ケータイ・ダイエット
「ねえねえ、今晩ひさびさにカラオケ行かない?」
ランチも終わりかけの頃、席を外していた秋子が庶務課に入ってきた。
「真砂子も一緒に行こうよ」
真砂子は自分の耳を疑った。
秋子が真砂子を誘った事など入社以来一度も無いのだ。
「え? 行ってもいいんですか?」
真砂子は、信じられないという顔で秋子に聞いてみる。
「いいに決まってるジャン。営業課の男子も四人来るわよ」
秋子はニヤニヤしながら真砂子の返事を待っている。
(一体、何か企んでいるのかしら)
真砂子は一瞬そう思ったが、気を取り直し返事をした。
「私でよければ、ぜひ」「よっしゃ、決まりね。じゃ、仕事終わったらね」
秋子は不気味な笑みを浮かべ、自分の席に戻っていった。
(そうだ、今の私は変わったんだ。今までの私じゃないんだ)
真砂子は心の中でそうつぶやいた。
それは、一ヶ月前に始まった……。
大手広告代理店に勤める相川真砂子は現在二十四歳。笑うとキラリと光る八重歯が愛くるしい顔ではあるが、大きなコンプレックスを持っていた。良く言えはぽっちゃりしている。悪く言えば太っている。
身長、百五十センチメートル。
体重、六十五キログラム。
「何処が太ってるのよ」
「別に気にする事ないって」
そう言ってくれる同僚も中にはいるが、慰めにしか聞こえない。会社の中の大半が自分の事を嫌っていると真砂子は思っていた。
「ねえねえ、今から営業課の男の子達とカラオケ行くんだけど、一緒に行かない?」
同期入社の岸本秋子だ。自分が可愛いといつも男子にアピールしている秋子の事を、真砂子はどうしても好きになれない。
秋子の後ろから付いてきたのは、営業課の高橋修二である。
(高橋さん……)
高橋は三十歳前半で、どちらかといえば三枚目の部類に入るのだろうが、とにかく明るくて庶務課の女子の中でも結構人気者であった。真砂子を無視する男子が多い中で、高橋だけは真砂子を見かける度に挨拶をしてくれるので、真砂子は高橋にわずかながら好意を持っていた。
「相川さんも行かない?」
高橋が真砂子に近づき声を掛けた。
(え? 私を誘ってるの……う、うれしい……)
「ダメダメ、この子は……一緒に行ってもつまんないわよ」
秋子が二人の間に割って入ってきた。
しかし、真砂子は秋子の態度にも特に怒りは感じない。
(本当に一緒に行っても盛り上げる自信なんて無いし……高橋さんといたら多分、ただうつむいているだけ)
「あ、私は……あの……今日は用事あるし……」
真砂子は顔を真っ赤にしてしどろもどろで答える。
(あー、自分で何言ってるかわかんない。せっかく高橋さんが誘ってくれてるのに……)
真砂子はだんだん惨めになる自分を感じていた。
「そうかぁ? 一緒に行きたかったのになぁ」
高橋は、ちょっと残念そうな顔で言った。
「さあさあ、早く行きましょうよ……」
秋子は高橋の手を引っ張って、他の女子達と一緒に部屋を出て行った。
勤務時間も終わり、庶務課にぽつんと一人残る真砂子。
(これが私の日常……)
真砂子はくやしくても、どうにも出来ない自分にうんざりしていた。
真砂子が帰り支度を始めた頃、ケータイが鳴り出した。
『ピピピ……ピピピ……』
(メール? また迷惑メールかなぁ……)
面倒くさそうにケータイを開く真砂子の目に、その宣伝文句が飛び込んできた。
『完全無料! 必ず痩せるケータイ・ダイエット。興味のある方はココをクリック』
(何これ? 新手のワンクリック詐欺? 完全無料ってのが既にあやしいじゃん)
いつもの真砂子ならすぐに削除するのだが、今日はなぜか気になった。
(ワンクリック詐欺なら、お金払わなくても何もして来ないって聞いたことあるし……まぁ、いいか……)
真砂子はメールに書かれているリンクをクリックした。
『会員登録ありがとうございます』
(何これ? まじで詐欺?)
少し不安になる真砂子。
『ようこそ、ケータイ・ダイエットへ。会員である貴方は、いくら食べても太りません。貴方は太りませんが、下に描かれている女の子のおなかがどんどん大きくなります。会員である貴方は、毎日深夜0時までに女の子のおなかを必ずクリックして下さい。クリックを忘れた時点で解約とさせて頂きます。その際に貴方が受けた被害につきましては、当方は一切責任を負いません……』
(解約って何? 被害って……)
真砂子は一瞬、身の毛もよだつ恐怖に襲われたが、すぐに気を取り直し更に画面をスクロールをすると、そこには漫画チックな女の子が描かれており、その下に書かれた最後の文字に全身が凍りついた。
『……相川真砂子 様』
(私を知ってる人のいたずら? まさか、秋子の仕業?)
真砂子は冷静になって考えた。
(こんないたずら、ある程度の知識があれば誰でもできるじゃん)
真砂子はあまり深く考えないように家路を急いだ。
「相川さん、最近痩せたよね?」
仁美が聞く。
「うんうん、可愛くなったよ~」
由香里が笑う。
人とはこれほど変わるものかと真砂子は思った。いつもは秋子の取り巻きのようにくっ付いてる仁美と由香里が、最近は真砂子に話し掛けてくるのである。
「ねえ、どんなダイエットしてるのよ」
「私にも教えて~」
しつこく聞いてくる二人に真砂子はごまかすように笑って見せた。
「あはは、ちょっとね……」
とても本当の事なんか言えるわけがない。でも、こういうのも悪い気はしない。
(これなら私も変われそうかな)
真砂子は心からそう思った。
思えば、あのメールが来た日から、いくら食べても全く胃に溜まらなくなった。正確に言えば、喉を通過した時点で食べ物が完全に消えてしまうのである。何処かブラックホールにでも飛んで行っているような感覚である。
ケータイの女の子のおなかは本当に膨らんでおり、午前0時前におなかをクリックすればまた元に戻る。しかし、全く胃に何も入らなければ飢死してしまうのであるが、クリックしてから午前0時までに食べた分に関しては胃に入っていくのである。
真砂子は徐々にコツをつかんで、必要最小限の食事を午前0時前に摂れるようになった。そのおかげで日に日に痩せていったのである。
そして、メールが着信してから一ヶ月が経ち……。
昼休み、いつものように真砂子の周りに仁美と由香里が集まっている。一人取り残された岸本秋子は面白くない。
(絶対になにか秘密があるはず……一ヶ月でこんなに痩せるわけないでしょ……きっと全身整形かなんかしてるに違いないわ……)
秋子は自分より可愛くなっていく真砂子に嫉妬……と言うより憎しみを感じていた。
(絶対に仕返ししてやるわ)
秋子は事務所をそっと抜け出し、更衣室に行き真砂子のロッカーをそっと開けてみる。
(鍵が掛かってないわ……無用心ね……)
秋子は真砂子のバッグを探ってみると硬いものが手を触れた。
(ケータイ? ……バカねあの子……)
すばやくケータイをバックから取り出し、メールをチェックする秋子。
(ケータイ・ダイエット?……何これ?)
秋子はじっとケータイを見つめていたが、何かを思いついたように目を輝かせた。
(午前0時……これだわ……)
秋子は不気味な笑いを浮かべながらケータイをそっとバッグの中に戻した。
その日の夜……。
(なんだろう?この感覚は……)
カラオケボックスの中、秋子の誘いで集まった庶務課の女子四人と営業部の男子四人が盛り上がっている。
真砂子は胃にいつもとは違う感覚を感じていた。いつもならいくら食べても喉を過ぎれば消えてなくなるはずが、今夜は胃に普通に溜まっているのである。
(おかしいなぁ……まだクリックしてないし……ケータイ忘れてないよね……)
真砂子はバッグのケータイを確認する。
(ケータイはあるし、0時前にクリックすればいいはず……)
「何、下ばっかり気にしてるの?」
一曲歌い終わった高橋が真砂子の隣に座り声を掛けてきた。
「相川さん……だよね?」
「はい!」
(わあ、高橋さんだ、どうしよう……ドキドキ……)
「なんか見違えちゃったなぁ……」
高橋は、真砂子の顔をまじまじと見つめている。
(きゃあ~、何しゃべればいいのさぁ~)
真砂子は真っ赤になってうつむいた。
「だけど、俺的には前のほうが可愛いと思うんだけどなぁ……」
高橋は少し不服そうに言った。
(が~ん、ショックじゃん……でも喋るきっかけが出来ただけでも、あのメールに感謝!)
高橋は真砂子の手を引っ張りマイクを持たせた。
「まあ、そんな事より、一緒にデュエットしよ!」
「はい!」
(今、何時頃だろう。普段お酒なんか回らないのに今日はなぜか酔っ払うなぁ~)
真砂子はケータイの時計を確認する。
(げ! もう11時50分……やばい)
「ちょっと……トイレに……」
真砂子が席を立とうとしたその時、秋子が声を掛けてきた。
「そいえば、真砂子。メアド交換してなかったわね」
「そうだっけ……」
真砂子は気が気ではない。
「私のケータイに空メール送るからちょっとケータイ貸して」
秋子は微笑みながら手を差し出す。
「今は、ちょっと……」
秋子は、真砂子の言葉を無視して勝手にバックからケータイを取り出した。
「何するのよ!」
ケータイを取り戻そうとする真砂子。
「あ、ごめ~ん、手が滑った~」
秋子はわざとらしくケータイを落とし、足で思いっきり蹴った。
ケータイはソファーの奥に入り込む。
真砂子は一瞬血の気が引いた。
「私のケータイ、私のケータイ……」
真砂子は必死にソファーの下を探すが、暗くてよく見えない。
「どうした? 相川さん」
高橋の言葉も耳に入らない様子で真砂子は必死に床にへばりつく。
(さあ、0時を過ぎたらどうなるの? 真砂子……)
秋子は、笑いが止まらないと言った表情で真砂子の慌てぶりを、腕を組んで見下ろしている。
(あと10秒……9……8……7……)
「私のケータイ何処よ!」
真砂子は半狂乱で泣きながら叫んだ。
ソファーの下、ケータイの女の子のおなかがどんどん膨らんでいく。
秋子は自分の時計を観ながらつぶやく。
(……3……2……1……0)
『プチッ』
この世の物とは思えないような叫び声がカラオケボックス中に響き渡った。部屋中が血の海になり、壁や天井までが真っ赤に染まっており、肉片や内臓のかけらが部屋一面に飛び散っている。
(私は死んだの? 部屋中真っ赤だ……これは私の血? 私の体はバラバラになったの? やっぱりね……最初からそう思ってたんだ……世の中そんなうまい話なんてないよね……あのメールを開いた時から、こうなる運命だったんだ……)
「相川さん! しっかりするんだ!」
(高橋さん? ……死んでも夢、見るのかな……?)
「相川さん! 真砂子さん! 大丈夫か!」
高橋は血まみれで倒れている真砂子を抱き起こした。高橋も全身血まみれである。
「あたし……生きてる……」
真砂子は自分の手足を確認する。血まみれではあるが、別に怪我をしてる様子もない。
「じゃ、この血の海は……?」
「き、岸本さんだよ……突然体が破裂したんだ……」
高橋は体を震わせながら、今起きたことが信じられないという様子で答えた。
暫く呆然としていた真砂子は、ふと思い出したようにソファーの下を覗き込んだ。
光っている物がある。
(私のケータイだ……)
「高橋さん。一生のお願い! そこに光っているケータイを取ってください」
真砂子は頭を下げて高橋に頼み込む。
高橋は嫌な顔をせずに床にへばりつきソファーの下に手を伸ばした。
「これかい?」
真砂子にケータイを手渡す高橋。
素早くケータイを開く真砂子。
(登録画面だ……)
真砂子は下までスクロールして愕然とした。
『岸本秋子 様』
(秋子……私のケータイを勝手に……勝手にメールを開いて会員登録したの? ……じゃ、私の登録は上書きされたって事? だから今日は喉から食べ物が無くならなかったのね……)
真砂子は呆然とその場に立ち尽くした。
それから、一ヶ月後……。
「真砂子さん! 待った?」
高橋が待ち合わせ場所に息をきらしながら走ってきた。
「ううん。全然」
真砂子は笑顔でそう答えた。
(体重は戻ったけど、高橋さんと付き合えるようになったし……秋子には悪いけど、私にとってはハッピーメールだったのかなぁ……)
「これから、何処行こうか?」
二人は手を繋いで歩き出す。
「う~んとね……」
真砂子が喋りかけたとき、ふいにケータイが鳴った。
『ピピピ……ピピピ……』
「あ、メール。ちょっと待ってね」
真砂子はケータイを開いた。
『こちらは、ケータイ・ダイエット事務局です。この度、当方の手違いにより登録解除になった事、深くお詫び申し上げます。つきましては、本日より再登録を致しましたので、今まで通りのご愛顧承りますようお願い申し上げます。』
『相川真砂子 様』
当初は真砂子がクリックを忘れて死んでしまう恐怖の話として考えたんですが、それではありきたりすぎで予測されてしまうと思い、このような結末を考えました。