僕が女性から蛞蝓のように嫌悪されるわけ
僕が女性から蛞蝓のように嫌悪されるわけ
黄 抜刀
そもそもふとこの事を考えだしたのは、学生時代ファーストフード店でアルバイトをし、レジ係をしていた時のことだった。自分より不細工で人間的にもはっきりしていないであろう人間が"つがい"をつれているのを何度も見かけ、自分に欠けているものは何であるか考え始めたのが最初だった。
最初は、自分の醜い顔に原因があると考えた。自分の顔を百点満点で評定するとして、良い所二十点ほどだろう。(内訳は、目が二つついている、十点。鼻が一つで、穴が二つあいている、五点。口が一つあり、歯が生えそろっている。五点。)勿論、平均点は大きく下回ると思う。しかし、それ以下に見える人間ですら、自然につがいを連れ、当然のようにふるまっているのだ。つまり、この考えは違う事になる。
次に、性格の事を考える。僕は性格が悪い。物事すべてを悪く考えるし、自分より幸福な人間があれば不幸になれと願うし、自分より不幸な人間を見れば、安心する。しかし、表面的にはそれを見せないよう、懸命に努力している。自分でいうのも何だが、僕は大した役者だと思う。無知で、何も考えていない白痴を演じ続けている。(あるいはそれが、本当の僕なのかもしれない程度には。)おかげか、大体の人からは、変わっていて何も考えていない馬鹿だが、良い人間である、という評価を得ている。つまり、悪人であるから嫌悪される、という事も違う事になる。(そもそも、悪人である人間の方が魅力的であるように扱われるようにも思える。)
では、何が原因なのか? 自分より優れていなく見える男の共通点を探す事にした。それは、彼らは男性であるように見える、という事。
そうして、それは具体的に何なのか? という事を、とても長い間考えた。立ち振る舞い、そのすべてが、つがいの女側を所有物であるかのようにふるまう事でもあったし、言葉遣いなどでもあった。
そして、それはどうして自分に身についていないのか? その事についてもまた、長く考えた。そうして、一つの自分なりの答えにたどりつく。
思うに僕には、何かの勝利に固執するという意識が、非常に希薄であったように思える。それは当然、つがいを作る事においてもだが、生きる事全てにおいても、そうであったと思える。
全ての生物の生殖する相手を選ぶ際の根本は、その生物の子孫は、さらに子孫を残す事ができるか? という事にある。
僕は、何にも勝つ気がなかった。勝って誰かが嫌な気分になるなら、自分の負けでいい思っていた。
そんな生物と同じ遺伝子を持つ生物が、はたして子孫を残す事ができるだろうか? 生存競争に勝利し、子孫を残す事ができるのだろうか?
当然、できるわけがない。そういう、生物として欠陥のある事が、他の生物を繁殖相手として見る段階になると、透けて見えるのだろう。
見窄らしい羽を持つ孔雀が子孫を残せるのか?
泳ぎの遅いイルカが子孫を残せるのか?
自分の周りの環境を変える事の出来ない人間が子孫を残せるのか?
当然、できるわけがない。
そうした、男として成熟した普通の男とは違う、欠陥的な部分が、女性から見ると、蛞蝓のような異質な生物に見えるのだろう。