戦場の茶会
今回も私の拙い文章を読んでいただきありがとう御座います。
ここまで読んで下さった皆様の中には、このお話を気に入って頂けた方も居るのではないでしょうか?
だとしたら、それ以上に嬉しい事はありません。
今回の話しは会話が続く事になりますが、本作の世界感を少しでも感じていただければ幸いです。
では、ごゆっくり本文をお楽しみ下さい
ブランククス西部郊外、その更に西側にEUの軍は陣地を構築していた。
周囲には何本か塹壕が掘られているが、陣地の防衛の殆どには土嚢と鉄線が使われている。
陣地には全部で三つの旗が並んで立てられている。
一つは、帝政ゲーニッヒラントの物。 鷲の絵の描かれた赤、黒、黄の三色の旗。
二つ目はフランシナ共和国の物。 左から青、白、赤の三色の旗、中心の白い部分には黄色の十字架が書かれている。
三つ目はEUの連合旗、青色の布地には黄色の星が円を描いて並んでいる。
旗から判るとおり、ここはあくまでEUの陣地なので、中には帝国以外のテントが在り、そこに将兵も待機している。
フランシナ共和国のアレット・アンダーソン大尉もその一人。
青い瞳に切れ長の眉、それにキラキラと輝く美しい金髪とモデル並みのスタイル。
ただでさえ彼女の容姿は人目に付くのに、アレットの軍服は更に人の目を惹きつける。
青のコートに赤いズボンと帽子、彼女が着ているのはパレード用の軍服だ。
フランシナの本来の軍服は灰色やモスグリーンのもっと地味な物だ。
フランシナというより、現代の戦場でそんな派手な格好などしたら目立ってしょうがない。
それでもアレットがその服を着るのは、他の軍服は美しくないから。
実際、戦場にその手の軍服を着ていく輩は何人か居る。
ナタリアの着ている軍服も、本来なら会見や執務用の物で戦場用の物は別にある。
彼女の場合は見た目がカッコイイからという理由で着ているのだが、とはいえそんな事をするのは大抵異能者だけだ。
つまり彼女も、アレット・アンダーソンもナタリアやグスタヴと同じ異能力者だという事。
指揮官が前線に向ったので、その代わりとして彼女はテントで味方の指揮を任されている。
とは言え、彼女はあくまで代役、戦況は味方が優勢の為、アレッタに今の所通信は来ない。
ので、アレッタはテントの中で紅茶を淹れて寛いでいる。
勿論、指揮を執るように言われたフランシナ共和国のテントで。
透明な硝子のポットを傾けて、同じ硝子のカップに赤い紅茶を注ぐ。
するとポットの中の紅茶に流れが出来てポットの中で沈んでいた茶葉が上下に舞う。
しかし、カップの注ぎ口には茶葉が流れ出ないように栓が付いているので、紅茶を淹れたカップには茶葉の一欠片も入らない。
カップの中には赤く輝く紅茶だけが注がれている。
それを口に運ぼうとした時、机に置かれた電話の呼び出し音が響く。
ティータイムの邪魔をされて面白く無さそうな顔をするが、仕事なので紅茶よりも電話を優先する。
アレッタはカップをコースターに置いて受話器を取る。
「何です、私は今紅茶を飲もうとしていた所だったのですが?」
「はッ、申し訳ありません! 前線より報告です。味方部隊の奇襲が成功、ブロヴァ通りの連邦軍部隊を撃破、進軍の許可を頂きたいとの事です」
「駄目です。 河を挟んで反対側の攻略が済まなければ部隊が孤立します、進軍は却下と伝えて下さい」
手早く答え受話器を置くと、アレッタは紅茶の入ったカップを手に取り口に運ぶ。
しかし、紅茶が口の中に入る直前に再び受話器が鳴り響く。
カップを置き、アレッタは先程よりも不機嫌そうに受話器を取る。
「今度は何です」
「味方が国道P-120からR68へと進軍中の敵戦車部隊の撃破に成功! 帰投中との事です」
「判りました、守備には近くの部隊を向わせてください」
アレッタは口早に返事をして受話器を置くと、紅茶のカップを手に取る。
既にぬるくなったのが判る紅茶を口に運ぼうとして、再び鳴り響く受話器の音にアレッタは素早く受話器を取ると、声だけで不機嫌だと判る程に不機嫌そうに話す。
「何です?」
「立て続けに申し訳ありません! 前線の部隊より直接の通信が届いており、回線をお繋ぎしたく!」
「構いません、繋いで下さい」
アレッタは受話器を置くと、机に置かれたもう一つの電話の受話器を取る。
「電話を変わりました。 報告をして下さい」
「はッ、自分は第048小隊のロレンス曹長であります! 味方の物資集積所が敵の奇襲を受けました。 防衛をしていた部隊は自分の隊を含め壊滅、今は十数名が残るのみです。 敵は集積所で自軍の部隊と合流し、陣地化を進めています!」
「壊滅ですか……」
報告を聴いたアレッタは面白く無さそうな顔をする。
自分達の陣地を奪われただけでなく味方の部隊もやられたとは、余程の数の敵が占領していると思ったからだ。
とは言え、前線の集積所は全部で三箇所もある、東側を支える中央の集積所が落ちなければ問題は無い。
「それで、何処の集積所が奪われたのです?」
「そ、それが…………」
「何です? 早く答えなさい」
報告は迅速に。 スピードの求められる戦場で時間を無為に浪費するなど、私だったら有得ない事だ。
「う、奪われたのは中央の一号集積所でして――」
「はあ⁉ 敵の数は‼ そこには二個中隊を置いていた筈です‼」
「その…………」
「何です、速く敵の規模を報告しなさい」
何やら歯切れの悪い相手に、アレッタは苛立たし気に返答を催促する。
「その……、敵の人数は、ふ、二人だけでして……」
「貴方達は一体何をしていたのですか‼」
アレッタは苛立たしげに額に手を当て、指で机をカツカツと鳴らす。
『中央が取られた? なら東側に展開している味方の部隊は如何なる』
アレッタは額に薄っすらと汗を浮かべ始める。
もし前線の味方への補給が滞れば、その先はジリ貧の運命だ。
『どうする、部隊を下げるか? …………却下だ』
心の中で解決策を模索し、そして自分の中で否定する。
『新たに後衛の部隊を投入する? 却下』
と、そこで中央付近には今ナタリアが居る事を思い出した。
『戦車部隊を撃破して帰等中の奴なら……駄目だ。 防衛に就いているのは共和国の兵士なんだぞ』
彼女が却下するのも無理は簡単だ、共和国と帝国の仲は決して良くないからである。
過去に何度も戦火を交えている為、未だに双方が敵対意識を捨てられていない。
ナタリアの方は心配いらないだろうが、共和国側のミスを帝国が助けたとあっては、上は面白く無いだろう。
『いっそ私が直接…………、駄目だ。 指揮官代理がこの場を離れたら職責を問われかねない』
良い案が浮かばず頭を抱えて唸っていて、ふと、先程までの通信を思い出した。
『よく考えれば、全体として勝っているのは此方じゃないか。 どうして護りに周らねばならない? 奪われたのなら奪い返せば良いだけの事』
そこまでアレッタが考えた時、受話器の向こうから不安げに声が聞こえて来る。
「そ……それで、指揮官代理殿。 我々はこれより如何すれば――」
「味方の増援が来るまでに仲間を集めて部隊を整えなさい! 至急‼」
それだけ叫んで受話器を置くと、アレッタは急いでもう一方の受話器を取り通信士へと連絡を取る。
「指揮代行のアレッタ・アンダーソン大尉です、中央の集積所陣地が敵の手に落ちたとの報告を受け、指揮代行の私が指示を出します。 中央付近の部隊に其処を包囲するように指示を出して下さい」
「了解しました。 その後の部隊の動きはどのように?」
「敵を陣地から追い出すだけで構いません。 攻撃をしつつ包囲に穴を開ければ敵も其処から撤退するはずです。 それと、現地で仲間集めをしている部隊が居る筈です。 敵の情報は彼等に聴いてください」
「了解しました、ではそのように」
指示を済ませたアレッタは受話器を置き、大きく溜息を吐いて紅茶のカップを手に取る。
すっかりぬるく、と言うよりも冷めたのがカップ越しにも判る。
『はぁ~、折角ブリタニアから取り寄せた紅茶なのに、勿体無い』
溜息を吐きつつ、アレッタは冷めた紅茶の入るカップを口に近付ける。
カップを傾け紅茶を飲もうとした時、突然テントの中に誰かが飛び込んで来た。
「仕事が終わって暇じゃからお茶をしに来たぞアレッタよ!」
「゛ア゛ア゛ア゛ア⁉ 何ですかさっきから何度も何度も‼ タイミング的に如何考えてもわざとでしょうが‼ 私を憤死させるつもりですか⁉」
アレッタは遂に我慢出来ずに立ち上がり、机を叩きながらテントの中に入って来た兵士に、ナタリアに向って喚き散らす。
「そんなにお茶が飲みたいならコレを飲みなさい‼」
そう言ってアレッタは冷えた紅茶をナタリアへ向って突き出す。
「な、なんじゃそんなに怒って。 儂は紅茶じゃなく大和茶の方が好ましいのじゃが……」
意気揚々とテントに入ったナタリアは、突然叫び出したアレッタに困惑してしまう。
「まず飲め⁉」
「あ、いや……判った、紅茶も頂こうかのう~」
アレッタの声に圧されたナタリアは紅茶をおずおずと受け取り、それを一気に飲み干す。
空のカップを受け取り、そこまで来て、アレッタはハッとして我に返ると、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「すみません、少し取り乱しました。 それで何か用ですか、ナタリア」
アレッタは一転して落ち着いた声でナタリアに話し掛ける。
「うむ、暇なので御主の所で茶にでもしようかと思っての」
「お茶なら自分のテントですれば良いでしょう」
「じゃがのう、御主は儂が何時来るか分からないから何時も良い茶葉を用意してくれておるし。 他にも他所の国の珍しい茶を出してくれたりもするからのう。 まあ、どうしても駄目と言うなら帰るが……」
そう言ってナタリアは若干の上目遣いでアレッタの事を観てくる。
「構いませんよ。 少し待っていて下さい」
アレッタはそう言うとテントの端に置いてある自分のバックから一つの木箱を取り出した。
「ん? 何じゃそれは」
ナタリアはアレッタの取り出した木箱を興味深そうに眺めている。
アレッタが木箱を開けると、中には黒い鉄の急須や湯呑、茶葉の入った竹筒のような物が何本か入っている。
「これは貴方専用のティーセットです。 西洋と大和の茶では趣も違う様なので、道具の方も拘りました。 それで、今回は山茶を用意しました」
それを聴いたナタリアは、今度はその山茶に興味が湧いたのか、途端に表情を輝かせてアレッタに詰め寄って来る。
「何じゃ、やっぱり儂の分の茶も用意してくれていたんじゃなあ。 それで、それはどんな茶なのじゃ?」
「香りの強い茶葉ですが、蒸し製法ではなく釜焙り製法で作ってあるので、更に香りが強い茶になっています」
そう言いながらアレッタは鉄の急須に茶葉とお湯を入れる。
木箱からナタリアの湯呑を取り出し、急須を傾け御茶を注いでいく。
「どうぞ、それなりに美味しいはずです」
アレッタの差し出す湯呑を受け取ると、ナタリアはそれをゆっくりと口に含んでいく。
しかし、ナタリアの表情は優れない。
「…………駄目じゃ。 やはり全く味がせん」
「またですか? 貴方は何を食べてもそれしか言いませんね。 舌が鈍感なんですよ」
ナタリアは再び急須を口へ運び、中の茶を口へ流し込んでいく。
飲む際に音を立てないのは、やはり西洋人だからだろうか、ナタリアは物音一つ立てずに湯呑の中の御茶を飲んでいく。
「しかし、儂の為とはいえよく毎度別の茶を用意出来るの」
「なに、ただ珍しい物や変わった物が好きなだけです。 とは言え、アジアも物騒になって来ましたから茶葉が値上がりしました。 大事に飲んで下さい」
そう言ってアレッタは硝子のポットに入った赤い紅茶を注ぎ、今度こそ口へと運ぶ。
ポットに入っている御茶の方はまだ温かく、啜る音を立てない様、丁寧に紅茶を飲む。
「そう言えば、戦況の方はどうなっておる」
思い出したように繰り出されたナタリアの質問に、アレッタは頭を抱えて話し出す。
「全体としては悪くありません。 下水道を利用しての奇襲攻撃も成功しましたから。 中央の物資載積所がルーシアの手に落ちましたが、手は打ちました」
しかしと、アレッタは溜息交じりに続ける。
「ブランククスだけで観れば悪くありません。 ですが……」
「やはりアトラスが悩みの種と成るか。 あ、もう一杯もらえる?」
「議会の連中は戦争のやり方を理解していないのですよ。 今回の作戦で出たEU艦隊の損害額は、正直に言って吐き気がします。 はい御茶」
「このまま二面で戦い続ける訳にも行かんし、先行きは不安で一杯じゃ。 もう一杯もらえる?」
ナタリアは苦笑いしながら湯呑をアレッタに渡す。
「これで三杯目ですよ。 一体どれだけ飲むつもりですか貴方は」
そう言いながらも、アレッタは急須を傾け湯呑に御茶を注いでいく。
「そういえばな、戦場で面白い奴とあったぞ」
「へえ、貴方のような愉快な人間が面白いと言うのですから、それなりに面白い相手なのでしょうね」
何だか莫迦にされているような気がするが、ナタリアは気にせず話を続ける。
「黒尽くめの東洋人での、多分皇国人じゃ。 強いぞ、何せこの儂が情けを掛けられる位じゃからな」
「…………ほう? 貴方が破れたと?」
アレッタが疑う様に聞き返す。
それだけ彼女はナタリアの実力を評価しているという事なのだろう。そのナタリアが負けたというのが信じられない様だった。
「それに、相手は異能者の様じゃったが、その能力を使う事はなかったしの」
それはつまり、手加減した相手に敗北したという事。
あの『帝国の剣先』が負ける。 ユーロピア内外にその名を轟かす彼女か。 相手は本当に人間なのか?
「貴方はちゃんと戦ったんでしょうね?」
「手を抜いた訳では無いぞ、本気という訳でも無いがの」
「貴方ねえ……、職業軍人なのだからもっと真面目に戦争して下さい。 まあ、捕虜にならなかっただけ良かったです。 連邦での捕虜の扱いに良い噂は聞きませんし」
「今時徴兵制など流行らぬよ。 殆ど職業で兵士じゃろうが」
「異能者は通常の兵士より給料が良い筈ですがね。 その給料は国民の税金から出ているのですよ、判ってますか国家公務員?」
何でもないように言うナタリアに、アレッタは呆れたように言う。
「それにしても、よく相手が皇国人だとか判りますね。 私にはアジアの民は皆同じ顔に見えるのですが」
アレッタは不思議そうに話す。
アジアの人間が中東の民を見分けられないのと同じで、西洋の人間が生活をするのに遠いアジアの人間を見分ける能力など必要無い。
必要が無いもの、もしくは無くても困らないものなら知らなくて良いというのが一般の考え方だ。 故に、ナタリアがアジア人を見分けられるのは、彼女の生活に必要なスキルだったから。
アジアによく足を運ぶ事が多い彼女には、感覚でアジア人の見分けがつくらしい。
「しかし、加減して貴方を倒すとは。 私も会ってみたいですね、その皇国人に」
邪悪そうな笑みを浮かべ、アレッタはそう言う。
「結局はそれか、御主も中々の戦狂いではないか」
「否定はしませんよ。 私も、貴方やその皇国人と同じ異能者ですから。 異なる者は惹かれ合うと言いますし」
「三日後には此処を離れて一度本国へと帰還じゃ。 奴とはまたいずれ合間見える事になる筈じゃ」
「私は来週には黒海経由で中東です。 少し不安も残りますが、EUも連邦もこの戦場にはこれ以上留まらないでしょう」
「ほう? なぜそう言い切れる」
ナタリアが興味深そうに聴いてくる。
「簡単です。 厳冬期の到来で、連邦との主戦場が南に移り変わるからです。 これからは黒海の周辺と中東が主戦場になる筈です。 双方共に冬の戦いに慣れているから一方的にも成りませんし、物資の無駄ですね。 戦争は巧くやらないと儲かりません」
軍を維持するのには、それだけで大量の食料と物資、そして金が掛かる。
冬に戦い慣れた軍と、そうでない軍ならその戦いは一方的な物になるが、相手も冬に戦い慣れた軍では戦いが長引いてしまう。
本来ならそれでも戦わなければならないものだが、ブランククスでの戦いはあくまで前哨戦、敵同士ではあるが双方共に利害は一致している。 北には少しの兵を残して、他は重要な南に移す。 当然と言えば当然だ。
それを聴いてナタリアは思い出した様に話し出す。
「成程、確かにEUの北東部への補給線はまだ安定しておらん。 それに比べて、中東へは石油輸送用のルートが作られているからの」
「ええ、共和国が創った奴です」
アレッタが自慢げに言うと、ナタリアがそれを遮るように話す。
「確かに道路は御主の国が作っておるが、トンネルは帝国製じゃというのを忘れないでもらおう。 何処の国が資金を出したと思っておる」
「自分達だけが資金を捻出している様な言い方は止めて下さい。 共和国だって二割位は出しています!」
二人とも譲る気配は無い。 と言うのも、EUは国家間での経済格差が大きい為に、超大規模の公共事業は一部の国が資金から製作までを行わなければならない。
一国だけで行う訳では無いが、いざ資金を出すとなればどの国も他の国に資金を出させたいと思うものだ。 それ故に、ユーロピアの人間は公共事業に関して他国をあまり褒めたがらない。
それは、何も公共事業に限った話ではない。
他の勢力、例えばルーシア連邦やアトラス連合、中東や中華連邦との外交も一部の先進国が独断で行う。 ともなれば、他の国が知らない条約も何時の間にか決まっている、なんて事も珍しくない。
大規模な国際施設の使用も優先権が在る。
そうでなければ、EUの中心国は直ぐに破産で潰れる事になる。
「とにかくです。 連邦との戦場は南下するでしょうが、問題はアトラスです。 どう考えても、裏でルーシアが関与したのは間違いありません」
「そりゃあ、でなければAUに敗れるなど有り得んのだろうよ。 まあ、敗因はそれだけでは無いと思うがの」
そう、いくらEU軍に混乱があったとはいえ、兵器の性能に一世代以上の差があるのだから、まともに戦えば負ける訳が無い。
が、それでも負けた。 多少の油断はあったのだろうが、敵にも策士が居たのだろう。
どの勢力にも、どの人間にも思惑が在る。
相手を騙してでも成就させたい願いが在る。 そして、それは戦場では顕著に浮かび上がる。
「全く、人間不信になってしまいます」
アレッタの言葉を聴いて、ナタリアは不思議そうに訊く。
「信じられんか? 誰かの裏切りか、それとも国を?」
「判りません、判らないから怖いのですよ。 ナタリア、私は死にたくない無いのです。 私は痛い思いをするのも、傷付くのも嫌なんです」
アレッタは悲痛な声で囁くように話す。
誰かを信じると、裏切られるのが怖くなる。
間違いじゃないと信じても、戦争は、世界は、一切の容赦無く主義主張を否定する。
別に、誰かを傷付けたくて生きている訳じゃない。
私や、彼や彼女、未だ知らぬ何処かの誰か。 きっと、皆誰かの幸せを願って生きている。
きっと皆、幸せでありたいと願って生きている。
少しでも安らかに、穏やかに在りたい。 そうあれかし、と。
何が幸せかは判らないけれど、此れまでもそうだったのだろう。
アレッタの話しを聞いていたナタリアは暫らく黙っていたが、顔を上げて話し出す。
「……アレッタよ。 今の話しの後に言うのも何じゃが、儂の夢の話をしよう」
突然の事にアレッタは困惑した顔をするが、構わずナタリアは話す。
「儂の夢はな、歳を取って御婆さんになる事じゃ」
「…………は? 御婆さん? 普通、女性は歳を取るのを嫌がるのに何でまた」
既に年寄りくさい喋りをしているのに。 なんて思ったが、話の腰を折るのも何なので、アレッタはそのまま話しを聴く事にした。
「儂は長生きしたいのじゃ。 人の一生なんて、何時終わるか判ったものでは無い。 じゃから、儂は死ぬ気で生きて、少しでも長生きしたい」
ナタリアの願いは、酷く悲しいモノのように思う。
少なくとも、十代の少女が本気で願うような夢とは思えなかった。
けれど、きっと彼女は本気なのだ。 彼女にそう願わせる程の何かが、以前の彼女にあった。
私には判らないが、それは良い思い出では無いのだろう。
異能が世間一般に認知され始めた頃、異能に目覚めた少年少女への世間の目は、温かいものではなかった。
能力を使った犯罪が増え、世論は異能者を認めなかった。
けれど、その事に悲しんだりはしても怒りを覚える事は無かった。
仕方が無い、それは仕方がない事だったんだ。
自分達にはない、特殊で強力な力を持つ人々が怖かったのだ。
間違わないで欲しいのは、怒りを覚える事は無かったとして、だからといって世間を許した訳では無いという事だ。
沢山の死人が出たからだ。 罪の無い異能者の命が多く奪われた、それは変わる事のない事実だ。
十五歳の時、異能に目覚めるまで私は普通の女の子で、それなりに充実した日々を送り、友人と共に目指した夢もあった。
けれど、軍に入ってからは自分の夢など考えた事も無かった。
異能者と成った日から、私には軍隊以外に選べる道が無かった。
今でも憶えている。 今まで仲良くしていた友人達が、私が異能者だと知った瞬間に見せた顔を。
人を心から信じられなくなったのは、きっとその時だった気がする。
私は彼等が怖かったのだ。 そして、彼等も私が怖かったのだ。
軍に入った時は安心した。 自分以外にも、異能力を持つ人が沢山居る事をしったから。
そして今までずっと兵士としての教育を受けて生きて来た。
それ以来、夢なんて考えてこなかった。
でも彼女は、ナタリアは違った。
ナタリアの夢は変わっている。 そして、その夢は素敵だと思う。
『お前は如何だ?』と、私は自問する。
幼い頃の夢は、今の私には嫌な思い出でしかない。
もうはっきりとは憶えていない昔の夢。 私は、何に成りたかったのだったか。 考えても思い出せない。
けれど今は夢など無い。 戦場で夢だとか未来の事を語る奴は早死にするらしい。 ジンクスとか、私は少し気にする方なのだ。
私は死にたくなど無いから、だからあまりこういう話はした事が無かった。
私は、この戦争を生き残って、その後に一体如何する?
「アレッタよ。 御主の願い、儂は良いと思うぞ」
私が黙っていると、ナタリアが機嫌良さ気に言ってくる。
「死にたくない、もっと生きたい。 成程、それは人間らしくて善いでないか。 特に、儂等のような異能者にとってはな」
人間らしい…………。 そんな言、初めて言われた。
異能者として軍に入ったなら、その後は人間兵器としての訓練の日々だった。
嫌では無かったけれど、人間らしい生活とは言い難い。
「もし、まだ御主の指針が定まらぬのなら、それはまだその時では無いからじゃ。 自分のやりたい事など、そのうち勝手に判る」
「それはまた、随分といい加減なのですね。 なら、もし夢が見付からなかったら如何するのです?」
「は? そんなもの儂が知る訳が無かろうが。 願いが見付からぬなら今に余裕が無いのじゃろう」
ナタリアはカップの中身を一気に飲み干し、テントを後にしようと立ち上がる。
「それにだ、アレッタ。 余り痛みを悪い物をように扱うものでは無いぞ。 人間には痛みが必要じゃ。 例えそれが、どんなに苦しくてもな」
人間には痛みが必要。 それは…………辛いな。
「儂としたことが、少しばかり喋り過ぎた。 此度は退散するが、まあ、なに。 気楽にいこうではないか。 十七の儂も、十九の御主も、まだまだ若い小娘でしかないのじゃからな」
その言葉に苦笑し、私は短く挨拶をして彼女を送る。
そして私は思う、去り行く彼女を見て、私は思う。
彼女は、どうしてそこまで自身と自信を持って生きられるのか。
どうしてそんなに強く居られるのか。
判らない。 判らないから少しずつ判っていこう。
今日の茶会はこれにて解散。
次があるかは判らないけれど、今度の為にもっと良い御茶を用意して彼女を待とう。
戦場の茶会など、余裕の在る内にしか出来ない事だ。
出来る事は、出来る内にやらなければ後悔するものだ。
それに、なにより友人との他愛無い会話をする程度の人間性までも欠落した人間には成りたくない。
人間性の薄れる戦場であってこそ、私達はより人間性を発揮出来る。
ここまで読んで下さった皆様、本当ににありがとう御座います。
楽しんで頂けたでしょうか?
主人公から観て敵側の視点で話しが進み、キャラクターの数も増えてきました。
皆様は既に判っておられるかもと思いますが、この作品の世界地図は現実の物と同じです。
国名や地名は少し変えていますが、作中での国の動きは私達の知っている地図に当てはめて考えて頂けると判り易いと思います。
それでは、次の投稿でも皆様が楽しんで頂けると幸いです。