僕がごく一般的とされる詩が嫌いなわけ
今日は、素面。(ほめてほめて)
なので、すぐ本題に入れる。
酒を飲むと、速やかに死んでほしい人間の所作、行動を思い出して、いけない。
さて、俺がなぜ、詩を嫌いなのか?
一つ目。あまりにもジャンルが偏っている事。
自然か、恋愛。あるいは、両方。なんと、この二つで世の詩の八割は網羅できるだろう。
なろう小説でももうちょっと幅があるぞ。転生、悪徳令嬢、婚約破棄。あ、みっつ……
頭の沸いたヒッピーじゃないんだから、もう少し、あるだろう。
愛と自然は何も救わない。
苦の中にこそ、救いはある。
そこで、失恋と環境破壊の詩を書こうとした奴。面白いから、座布団を一枚あげよう。
そもそもこの二つは、元々が美しいとされるものだ。
美しいものを、それなりに美しく表現するためには、かなりの技量がいる。それは、モネの絵のように。
俺は、ゴッホの絵の方が、好きなんだ。素朴なものを美しく感じ、またそれを共感できるほど強く押し出すこと……。
絵の話になってしまったな。
絵に例えると、だいたい、愛や自然賛美の詩を書いてるやつというのは、落書き程度の技量しかもっていない。
それでいて、自分がまるで何か唯一無二の、特別な、処女性のある、美しいものだと思っているふしがある。
書かれてるものが嫌いなら書いてる人間のことも嫌いなのだ。坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い。違うか。
第二に、その技量というのを軽んじている人間が多すぎるということ。
俺だって自分にそれがあるとは言わないよ。
ただ、無意味な言葉を吐き出して、中途半端な言葉でおわらせりゃ、詩"っぽく"なると思ってるやつが多すぎる。
それは、偽物だ。ただのガラクタだ。ゴミなので、粗大ごみの日にまとめてしまうのがいい。
せめて、無意味な言葉にするなら、韻文を入れる。(I am a Walrusか?)
または、それを超えて、完全に意味不明なものにして欲しい。
あ、ここまでで気づいた。俺は、詩じゃなくて、詩の体をした、詩"っぽいもの"が嫌いなのか。
でもヘッセ詩集も宮沢賢治詩集も面白くなかったしなぁ。
ブコウスキー詩集は面白かったな。
俺はやはり、ゴッホの絵が好きらしい。
今日は、ここまで。酒がないと、やはり、滑りが悪く、逆にまとまりのつかないものになる。次は、飲んでから書く。