前途
ある日、僕が目を覚ますと、すでに時計は午後1時を回っていた。昨日の夜に眠れなかったのは、何も好き好んで夜更かしをしていたからというわけではなく、なんとなく寝付けないうちに考え事をついつい始めてしまって、それですっかり目が冴えてしまったからだ。寝付けない時の考え事は堂々巡りを繰り返して結論を得ることができず、何となく不安になるようなものなのが常だが、昨日もその御多分に漏れず、堂々巡りをして目を覚ましてみれば何を考えていたのかも思い出せないといった類の考え事をしていた。
まだ眠っていたいような気分だったが、窓の外からはすでに西に傾きかかった6月の日差しが遠慮なく差し込んできて、部屋は到底今まで寝ていたとは信じられないような明るさである。仕方なく身体を起こしてふと机の上に目を向けると、2,3日前にやりかかってすっかり忘れていた数学の問題集が広げてあった。上に雑然と積まれたプリントだの本だのをよけて見ると、たったの5ページしか進んでいなかった。厚さ5㎜ほどしかない、80ページの問題集を無意味に捲ってみる。すると前途遼遠という言葉が浮かんできた。
昨日読んだ小説に本の厚さを苦にして”前途遼遠という気が起こった”というくだりがあったので、それでこの言葉を思い出したのだろう。小説の中では分厚い難解なドイツ語の経済書だったが、僕のほうは薄っぺらい比較的簡単な数学の問題集だ。それにもかかわらず問題を解く手が遅々として進まないのは偏にここ数年まともに勉強をしてこなかった僕のせいだろう。
小学生の頃、僕には理想があって、それに見合う実力があり、努力を怠らずに目標を達成することができた。或は信じていたのかもしれない。勉強は簡単なものであったし、そんな簡単なことをしない奴らをくだらない奴らだと見下してもいた。
今はどうであるか。勉強はしない、学校には遅刻する、行かない、ちょうど過去に自身が軽蔑していた人間そのものに成り下がってしまった。小さい頃には前途洋々、開けて見えた未来が、今の自分の目の前では茫漠としてつかみどころがないものと感じられる。前途洋々と前途遼遠のどちらも開けた視界を表すが、洋々のほうは広さへの期待が感じられるのに対して、遼遠は只その広さや道程に苦痛を覚えるといった感じがある。僕は今まさに、開けた未来に対して、耐え難いとまでは言わないが、無視できないくらいには苦痛を感じていた。
僕が朝に弱くなったのはつい最近のことではなく、半年ほど前から月曜日や金曜日に休みがちになっていた。寝付けないことが多くなって、何となく微熱があるような感じがするが体温計は36.5度付近、頭の中で考えをまとめようとすると途端に雲散霧消してしまうようなぼんやりした状態が続いて、娯楽も手につかないような倦怠感を覚えていた。思考が霧散することが一番厄介な問題で、暗算しようとしても途中で数字を忘れてしまうようなありさまだった。
勉強ができないことが問題なのではない、通学が苦痛なのが問題なのでもない。只漠然とした不安を、シシュポスの苦役じみた、賽の河原の石積じみた、最後にはすべて無駄になってしまうだろうという不安を感じていた。努力したくないだけの言い訳かもしれないが、最後にはすべてなかったことになるのに、何かを積み上げるといった作業をひどく面倒と感じていた。僕の心理は不安と面倒だけで言い表せるものであった。
どこが悪いというわけでもなしにこのような状態で、強いて言えば頭が悪いくらいの異常くらいしかないが、心配した親に数か月前に心療内科に連れていかれた。しかし決して役に立つようなものではなく、何かのテストの試験官がむしろ検査を受ける必要がありそうな有様で、毒にも薬にもならぬ話と薬が一日をかけて得たものだった。暫くは真面目に飲んでいたが、寝付きが良くなるわけでも寝覚めが良くなるわけでもなく、馬鹿々々しくなってしまって飲むのを止めてしまった。そんなわけで、問題は特に何の解決を得るわけでもなく、今は数か月前よりマシ、といった程度である。
暫くして、机に向かってみたが到底問題を解くような気分ではないことと、そろそろ母親が帰ってきてお前はまだ家にいるのかと不機嫌になるだろうことがわかって来たので、僕は取り敢えずどこかに出かけることにした。こんな時間になるまで家にいて、どこかに出かけようという気を起こしたのは初めてだったので、自分の心の動きに少し驚きながら考えた。2時を過ぎて1時間かけて学校に行くには時間が遅すぎて、月曜日には図書館は開いていない。一駅手前で降りたら近くに登山口があるので、そこに行ってみようと思いついた。
僕は文庫本一冊と財布だけを持って駅に向かった。とても6月とは思えない暑さで、10分程度の道程でシャツが汗で肌に張り付くのが不愉快に感じられる。幸いなことに電車はがらがらに空いていて、いつもの満員電車の不愉快さがすっかりなく、快適な気持ちで席に着いた。
文庫本を読みだしては見たが、難解であるのと象徴化が多いのとで滑らかに読み進むことができない。目が字面の上で滑るような、頭の中を文字が素通りしていくような感覚に陥る。暫く格闘したが、四苦八苦するのも面倒になって、読むのを止めてしまった。スマホを持ってこなかったことをやや後悔しながら、車窓から飛ぶように過ぎ去ってゆく単調な都会の景色を眺めた。あのコンクリートの箱の中に、夜になれば数えきれないほどの人間がいるのだ、ということが、僕は彼らのことを知らないし、彼らもまた僕のことを知らないのだということが何とはなしに恐ろしく思われる。僕たちはお互いに無関心でいることを望んでいるというのに。
停車駅ではほとんど乗客の乗り降りは起きず、冷房のよく聞いた社内の空気が少しだけ逃げ出し、代わりに蒸し暑い空気が無遠慮に入り込んできた。目指す駅に着いたので電車から降りると、途端に足の先から頭の天辺まで夏の空気におおわれた。駅から出て少し歩くと山がちになった住宅街に出て、そこから15分ほどで登山口にたどり着く。たったそれだけ歩いただけなのにすでに息切れしてる。
運動不足を呪いながら、登山口にある神社に形だけ頭を下げて登れるところまで登ってみることにした。平日のこんな時間から山登りを始める物好きは他にはおらず、人の目もなく、スマホも水筒も持たずに山に入ることの軽率さを十分に自覚しながらも、どうしても登ってみようと決意した。
登り始めるや否や、足の筋肉が悲鳴を上げ始めた。これまでに何度も登山したにもかかわらずこれまでにない苦痛を覚えて驚いた。最初の30分くらいが一番大変な岩場であることは覚えていたが、ここまで体力が衰えているとは思わなかった。早くも引き返したい気持ちが頭をもたげてきたが、何もやってこなかった自分でもこれくらいはできるということを僕自身に示したかったこともあって、萎える気持ちに鞭打って登り続けた。
いつだったか友人とこの山に登った時に、誰かがこの岩場から落ちたことを思い出した。尾根に沿ってズラリと登山客が渋滞を作り、空から救助ヘリが滑落者を探していた。暫くの間殆ど列は前に進まなかった。前にいた中年の男性が訳知り顔でこういった。
「自殺だよ。ここの岩場ではたまにあるんだ。20メートルほどの崖から落ちたんだ。いつだったか有名人が自殺して話題になったこともあった」
その時は特段なんの感慨もなかったが、足元がおぼつかない今となっては滑落という言葉が多少のリアリティを持って僕の心を締め付ける。手すり代わりの鎖をしっかりと握りしめて登り続けた。時間もわからないままかなりの時間がたって、僕は大きな一枚岩のところにたどり着いた。いつもなら1時間もかからない道程ではあるが、一体どれだけの時間がかかったのだろうか。
体力がすでに限界に近付いていたのでここから引き返そうと決めて、僕は岩の上に立った。その場所からは都会の街並みが一望できた。左には海も見える。前途洋々という言葉が思わず浮かんだ。幼い僕の目に映ったのはこうした眺望だったのだろう。
暫くたって引き返そうと来た道を振り返った時、鬱蒼と茂った木々に覆われて殆ど登山道が見えないことに気が付いた。今度は前途遼遠という言葉が浮かんだ。僕は間違っていた。前途遼遠という言葉はおそらく、先があることが予想できるが見通しが立たないことをいうのだろう。思わずため息を吐くと、僕はとぼとぼと歩き出した。いつだってそうだ、良くない結果になるだろうと予想しておきながら間違った決断をしてしまうのは。果たして僕は道に迷わずにいられるだろうか。