初秋の俳句
『狗尾草 枯れてカサリと 骨の音』
薄緑のみずみずしかった草が枯れていました。
先端の猫じゃらしの部分はしなやかさも柔らかな光も失い、風にカサカサと乾いた音をたてていました。
──まるで骨のよう。
幼い頃、意味もわからず、でも忘れられなかった記憶があります。
粉々の白い物が乗った銀色の台。
それを囲むように立っている、黒い服を着た大人の人達。
泣き崩れる女性。
怒ったように怒鳴り声をあげるおじさん。
意味がわからないまま、丸ごと飲み込むように覚えていました。
成長するにつれ、いろいろなことを知り、あれは火葬場で白い物は人の骨だったのだと理解しました。
「こんなに小さくなっちゃって──」と、泣き崩れた女性。
「誰かが火の調整を間違えたのか?」と、怒鳴っていた男性。
みんな衝撃を受けていたのですね。本当に粉々でしたから。
あの時母が拾った骨もとても小さくて軽そうで、骨壺に入れる時、微かにカサッという音がしました。
ただ、誰の骨もみな粉々になるというわけではなく、火葬で残る骨の状態には個人差があるようです。
私の父の骨は逆にびっくりするほどに確り原形をとどめていました。
腕や脚の骨などはほぼ完全に。
まるで骨格標本のようでした。
性別や年齢による違いなのか、他の違いがあるのかはわかりません。
いつか死んだ時、私はどんな骨になるのでしょうか。
父の骨を骨壺に納める係の人が大変そうだったなぁ、と思いだしながら──。
母と私は今日も、父が大好きだった牛乳をゴクゴク飲んでいます。
『新涼の朝、 味噌汁の 香や美味し』
新涼とは秋の初めの涼しさを新鮮に感じること。八月、初秋の季語です。
ぎりぎりセーフでしょうか?
夏の酷暑を乗り越えて出会えた涼しさは、それだけでとても素晴らしい調味料なのかもしれません。