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06 その6

 それから数日が経ったある日、大きな地震が起きた。特に家の倒壊などの被害などなかったが、さらに天候が荒れてくるという予報も相まって、ちょっとした話題となった。

 しかし、僕らにとって、それは大きな事件の引き金となった。

 犬が逃げた。

 エリカの家の犬である、さんしょうが、地震が起きたときに開いていた玄関から逃げ出した。電話口でもわかる、慌てふためく彼女からの連絡があって、僕は自分の中のミサイルをかっ飛ばして、彼女の自宅へと向かった。

 しかし、僕が付いた時には、既にエリカは家を出た後だった。

 呼び鈴に玄関を開けた彼女の母親に会うと、エリカはもうどこかへ出かけてて、しかも連絡できるものを持って行っていないのだと、そう聞かされた。

 人の親というのはこういう人のことを言うのだろうと僕は思った。

 それくらいに心配げな表情のエリカの母親に、僕はエリカを探してくることを伝え、180度方向転換して駆け出した。

 裏山の入り口、商店街、学校――。思い当たる場所をしらみつぶしに探す探す探す。

 裏山の入り口には生物の足跡はなかった。商店街には猫しかいない。学校はバカみたいな顔の雪だるまが三基居座っていた。

 気が付けば、昼は過ぎ、おやつの時間は過ぎ、それでも僕はポケットの中にあるビーフジャーキーを食べることもなく、エリカとさんしょうを探していた。

 結局、僕はさんしょうを見つけられなかった。だがその代わりに、あちこち尋ね回った僕はようやくエリカを見つけて、合流することができた。

 彼女の顔は真冬だというのに汗まみれだった。しかし、妙に青さも混じっている。

 エリカは叫ぶように僕に尋ねてきた。

「さんしょう、いた!?」

「……いや、僕の心当たりは全部探してみたけど、見つからなかった」

「そっか……」

「あのさ、きっと、さんしょうも、お腹を空かせたら戻ってくるよ。だからさ、」

 僕は彼女にもう暗くなってきたことと、これから天気が荒れることを説明して、エリカに帰るように提案した。しかし、

「やだ!」

 当然、彼女は聞き入れようとしてくれなかった。

「でもさ」「やだ」

「だけどね」「だめ」

「だから」「探すの」

 平行線の議論を続けていけばいくほど早く太陽は沈んでいく。街灯が灯り始め、突き刺すような寒風に加えて、降り始めていた雨に雪が混ざり始めた。

 本当に天気予報で言っていた通り、天気が荒れだしてきたのが分かった。

 らちがあかない。意を決した僕は声を荒げて、

「わかったよ! 僕はまだまだ探してみるから、見つけてくるから、だから、エリカは一回帰って、親御さんに顔見せてこい!」

 彼女はそれにも何度も首を横に振ったが、僕が根気よく、強く諭し続けると、「心配しているのはわかるが、心配もされている」という僕の言い分を分かってくれたのか、ようやく一度帰宅することに合意してくれた。

 その場ですぐに約束を取り付ける。明日天候が良くなったら、その時に連絡を入れるからそしたら来るように。

 そう伝えると、エリカは頷いてくれた。


 それから僕はしばらく走り回って探した。懐中電灯も持たずに目と足と耳と声だけでさんしょうを探した。

 川でおぼれたんじゃないかと思えば、あちこちの川とドブを睨みつけ、事故にでもあったのかと思えば、交通量の多い道路を探して、警察の人に聞いたり保健所にも連絡をしてみた。しかし、さんしょうについて知っている人は一人もいなかった。

 たまに犬の声が聞こえればとりあえずそちらの方へ向かってみた。しかし、行く先々で鳴いていた犬はまったくの別人だった。さんしょうについて知っている犬は、一匹もいなかった。

 僕は暗い気持ちで、暗い帰路に着いた。街の灯りもその光を窄めて、既に自動車すらほとんど見当たらない。雪風の吹きすさぶ音がするほかは、やけに世界が静かだった。

 遥か遠くの、山の向こうで犬が鳴いているような気がした。しかし、この悪天候の中、どう考えてもそんな遠くまでさんしょうが行けるはずもない。どこかの野犬が腹を空かせて鳴いているのだろうということが、頭にぼんやりと浮かんだ。

 気持ちは綿みたいにふわふわして、気を抜くと飛んで行ってしまいそうなのに、体は鉛のように重い。

 ポケットから携帯を取り出して、死んだような眼で、僕は彼女に、「ごめん、今日は見つからなかった」とだけ連絡を送っておいた。

 正直、返事は返ってこないでほしかった。あれほど見得を切った手前、なんて説明して、なんて言い訳をすればいいのかわからない。

 自宅に戻ると、親は何も言わなかった。そのくらい、僕の表情はせっぱつまって見えたのかもしれない。

 結局、それから10分待っても、エリカから返信はなかった。正直、安心した自分がいた。すでに、エリカも親にいたわってもらって、明日のために早く眠っていることだろう。そんな風に考えた。

 返事がないのを確認すると、飯を食って体を温めて布団に飛び込んだ。一応、エリカには明日のことについて再度連絡を送っておいた。

 僕は、そのまま何も気にも留めずに眠りに落ちていく中で、こう思っていた。

 とりあえず、明日、早く起きて、探しに行こう。

 そのまま、僕は瞼を閉じた。

 しかし、朝になっても返信はなかった。そのことにもっと早く気が付くべきだった。


 それこそまだ夜が明けきらない時間に、彼女の母親が僕の家にやってきた。

 エリカが帰ってこない。

 その言葉を聞いて、僕は最初は言っている意味が解らなかった。確かに昨日、僕とあの三叉路で約束をしたはずだ。帰るように諭したし、確かにその方角へ歩いていくのを見た。

 そしてわかった。しまったと自分を責める。

 ぼんやりとしていた頭の中で冷酷な一つの答えが出ると、氷の中にいるような寒さなのに、全身から熱く冷たい汗があふれた。後悔が今更押し寄せてくる。

 一つ、怠っていたことがあった。

 あの後しっかりと彼女の親にも連絡をして、確認しておくべきだったのだ。

 エリカはそこにいますか、と。

 思い起こしてみると、あの時のエリカは、わさびがいなくなった時のエリカとは違っていた。多少はエネルギッシュだった。しかしそれは、その時よりまだましな状態であったということではなかったのだ。

 彼女のあの精力的な捜索活動の根源は、失った後にやってくる喪失感ではなく、一秒ごとに失われ続けていくという恐怖の中で生じた、その興奮によるものだったのだ。

 僕の中にも同じ恐怖が湧いてきた。全身が熱いのに冷たいという奇妙な感覚に支配される。ありえない仮定が、わざわざその中で最悪の答えを告げる。

 エリカが、帰ってこなかったら――。

 無意識に手を握りしめた。

 エリカの母親に、僕は何とか声を振り絞って、確認を取った。

「エリカは、一度も、家に、帰っていないん、ですよね?」

 エリカの母親は頷いた。その後ろ、僕は開きっぱなしの扉から身を乗り出して外を見渡した。

 風雪が吹き荒れ、すべて雪で覆われた田んぼはすでに田んぼではない。

 慌ててドタドタと二階を駆け上がる。ダウンジャケットの上から、ビーフジャーキーがポケットに入ったジャケットをかぶるように着て、降りる際に足がもつれて顔面から落ちて、でもそんなの痛いともなんとも感じなくて、それから玄関の壁にかかっている懐中電灯をひったくり、昨日も履いたまだ濡れているスニーカーに足を通し、何やらわめいている大人の声に振りかえることもなく、

 僕は外へと飛び出した。


 昨日探した場所に多分もうエリカはいないと確信していた僕は、彼女が行きそうな場所を息を切らせて考えた。すぐに浮かんだ。

 祠だ。

 その考えが浮かぶと、裏山へと突っ走る。犬のように足跡を探してみるが、積もっていた雪に消されたのか、人間の足跡も、何者の足跡も残ってなどいなかった。

 それでも、僕は裏山を登り始めた。時折、濡れた靴から刺激的な冷たさを感じる。素の両手に白い息を吹きかけながら、サクサクと音を立てて僕はその場所を目指す。

「おーい! エリカ―! おーい!」

 声が虚しく雪に吸い込まれた。それでも呼びかけながら、登る足をできる限り早く動かす。

 雪が降り積もっていても、何度も来た場所だ。見覚えのある交差路を曲がり、今度は少し下っていく。

 あった。

 祠が見えてきた。

 いた。

 祠の中に、大量のビーフジャーキーと、そして、

 さんしょうが、いた。

「おーい!」

 僕がそう叫ぶと、さんしょうは僕に気が付いた。祠の中から弾丸のように飛び出してくる。僕はそれを他人事のように見つめ、立ち尽くした。

 よかったと思う反面、まずいとも思う。なぜならおかしい。おかしいのだ。おかしくないのだとしたら、それこそおかしいに決まっている。理屈が合わない。

 なんでさんしょうがここにいるのに、エリカがいないんだ。

 僕と別れた後、エリカはまたさんしょうを探しに出かけたはずだ。でも、さんしょうはここにいる。なのにエリカがいない。僕は全てが上手くいっていた時の、物事が万事つつがなく終えた時の妄想に取りつかれていた。理屈をこねる音がする。

 エリカはさんしょうを探す。さんしょうが見つかった。つまり、エリカとさんしょうが一緒にいなければおかしい。

 でも、現実はそうじゃない。エリカがいなくて、さんしょうがいた。とすれば、さんしょうがエリカを探すなら、エリカがいるのか。

 あれ? わからなくなってきた。つまり、僕はさんしょうを探すエリカを探しに出て、ああもう。

 理屈では答えなんか出なかった。理屈なんかクソ喰らえ喧嘩上等だと、頭ではなく心が叫んだ。

 隣から、へっ、へっ、と声がするのを僕は思い出した。

 僕はさんしょうを懐中電灯で照らして見る。さんしょうの目は光に赤く映っていた。その目を見つめたまま、聞いてみる。しかし、当然、さんしょうに僕の言葉はわからないようだった。

 けれど、さんしょうがご主人様と会わなかったというのは、なんとなくわかった。

 風が強まった。さんしょうが少し浮きそうになったのを見た僕は慌てて押さえつけた。天を睨む。天気がさらに荒れてきた。

 早く見つけないとまずい。

 しかし、何処へ行けば彼女がいるのか、それさえ分からないまま、僕の足は動きだそうとしてくれなかった。

 最悪の予感が脳裏をよぎる。心臓が止まる。大きく跳ねてまた動き出す。

 早く早くと急かす度、答えから遠ざかっていくような感覚に支配される。涙なんか流してはいけない。決まったわけではない。あきらめるな早くしろ動け探せ掘れ飛べ叫べ泣くな涙を戻せ行け行けイケイケイケいけいけいけいけ

「うわあああ――――っ!!」

 僕は自分と向き合うのも嫌になって空へと叫んだ。

 声は少しの間響き渡ると直ぐに止んだ。すぐに雪と風にとってかわられ、また、僕にひとりぼっちを植え付ける。

 ついに、決壊した。

 涙が出てきた。子どもみたいにわんわん泣くのだけは何とかこらえた。それでも、僕は涙でべたべたになった目をおし瞑つぶった。

 その瞼の裏に、   がいた。

 何度も心の中で叫んだ。

    。たすけて。おねがい。きてよ。たすけて。

 思い出せなかった。

 僕の親友で、相棒で、用心棒のアイツ。とにかく、僕が昔大好きだったアイツ。

 それでも、僕は目を瞑って、拝み倒した。

 一晩中でもそうしていれば、雪も風も止んでいるかもしれない。目を開けたら、その代わりにエリカが側にいるかもしれない。そして、僕がエリカをみて、エリカが僕を見ると嬉しそうに、「ワン」と一声鳴くのだ。

 しかし、そんなことがあるわけがない。第一、エリカは犬ではないから「ワン」などと鳴かない。そもそも雪風は力強く僕を打ち付け、目を開けようものなら、誰もいない暗闇に白を添えて見せつけてくるだけだ。春の頃は草の海が膝下を埋め、丘の稜線へと目を向ければその向こうに、ただ広がる青に舌を巻く、何もない自由な空があった。

 遊ばせていた足をどこかへ向けようとするが、結局どこへ向かえばいいのかわからず、また立ちどまる。

 風が一人、泣いているように空を切り裂く。その声が、呪詛のように聞こえ、骨にまで浸透してくる。さっきまで何一つ聞き漏らさないようにしていた音でさえ、自分に恨み事を突きつけてくる。

 おまえのせいだ。

 打ちひしがれるように突っ立ている僕の耳をただ通り抜ける。僕の膝が折れ、次第に体に震えがやって来た。

 いきなり、耳に唾液がやって来た。

「うわあ!」

 慌てて横を見やれば、へっ、へっ、へっ、と白い息を浴びせてくる犬がいた。僕は首を伸ばして顔をそむけた。さんしょうのその目は、それでも、僕のことを見据えて離さない。

 その目には、意志の力を感じた。

 その目を見ていると、助けてほしいではなく、助けたいという気持ちが、ふいに衝撃波のように身体を駆け巡った。

 ふと、さんしょうが笑ったように見えた。力が急に腹の底から心臓へと突き上げる熱がやってきて、犬のような荒い息を数度繰りかえした後、完全に腹が決まっていた。

 そうだ。こんなところで何をうじうじしていたのだ。

 見つからないかもしれないんじゃない。見つかるしれないのかもしれないのではない。

 見つけなければならない。見つけないといけないんだ。

 目を閉じる。それから、空へ向けて、最後のニホンオオカミのように、全精力で咆哮を放つ。

「エリカ――――――――――――――っ!!」

 僕の声が、絶対に聞こえているはずだと信じて疑わない。


 そして、その声が収束した後、それはやってきた。地に響き渡るほどの強さが、僕を伝って過ぎゆきた。

 風を切り裂く轟音が天を刺した。

 あんなの、忘れられるわけがない。

 声。

 声がした。

 僕は、溺れた子供のようなその顔をその方角へと持ち上げ、涙まみれの目を開いた。

 遠吠えだった。

 僕は、その方角を完全にとらえた。遠くから聞こえるその声を、確かに全身で聴いた。

 長い遠吠えだった。

 長い、長い、遠吠えだった

 10年前、聞いたことのある声と、時が繋がった。

 声が、タイムマシンになった。

 名前の空白欄に、『エリア』という名前がすっぽりはまった。初めからそこにいて「僕はここにいるよ」と鳴いていたかのような存在感に、いつしか僕はその名前を連呼していた。

 えりあえりあえりあえりあえりあ。

 その内に、彼女の顔が浮かんだ。その彼女の姿が浮かんだ。

 その山へと、両の目を向け、眉に手を当てできる限り目を凝らす。そして、こう思う。

 エリカが、いる。

 理由なんかないけど、保証なんかないけど、そう信じてみようと思った。

 エリアと離ればなれになったあの山。間違いなく、そこから聞こえた。

 僕はさんしょうを祠にぶち込んで、そこにいる犬神様に「さんしょうをお願いします」と頼んでから、全速力で走りだした。

 当時、あの遠吠えがエリアによるものかはっきりとは分からなかった。けれど、多分、エリアのものだったと今でも思っている。

 エリアは間違いなく恩人でいつまでも親友だった。

 それだけでも、僕が走り出すきっかけには、十分に事足りた。


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