丑三つ時怪談《鏡》
学校の怪談話の一つに「丑三つ時、空き教室で鏡を見ると魂が吸い取られる」というものが存在している。当然皆は、嘘だとか、冗談だとかで笑い話にしていたけれど、でもやっぱり気になるんだろう。クラスの中で浮いていた僕にその怪談が本当なのか調べてこいと言われた。僕は別に興味がなかったけれど、断ると何をしてくるかわかったものじゃなくて、嫌々引き受けることにした。
みんなからしたら、きっと僕のことなんてどうなっても構いはしない。なんなら次の日には消えていても誰もが寂しがらないだろう。ああ、やっと消えてくれた。とか、嫌な奴がいなくなってせいせいしたとか思っているだろう。だからわかる。この怪談のことは気になるけど、結果なんか誰も興味ないってことを。
その証拠に、夜の学校に忍び込んだのは僕と、クラスのまとめ役な二人だけで、その二人は帰ると言って手鏡を僕に託して家に帰っていったんだから。
それにしても、夜の学校っていうのはどうして気味が悪いとされているのか不思議だ。そもそも学校の怪談話と言えば、家庭科室の動く人体模型。トイレの花子さん。十三段目の階段。上半身の霊、テケテケ。とかがメジャーだけど、それらの殆どは目の錯覚だったり、誰かが作り出した噺でしかない。今から検証しに行く鏡のことだって、ここ最近言われ始めたものだ。誰が見たという確証もないのだから、ただ真っ暗な学校が気味が悪いなんて言えたものじゃないだろう。
なんて思いながら大きく息を吐く。ちゃんと十四段の階段を上り、二階端の使われていない教室の扉に手をかけゆっくりと開けた。
いつもなら鍵が閉まっている教室だが、驚かせるためにクラスの誰かが事前に鍵を開けたのだろう。用意周到なことでばかばかしくなってくる。
僕はさっさと検証を済ませたい気持ち一心で、空き教室の中に足を踏み入れる。
瞬間。タッタッタッタと足音が遠くから響いてきた。まさかと振り返り教室から出ようとしたが、刹那にしてガチャリという音とともに固く閉ざされた。幸い中から開けることはできたが、鍵を開ける時間で棒を挟まれたか、扉はびくともしなかった。
既に扉からは離れているのか、少し遠めから知った声の話し声が聞こえ、完全に故意で閉じ込められたと僕は悟った。同時にクラス全員が僕をここへ導かせた理由がこういうことだとも悟り、心底嫌になる。
このまま朝まで待てば、先生が見つけてくれるだろう。しかし、僕の話を聞いたところでみんなが口裏を合わせてしまえば悪者は僕となる。つまり逃げ道などなく、どう転んでも先生に怒られるという未来は変えられないということだ。
教室から出られない以上どうすることもできない。大きく息を吐いてやむなく渡された手鏡を覗く。月明りで若干しか映りこまない僕の顔。火傷で半分が黒く変色した醜い顔。誰もがこれを嫌がるのも無理はなかった。でもしょせん見た目、人は中身があってこそなんだから、この見た目で判断されてこういういじめに遭うのは、許せない。
でも、反抗できるほど僕は強くはない。いつも周りに流されて、周りに協調するように話を合わせて、自分のことなんて二の次で。そんな生活を送っていたせいで、嫌なことを拒否するという勇気が僕の中から消えていた。
ふと、鏡に映る僕の顔が歪んだように見えた。眉間に皺を寄せて、口を尖らせたような。でも、はっとして見れば、ただの僕の顔しか映っていない。まあ暗いからうっすらと見えた輪郭が揺らいで見えただけだろう。
そう思い、鏡から目を離した直後、かすかに声が聞こえた。クラスの誰かの声とは違うけれど、ずっと聞いていた声だから、それが自分の声だと直ぐに気づいた。
いったいどこから。いろんなところを睨みつけるようにして観察したけど、何もなかった。それでもどこからか聞こえる自分の声。
――そういえば今はちょうど午前二時。つまり丑三つ時……たしか丑三つ時に鏡を見ると魂が吸い取られる、だっけ……。
今朝聞いた話を思い出し、まさかと急いで手鏡を覗き込む。すると、先ほどはなんてことなかった鏡の向こうの自分が、明らかに僕のことを睨んでいた。
そして鏡の向こうの僕は。
「お前、俺のくせに弱すぎだ。そんなに勇気がわかねぇなら俺がお前の分まで生きてやるよ」
と嘲笑うように言って、小さな手鏡からズルりと腕を出し、僕の首を締めてくる。その手は酷く冷たいのに力が強く、僕の非力な力じゃそれを解くことは叶わない。
もがくうちに、ずる、ずる、と鏡の中へゆっくり引きずり込まれて、代わりに鏡の中にいた僕が飛び出した。
気づけば僕はもう鏡の中。抜け出すことはこっちからはできない。
――それを知っている俺は出られた興奮と、もう二度と鏡の中に囚われたくないから、その場で手鏡を割り、窓を開けてそれらを外に投げ捨てた。
あぁ、これで俺は自由だ……。だけど、その自由を壊す邪魔者がクラスの中にいる。そいつらにわからせてやらないと。
今からあいつらが泣きわめく姿を見るのが楽しみで仕方なく、俺は俺のことを完全に忘れて、時が来るのを待つことにした。




