僕が孤独を救うのは自己表現だけだという一節にひかれたわけ
いくらか面白いと思う人らに面白い感想だと思われたみたいで、前々から文章化したいと思っていた事なので、いい機会だと思い、描き上げる事にする。
村上龍さんのエッセイ、すべての男は消耗品であるVol2より引用する。著作権? 知ったこっちゃない。怒られたら、削除する。怒るならここのメッセージに送ってくれ。登録してるメールアドレスはほとんど見ていないので、怒られても気づかなく、後から金をよこせと迫られても困る。
夜、オレ達の宿舎の前で、若者の団体がキャンプファイアをやるという。手を繋いで歌ったり踊ったりゲームをやるのだ。
オレは突然怒りにかられて買い込んでいた花火を全部打ち上げ、爆竹をならし、そいつらのキャンプファイアを邪魔しようとした。
寂しさをキャンプファイアで紛らわすという発送の中に、幼女殺しの本質が潜んでいる。
寂しさは、自己表現でしかおさまりがつかない。他人とだけ手をつないでもだめだ。
安易な「触れ合い」が多すぎる。
触れ合いの旅、それだけが有効な方法だが、簡単ではない。
以上が、引用。おそらく本当の意味は、自分と向き合わず、他人と薄い自分自信の存在の確認のし合いをしてるだけというのは、気持ち悪いし、異常だ。という意味合いなのだろう、と感じた。(勿論俺はえらい文学者の先生でもないので、この解釈をお、アホだなと思うなら好きにしてくれ)
この、気持ち悪い、と感じるものを文書化する、試みをする。
取り急ぎ、自己表現と触れ合いは何が違うのか?
自己表現はまず、一対多である。少なからずそうでない場合もあるが、その場合はもう、触れ合いにカテゴライズしてもいいだろう。
触れ合いは、一対一である。そうでなく見える場合もある。(前述のキャンプファイア等)しかし、一度一度はローカルな情報のやりとりである。一人一人の人に、ああ、この人は太郎さんといって、とても優しい人なのね。それが終わったら次の人に、ああ、この人は太郎さんといって、とても優しい人なのね。これの繰り返しだ。それはもう一対一である。
自己表現には特別な能力がいる。それを触れ合いから脱却させるには、多くの人を惹きつける才能が要る。良い音楽しかり、良い絵画しかり、良い文章しかりだ。そしてそれには、自分の全身を曝け出さねばならない。出し惜しみをして自己表現にまで昇華させられる人間というのは、まず、居ないだろう。
一方、触れ合いには特別な能力はいらない。はっきり言う。優しさ、だとか言うものは完全に無価値である。そんなもの、人として最低限の道徳基準を知識として知っていれば、いくらでもなりすます事ができるのだから。そうすると当然、自分の全てをさらけ出す必要はない。
全裸で、フルチンで、チンチンをブラブラさせながら、父親と母親からもらった目と耳と鼻と口で、今までつちかってきた自分という存在を、完全に世界に承認させる。それが俺の思う、自己表現の定義である。
服を着たまま、申し訳なささそうに、本当は全然どうでもいいと思っている人間の顔色を伺いながら、つまらない照れ笑いを浮かべ、そっと握手を差し出す。それが、俺の思う、触れ合いである。
自己表現は誰でもよくない。その人でないと駄目なのだ。
一方、触れ合いは誰でもいい。どうでもいい他人を承認出来る、知的障害のない脳みそさえあれば、誰にでも、そのアメーバ状のグロテスクな一部になる事が出来る。
俺は思う。触れ合いは、とても、不自然ではないだろうか。
触れ合いは相手の事を考えている、美徳、善なる行為じゃないか、というお優しい人も居るだろう。一見、そう見える。しかし、その実、本当は自分の事しか考えていない。ただ愛されたいだけの人間が、そうするだけの能力も根気もないがために、嘘をついてまで、照れ笑いの握手を差し出しているに過ぎない。それのどこが、善なる行為だろうか。
下品な例え方をする。俺はそれぐらい、この、"触れ合い"が嫌いなので……
自己表現は、一方的に奉仕してもらう行為である。不特定多数の、美女か、美人でない女に、一方的にペニスを舐めさせる行為である。それだけではない。金を出して女を買った、という後ろめたささえなく、そうされるに値する行動を行ったから、そうなるのである。おお、なんという、無上の喜び。
一方、触れ合いは、一人の美女か、美人でない相手(おおよそ触れ合いを必要とする女に美人は居ないが)に金を出し、買う。更に、服を脱がない。ジーンズの上からああ、何か舌が当たっているな、と感じる程度に舐めさせるのである。その上、女の悪臭たつおまんこも舐めてやらねばいけない。お互いに服を着たまま本来思っている、こんな事は馬鹿馬鹿しいと思う感情も見せないままで。
こんなに変態的な、気持ち悪い、不自然な行為があるだろうか。俺は、なかなかないと思う。
おおよそ、こんな理由で、俺は"触れ合い"に不快感を感じている。(そのアメーバ状の、生暖かい湿った空間に取り込まれた時に感じる胃がゆるく煮えるようなおう吐感、肉体的な嫌悪感もあるが。)
ここまで書いておいてなんだが、俺はいまだ、自己表現を成し遂げられていない。せいぜい、触れ合いの気持ち悪さに気づいた程度である。そして、まだ触れ合いを、体に悪いとわかりながら続ける煙草のように、ダラダラ続けている。
それは、俺に能力がないからである。孤独の癒やしようが他にないからである。自己表現を行っていると人々に感じさせ、屈服させるほどの何かを持っていないからである。
もし、この文が何か少し、その自己表現の一因になってくれれば、俺はとても嬉しく思う……そもそも、面白いと思ってくれた奴をきっかけにしている事で、完全に"触れ合い"であるのだが。
そして、SNSで相互監視をやってる奴、くだらない恋愛事を歴史上、今までなかった特別な何かだと思っている奴、クラブに行って他の奴らと一体化して踊り狂う事が人生の全てだと思ってる奴は、少しでも考えを変えてくれると嬉しい。(勿論、キャンプファイアの周りでレクリエーションをする奴もね)もっとも、そういう奴は俺に興味をしめす事がないと思うが……。
いくつかまだ、書きたい事はある気がするが、うまく文書化できないので、やめておく。最後も、村上龍さんのエッセイから引用する。
もう、秋だが、オレは全然寂しくない。
みんなもがんばってくれ……。