08 その8
私が8歳のころの話。
この一年は私の短い人生の中で、一番思い出ぶかい年でした。
私はまだ国民学校の2年生でした。みんながまだ、私を普通のデンマーク人だと思い込んでいた頃のことです。
私自身も実はそう思い込んでいました。当時の私は、実はおばあちゃんが日本にいて、一度もあったことのないそのおばあちゃんが私の名付け親だということも知らなかったのです。
そんな私が初めておばあちゃんに会ったのは、その年の春のことでした。空港までお出迎えに行ったときはドキドキしていました。いったい、どんな人なんだろう。忍者かもしれない。侍かもしれない。
でも、降りてきたおばあちゃんは普通の人でした。私に自己紹介をしてくれました。でも、私はお母さんの陰に隠れていました。
お父さんの運転する車に乗って、私の家に着きました。
それから、お父さんもお母さんもちょっとお出かけをしました。そんな時のことです。
おばあちゃんは、私に、犬神様のお話をしてくれました。流暢なデンマーク語ではなく、たどたどしいものでしたが、そんなおばあちゃんを、私は大好きになりました。
そんなおばあちゃんも日本に帰る日が来ました。私は、泣いて駄々をこねます。帰らないでって。
私を見る目そんなおばあちゃんは笑顔です。途切れ途切れに、こんなことを言います。
「エリカちゃん、ちゃんと帰れるときに帰らないと、帰れなくなっちゃうんだよ。帰りたくても帰れない場所になる前に、帰らないとだめなの。呪われちゃうの。今度はエリカちゃんが会いに来るの、おばあちゃん楽しみに待ってるからね」
それから私が泣き止んだ後、帰る間際、「二人だけの秘密だよ」って言って、私に二つ住所を教えてくれました。
一つはおばあちゃん家の住所で、もうひとつは、犬神様の祠の棲家でした。
その当時、私は日本語が分かりませんでした。尚更、「祠」なんて字は読むことができません。そもそも字ではなく絵に見えます。
お母さんに聞きました。それは「ほこら」ってよむのだと教えてくれました。
それから、私は、大好きなおばあちゃんと一緒に、犬神様といっしょに住めたらいいなって思いました。
それからというものです。私の夢に時折、犬が出てくるようになりました。
その年の冬、私は重い病気にかかりました。
何日もベッドの上で過ごしたのです。あまりにも調子が悪いので、病院に入院しました。お母さんは、だんだんと痩せこけていく私を見て、寝室を出ると、よく泣いていたそうです。数年後、あとで笑って話してくれました。
私は一人ぼっちでした。だから、あんまり起きていたくはなくて、たくさん寝ようとするのですが、眠れば眠るほどに、何故か眠れなくなるのです。助けてほしい。誰でもいい。おねがい。きてよ。たすけて。そう何度もつぶやきました。
その内に、体調が急変して、私は死の淵を彷徨ったそうです。自分ではそんな記憶がありません。
記憶があるのは、私とよく似た犬が、よく、私のところに遊びに来てくれたことです。以前から私の夢に出てきてくれた犬です。
彼女は、碧い瞳をしていました。白い毛をしていました。何日も一緒にいてくれました。一人ぼっちの私は、あの子といるときは、一人じゃなくなりました。
その犬は、とても賢い犬でした。私の名前もちゃんと覚えてくれていたのか、『エリカ』と呼ぶと喜んで尻尾を振りまわすのです。
私は、その子に私の名前を分けてあげました。
『エリカー!』
幸せな、夢のような日々を過ごしていました。夢のようなと言いましたが、実は夢だと分かっています。だって、お腹は減らないし、病気なのに全然辛くなんてなかったからです。それなのに、『エリカ』はビーフジャーキーをあげると非常に喜びました。変なの。
でも、そんな日々も終わりが来ました。
その子が言うのです。
私は帰らないといけない。日本に、自分のあるべき場所に帰らないといけない。
それから、彼女の姿が、だんだんと遠ざかっていきます。
私は目を覚ましました。
私が夢から覚めた時、みんな、泣いていました。私は元気です。なのに、痛いくらいに抱きしめてくるのです。私も何故だか涙が止まりませんでした。
また、一人ぼっちになったような気がしたからです。
病院からも退院して、ちょっと時間が経ちました。
あの日、『エリカ』と別れてから、私は一生懸命に夢を見ようと頑張りました。いい子にしました。
でも、『エリカ』は一度も私に会いに来てはくれませんでした。
だから、私は次に『エリカ』に会ったらたくさん怒ってやろうと思いました。一緒に遊んでくれない子は悪い子とだとか、お母さんに言いつけるぞだとか、そんな子どもの言うことを、本気で言ってやろうと思っていたのです。
そうすると、なんと、『エリカ』は夢に出てきてくれました。
しかし、私にとって、それは、再会ではなく、永遠の別れのように思えるものでした。
『エリカ』は叫んでいました。何故か、その言葉が私にはわかりました。
わたしはここにいるよ、って。
それは、日本から、世界中に向けてその声を響かせようとするくらいに、自分の生きた証を叫んでいるようでした。
私は、広大な麦畑にいました。私は、何もない太平洋の波が凪ぐのを聞きました。私は、洞窟の中で一つの灯篭がその生涯を終えるのを目にしました。
それ以来、『エリカ』には出会っていません。
私は、『エリカ』を探しに行こうと思い、将来日本に行くことにしました。しかし、私は日本語をしゃべれません。
お母さんに日本に行きたいことを相談すると、お母さんは日本語を教えてくれました。始めは、『祠』からです。ほこら。ほこら。ほこら。それ以来というもの、私は単純に日本に興味を持つようになりました。
だから、それから9年後。母から、本当に日本に住めるよって言われて、本当に驚いたのです。お父さんが、日本で働くことになったのでした。つまり、おばあちゃんと一緒に暮らす夢も叶うのです。
叶うと思っていたのです。
あとは、『エリカ』だけです。
だけだと思っていたのです。
しかし、そうではありませんでした。
どちらも、叶わなかったのです。