06. 君の心に映るもの
中岳をいったん下るとテント場がある。
装備を完全に整えられていたなら、ここでテントで一泊するという選択肢もあったのだが、
さすがにテントまで準備する予算はない。次女の野装で今月の小遣いは吹き飛んでいる。
「……あれ、テントなの?」
手を繋いだ次女が広場の方を見ながら問う。
ああそうか、野活とかでもテント使うかもだが、山屋のテントはぜんぜん違うんだよな。
お一人様仕様というか機能性重視で、小さく、妙な形をしている。
「あれテントなんだよ。1人ならあの程度でいい」
「ほう」
次女が立ち止まったので、俺も立ち止まる。
見える範囲でいろいろ観察しているようだ。
「……そういちろうもああいうので泊まったの?」
「いや、俺がここで使ったのはもうちょい大きいテントだった。3人くらい入れるやつ」
「ほうー」
俺は今こいつを山ガールに近づけている気がする。
いや歓迎だ、そういうアクティブさはすごいいいと思う。
「いやー、そういちろうもここにずっと前に来てるんだよね。なんか変な感じ」
「それは俺もだ。ずっと前に来た場所にお前と一緒に来てるんだもん」
「人生何が起こるか分かんないね」
さすがに吹き出してしまった。
「……それはお姉ちゃんの真似か?」
「そう、お姉ちゃんの真似」
長女はやや達観したようなところがあって、そういうことを言う。
でも完璧なタイミングでキメてきた。
俺が吹いたことに満足しているのか次女はにやにやしているけど、
お前が思っている以上に、人生何が起こるか分からないもんだよ。ほんと。
そのまま次女と手をつないで歩いて、木曽駒ケ岳の山頂へ向かう。
*
テント場から木曽駒ケ岳の山頂までの道も、そう険しいものではない。
次女は四つ脚獣のようにひょいひょいと登っていく。俺は二つ脚獣で辛い。
15分くらいか、ほどなく山頂にたどり着く。
このあたりには数々の山がそびえているが、
この木曽駒ケ岳の山頂が最も標高の高い位置だ。
360度、どこを見回してもここより低い場所しかない。
テンプレ的に、山頂に刺してある「木曽駒ケ岳山頂」という立て札の横でピースする次女を撮影したあとは、
20分ほど休憩タイムとした。次女の性格から考えて、あっちにふらふらこっちにふらふらと、
忙しくなく動くものと思っていたが、もう5,6分ほどは動かずに同じ方位を見ている。
……ああ、この風景も、あの写真集に載っていた景色なのか。確証は持てないがきっとそうだろう。
次女の背中を見つめる。10歳か、よく10年も育ってくれたな。
そうして、こうやって、"世界"を眺められるようになったんだな。
お前をここに連れてきてよかったよ。どうかその目で、世界の広さ、深さを見出してくれ。
「……お父さん」
次女からふいに声を掛けられてどきりとする。「お父さん」?
背を向けている次女の表情は伺えない。
「……ありがと。……すごい楽しかった」
「……それならよかった。ここも写真で見たことあるところ?」
「……うん。でも写真とは全然違う。すごい。空がきれいで、山もきれい」
いい子に育った。それでいい。今後、君は様々な経験をするだろう、
そうして、いまこの体験の感動も薄れていくのだろう。
でもそれで構わない。そういうものなのだ。君は君の道を歩んでくれ。
「連れてきてあげれてよかった」
「うん、ありがとう」
「でもここに居られるのはあと10分くらいだな。
下りないといけないからな。また2時間くらいあの山道を歩くぞ」
途端に次女が振り向き鼻にしわをよせる。登ったんだから下るに決まってるだろ
10分後、山頂を経つ。
いつもは嫌なことがあったらすぐ文句を言う次女だが、今日に限っては何も言わない。
2人で黙々と八丁坂を下った。
夕方前にテント場に着いたから、まあ明日のぼればいいよねー、
と友人らと合意したんすけど、翌日の天気がいきなり崩れて、
結局のぼらずに撤退した。そんな悲しい思い出。