03 その3
馴れ馴れしいのは海外から来たからだ。最初は、僕はエリカにそんな差別的なレッテルを貼り付けていた。
でもいざ二月期が始まってみると、僕の目に映ったエリカの制服姿は、夏休みとは別人のように見えた。姿のせいではない。
静かなのだ。
田舎の学校なんて小中高と大して面子が変わらない。しかも、よそ者にはつめたい。
その意味するところは、彼女も最初、ボッチとなったということだ。夏休みの頃の太陽みたいな明るさとは対照的に、静かな彼女。いったいどうしたことか。テレビでいう、いわゆる念願のソロデビューを果たしたかった、というやつなのだろうか。違うか。
いつも学校では、場所を問わず噂話があちこちでささやかれている。それこそ、僕の近くで僕の悪口を言うやつもごまんといる。
しかし、二学期になってから、大物新人が登場した。良くも悪くも登場頻度トップに君臨したのが、エリカだ。
一番多いのが、可愛いのが気にくわないとか理不尽な理由だ。例えば、先生が誰かの頭髪を注意する。そうすると、その女生徒は「なんであいつは髪茶っぽくてもいいのに、目が青いのに、あたしだけだめなの」と愚痴る。女は男よりもたちが悪いと思う。だからと言って、男の悪口がいいとも僕は思わないけれど。
でも彼女は全然堪えてないよ、と気丈に振る舞っていた。僕がちゃかしたら怒るくせに。
9月の最初の方、よく彼女は僕のあとをついて回った。一緒に学食に行ったときもある。帰り道も途中まで一緒だったし、時おり一緒に帰った。誘うことはなかったけど、エリカから誘われても断ることもなかった。しかし超高校級ボッチだったくせに、彼女といると、なんと僕は少し居心地の良さを感じていたのだった。
だが、次第に時期が経つにつれ、彼女にも仲のいい人ができた。
僕はよかったと思う反面、1人で帰っている時にはちょっと寂しいとも思う。
エリカは部活には今さら入ることもないようだった。しかし、運動もできるエリカはその見た目もあって結構目立った。とくに短距離は犬のように早い。体力も十分にある。どおりで山に登っても飄々としなかったわけだ。何かスポーツすればいいのにと僕は思う。
得意科目は以外にも国語。苦手なのは理系科目。食事はいつも購買か学食で済ませている。もっとちゃんとした物を食べたほうがいいと思う。
よく見たら左利きだし、他の人よりちょっとだけ腰高で、なんだか歩いているだけで様になっている。時おり、ぼーっとしていることがあるが、それも様になっていてずるいと思う。
目が合うと笑う。
何故か僕は照れる。
しかし、まあ、よく観察していると自分でも思う。
いつのまにか意識もせずに、僕は彼女を目で追うようになっていた。いや、ちょっと自分でもいってて笑う。むしろ逆で、本当は意識をし始めていたのだろう。もちろん、誰かに相談することもない。当然、本人に言えるわけもない。
それでも、彼女はあの夏の日以来、僕とのつながりを断つことはなかった。エリカは律儀に裏山に来ては祠に通う。僕が家の窓からぼうっと眺めると、決まった曜日、朝の早い時間に、決まって彼女が祠に行くのが見えた。僕もなぜかたまに着いていった。小さい頃からよく裏山にいて祠なんて気がつかなかったくせに、今はもうエリアがそこにはいないにもかかわらず、である。
いつしか、火曜日と土曜日には僕も一緒する決まりになっていた。
彼女は供え物に、いつもビーフジャーキーを持ってきた。やはり彼女は変な女だと思った僕は一度、「なんでビーフジャーキーなの」と聞いてみたことがある。そうするとエリカは一言。
「こっちの方がよろこぶから」
なんだそりゃ。なんでさ。理由になってないぞ。どうせ嘘を言うならもっとましな脳みそかっぽじった嘘を付け。
「じゃあ、あのね、神様は、私、おいしいものが食べたいワーン、って言ってるんだよ。犬はみんな美味しいものが大好きだから。人間を食べないのは人間がおいしくないから。こっちのほうがいい?」
はあ、さいですか。
「まあ、一番は、経済的だからだね」
それには僕も同意見。実にすばらしい。
しかし、そう言えば――。
僕はエリアに一度も餌を挙げたことなんてなかったことを思い出した。エリアはいったいどうやって裏山やらその辺で生き残ってきたのだろう。木の実でも食っていたのだろうか。今となっては分からない。
もっと大切にしてあげたらよかったかな、なんて思う。
そして、僕らがそんな会話を繰り返しているうち、いつの間にか秋は過ぎ、冬が来た。
当然、雪が降り始める頃合いには、僕は山への立ち入りをエリカに禁止した。というより、僕がやらかしたせいで、この辺の住民はものすごい注意を払うから、女子どもが一人この辺を歩いていれば、声をかけられて登れない。本来は僕が言うまでもないのだった。まあ、この辺に小さい子どもはないから、昔と比べると監視の目は大分ましにはなったので、一応、念を押しておいた、というだけの話だ。
たまにパトロールと称して、まだ今くらいの寒さの時期であれば夜回り族に会うことができる。その中に、僕がいることもある。
僕も責任を感じていたから、高校入学を機に、週に一度くらいは顔を出していた。
この前、周囲パトロールで一緒になったその折に、僕は一番高齢のおじさんに、祠について聞いてみたことがある。
「祠? ああ、うちのじいさまが昔言っとったな。よおそんな昔話知っとんなカズ房」
その切り口から、月見里のおっさんは苔の生えているような、伝承じみた話をし始めた。
この辺は古来より狐でなく犬が多数生息していたらしいんだがな。しかし、その内に犬がだんだんと減っていっていったんだ。じゃあ、なんで減ったのか。じいさまの話じゃ、奴らが犬じゃなくなったんだと。
じゃあ、何になったと思う? 犬がだぜ。笑っちまうよな。
人間様になっちまったんだとよ。
そしたらこれまた面白いんだが、当時の人々は、自分たちが犬なんだから、わざわざ神様に色々せんでも、自分たちを大事にすればいいべってなったんだと。つうことで、だんだんと信仰が無くなって、今じゃあ祀られることもなくなったんだわさ。山にあるのはその残尿みたいなもんよ。最後っ屁かもしれんな。
でも、ま、たまには手入れしてやんねえと、犬神様も泣いてらあなあ。じゃねえと、寂しいっつって、わざわざ山をおりてくるかもしんねえぞ。そんで、お前、喰っちまうぞって言いに来るかもしれんな。
なに、冗談だよ。今日も寒いから、風邪ひかんようにして寝ろや。ほいで、迷子にならんように帰れや。
エリカは、僕との約束はちゃんと守っているようだった。本格的に雪が降り始めると、僕もあまり外を出なくなったし、エリカと会う機会は目に見えて減っていった。その代りに、僕は別の存在を思い出していた。
その年の冬は、それでも、例年と違う気持ちで過ごした冬だった。何だか、暖かかった。しばらく忘れていた熱が自分にもまだ残っている。そんな自分に一人もだえ苦しみ、けれども顔はにやけている。
一人、部屋で毛布にくるまって、ただその余韻に浸っていた。