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4.女剣士は傷つかない

 男の長い手足が唸りをあげて均整の取れたシェリーの肢体に迫るものの、紙一重で全てをやり過ごす彼女の動きはまるで男の攻撃がどこに来るのか見えているかのようだった。

 事実、見えているのだろう。

 男の動きは体が大きいから遅い――というようなことはなく、むしろその逆で素早いものだ。

 だがシェリーが更にその上を行くというだけで、肉体性能に開きがあるというだけ。

 大きいものは遅いという印象が世にはあるが、例えば小人がどれほど全力で走っても巨人の一歩には到底追いつけるわけはないだろう。

 小人が百歩進まなければ辿り着けない距離を巨人は一歩どころか半歩で踏破できるのだから、体というものは基本的に大きければ大きいほど有利なのだ。

 兔と亀が競争するとして、亀が兎よりも遥かに大きければ元々の速度差を埋めることだってできるだろう。

 体が大きいということはそれだけ肉体の内に溜め込むことができるエネルギーも多いということで、そしてエネルギーの多さとはすなわち活動できる量と質に直結する。

 例えが極端? ならばもっと身近に、運動競技に置き換えよう。

 体が小さい者よりも、体が大きい者の方が期待されるし重用されるという現実の壁がそこにはあるだろう。技術では埋めがたい一線があり、体格でしか選ばれぬ一線がある。

 だが今、体格差は完全に覆されている。性能の差は露呈され、どちらに余裕があるのかは誰の目にも明らかだ。


「ここへ来る間も、そして今も、貴様はまったく油断をしないな!」


「狙われているとわかっていて油断するバカがどこにいるんだ? お前バカか?」


「俺が馬鹿なら、わかっていたのに(・・・・・・・・)倒される(・・・・)お前は馬鹿より頭の悪いクズになるなあ!」


 だが肉体性能の差になど恐れも見せず、風を切る鞭のように轟々と自慢の長い腕を振り回す。

 一撃一撃が人間の頭蓋を簡単に石榴へ変えるだろう巨拳を霰のように繰り出す男も、それを涼しい顔で受け流すシェリーも、共に常人の域を遥かにブッ千切った超人であることに疑いはない。


「はっ! 味方が全員倒されるまで隠れていたビビりが、どうやって私を潰すって?」


「無論、」


 挑発を続ける彼女の目の前から、突如巨漢の姿が消える。


「――!!」


 シェリーの背後に再び現れた彼の拳が彼女を襲うが、しかしこれもまた読んでいた彼女は両手を交差してこれを受け止める。


「この手足でだ!」


 鞭のように振るわれる男の長い足はまるで巨木が横から迫ってくるかのようだが、その蹴りをしかし女はピョンと跳んで自分の下を潜らせる。

 後ろを蹴って男を弾き飛ばすと、彼女は何食わぬ顔で。


「できてないようだが? できもしない妄想はほどほどにしておいた方が良いぞ。後で恥をかくのはお前だからな」


「抜かせ。大地の染みに変わる覚悟を今から整えておけ」


***


「何だかシェリーさんが優勢じゃないですか? 相手の男性の動き全然見えませんけど」


 このまま勝てるのではないかと進言するシーラだが、相棒であるヴァンは「どうだろうなー」とどこか興味はないような反応だった。

 どうやら食事は終わったらしく、ナプキンで口元を拭いている。


「……ヴァンさん、反応薄くないです? その、心配とか応援とか……」


「いいよいいよそんなの、酒の肴にするくらいで十分だよ。俺酒飲まねえけど」


「あの小娘があの程度でやられるようなら、とっくにこの世からおさらばしてるさ。互いに本気なんか出しちゃいないんだ、ここはゆっくり見物させてもらおうじゃないか」


「でも、ここまで一度逃げてきたんですよね?」


 いつの間にやら店内は完全な観戦モードに入っており、ユバンナも女給たちも皆テーブルに着いてやんややんやと戦いに見入っていた。

 完全な仕事放棄だが、どうせ今は客も来ないので構わないのである。


「無知なあんたにもわかりやすく説明するとだね、そもそも二人組(コンビ)っていうのがまず、そいつらに実力があるって証明みたいなもんだからね。……あの娘はボコスカ無双してきたみたいだけど、数は力だからねえ本来」


 冒険者のパーティにも同じことが言える。連携が取れているという前提は必要だが、数が多ければ多いほどパーティ全体の安定感は増す。

 攻撃役、防御役、支援役、後衛役といった風に、一つのパーティに冒険者の職業(ジョブ)役割(ポジション)も揃っていればいるほど、戦闘や冒険において盤石の態勢を敷くことが可能になっていくだろう。

 まあ、人数を増やしすぎても報酬の割合などで問題が発生する場合も出てくるので、多ければ多いほど良いとは必ずしも限らないのだが……。


「大抵は三人か四人でパーティを組むもんさ、誰だって死にたかないからね。人を一人増やすだけで生きられる確率がグンと上がるなら、そりゃそうするさ。迷宮(ダンジョン)なんかは特に、潜れば潜るほどわかりやすく中が凶悪になっていくからねえ」


 自分たちの力を過信し、冒険を甘く見積もった結果あっさり死んでいく駆け出し冒険者などは珍しくもない。

 自信が無さすぎるのも不健全だが、自分の力は正しく評価していなければ――あるいは、確かな実力が無ければ待ち受けるのは死であろう。

 ユバンナも現役時代は複数人以上でのパーティで行動することが常であり、一人や二人で迷宮(ダンジョン)に潜るなんてことはよほどのことがない限りすることはなかった。

 しかし、ここにいるのは二人組(コンビ)という少数精鋭パーティだ。


「あの女ならしょうがない、強いんだからしょうがない、だって奴ならしょうがない! それがあの女さ――若くして戦女神と呼ばれた女さ!」


***


 黄金の如き髪をたなびかせながら、女が走る。

 口では小馬鹿にするような挑発を続けているシェリーだったが、決して相手を軽く見ているわけではなかった。

 むしろ逆でこの巨漢が容易い相手ではないと見抜いており、先ほど蹴散らした相手の中では――あの蜘蛛を除けば――この男が一番の使い手だろうと理解している。

 その上で、最後に勝つのは絶対(・・)に自分なのだと決定していた。


(やはり、正面からまともにやり合ってもこの女に敵わんか)


 相手の戦力を見定めているのは、男も同じだった。同胞を単独で全滅させた女を、彼は決して軽く見ない。

 彼の同胞たちは、前衛担当の冒険者といった純戦闘者と比べれば直接戦闘力では確かに劣る。

 だとしても、あっさり片付けられるほど容易くはないはずであり、ならばそれを容易く行ったこの女の力が軽いはずはないだろう。

 巨漢と女の体格差は激しいが、魔力を体内で回すことで肉体強化を行う者たちにとって体格差は覆せる範疇の差だ。

 男に比べれば小枝の如き体躯のシェリーだが、それは彼女が力で劣るという判断材料にはならない。

 戦う者としてもそんじょそこらの冒険者には負けないと自負する彼だが、このレベルの相手には一歩劣るかという判断だった。


「大した歩法だな、まるで音がしない。これなら夜を飛ぶフクロウすら、気づかれないまま丸呑みにできるだろう」


 動きに自信のある者同士互いに決定打を与える隙をなかなか見つけ出すことはできず、小競り合いと言える攻防を繰り返していた。


「……」


 巨漢の動きはその巨体に見合わぬほどに静かで、物音一つしなかった。

 まるで高速で走る羽毛のような静けさ、幽体のような存在感の希薄さは巨体から見受けられる印象との凄まじい落差を引き起こしている。


「亜人族は珍しくも何ともないが、珍しい亜人族は存在する。そいつらは巨人族(ギガース)の生き残りが人類種に帰化した末裔だという、その末裔が更に分化した人種だという」


 遥か昔に絶滅したとされる巨人族(ギガース)は、その名の通り人類を遥かに上回る巨大な体を有していた。

 その末裔たちはかつての巨大さこそ失ったものの、しかしその特徴が部分的かつ極小的に受け継がれているという。


「手長族に足長族、世にも珍しきはその混血児(ハーフ)


 手長族(テルス)に、そして足長族(アルシス)巨人族(ギガース)の末裔とされる二種族の特徴を受け継ぐ、一人の男がいた。


「夜を昇る月は、足音を立てん。雲に隠れる月は、姿すら見えん。天を衝く巨体は、しかし誰にも気取られることはない。月のようにその姿は高く、長い手足で狙った相手を屠る姿は、獲物を呑み込む(かわず)の巨人。ああ、高額賞金名簿(ブラックリスト)で名を見たな」


 男は否定しない。否定しても意味が無いから。

 彼は賞金を懸けられている殺し屋(・・・)なのだ、名簿に載るほどその名前は売れている。

 彼の名は、月に潜む蛙の巨人。


「人呼んで<銀閣雲蟾(ぎんかくうんぜん)>――フローグ・サヴァーロッドとはお前のことか」


「だったらどうした⁉」


 男の問いに、女は笑みで答える。


「フ、フ、フ、決まっているだろう。なあヴァン、良かったな。これでしばらくは迷宮(ダンジョン)に入らなくても済みそうだぞ」


 やはり怪しげな気配を見つけた時に、潰しに行って良かったと、心から彼女は確信しながら。


「突き出して金を貰って、美味いものでも食べに行こう」


「どうやら俺は舐められているようだが、やれるものならやって見せろ」


 消えるようなフローグの動き。

 勿論、実際に消えているというわけではない。消えているように見えるというだけだ、消えているようにすら見えるほど洗練されているということだ。

 しかし、シェリーは何も恐れてはいなかった。

 影から狙う巨漢の一撃を彼女は容易く回避し、男を嘲笑うかのようにその体を捉えさせない。

 男はイラつきを心奥に鎮めながらまた姿を消し、女に一撃を当てる機を狙う。

 何度姿を消してもシェリーはその動きを看破して男の拳を回避してしまうのだから、彼にしてみれば理不尽すら感じてしまうかもしれない。

 しかしシェリーにしてみれば、これは当然のことだった。そしてこれは、フローグが戦闘力で自分は女に及ばないと判断した理由でもあった。

 男がどれほど姿を消しても、彼女は男がどこから攻撃してくるのかの大まかな予測を立てられるからだ。

 せっかく姿を消しても、どこにいるのかすぐに見えてしまう場所から攻撃したのでは意味はない。

 ならば必然として男が現れるのは敵からは見えぬ場所、その姿を捉えられぬ位置、つまり死角となるのは簡単に導き出せる推論である。

 いくら死角と言っても、そこに現れるとわかっているなら半分は見えているのと変わらない。

 暗殺の肝とは不意を打つことであり、そして不意打ちが最も威力を発揮するのは初撃であるのだから、そこを外せば暗殺は九割がた失敗と言ってもいい。

 常に不意を打たれることを警戒しているシェリーの警戒網を掻い潜って彼女に決定打を与えることは、遥か空高くを飛ぶ鳥の羽を一枚だけ射貫くことにも似るだろう。

 フローグの初撃が失敗に終わり彼女との正面衝突を余儀なくされた時点で、勝ち目の半分以上が封じられたと言ってもいい。

 戦闘者として比べるならば格上である彼女に勝つ手段は乏しいと言えるだろうし、必要なのはこの不利を覆す何かだった。


「憎たらしい女だ」


「なんだ今から負け惜しみでも言うつもりか、情けないな」


 十八番を封じられた殺し屋が、戦闘の専門職に正面衝突で勝たなければならない。

 ならば殺し屋らしく闇に潜みながら時間をかけた暗殺を狙うべきだったのではないかと思われるかもしれないが、それができなかったのはシェリーが実に彼女を追いたくなるような動きをしていたからだった。

 殺し屋が複数人集まって何かを企んでいた――何を計画していたか、誰を殺そうとしていたかを知られた可能性があるのなら、彼女の口を早々に封じなければならない。

 フローグには迅速に彼女を殺すしか道はなく、情報を漏らされる危険がある限りそれ以外は選べなかった。

 だからすぐに追う必要があり、そしてそれをわかっていた彼女は、付かず離れずの位置を保ちながらわざと彼に自分を追わせた。

 自分もまた、敵を見失うことがないように。


「貴様が何をどこまで知ったのかは知らんが、貴様のおかげで俺たちの面子は台無しだ。貴様は絶対にここで殺す」


 更に言うなら彼は最低でもシェリーを殺さない限り、自分たちの仕事を台無しにされたことで失った信頼を取り戻すことができないのだから、このままでは裏の世界に男の居場所はない。


「私と違ってダセえ面で、なくすような面子があるのか?」


「……本当に、いちいち腹の立つ女だ。貴様の家の鏡を全て叩き割ってやりたくなる」


 ゆえに、姿を晒してでもフローグはここでの戦闘を優先した。


(まあ、こいつらが何考えてるのとか知らんけどな、私)


 ――しかし彼の心配は懸念であり、シェリーは彼らが何を計画していたのか細部までは掴めていなかった。そうする余裕がないほどに、手間取ることが蜘蛛(ほか)にあったからだ。


(こいつらが殺し屋であること、誰かを殺そうとしていることは盗み聞けたが、誰を殺そうとしているかまでは調べる余裕はなかったからな)


 まあ、それについて調べるのは自分の仕事ではないだろうと彼女は切り替える。


(私の美貌に惹きつけられたのもあってこいつは引き連れてこれたし、他は全員倒してあるし、ここでこいつを倒してしまえば一先ずそれで今回の件はしまいだが、なかなかどうして)


 厄介だった。現状、敵の影打ちを躱し続けることができてはいるが、いつ読み間違えるかはわからない。

 あの図体でここまで自分の気配を消す技術を身に着けていることに少なくない驚嘆を覚えながら、彼女は内心でため息を吐く。


(はぁ……疲れた。湯に浸かりたい。水飲みたい。ベッドに潜りたい)


 躱すと同時に相手へ打撃を加える、この繰り返しが最後まで続けば削り切られるのはフローグが先となるだろう。


「そもそもそういうことは、殺してから言ってみろよ」


 輝く金の髪が風に揺れる。自然現象すら、彼女の美しさを飾る演出に過ぎない。

 天女と自称した通り、戦場で舞う彼女の姿はまさにその名乗りが許される黄金の美姫だった。

 この世の黄金比を解き明かした芸術家でさえも彼女の美しさを表現することはできないだろうと思わせる、戦乙女の完全体がここにある。


「――そうか、お前か。金砂を束ねたかの如き、風に流れる黄金の髪。大空を閉じ込めたかの如き、透徹の碧眼。戦場にて戦うその姿はまさしく天使の降臨だとも讃えられ、ひとたび力を振るえば敵わぬ敵は皆無という」


 実のところ彼女は消耗しており、その消耗がなければ恐らくは規格性能(スペック)の差だけでフローグを圧殺することもできただろう。

 今苦戦しているのも、フローグが彼女に追い縋れているのも、シェリーが消耗しているおかげだと言えるかもしれない。

 だからといってシェリーはそこに言い訳をするつもりはなかったし、フローグもそこに何かを思うことはない。

 十割の力で常に戦えることの方が稀なのだから、むしろ消耗中の隙を逃さないフローグが偉いとすら言えるだろう。


「お前がそうか! 強く気高く美しく、ただそれだけの名、それだけの理由、その女を讃えるのにそれ以上の言葉は不要(いらぬ)と世に言わしめた、返り血を浴びし女神――人呼んで<戦姫(せんき)>! ――<戦姫>シャウローラ・マイティテリオン・スカヴィステラ‼︎」


「……シェリーだ、二度と間違えるな」


 長ったるいその名を疎んでいるのか、げんなりと彼女は名を訂正する。


「光栄だな、まさか俺の目の前にいるのがかの屍の星(スカヴィステラ)の生き残りにして<戦姫>と名高い女とは。なるほどこうして佇んでいるだけでも感じられるその余裕、あの蜘蛛を撤退させたその実力、まさか無名のものではあるまいと思っていたが、予想以上に大物だ」


 等級詐欺にも程があるだろうと、フローグは一雫の汗を垂らす。

 この実力で四等級冒険者なのは何かおかしいと思っていたが、確か<戦姫>には昇格試験をすっぽかしたという噂話があったことを彼は思い出す。

 若手ながら既にその勇名は世に知れ始めており、少なくともこの迷宮都市内において彼女は注目株の一人だった。


(相手があの<戦姫>なら、もはや出し惜しみをしている場合ではないか)


 彼は同胞たちの中で、唯一あの蜘蛛の力を正しく把握していた男だった。あの蜘蛛がいたからこそ、彼は今回の暗殺計画(・・・・)に乗ったのだから。

 少なくとも彼には蜘蛛を撃退させるなんて真似は出来ないし、やろうとも思わない。


「――『深きものよ、影なるものよ』」


 だが、それでも殺さなければならない。幸いにも、今ならばこの敵は消耗している。

 これでもし本調子を取り戻されたなら、手に負えなくなる。そうなる前に、今ここで始末しなければ勝利はない。

 ゆえに彼は自分だけの異能の力を――敵を倒すための切り札を行使する。

 それに、この相手が<戦姫>だというのなら、あそこに座っている男は恐らく――格上(・・)との二連戦も視野に入れながら、彼は己の能力を解放した。


「《井底鏡月(ディープワン)》」


 井の中の蛙は大海を知らないかもしれないが、いずれ来たる主の復活を指し示す星々の光は知っているのだ。


「人間には分相応な高みというものがある。劣悪な生まれの人間が王族に名を連ねることはできず、逆に高貴な者が底辺に身を堕とすこともできない。そんなことをすれば、たちまち死んでしまうからだ」


 歴史には分不相応な正反対の身分に名を連ねる小数の事例もあるが、そこには言語を絶する努力か埒外な天運が必要であり、常人が参考にすべきものではない。


「誇りはあった。故郷(いちぞく)が二つとも宗教(かみ)に傾倒しても、俺には関係ないと思っていた。人間に蔑視されるこの長い手足も、俺にとっては誇りだった」


 しかし、と彼は自嘲して。


「どうやら俺の相応はこれだ、影から誰かを殺すのがせいぜいだ。ならば殺す、だから殺す、相応な生き方とやらを徹底する」


 得体の知れない何かに依存するのではなく、自分の力を信じられるだけ百倍はマシな生き方だと心得ながら、巨漢は井底の人生を往く。


「二つの流れ星を追うものは、崖下を流れる川に決して気づかない。貴様はどうだ<戦姫>よ、流れ星を追うのか、激流を避けるのか」


「天上の星を追う必要はないな。――私は、既に、立っている」


 ぽこぽこと音を立てながら、フローグの周囲にいくつもの泡が浮かんでいた。

 ふわふわと浮かんでいるそれは男を守る盾と言うにはなんとも頼りなく、攻撃を防げるようにはとても見えない。


「……?」


 頼りなさげなその能力でさてどうやって戦うのかと、シェリーが首を捻ったところで。


「ふんッ!」


 大量の泡が砲撃のように射出されシェリーに襲いかかる……ものの、泡の動きは緩慢でありとても速いとは言えないものだった。

 牛歩の如くとまではいかないが、これなら素直に弓でも撃った方が命中率は高いのではないだろうか。


「こんなものが当たると思って……るわけはないな」


 こっちだろう? 彼女は何も焦ることなく、背後に裏拳を叩き込む。

 見え透いている、結局やることは同じかと考えて――しかし殴った相手が破裂(・・)したことで、その考えは即改められることになる。


「まさか、これも――?」


 ポコポコと湧いた泡がシェリーの四方で人の形を作り、彼女を囲む。


「泡だ! 泡がシェリーさんを取り囲んでいる! シェリーさんを攻撃したのは、あの男本人じゃなく泡で作られた人形よ!」


 シーラの叫んだ通りそこにいたのは――いいや、あったのは、幾つもの泡が合体してできた動く人形だ。

 彩色された人形はフローグと瓜二つであり、彼の暗殺者としての実力も相まってヤマトニンジャの分身術のようだった。


「“泡を操る”、それがあの男の力――あの男のフロンティア能力!」


 開拓精神!

 初代魔王が降臨し先史より今の時代に移行した時、人類に何よりも求められたのは恐れを抱いても尚諦めないことを胸に進み続け、魔物蔓延るこの世界に人の世を開拓するための心だ。

 どれほど世界が変わったとしても人間はそれで諦めてはならない、戦うことを止めてはならない。

 前を見据え、大地を踏みしめ、一歩一歩前進するための精神こそが人間の底力なのだ。

 界拓(フロンティア)能力とは、魔法や魔物や魔族と同じく、魔王降臨以後この世界の生命に発現した特殊な能力のことである。

 魔法使いの扱う魔法と違う点は幾つかあるが、最も大きな違いは誰でも習得できる可能性のある技術でしかない魔法に対して、界拓能力は一人につき一つだけ会得できる固有の力であるということ。

 効果も直線的かつ単純なものが多い魔法と違い、複雑で発展性があるということ。

 この世界において能力者であるか否かは、相手の実力を測る上でもかなり重要なラインとなる。

 そしてフローグの能力は、ユバンナの言った通り“泡を操ること”だった。


「ショボい能力だ、そう思っただろう、思ったよな、そりゃそうだろうな、俺だって思う。泡を作って操る、なんとも言えんショボい力さ。初めて使った時は軽く絶望すら覚えたよ」


 しかし泡を操るという彼の能力は、一見すれば大したことがなさそうに見える。

 実際、彼自身も強力な能力ではないと思っている。


「だが良かった、このショボさが逆に良かった。苦し紛れ? そうかもしれない。だが今は思う、この貧弱さが俺にとって実に有益だったとな!」


 最初はパッとしなかったこの能力も、使いこなせば愛着も湧くもの。

 彼にとって泡の力は、便利な殺しの道具だった。


「質感! 質量! 何一つ持たない空っぽの泡、だが何も持たないということは何かを持たせるのも自由ということだ! ここから何を得るのかも俺が自由に決められるということだ! 俺が泡で作った形ある物は、おしなべて仮想の気配を持つ‼︎」


 仮の気配を持った泡人形はフローグと同等の気配を持ち、そしてほぼ同等の性能を持つ。

 初めから何も持たぬ泡だからこそ、労せず本体と同性能の分身を生むことができる。


純粋(シンプル)! 応用の幅が広いということ、応用の幅を広げやすいということ! 暗殺に派手な技など不要(いら)ないのだよ<戦姫>ィ!」


「喧しい。発情期の猿かお前は」


 砲撃も分身も一つ一つの対処は容易だが、纏まって来られると少しばかり負担が増す。そしてその負担が、この状況では徐々に重くのしかかってくる。

 泡の砲撃は遅いために避けやすいが、紙一重で避けると任意の瞬間(タイミング)で破裂されるためいちいち大袈裟に避けなくてはならないのが面倒だ。

 泡の分身は本体と同様に気配が薄く、本体の実力そのものを導入(インストール)されているのか死角を突く歩法を使ってくるため厄介だった。

 姿は見えずともそこに存在する以上、どれだけ静かに動いたとしてもそこには違和感――つまり気配が生じる。

 そしてその気配は、近づけば近づくほどに大きくなる――大きいと言っても、殺された気配であるため普通と比べれば小さいことに変わりはないが。

 その小さな気配をシェリーは感知していたのだが、分身体によってその気配が分散してしまった。


「まあ見ての通り、私は美人だ。男どもが見ただけで発情するのも無理はないが、せめて時と場所は選んだ方が……いや、選ばれても気持ち悪いだけなんだが……ん、姿が見えない。消えた?」


 泡撃の影で姿を隠したらしく、フローグの姿は今はどこにも見えなかった。

 これは先ほどまでのような、歩法で死角に入ったとか姿を消えたように見せかけていたとか、そういう技術によるものではない。

 もっと単純に、本当に姿を消したのだ。


「見えなかった……外から見ていたのに、あの男が姿を消すところが見えなかった! どこへ行ったのか、どこへ消えたのか、さっぱりまったくわからない!」


 見ているだけのシーラに、恐怖が走る。

 姿を消したように見せかける歩法と、本当に姿を消すことの違いとは消えた後の自由度の違いだ。

 せっかく消えてもすぐに相手の死角へと回ることしかできない歩法と違い、透明人間は消えた後から何をするも自由。

 消えたまま攻撃するも、隠れ続けるも、全てが思いのまま。


「ひょっとしたら、私の背後に回っているのかもしれない。ひょっとしたら、この店の中に既に侵入しているのかもしれない。このひょっとしたらが恐ろしい!  消えるということは、このもしかしたらを相手に植え付けるということよ! この不安感(・・・)なのよ!」


「不安は焦りを呼び、焦りは更に恐怖を呼ぶ。だとしても、あのシェリー・ルフランがこの程度のことで恐れを感じることはないさ。重要なのは、今のあの子に隠れた敵を見つける手段があるかどうかだよ」


 ぐびりと酒を飲みながら、ユバンナはシェリーのコンディションを見抜いていた。

 動きは精細さを欠き、絶好調には程遠い状態でどれだけ戦えるのかを問うている。


「ああ、かなり消耗してる。正直なところ、一瞬手伝った方が良いんじゃと思ったくらいだ。まあ、あいつが要らんと言うなら要らねえんだろうけど」


 彼は彼女を信頼している、彼女が大丈夫と言うならそれを信じ安心して任せることかできる。

 少なくとも、彼女の言葉が崩れるようなことが彼女の身に起きない限りは。

 しかし、恐らくはかなり激しく消耗しているシェリーが隠れているあの男を発見できるのか? それだけが不安要素。

 だが戦っているシェリーは、既にフローグが消えた原理をおおよそ見抜いていた。


「ふん。泡で自分を包んで、光の屈折でも利用して周りの風景に溶け込んでいるといったところか。いちいち器用な真似をする」


 応用幅が広いと彼が言った通り、三つの使用法それぞれが攻撃・撹乱・潜伏とまったく異なる用途だった。

 なるほど確かに暗殺向きだ。自分は隠れながら分身を無音で近づかせ、そして殺した後は黙って去ればいいだけ。

 一方向に特化した能力は持たないが、殺しの道筋を広げることに特化した能力だ。


「図体の割にさあ、もしかして趣味が可愛い系かあいつ」


 シェリーの前にいるのは、犬だった。正確に言うと、泡でできた犬だった。

 ワンと鳴くこともなく、後から後から現れてぞろぞろと群れを成している。

 少し可愛い光景だが、巨漢の能力で生み出された物だと思うとシェリーは引いた。


(すぐにでもその余裕を引き剥がしてやるぞ。俺が言うのもなんだが、見かけで物事を判断しないことだな<戦姫>よ)


 泡で作られた犬たちが、シェリーに向かって飛びかかる。

 速さは実際の犬よりも少しだけ速いくらい……叩き落とせない速さではない。が、こんなことで彼女を倒せるとは彼も思っているまい。

 ならばやはり、何かあるのだ。暗殺者は理由なき行動は決してしない。


「やはり触るのはやめておこう」


 ズガガガッ、彼女の足に弾かれた石が犬を何匹か撃ち抜いた時、泡である犬は先の人形と同じく破裂する。

 だがその破裂はただ割れるだけのものではなく、副次効果を引き起こした。


「くうっ!?」


 破裂した泡犬から飛び出した衝撃が、彼女の体を打つ。

 威力は大きくはないが、しかし問題は数だった。

 泡犬の一匹一匹は小さいが、実態は全てが動く小さな爆発物のようなものだ。

 威力は低くても、例えば全身に纏わりつかれてから爆発されればそれなりの痛手を負うだろう。


(だが、駄目だ。これではあの女を倒せない)


 フローグは妥協しない。この程度の爆発では駄目なのだ。

 この<戦姫>を倒すために必要なのは、己にとって最も自信ある一撃。それを置いて他にはない。


「泡の中に空気と魔力を詰めるだけ詰め込んで、割れるとそれが拡散されるのか。別に難しい理屈は一つもない、どこまでも単純そのものな能力だな!」


 そしてそれがどこまでも鬱陶しく、彼女を苛立たせる。

 単純ということは、泡一つ作るために消費する魔力も恐らくは軽微。威力も速度もない代わりに、魔力の消費効率も大したことがない。

 つまり簡単に言えば、彼はいくらでも手軽に爆弾を作れるということだった。


井底鏡月(ディープ・ワン)。井戸の底で泡に(うつ)る月の形……この俺の能力、この俺の精神の一部)


 界拓(フロンティア)能力は、略してフロアと呼ばれることもある。

 領域(フロア)……個人を構成する精神の形。


泡犬(いぬ)でこのまま遠巻きに削り続けるような戦い方はしない! 長期戦は危険だと断ずる! このまま一気果敢に攻め込んで殺す!)


 彼は隠れながら、チラリと女の相方らしき男の行動を探る。

 しかし男――ヴァンは店の中から呑気にこちらを観戦しているだけで、何もする様子がない。

 それは自分の相棒を信じているためか、それとも本当にただ呑気なだけなのか。

 だが油断はできなかった。


(あの男にも注意を払いつつ、まずは確実に<戦姫>を殺す)


 いずれにせよ、フローグにとっては好都合。

 警戒を続ける必要はあるが、手を出すつもりがないのならこのまま相棒が死ぬのを黙って見てもらおうかとフローグはシェリーに視線を戻す。


(良いぞ、奴は完全に俺を見失っている。泡に包まれた俺は姿を消すことは勿論、音も匂いすらも、あらゆる俺の気配を泡が遮断する! 今の俺を捉えることは何モノであろうと不可能だ!)


 戦うための力は圧倒的に<戦姫>が上、だが隠れ潜み機を伺うことに関して言えば自分が上だという自信が彼にはあった。


(だが油断はしない。油断とは己を死に至らしめる最も愚かな行いだからだ、油断した者は必ず己の判断を悔やみながら死んでいくからだ)


 <銀閣雲蟾>は月の蛙だ。天敵すらその舌で絡め取る夜の怪物。

 戦の女王が相手でも、決して引けは取らないのだ。


「お前の姿は見えてないだけ。消えてるわけじゃあないんだろ、隠れているだけなんだろ」


 だったらこうすればいいだけだろうと、彼女は攻撃態勢を取る。

 数匹程度壊したところで半端に破裂されるだけなら、いっそのこと。


「もっとブッ壊してやるよ」


 彼女の蹴りで巻き上げられた土砂によって、全ての泡犬(いぬ)を破壊して、もっと大きな破裂を起こす。

 泡犬(いぬ)が破裂し、巻き込まれた泡犬(いぬ)が更に更に破裂していく。


「何を……⁉ そんなことをしたら、シェリーさんにもダメージが」


「いや、これは……」


 一気に破裂した影響か、一帯には土煙がもうもうと立ち込めていた。

 フローグは別にこの世から消えているというわけではなく、ただ泡の中に隠れているだけなのだ。

 ならば隠れている場所を炙り出すことができれば、その姿は見えているも同然となる。


「透明化くらい、珍しくもない」


 姿を見えなくさせる能力くらい、魔物(モンスター)だって特性として持っていることがある。

 見えなかったからといってそれだけで泣きついていたら、そのまま魔物(モンスター)に殺されるだけだ。とてもじゃないが、冒険者として生きてはいけない。


「――馬鹿はお前だ! そんな弱点くらい、俺が分かっていないとでも思ったか。とうの昔に対策済みだ!」


 ぽこ、ぽこと、宙に泡が幾つも発生する。

 そして、泡が空気中に漂う土煙(よごれ)をどんどん吸収していった。

 たちまち土煙は消えたことで、フローグは自分の姿が晒されることを防いだ。


「何をしても対処される……! あの男は自分の弱点を全て把握しているのよ、シェリーさんの手が全て潰される!」


 フローグの能力は凄まじい威力を持つわけではないが、その応用力には光るものがある。

 真の月にはなれずとも、月を写す鏡となって空に浮かぶ蛙の泡は着実に獲物へと近づいていく。


「そしてぇぇぇ……」


 ぽこ、ぽこぽこ。


泡犬(いぬ)はいくらでも量産可能だ。貴様はただただこいつらに削られるしかない、牙は無くとも突き立てるものはあると教えてやる」


 泡犬(いぬ)が徐々に敵の体力を削ってくれている間に、正面から堂々と近づく。

 最後は思いもよらぬ方向から、ここまで刷り込み続けた死角ではなく真ん前から打ち砕く。

 敵の意表を突くこと、これも暗殺。

 巨漢に並ぶは、泡で作られた幾人もの彼の分身。

 何本もの長い腕がギリギリと引き絞られ、大砲の装填が完了したことを告げるようにフローグは正面を睨む。


()った! 終わりだ<戦姫>ィィ!」


 長い腕に秘められたパワーが拳に集中し、幾つものそれが彼女を砕かんと叫びながら空気を裂く。

 直接攻撃のために男が姿を晒した時には、既に攻撃は回避不可能なところまで到達している。


「暗殺とは目の前の恐怖を力に変えた時に完遂される! さらばだ、お前のことは三秒で忘れてやる‼︎」


 そして次はあの男だと、巨拳が彼女の細い体に激突する――その時。


「やれやれ、だ」


 短く息を吐いて、シェリーは面倒そうな表情を浮かべる。


「お前如きを倒すのにリスクを背負わないといけないのは屈辱の極みだが、まあ仕方ない。私の勝利が揺れるわけではない」


 ――負け惜しみを!

 彼の、いいや彼らの一撃が全身の急所を打ちのめす。

 複数の拳に打たれ吹き飛ばされていくシェリーだがしかし、その手からズズズと(つるぎ)が現出していく。

 現れた大剣がズブリと地面に突き刺さり、柄を握っている彼女はそこで停止する。

 恐らくは彼女の能力なのだろうが、この土壇場で発動してももう遅いとフローグは構わず追撃した。


「泡は空中で浮かぶものだ、その場に留まりながら浮かぶ俺の泡。ならば、さっきまで俺が泡の中にいたように、その中に俺の攻撃を入れたならば?」


 トドメを刺しに行く前にナイフを投げて、投げた瞬間に泡の中へ閉じ込める。

 そうするとナイフは運動エネルギーを保ったまま泡の中で停止して、その座標で浮遊するのだ。

 姿を隠したままナイフたちが、獲物を喰らう瞬間を待ち構えている。

 とはいえ自分が隠れるのではなく、自分から離れた泡の中に物を長時間隠し続けるのはできない。

 だから罠のように扱うのは難しいが、このように一人一斉攻撃として使えば、有効な追い討ちとして機能するのだ。

 大した特徴を持たないからこそ、あらゆる使い方を可能にするディープ・ワン。


「荒野にこそ栄えあり! だッ――!」


 解き放たれ一斉に発射された何本ものナイフが、次々とシェリーに突き刺さる。

 いくら彼女が優れた運動能力を持っていても、このタイミングで回避することはできない。


「勝った! <戦姫>に勝ったぞッ!」


 全身の急所を拳に打ち抜かれ、更にナイフが全身に刺さっている。

 これで生きていられるならば、それは人間ではあり得ない。

 ――ゆえに彼女は<戦姫>である。


「『天を廻る不現の泉』」


 この程度でやられるようなら、そもそも彼女は戦の姫と呼ばれていない。


「……『冠帯(クイーン)』。それが名前、天に居座る女王の名前」


 そこには、平気な顔で立っているシェリーがいた。


「な……なぜ生きている⁉ 死んだはずだ、確実にトドメを刺せたはずだ!!」


 ほぅ……と大剣を抱えながら、シェリーは吐息を漏らす。

 愛しい男を抱くように、どこか恍惚を覚えているように。


「道を歩いている時に、石を蹴る子供っているよな? ちょっとずつ蹴りながら、普通はそのまま真っ直ぐ進むだろ。でもちょっと蹴り方がズレたら、石は違う道に逸れるだろ。運命だって同じことだ。お前如きが私に与える死とやらも、ほんの少し石を蹴るだけでどうにでもなる」


「ほんの些細なことで運命は隣り道に移動する。そういう能力」


「荒野に花は咲かないんだよ。お前に高嶺(わたし)は勿体無い」


 ほんの僅かに位置をズラす(・・・)、それがシェリーの能力『冠帯(クイーン)』である。

 急所をズラせば(・・・・)致命傷は避けられる、立ち位置をズラせば(・・・・)ナイフは当たらない。

 フローグはそれを誤認し、彼女を殺せたと思い込んだだけ。


「そしてお前は、必ず最後に自分の手でトドメを刺しに来ると思っていたよ」


 殺し方に拘りのある手合いのパターンはひどく読みやすいと、リスクを背負うことに何の躊躇いもなかったと彼女は言う。

 手長足長の混血として自分の手足に執心している彼の最後の一撃は、拳か蹴りかのどちらかだとういうことは容易く読める。

 ナイフによる追い打ちは見えている攻撃であるため、位置をズラせば回避は容易である。

 よってフローグが放ったこの一連の攻撃で彼女が倒れる可能性はほどんどなく、ゆえに彼女の余裕は崩れなかった。


「そしてお前にブッ飛ばされた私がこっちにいるってことはよぉ……お前の位置は私の前方ってことだよなあ⁉」


 <戦姫>の膨大な魔力が、『冠帯(クイーン)』の象徴(イコン)である大剣に集中する。

 彼女が積極的な攻勢には出ず守勢に回っていたのは、余計な疲労を溜めてこの瞬間に力を発揮しきれなくなるような事態を避けるためだ。

 疲労していると言えど、力を振り絞れば一撃二撃くらい全力を放つことはできる。

 敗北を知らない戦場の天使とすら謳われし彼女の本気の一撃は上級冒険者にすら何ら劣らず、暗殺の専門家と比較できるものではない。

 蜂の一刺しがどれだけ痛烈でも、象の一踏みに威力の重さで勝ることはできないのと同じだ。

 両者の持つ威力の意味は違うものの、蜂が象の重みに耐えられる道理はない。


「くっ……⁉ ディープ・ワン! 俺を隠せえええええ!!!!」


「もう遅いんだよ、死んどけタコ」


 彼女が大剣を振り上げると、渦巻く巨大な斬撃が宙空を掘削しながら敵へ向かって飛んでいく。

 それはもはや斬り殺すというより抉り殺す、千切り殺すと言った方が良いような、斬撃を超えた砲撃に近いものだった。

 受けたが最後、全身を斬り刻まれて重傷を負うことは避けられない。

 一斬必勝。

 勝利は順当に、より強い者が掴み取った。


「……よし、終わったぞヴァーン。疲れた、私を労え。肩を揉め飯を奢れ褒ーめーろーー」


 フローグが完全に沈黙したのを確認した途端にダラけるシェリーは、早速ヴァンに労いを求める。

 しかしヴァンは冷たく拒否する。


「お前が勝手に連れてきた敵だろ……飯くらい自分で買え」


 ケチめ。シェリーはズルズルと倒した相手を店内まで引き摺ってくるとぐるぐるに縛って店の隅に転がすと、席に着いて少しばかり注文をする。

 店員たちは戦闘が終わった時から観戦をやめ仕事に戻っており、シェリーの注文に「かしこまりましたー」と言うが早いか手慣れた動きで水を持ってきた。

 疲労の反動か、先ほどまで戦っていたのが嘘のように寛いでいる。


「おつかれさまです。最後はシェリーさん負けちゃったかと焦っちゃいましたよ」


「シィィラァ。あんな奴に私が負けるわけないだろ。私の戦う勇姿を見る時は、大船に乗るようなつもりでいればいいぞ」


「他の皆さんは不安なんてなさそうでしたけど、私はシェリーさんが戦う姿を見るのは初めてでしたので」


「それが関係あるか? 私という完全で完璧で完勝が約束された美女に、勝利以外を幻視するか?」


 本気で言っているのだろうなと、思えるところが恐ろしい。


 シーラは苦笑いを浮かべると、それではごゆっくりと言い残してそそくさ退散していく。

 立ち去るシーラを見送って、シェリーは腕を枕にして机に突っ伏すと上目でヴァンを見る。


「……お前は心配したか?」


「するわけないだろ。お前が俺の見ていないところで死ぬわけがない」


「……ふーん」


 ともすれば冷たい反応のようにも聞こえる彼の言葉に、しかし彼女はにまぁっと微笑む。


「現にお前が戦っている時も、俺はここでのんきしてただろ」


「そうだな。まあ私がお前のいないところで負けるなんてあり得ない話だから当然だが……けれどお前は、私がここに来るのがあと一分遅れていたら全力で私のところまで来ていただろう?」


 にまにまと笑みを浮かべながら、彼女は相棒からの無言の心配に包まれたその奥に潜むもう一つの感情を愛でる。

 間に合って良かったと、余計な心配をかけずに済んだことに安心しながら。


「……そんなことはない」


「照れるなよ。そもそもこれだけの美人が一人で出歩くことを心配しない方がおかしいのだ、恥ずかしがる必要はないぞヴァン」


 シーラには心配する方がおかしいと言っておいて何分もしないうちから、あっさり前言を覆す。


「してないですー。お前の心配なんかするくらいなら、この国の政治と未来について心配をしますー」


「国の政治に関心を払ったことないだろお前……」


 心配はしないと言い張るヴァンにムスッと不機嫌そうな顔になりながら、けれどすぐに機嫌を良くして足をゆっくりパタパタと揺らす。


(これでしばらくの間は私が起きるのを待ってくれるかな)


 別々に家を出るのは、自分の寝坊癖が原因とはいえやはり腹の立つ――もとい、少し寂しいのだ。

 悪いなーと思いつつも今回の件を利用してこの男が自分を待ってくれるなら、それが一番の報酬となるだろう。


「こんな連中が街ん中をウロチョロしてるなんてねえ。安心してうちの子たちをお使いにもやれやしないよ」


「三年前に王様が変わってから、何だかこの国の雰囲気も変わりましたよね。以前よりどんどん軍備も拡張されてるって話ですし……あまり大きな声で言えることではないですけど、今の王様ってあまり良い話も聞きませんし……」


「滅多こと言うんじゃないよ、誰が聞いてるかわかったもんじゃない」


「すみません。でもみんな言ってますよ? お城の中でも横暴だって有名ですもん」


 店の奥からそんな会話が、ヴァンの耳に入ってくる。王が変わって以降、軍備の強化や増税、それに伴う治安の悪化が起こり民の間で不満が高まっているらしい。

 話題が話題であるためあまり大きな声では囁かれていないが、現王への不満は巷でも耳をすませば聞こえてくるような話だ。

 二人はあまり政治には興味が無いため気にしたことはほとんどなかったが、こんなところでも噂になっているらしい。


(王様、ねえ……)


「さあヴァン、こいつを突き出して賞金を受け取ったら久しぶりにどこか遊びにでも行くか? お前の故郷に行くのも良いな。オンセンだったか? あれは良い。私も好きだぞ、この美貌にも磨きがかかるからな。この私の肌には常に潤いがなくっちゃあならない」


 纏まった金額が入るのもあってかシェリーはご機嫌な様子であり、今にも鼻歌を歌いそうだ。

 しかし、そんな彼女に反してヴァンはどこか思索に耽っている様子だった。


「……いやシェリー、念のためなんだが……」

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