前に予約してある少し離れたホテルに向かった。ホテルに入ると多くの人々がフロアを行き来していた。家族連れが多い。皆、とても幸せそうだ。直子は仁の方に目を向けた。彼とこのような幸せな家庭を築けるだろうか、と思った。そういえば彼とは結婚情報サービスを通じて知り合ったのだ。もう、結婚について切り出してもいいはずだ。この時、以前女性誌に1ヶ月で結婚が決まったカップルが紹介されていたのを思い出した。一方で、初対面パーティで彼が物凄くもてていたのも思い出した。様々な葛藤の中で、初回デートから1ヵ月後までに相手から切り出してこなければ、こちらから言う権利はあるだろうという結論を自分なりに出した。

ホテルの中にある喫茶店でサンドイッチやオレンジジュースなどを購入し部屋に持ち帰る。これを夕食代わりにするのだ。彼は客室の中でゲームができることを知ると準備を始めて先程買った夕食を片手にサッカーゲームを始めてしまった。直子は窓の戸を開けてしばらく外を眺めた。

眼下には鮮やかなライトブルーで彩られたプールがある。その水中から発せられる光は水の透明感を伝え、プール全体の輪郭を印象的に浮かび上がらせていた。プールサイドにはビーチチェアやパラソルが並び、その周囲には適度な照明がアレンジされている。エキゾチックな南国のリゾートが表現されていた。周りは林に囲まれている。外は海だ。目の高さに地平線が横たわり、近くになるにつれて波や雲の移ろいが見える。

しばらくして、室内の明かりが風景に重なるように映し出される。ホテルの外側を通る車は次第に少なくなる。プールの中からの光で水面の揺らぎに気付く。雨だろうか、風だろうか。遠くに目をやると風力発電の羽根が回っていた。地平線の彼方には静かに眠る人の呼吸のようにゆるやかに点滅する光がある。地平線を右にたどると等間隔に並ぶ光がある。遠くにあるはずだがはっきりとそれが見えたので、非常に広い土地を用いて計画された施設であることが見て取れた。度々、航空機が右の方向に向かって飛行する。最初は形がよく見えるが、次第に小さくなり霞み始めて最後は見えなくなる。

一面の曇りの空とそれを映した海は灰色を帯びて揺らぎ、地平線でその境を無くす。次第に暗くなっていく。東の遥か彼方から西の遥か彼方にかけて明暗のグラデーションがかけられる。世界は闇に包まれていった。

プールサイドでは人々があちこち動き回っている。バーベキューパーティでもやっているのだろうか。音楽らしいものが聞こえてきた。子供や大人たちの笑い声もその間から聞こえてきた。

どれくらいの時間が経っただろうか。西南に空高く満ちていた街の光は、ほのかな光の霧へとその勢いを静め、その右側で七色に光を発していた観覧車はその照明を落としていた。多くの人が寝静まる時の中で、ふと学生の頃アメリカ旅行で、今と同じく夜にホテルから外を眺めていたことを思い出した。その時確か、明るく輝く木星を目にしていたと思う。過去の記憶に遡りその余韻に浸っていたが、窓の鏡に映し出された室内に意識が移った。彼が自分を見つめていた。ゲームに6時間近くも興じているうちに飽きてきたのだろう。しかしながら、彼もドレッシング・ガウンに着替えていたこともあり、別の誰かに見られているかのような新鮮な緊張感を覚えた。

三田は、窓の外を眺める直子の姿が、柔らかな光の中でその美を表現しているソファや机などと一体となっているかのように感じた。部屋全体が美に満ちていた。そこは今まで彼が見てきたあらゆる過去の記憶からかけ離れた至高の世界であった。彼はその奇跡が永遠に続くことを願い、直子に声を掛けずに元の部屋に戻った。直子は窓の戸を閉め、昔読んだ文庫本の中からこのシチュエーションで使える挑発的なフレーズを思い起こすと、一息ついて彼のいる方へと歩いていった。

空がだんだん白くなる。海面ははじめ黒く濃い藍色をしていたが、空の明るさを映す様になる。目の前のすべての構成要素がその形を現し始める。漁船がゆっくりと沖に向かって出航する。小鳥のさえずりが聞こえてきた。空の明るさが増し、あらゆるものが本来持つ色を帯び始める。出航した船は靄によってあいまいとなった地平線に消えた。また一隻の船が沖へと向かっていった。直子は形を変えていく雲と沖から絶え間なく寄せてくる波をしばらく眺めていた。小鳥たちは鳴きながらあちこち飛んでいた。数隻の船がすでに出発している。一隻船が戻ってきた。それぞれの方向へ船が移動する様子は、まるでそれらが浜辺を舞っているかのようにも見えた。彼方には大型の船舶もちらほらと見える。浜辺には100〜200羽の小鳥たちが群れを成していた。どこからこれだけの鳥が集まって来るのだろう。船はためらいなくそこに突っ込む。船が来ると、行き先にいる鳥だけが両側に逃げて通り道を作っていた。

朝食は、行列に並ぶことを嫌い、レストランが開く6時30分には向かったが、すでに続々とゲストが集まっており、想像以上に多くのスタッフが迎え一組一組を席に案内していた。スタッフはゲストからのあらゆる要望にもてなしの心で応え、しかしながら機敏にそれぞれの役割を果たしていた。水を基調としたこの食空間は、聞こえてくる音楽と共に目覚めの倦怠感を払拭する力強さを備えていた。そうか、ここは積極的に生きる人たちのための場なのだ、直子はそう実感した。

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