“神龍”
竜。地上の最強種。
彼らは頑強な肉体に圧倒的な知能、さらには全ての個体が天恵を持つという、最強の名に相応しい種族である。
たとえ竜の中で最弱の個体であったとしても、人間の上位個体を容易く屠ることが可能であろう。
そんな竜であるが、勝てない存在もいる。
自身より強い竜。この種族は、自身より強い同族に付き従う。一度力比べに敗北しようものなら、どんな命令にも逆らわないほどの忠誠ぶりを発揮する。
そんな実力至上主義の竜であるが、たとえ負けたとしても同族以外には従わない。最強種としてのプライドが許さないのか、同族以外に敗北すると、躊躇なく自死を選ぶ。稀に、例外がいるが。
時は神聖暦273年。竜と人間の争いが、最も苛烈な時期であった。
その争いの渦中には、一人の人間しかいない。その一人が、数多の竜を屠ったのだ。
“剥離”のタツロウ。彼は竜殺しの英雄である。
しかし、200年の後に彼の名は伝え継がれていない。
「ま、待ってくれ! 頼む! 殺さないでくれ!」
「断る」
二つの声がする。発言からして、何者かが何者かを殺そうとしているところだろう。
その現場には、一つの巨影と、不釣り合いなほど小さな人影が。
「竜を殺して、何になるというのだ!?」
一人の人間が、一柱の竜を殺そうとしているところだった。
「“剥離”のタツロウ……! なぜ、何故貴様は奪う! 我々に親を殺されたか!? それとも、何かを望んでいるのか!? 後者であれば、儂が何でもくれてやる!」
「んま、どっちかと言えば後者だなあ」
「ならば望みを言うがよい! 巨万の富か? 広き領土か?」
「お前の体」
「なっ」
「俺の天恵。〈剝奪復酬〉な。狩った生物の肉体から武器造れんの」
天恵。魂持つ者の中で、一部のみが持ちし異能。
天恵には多種多様な種類がある。
戦闘に用いることができるもの、生活で役立つもの。
タツロウのそれは、本来は後者である。
「んで、お前らって強いじゃん? だから、素材として優秀なわけ。お前もなかなかいい天恵してんなあ。〈放電磁界〉。周囲一帯に電気を迸らせ、生命を瞬時に行動不可にする。うん。そりゃあ街一つをほんの数分でぶっ壊せるわけだ」
戦闘に特化した力を持ちし最強種と、生活に役立つ程度の力を持つ通常種。
大下克上とも思える両者の実力差は、ほんのちょっとしたところに原因があった。
幼い頃からタツロウは、投擲技術が高かった。ただ、それだけだ。
だが、タツロウは活かした。己の天恵との相性の良さを見出した。
投擲技術が高いのならば、槍を投げて動物を狩ればいい。そうして得た素材から、さらに武器を作るのだ。
ただただその工程を繰り返し続けたタツロウは、魔族すら狩るようになり、果てには空高くを飛ぶ竜すら撃ち落とすようになった。
そこから、彼の成長は目まぐるしいものになった。
竜を殺して得られる素材は、それだけで今まで手に入れたすべての素材を凌駕する性能であった。
岩盤すら砕く竜爪を槍に。超常の攻撃を遮断する鱗を鎧に。
そして何より、竜は全ての個体が天恵を有している。
彼らのそれは、行使する自身にすら被害を及ばしかねない。よって彼らは、生まれながらに自らの天恵による反作用へ適応した特徴を持つ。
今、タツロウの前に無様にも横たわって身動きが取れないままでいるのは、“雷竜”アケルナル。彼もまた、自身の天恵に抵抗を持つ肉体をしている。
完全な不伝導体。遍く電流を遮断する。その鱗を継ぎ足せば、今の鎧はさらに強くなる。
「てなワケで、死んでくれや」
「待て! ならば貴様により良いものを与えてやろう!」
とどめを刺そうとした手を止める。
「……なんだ?」
「情報だ。儂の肉体よりなお価値のあるものを、くれてやる」
「聞かせてみろ」
「貴様は、三天龍を知っているか?」
「ああ。当然知ってるさ。お前より先にデネブを殺ろうと思ってたんだが、タイミングが合わなかったんだよなあ」
三天龍。最強種の中で、さらに圧倒的な力を持つ三柱の竜。
白く美しい、種族最大の巨体を誇る“白龍”デネブ。
莫大なエネルギーを放つブレスで山をも消し去る“牽龍”アルタイル。
小柄な紫紺の肉体で、受けた攻撃の分だけブレスの威力が上がる“織龍”ベガ。
彼らを狩ることが、タツロウの目標だ。
「では、“神龍”は?」
「“神龍”? 何だそいつ? 強いのか?」
「儂も目にしたことはない。他の竜から聞いたのだ。ただ一言、最強である、と」
「ふ~ん」
「どうだ? この“神龍”を討てば、貴様は遍く竜を凌駕する最強の存在になれるのだぞ!?」
タツロウは一拍、考える間をおいて言った。
「うん。結構良いじゃん」
「そうであろう!? だから」
「でもお前は貰うわ」
アケルナルの頭が弾けた。そこには、一本の槍が突き刺さっていた。
一切の空気抵抗を無視する槍。これもまた、かつて一柱の竜から剥ぎ取り作ったものである。
そうして、“雷竜”は鎧の素材へと成り下がった。
「“神龍”、か……ヨシ」
瞬く間に鎧を改造したタツロウは、先程知ったばかりの竜を求め、歩き出した。
♢♢♢
「お客さんは、何をしにここに?」
あれから、1年近くが経った。
「俺はただの蒐集家だよ。欲しい物がこの辺にあるらしいんでな」
さらに5体ほど竜を倒し、遂に“神龍”の居場所を掴んだ。
馬車に揺られ、その居場所に向かっているところだ。
「そうですか。あ、ご覧ください。あちらが[オークの世界樹]になります」
御者の指さす方向には、想像を絶するほど巨大な樹があった。
[オークの世界樹]。この世界の中心に存在する大樹だ。木の幹だけで町一つ分ほどの太さがあり、最上部は雲すら突き破る。
その頂には一体何があるのか、人類は長年探し求めているが、未だ辿り着いたものは誰一人としていない。
そしてそこに、“神龍”がいるのだという。
「この辺で止めてくれ。どうやら目的地が近いみたいだ」
「え? ここでですか? こんな、草原のど真ん中で?」
辺り一帯が草で覆わたこの場所から世界樹まで、およそ10キロメートルといった所か。
「ああ。ここが良いんだ。遮蔽物が無いからな」
「はあ……」
「ありがとさん。あ、そうだ、できるだけ早くここから離れた方が良いぜ」
馬車が十分にはなれたことを確認して、鎧に括り付けていた筒を手に持つ。すると、20センチほどの筒が3メートルもある槍に変化した。
天恵により数キロ先まで届く爪を持った竜は、普段の生活に支障をきたさないよう、伸縮可能な爪を得ていた。
「んじゃ、行きますか」
右手で槍を持ち、海老反りのように背を後ろにそらせ、力を貯め、前方に放つ。
そうして空に向かい撃ち放たれた槍の初速は、音速を凌駕する。周囲の草が衝撃波に強く揺られた。
あらかじめ槍に括り付けておいた糸を掴み、槍と共に空に飛び立つ。
眼下の風景が流れるように過ぎて行き、あっという間に世界樹の目の前まで近づいた。そのまま、槍は樹の側面に突き刺さる。
タツロウも木の側面に着地し、同時に槍を引き抜く。重力に引きずられ、落ちる姿勢のまま、再び槍を上空に放った。槍は雲を貫き、タツロウをグングンと引き上げている。だが、未だ頂上は見えてこない。本当にそんなものは存在するのだろうか。
そんなことを考えていると、雲の隙間から真っ黒な爪が現れた。
「――ッ!」
すぐさま槍を引き戻そうとするが、それよりも早く、爪の一振りで槍はあらぬ方向へと薙ぎ払われてしまった。
それはタツロウの投擲よりなお速く槍を飛ばした。経験したことのない加速に驚きながらも、体勢を立て直し、糸を手繰って槍を手にする。すると、槍はタツロウごとその場に止まった。
天恵により超高速での飛翔を可能にした竜は、目的地を通り過ぎぬよう、自由自在に飛翔を停止させる筋肉を得ていた。
そうして先程の黒い爪の遥か上を目掛け、槍を投擲する。竜との数多の戦いを経て、空中戦において無意識に相手の上を取るようになっていた。
分厚い雲を抜けると、そこには晴れ渡る空が広がっていた。眼下には雲が、頭上には青い空が。目の前には、竜が。
「な」
なんだ、と言おうとした。できなかった。
先程の黒い爪に、弾き飛ばされていた。まるで反応できなかった。
「ぐ……カハッ」
地面か何かに激突した。
両の手で数えきれないほどの竜を倒し、その度に鱗を混ぜ合わせ、密度を上げて硬さを高めてきた鎧は、僅か爪撃一つで砕け散った。
「あら。申し訳ない」
激しい耳鳴りで周囲の音が何も聞こえないのにもかかわらず、その優しい温もりを持つ声は確かに脳に届いた。
「できる限り手加減したつもりだったんだですが」
なんとか頭を動かし、自分の真横に降り立った存在を見上げる。
「ようこそ。我が庭へ」
そこにいたのは、漆黒の竜だった。夜空よりなお暗い、完全に光を吸収してしまうほど、真っ黒い鱗を持ち、所々に星のようなオーラを纏った、美しい姿でタツロウを見下ろしている。
その声は確かにタツロウに届いてはいたが、彼にはそれを理解するほど余裕が無かった。
「さて。あなたは、何をしにここへ?」
先の一撃が、鎧だけでなく彼の体を完全に破壊していたのだ。
内臓は潰れ、血管は至る所が破裂し、最も頑丈に造った鎧で覆われていた頭だけが、辛うじて機能を保っていた。ただそれは、なんとしてでも生命活動を続けようとする程度のもので。
「返事が無い……殺してしまったのでしょうか」
タツロウはまだ死んではいない。だが、何とか竜を見上げていた視界も、不明瞭になってきた。死が間近に迫っているのを、上手く働かない脳で理解した。
「やはり、お客様が来たと見るなりおもてなしをするのはやめた方が良いようだわ。話し相手ができたかもしれないのに、殺してしまっては元も子もない」
完全に視界が塞がり、意識が途切れる寸前、タツロウの目に映ったのは。
「とは言っても、こんなただただ広いだけの何もない樹の上なんて、すぐに飽きて帰られてしまうでしょうけれど」
タツロウが叩きつけられたのは、世界樹の頂上であった。
彼は、誰も到達したことが無いとされる場所まで至ったのだ。だが、それを理解する間もなく、彼の命は剥がれ落ちた。彼は望みを叶えることができなかった。
「さて。まだ一人の時間を過ごさなければならないようですね」
そう言い、竜はタツロウの死体をつまみ上げ、適当な方向に投げ飛ばした。
それだけで、タツロウの体は崩れ、消え去った。
「これで何人目になるのでしょう。せっかくお友達になれると思ったのに」
竜はかつての日々を思い返している。ずっと一人でいるだけの退屈な日々に突如として現れる、来訪者。彼らは皆、おもてなしをするだけで死んでしまう。
38の竜を殺した。4の人間を殺した。
今日、その数をまた1つ増やしてしまった。
世界樹の頂点に上り詰めた者は、タツロウだけではない。
「誰か、私を見つけてくれないかしら」
最強の黒竜。彼女の名を、“神龍”アレガという。
天恵は〈幻想龍権〉。『最強』、それが彼女の異能だ。
『“神龍”』