序章
玉を磨き、古びた盾の罅をちらりと見やる。
年代もの、と言ってもいい古代の硬貨だったり、錆びついた短剣の汚れを落とす。
【掃除】が終われば【修復】だ。
小さな工房の中で、繰り返される毎日。
ため息をひとつ、エルンストはいつもの作業に取り掛かる。
永遠の命の森人といえど、いい加減に飽きるとこぼしながら。
ここは辺境という地域の一番外れ。
空前絶後の大帝国が、世界を統べて早や1000年。
それは一族が落ちぶれた時間の総計。
【敗戦の民】、【戦犯】となった森人族の【贖罪】は続いている。
彼らに課されたのは、我が世の春を謳歌する只人どもの文化や技術を後世に伝える担い手。
『森人はいつまでも謝り続けないといけない』
戦に大反対だった古参の森人や無知な只人どもがしたり顔でのたまう世の中。
だが表向きだろうが謝罪を繰り返し、贖罪を続けなければ今を生きることはできないのが現実だ。
齢50。
発端の大戦争を知るはずもない、甚だ若年で一族では小児扱いのエルンストも、それだけはきっちりと理解している。
辺境の一番外れ。断崖絶壁に囲まれた円い台地。
その北辺にある、【霊山】と呼ばれる山の中腹。
只人の中でも【ヤマト】と呼ばれる部族が割拠し、独特の文化が栄える地域の一部。
遥か昔から霊山にある神社。
それに身を寄せる、銀髪の森人であるエルンスト。
奴隷あがりの彼の身分は、世間一般で言うところの【賤民】。
そして彼の贖罪は【神人】。
己の手で神域での【穢れ】を清めること。
賤民しかできない、言うなれば雑役夫。
担い手とされたからには、当時の身分に至るまで徹底して再現し、伝えるのが森人の流儀であり、律義。
ついでだが、上流階級の森人は、幼年の子供を敢えて奴隷として余所で修行させるのが、贖罪の一部であり嗜みだと聞く。
高尚な嗜みなど理解したくもないのは、言うまでもないことだ。
エルンスト自身に家族の記憶は無い。
気づいたら奴隷。
自我が芽生えたと思えば、神社に売られた記憶が彼の人生の始まり。
嗜みどころか、賤民としては正真正銘の本物だ。
何時も彼は心中で、己を嗤う。
特殊な【浄水】に浸した古代の硬貨を磨きながら。
錆びついた短剣が修復不能な状態なのを確認しながら。日々是精進、黙々と作業は続く。
そして古びた盾の修復に手を伸ばした所で作業は止まる。
思い立ったように立つと、着ていた作務衣を脱ぎ、【清め】の装束を纏う。
立て掛けておいた得物という名の【掃除道具】を手にすると、いっぱしの表情になって、エルンストは心持ち急ぎながらそこを目指す。
引き戸を開ければ、そこは彼にとっての【神域】。
神社の本殿の外れ。
魔素という名の瘴気がこもる、門外不出の狭い区画。
いつも通り瘴気を噴き出す、地下へ続く階段がそこにはある。
この日、2度目の潜行。
気が長い、時間の流れが違うと、どの種族からも指摘される一族にあって、エルンストは只人のように慌ただしいのが通常だ。
【迷宮】。
長い平和が続くこの世界の、己の命を賭け金に挑む冒険の舞台。
世界のあちこちにある、平安を謳歌する人類にとって、甘美かつ刺激的存在。
財宝、名声、学術的価値、歴史の道標...
建て前はどうでもよいことだが、高い稼ぎと己の研鑽になるこの贖罪を、エルンストは気に入っていた。
【訳あり】、だからだ。
階段の前に人が集まっている。
同僚の神人もいれば、神職の者もいた。
控えの者が詰めているのが常であるが、このような状況は珍しいことだ。
「ああ、エル。ちょうど、誰かをやろうと思っていたのだ」
入ってきたエルンストに声を掛けてきたのは、座主の側近の一人である神職の男だった。
「【鑑札】の者達が潜ってしまったのだよ」
森人らしい、のんびりとした口調と、他種族からは無表情と言われる、感情の起伏を悟らせない顔で、男は告げる。
「案内を待たずにな」
言わずとも分かるが、そんな口調と態度も彼の贖罪のうちだから、その領分に口を出すことはしない。それが暗黙の了解だ。
【鑑札】とは要するに入場料のことだ。
この特殊な【迷宮】が門外不出というのは、実は建て前。
神職の修行の場というのが、表向き。
本音は質の高いドロップアイテムの宝庫で、それなりに高い入場料さえ払えば、誰でも潜れる。
戦利品の一部を神社に納めることと、監視の意味で神人が同行することが絶対条件。
だが、戦利品の質の高さに比例して魔物が強く、とある特殊条件から探索者達に敬遠され、忘れられて久しい。
近隣の水郷都市にある、大迷宮の存在は、広く鳴り響いている。この辺りにはそれしかないと思われているのが、世間一般の認識で、知る人ぞ知るのがこの【迷宮】なのだ。
「一人は同族だ」
潜ったのは3人パーティ。
同僚の神人が慌ただしげに探索者達の特徴を告げていると、神職の男が分かっているなと言いたげに、階段を降りようとしていたエルンストに告げる。
森人は人口が少なく、繁殖率が低い。
永久の生命と引き換えたかのような神の摂理。
だがそれはさておき、その存在は貴重でもある。また、同族を大事にする意識は他種族に比べても高い。
(やれやれ、欲をかいて厄介ごとか...)
初回の潜行で得た、古びた盾。
同系統を揃えたほうが高値で捌ける。
もう一度潜れば、兜か胴鎧くらいはドロップするのではないか。
只の直感だが、欲をかいて気が急いた故の巡り合わせを、エルンストは心中で自嘲する。ついでに狙いのドロップが出ればと、ふてぶてしい思いを保ちながら。
階段は短い。
すぐに降り立ったのは、もう見飽きた第1階層。
だが魔素を全身に浴びるのは、嫌いではない。
救出並びに保護。
探索者の相貌になったエルンストは、緊急クエストに取り掛かる。
「20年ぶりだっけ? 救出とか...」
若さ故の独り言に、応える者は勿論いない。
装備はいわゆるサムライ様式。
齢50、稼ぎの大半はダンジョンドロップ。
神社からの俸禄は、恥ずかしくて人には言えないレベル。
趣味、がらくた集め。
これは訳ありエルフが紡ぐ、ちょっと変わった迷宮譚である。