僕が愛が醜いものだと主張するわけ
僕は、自称ミュージシャン志望の、本当はどうしようもない仕事についている、クズである。
そう言っておけば、夢追い人として、世間からの目が多少なりとも甘くなるから、言ってるだけである。
実際別にプロになって、曲かいて、お金いっぱい稼ぐ気は、あんまりにない。
素晴らしい曲を作って、世間の奴を屈服させてやりたいという感情は、ある。
なぜこれを書いたか?
今日、ベースのやつが、女にフラれたからヤケ酒したとかいう理由で、スタジオ集合が無しになり、イライラしているからである。
俺はギターを弾いて歌を歌っている。
それで、今日は、愛のことについて書く。(ロマンチックだろう? )
俺は、今まで人を好きになったことがない。
欲情して勃起することはよくある。
だが、世間で言われているような、美しい感情は一度も、持てた事がないのだ。
俺は深く、愛について考える。それは俺にとってはネッシー並に不可解なものだ。
それは、曰く他者への献身である。
それは、曰くセックスではない。
それは、曰く切ないものである。
まったくわからない。
僕にとっての愛は、こういうものだ。
それは、曰く自己愛である。
それは、曰く性行為までの過程である。
それは、曰く嘘つきである。
こういう、感じ。
愛、と言っても多数あると思うが、ここではいわゆる、J-POPの歌詞にある、愛を扱っている。
本当の愛は知っている。それは醜くはない。
もし、単語であげていくなら、チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、仏教、キリスト教。
これらは本当の愛だと思う。
なぜ、醜いのか?
嘘つきだからである。
嘘をつくものに美しいものは存在しない。
逆に、真実を表すものは、いくら見た目が醜くとも、美しいのだ。
愛は、他人への献身を謳う。
そんな愛を持つような偉人、どこに存在するんだ?
他人への気づかいは、しょせん、自分の社会的地位を高めるための行動である。
そういう、吐き気を催す人間が多すぎる。
優しいと、言われたがっている、あなた。
本当に他人を救いたいのなら、自分の身を切る事でしか、救えない。
人のために、汚職にまみれた孤島に突入し、革命をおこす。
人のために、子供を狙う餓えた虎の前に自分の身を投げ出し、虎も、子供も救う。
人のために、自分の命を犠牲にし、原罪を贖罪する。
最後は、少し違うかも。
でも、そういうこと。
見返りを求める愛は、醜い。
女とセックスするため、何もない自分を飾るためのアクセサリーとして、または、その人の瞳に映る自分を愛するがために、愛という、偽物を使う奴が多すぎる。
俺も一度、偽物を身に着けた。
俺は変わった動物で、変わった環境で育ったので、本物を知らなかった。
大体の人間は本物を知っている。母の愛だ。
俺の母も本物を持っていたが、それ以上に俺に偽物を見せすぎた。
俺は本物を持っている人間に出会った気がして、偽物を身に着けた。
俺も、本物になれると思った。
そいつの持っているものは、結局は偽物であると気づき、俺は、更に頭がおかしくなり、偽物を憎悪するようになった。
結局、本当の愛を持っている人間なんて、本当に無知な人間しか居ない。
本当に無知な人間は、美しい。