表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

10 その10

 春が来るらしい。

 寒かった冬は寥々とその雪を溶かし、微温い暖に照らし出された山の峰には、二人と一匹。

 わざわざ来るのも専ら暇を持て余してのことではない。なのに、何故だか僕は妙なむず痒さを覚えている。

 ああ、犬が嬉しそうに駆け出した。リードをつけてないものだから、いつ足を滑らせずっこけるか僕は気が気でない。

 それにしても、なぜあんなにも愉しそうなのだろう。愉快なステップの意味するところは、人間以外の生き物にも春という概念があるという証明なのかもしれない、としみじみ思う。ちょっぴり悔しいので、僕はさんしょうへ釘を刺しておく。

「おいこらあんまり走るなよさんしょーう」

「いいのいいの。大丈夫大丈夫」

 隣から返事が来る。彼女のいうことに道理がないとも思わない。なので、僕はため息付いて目で追うだけにとどめることにした。

 遥か先で犬が跳び跳ねた。

「あ、」

 僕は指を向ける。

「うわ」

 寝首を掻かれた鬼婆のように驚異的な速度で背を向け、エリカが駆け出した。さんしょうが木に登ろうとその前足を引っ掛け、後ろ足が宙に浮いている。その姿を見て僕は呑気にも「何だかブランコみたいだなあ」なんて他人事の感想を抱きもしたのだが、飼い主本人は真っ青。

 本人(さんしょう)は愉しそうでなにより。

 一歩違えば、奈落へとドボンだというのに。

「言わんこっちゃない」

 見ていて面白がっていると、罵声じみた恫喝が飛んでくる。

「こら見てないで手伝ってってばーはーやーくー!」

 僕は「ハイハイ」と小さく答え、まだ芽吹いて間もない草たちを踏まないように大股跨ぎで、その支援へ歩き出す。

 まだ明けきらない冬の香りが春の息吹と混ざるこの時期は、不思議と心の萌える感じがある。

 春が近い。


 この前エリカに話していた答えが一つ、自分の中で決まった。

 だから、わざわざバスに乗って大きな商業施設にまで行って誰にも見つからないようにしてまで、僕はブツを手に入れた。

 誕生日プレゼント。

 それも、自分の誕生日に、である。

 僕が僕のプレゼントを買うというのはとんでもない法螺話のようだが、ちょっと待ってよく聞いてほしい。

 存外、そんなもんではないだろうか。実例をいくつか挙げるので検証してみてほしい。

 自分で自分にご褒美! とか言って、TVの広告では胡散臭い女優が満面の笑み(しかも僕ら目線)で美味しそうなスイーツを購入している。じじいが「疲れた。年にはかなわんわい」とか言って、若いお姉さんのいるマッサージ屋へ車を飛ばしていく。ばばあが「やだーもういい年してー」なんてのたまいながら、その顔は白粉おしろいべったり自分では若くいるつもり。

 そんなのと比べてみれば、僕のなんか大したことのない、10代特有のそれに違いないのではないだろうか。

 でも、実はそんなどうでもいい理由づけをする必要もない。

 もっともっと大切なことなのだ。おおっぴらには言えないが、小さな声では何だか言いたくない。そんな気持ちわかるでしょう?

 つまりは、厳密に言えば、うん。

 今の僕に、ではない。

 「10年分の僕」へのプレゼント。

 一番正しい答えは、僕の中にいた、10年分の彼女へのプレゼント、ということになる。


 今をさかのぼること数日前。僕の部屋で忙しそうに課題に打ち込むエリカが、突如口を訊いた。

「もうすぐだね、誕生日」

 悪戯じみた感じが見当たらなくなったエリカの顔つきを見ると、不意に心臓が高鳴るのを決めたらしく、僕はその言葉の中身よりもエリカ自体を強く意識させられる。まあ、質問に不意を突かれたからというのもあるけど。

 僕がペットボトル片手に立ち尽くしていると、

「……ねえ、聞いてる?」

「うんうんうんうん。聞いていますとも聞いてますとも」

「まあ、いいけど。ねえ、何が欲しい?」

「ビーフジャーキーでいい」

「……あのさ、本当にそうするよ?」

「いや、だってね、いきなりそんなこと言われても、というか、そういうのって本人に聞くもんじゃないんじゃないの」

「いや、普通に聞くと思うけど。ああ、あれか、もしかして。日本人はなんかそういうところあるよね。本当は言いたいのに言えなかった初恋の思い出とか、正義は常に敗北した側にあってそういう物語が昔から好かれてきたとか。本音と建て前をすごく大事にするの」

 何だか話がごちゃごちゃになってきてはいまいか?

 そう思う僕にエリカは一言。

「で、何が欲しいの?」

 彼女のいいところは話をややこしくしないところだ。

 しかし、まあ、そうは言われても急には思い浮かばない。

 頑張って何かないか何かないかと探してはみるものの、こういうのってそういうもんじゃないという醒めた自分もどこかにいて、何だか違う方へとシナプス結合をキメに来る感覚がある。

 それに輪をかけて、妙なもやもやが僕をまどろっこしくする。

 ああ、そういえば。

 何か思い出せそうな僕は、顎に手を当てつむじを見るかの目線をして脳を動かす。

 何か、あったようなきがする。誕生日にまつわること、何か。思い出せない? 知らない……。誕生日が何かに、去年とか一昨年とか、

 去年。

 去年と言えば、

 ああ、思い出した――。

 エリカの顔が思い浮かぶ。去年の、エリカが僕に語りかけている図が思い浮かぶ。彼女はこう言っていたはずだ。

「じゃあカズの誕生日になったら教える」


 しけし、これからもらえるプレゼントのことよりも、もらえなかったご褒美の方が無性に気になり始めるのはなぜなのだろう。

 自分でわかっている。答えは簡単。

 人間は得られなかったものでも、失うことができるからだ。

 しかし、それは自分という一人の檻にこもったら、の話だと僕は思う。人間、聞けばいい。そういう能力は有しているのだから。

 僕はエリカにそうした。

「ねえ、誕生日になったら教えてくれるって、言ってたよね」

「え? 何を?」

「去年、ほら、僕に『プレゼントはもう貰った』とか何とか言ってた時にさ、教えてくれるって」

 エリカはうーんうーん唸りだし、それから、ようやく思い出したのかそれともでっち上げたのか判断に困る表情をして、

「……ああ、言った、かも、ね」

 たぶん、前者だ。と僕は思う。なんとなく彼女の仕草からわかるようになってきた。

 ちょっとした腹案を据えかねて、僕は袖と袖をすり合わせながらエリカに近づき、襟に顔をうずめながらに、そしてすぐに首を伸ばす。エリカはぎょとした反応で答えてくれたがあえて無視する。

「だったらさ、もしかしたらなんだけど、それ、僕もしていいかな。ああ、ちょっと違うな。そうじゃなくて、ええと、変かもしれないんだけど」

「……言ってる意味良くわからないけど」

「つまりさ、あの時言ってたのは、僕にエリアを会わせることだったんだよね?」

「うん、まあ、よくわかったね」

「でも、僕はエリカがいるだけでいいんだよね?」

「……本人目の前にして何言ってんだか。何で私に聞くの、ばか」

 そんなこと言いつつ顔が朱くなるんだから可愛いと思う。

「でもさ、もう一個。逆を言えば、エリアに僕を会わせようともしてくれた、そういうことだよね」

 彼女は頷くだけなので、僕はそのまま続けて、

「だから、お別れ……とまでは言わなくても、ありがとうってことでさ、エリアにプレゼント送りたいんだけど、どうかな」


 それからというもの、彼女の方が動き出すのは早かった。

 ビーフジャーキーと同列に並べるのは主人としてどうなのかとも思うが、さんしょうをぐいと引っ張り、

「ともだち、って欲しいと思うんだ。まあ、さんしょうは馬鹿だから、やっぱいいやって言われちゃうかもしれないけど」

 そんなことを言われた張本人は「ワン」と嬉しそうに一声。いいのかお前それで。

 やっぱり馬鹿なのかもしれない。いや、飼い主の期待に応えているところを見るとやっぱり賢いのかも。

 まあ、こいつもある意味関係者だから、いいかなんて思う僕も馬鹿かもしれない。


 ということで、当日。

 僕らは裏山を訪れた。

 既に雪も大分溶けきって、同じ場所でも違う空気をまとい始めたその山の景観は、たいていの人が見てもすぐ忘れて通り過ぎてしまうほど面白味もない。

 しかし、僕、いや、僕らにとっては、これも大切な存在としてあり続けるに違いない。

 はしゃぎまわるさんしょうを相手に、エリカはついにリードをはずし、その行き先を自由に決めさせた。僕らはぶらぶらその後ろをついていく。坂道続きは山なんだから当然としても、たまに平坦な踊り場に出ると、ダンスでもするかのように、木々が風に揺らぐのが見える。気持ちはいいが、動いていないとちと寒い。

 歩を進める。しかし、山頂に近づくにつれ、春は遠ざかっていく。空に近いはずなのに、そこにはまだ取り残された冬の気配が必死にしがみついて頑張っているみたいで、僕は時おり寒気でそれに応える。

 それでも、温い風に草木の香りが混じっているのを僕は感じとれた。

 繋いだ左の手には彼女の温もりがある。

 春が来るらしい。


 そして、さんしょうを救助するとなんとか僕らは山頂についた。本来、その前に向かうべき場所をいつの間にか通りすぎていた僕らは、少々不思議に思い、

「ねえ、いつの間にか通りすぎてたけど、道間違ったっけか?」

「ううん。別にどこか違うルートではなかったと思うけど」

「じゃあ、なんで僕らは先にここにいるんだろう」

「なんでだろうね。戻る?」

 その疑問をきちんと消化することにして、それからというもの、僕らは再び裏山を探し歩いた。多少の悔いも残したくない。

 しかし、誰が隠したのか、それとも雪にでも拐われたか、その場所へはどうやっても行き着くことができなかった。

 再び山頂へ舞い戻る僕らは、意味もなくその景色だけを眺めた。あの日、二人で見た景色とはさして違いもない。なのに、何故だか急に懐かしく思えてくる。

 思えば、季節がその衣装を着替えるその度毎に、自分も変わっていたことに気がつく。その事を10年も経ってようやく知れば、その隣にいる彼女にも、そして、いてくれた彼女にも、もっと早く何かをしてあげられたのかもしれないなんて後悔もしてしまう。今でも十分幸せなのにそんな気がしてくるのだから、人間は欲深いなあ、と自分の事ながらに思う。

 なんてことを一人思っていると、用意した荷物をエリカが取り出していた。僕は「あれ?」と声に疑惑の念を呟くと、エリカはどうってことない調子で返事をする。

「ねえ、カズも早く出しなよ。頂上担当なんだから、ほら早く」

「祠じゃなくてもいいの?」

 祠担当は気にもしないようで、その手を動かしながら、

「無いものはしょうがないよ。多分、そっぽ向かれちゃったんだよ私たち。だから、一番分かりやすい場所に置いておけば、いつか見つけるかもよ。ほら、早く出してよ教えてよ。何持ってきたの?」

「わかったわかった。ちょい待ち」

 僕も荷物を探る。取って置きの物を二つ取り出す。

 すると、それを見たエリカが「へえ、やるじゃん」と呟いた。

「いいと思うんだけど、どうかな」

「うんうん。すごくいいと思う。きっと喜ぶよ」

 そうだといいのだけれど。


 僕は妨げになるものがない場所に、小さなガラスでできた玉座2つとお城を並べて置いた。

 いつも僕とエリアがいた場所、今は僕とエリカが並んでいるその場所の足元。

 つまりは、特等席だ。

 エリカを見てみると、なんとまあ甘美な表情か。僕はエリカのその笑みが嬉しくて上機嫌に語り出してしまう。

「迷ったんだけどね、その時、前にエリカの言ってたリンドヴルム王子の話にあったのを思い出してさ。言ってしまえば、エリアが女王様。僕とエリカは呪いのかけられたリンドヴルム王子。それでエリアは僕らを助けてくれたんだって、そんな気がして、これにしたんだよ」

 エリカ程でもないが僕も相当に笑顔に違いない。エリカは気に入ってくれたらしく、よくそのプレゼントを眺め回す。

 でも急にぶーたれた。

「ずるいなあ。知ってたら私ももっとたくさん持ってきたのに。美味しいとこばっかり持ってくのずるいなあ」

 その様子が面白い。何故か僕よりもさんしょうが彼女に食いついた。しょうがないので助けを乞う彼女からさんしょうを引き離してやって、僕は続ける。

「いやいや。実はあともう一つあるんだ。エリアはさ、僕らを呪いから守ってくれてたんじゃないかって、そんな気がするんだ。おとぎ話の中で言えば魔女なんだって。だから、僕らを引き合わせてくれたのは彼女なんだと思う。それで、玉座2人分用意したんだ。言って見れば、僕らの代わりってとこかな」

「へえ。いつからそんなロマンチストになったのボッチキングは」

「うるさいなあ。いいだろこのくりゃい」

 僕が噛んだのを見て急におかしくなった僕らがけらけらと笑うと、それに負けじとさんしょうが大はしゃぎする。今度は引き離してやらない。

 それでも、なんてことを僕は思う。

 それでも、僕より純粋にエリカの方が偉いんじゃないだろうか。僕はあくまでも「自分が」で選んだ。けれど、エリカは「他人が」で考えて、その結果、彼女に友達と好物をつれてきた。

 よくよく考えてみれば、僕はエリアに犬らしい遊びをしたことや、犬らしい食べ物をあげた記憶がない。

 だから、多分、彼女の方がちゃんとエリアに向き合ってあげられているのだろう。そんな気がする。

 並べて置いた二つのガラス細工に、エリカがビーフジャーキーを追加する。するとさんしょうがばか犬らしく餌に反応する。

 しかし、凄いことが起こった。

 急に、さんしょうが止まったのだ。普段の食欲の魔人みたいなさんしょうからは到底考えられない事態だ。

 エサにふいと興味を失い、それが誰のものか分かっているかのようにしきりに何かを促している。

「これ――」

 指をさすエリカの驚く様子を見て、僕も同じ結論へと至っていた。僕らは顔を見合わせ、一度頷いた。


 ああ、やっぱり――。

 僕は空を見上げる。

 どこまでも青く、高く、どんな場所ともつながっているその無邪気で自由な空間を前に、僕は目を閉じてみる。

 絶え間なく声が響く。防災無線よりも学校のチャイムよりも世界の終りを告げる不協和音なんかよりもっと、澄んで響き渡る声。

 きっと、いるのだ。

 あんなに遠かった世界が急に間近に来るような気配がした。

 この山頂から見える景色が僕の目線に落ちてくる。次第に上昇を始める。高度があがるにつれ、寒気が陽光と混ざり蜃気楼のように判然としない空間へ行きあたり、さらに上昇する。どこまでも雲を突っ切り、何もない不明瞭な輪郭がゆっくり消えていく。

 世界が、まるで他人事のように思えてならないくらい小さく映る。

 一人の男の子が寂しそうに歩いているのが、空から見えた。

 その横に、一つの影が追いつく光景が続く。目を凝らしてみなくてもわかる。ちょっと自分の中の引き出しを開けてみる――。


 近所に年齢の近い子が一人もいなかった僕は、一人ぼっちでよく裏山に登った。裏山から手をあてて遠くを見晴らすと、狭い田舎町を飛び越えて、僕のいる場所が、大きな空と海へと繋がっているのが見える。僕はその景色が大好きだった。どこまでも世界の広さを想像することができたから、大好きだった――。

 そして、その横にはいつも――。


 ああ、やっぱり。

 僕は目を開ける。隣に顔を向ける。

 微笑むエリカがいた。

 彼女の遠くを見つめる横顔に、はたと抱きしめたいという気持ちが湧いた。しかしエリカはただ遠くを見つめたまま微動だにしない。

 あの頃、小さかった頃に夢見た世界の向こう。その景色を今、エリカも見ている。

 僕はそのまま景色とエリカを交互に眺め、しみじみこう思う。

 世界の向こうは今、僕の隣にいる。

 最高のプレゼントに違いない。


「ねえ」

 僕が声をかけると、待ってましたと言わんばかりにエリカがその顔を僕に向けて微笑んだ。

「何?」

「もう一個。あるんだ。プレゼント」

 彼女は、僕がそう言いだすのをわかっていたのかもしれない。急かすように、

「じゃあ、早くしないと。行っちゃうよ」

「うん。わかってる」

 エリカもどうやら僕と同じ空気を感じていたらしい。彼女の目を見つめる。

 その碧い瞳は、もう完全にエリカにしか映らない。

 僕はバックパックの底を指でつついて引っ張り上げた。勢い余って宙へ浮いたそれを、エリカはキャッチしてじろじろ眺め、それから感想を漏らした。

「わあ。綺麗な色だね」

「うん。だから、これをさ、あげようと思うんだ」

「……もらっちゃだめ?」

「だめ」

「冗談だよ冗談。裏見たらとてもじゃないけど貰えないよ」

 エリカはそう言いながら僕に返してくれた。その後ろから覗きこむさんしょうは決して手を出そうとはしてこない。犬の癖に。やっぱり賢いのかもしれない、と評価を改めておく。

 僕は、再び僕の手に戻ってきたものに向き合う。

 青い。丸い。軽い。まさしくぴったりだ。そう自己慢心に浸ってみるがすぐにやめる。

 手首をひねって裏面も眺める。

 やはり碧い。そして、そこにあるネームペンで書かれた「エリアへ」の文字が目に入ってきた。

 正真正銘、僕の字に違いない。

 しみじみ思う。本当にこれが最後なのだと。


 頬の近くをゆっくりと風が吹き抜けた。真昼間だというのに、妙な静けさが津波のように寄せては返す。天を仰げば、しつこいほど目の中へと入りこもうとする光に晒された僕の目が、その瞼を瞬かせる。

 そのまま瞼を閉じてみる。

 判然としない姿がうすぼんやりと形を為し、その声が僕の心の中だけで響いた。

 空では、飛行機が僕の上を通り過ぎる音が鳴る。

 しばらく閉じていた目を開けると、その飛行機が、空に白一色の虹を描き出したのが見えた。

 もう、大丈夫。

 僕はエリカと向かい合った。

 僕の顔はおそらく晴れ晴れとしていたと思う。もしかしたら曇っていたかもしれない。いやたぶん雨降りだったかもしれない。

 でももしかしたら本当は違うかもしれない。僕が勝手にそう思っているだけなのだから。

 エリカは笑った。「いいよ」とだけ言って、その方角へ人差し指をピンと張る。

 その指し示す先に、山の稜線が碧く、空との境界が消失して混ざり合うようにして、幻想的な色となって陽光に照らし出されている。

「わかった」

 僕はそれだけ言うと、もう後悔はどこにもありはしない。

 助走をつける。心の中にある気持ちはただ遠くへ飛ばすことだけだ。僕らが分かれたあの山へ向け飛んでもいいくらいに勢いづける。

 青い、空色をしたフリスビーを右手が、腕ごとその一部であるかのように包み込む。抱え込んだその手といっしょに何度か回転し、体が浮きそうになるのをこらえ、腹筋背筋胸襟が張り裂けそうなくらいに従えて、僕は叫ぶ。

 そして、

 手から、その感触が離れた。

 そのフリスビーを目で追いかけ、それを捕まえるように僕は声が嗄れるくらい目一杯に咆えた。

「おーい! エリアー! 今まで、ありがとなあ―――――――――――っ! 本当に、ありがとなあ――――――――――っ! 絶対に、忘れないから、お前も、忘れんなよ――――――――――っ!! エリア―――――――――――――――ッ!!」


 まるで行き先が決まっているかのように天高く打ち上げられた青は、そのまま一心不乱に直線軌道を描き続ける。

 風にさらされ、太陽に溶かされ、それでもまだ意志を持っている物体はUFOのように、ただ、一点のみを見つめてその飛行を続ける。

 次第に薄れゆくその輪郭が、僕の視野から徐々に解き放たれていく。線が次第に点になって、それからはもはや空想の領域となり始めた。

 僕は、ゆっくり、目を閉じる。

 フリスビーが空と一体化して、そのまま溶けて消えるのが見えた。

 もう、止める者はないもない。エリアは完全に自由になった。そう信じている。

 たぶん、彼女に届いた。ぼくは、そう信じている。


 最後に。

 僕らはあの後都市部へと越し、何か用事があるたびに帰省しては寄ることがある。

 でも、祠はやっぱり見つからなかった。

 きっと、あるべき場所に還ったのだろう。

 僕らはそう思っている。

二人の物語はこれにておしまいです。

そのうち、おまけを1話載せて全完結となる予定です。

何時になりそうかわかりませんけど……。

よかったら見てやってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ