四話 ファーストキスはバニラアイスの味
う~ん、こんな格好でいいのかな?
鏡の前で、うなってしまう。
普段は履かない、膝下丈のふんわりとしたスカート。丸衿のブラウスにセーター。厚めの暖かいレギンスを履いて、コートを羽織る。
実は昨日、アレから寮に帰って、同じ洋菓子一課で働いてる先輩の中田梨絵さんと、三宮まで出かけて来たのでした。
だって、自転車通勤なので、普段はズボンしか履かないし、男の人と食事に行った事が無いので、着て行く服が無かったんです。
普段はしない薄化粧なんかもしてみたりして。
仕事が仕事だから、いつもは、基礎化粧をするだけで、ファンデーションも口紅も塗らないんですよね。
朝晩のUVカットはバッチリと塗ってますよ。色の入っていない無香料のローションだけど。紫外線は怖いもん。
神戸の美味しいケーキの特集が載っている雑誌を、パラパラとめくるんだけど、ちっとも頭に入って来ない。
やぁん、ドキドキするよ~。
わたし、男の人と二人っきりっでご飯を食べに行くのって、初めてなんだ。
約束の10分前に、携帯にセットしておいたアラームが鳴る。
鏡の前で最終チェック。
うん、大丈夫だと思う。
「オシャレして、お出かけ~。デート?」
談話室から、同じ寮生に声をかけられる。
「えっと、デートじゃないです。出かけて来ます。」
デートじゃなくって、紅茶代を渡す為に会うだけ、だもん。
心の中でつぶやくけれど、頬は熱いし、紅茶代を渡すのなら事務所に持って行けばいいだけなのは、自分でも分かっては、いたの。
下に降りて行くと、主任さんの車が見えて、慌てて靴を履いて駆け寄る。
「お待たせしました。」
助手席のドアを開けられる前にって思って、さっさと助手席に乗り込むのだけれど、寮からの視線が、痛いです。
先輩方が、窓から顔を出してるし。
寮で待ち合わせするの、早まったかも。
帰って来てからが、怖いよ~。
「今さっき着いた所だから、気にしないで。まだ待ち合わせた時間より早いから。何処か、行きたい所はありませんか?」
ハンドルにもたれかかりながら、顔をわたしの方に向ける。
「わたし、男の人と二人っきりっで出かけるの初めてで、何処に行ったらいいのか全然分からなくて。ケーキの美味しい店なら、得意なんですが。」
あれ?スッゴく嬉しそうに、微笑まれたけど、どうしてかな?
「ケーキは、今度、別の日に、オススメの店に、一緒に行きましょうか?ケーキも好きなんですが、男一人では入り辛くて。苦手な食べ物とかありますか?」
ウ~ンと、うなりながら、考える。
「苦手な食べ物は、無いんですが、わたし、胃腸が弱くて、食べ過ぎると、お腹が痛くなってしまうんです。」
あれ?わたし、今まで、すぐにお腹が痛くなってしまう体質の事、親しく無い女の人や、まして男の人になんて、恥ずかしくて言え無かったのに、サラっと言えてしまって、いる?
まあ、そうだよね。生理痛なんて、女の人にとっては、ある意味一番知られたく無い事を、知られてしまっているんだから、今さら恥ずかしがってみてもねぇ。
「焼き鳥なんて、どうかな?鶏釜飯もオススメだけど。」
「はい。大好きです。」
食べに行く所が決まったら、すぐに車を動かすのかな?って思っていたら、運転席を倒して、後部座席からフリースの膝かけを取って、渡されてから、エンジンをかける。
「田渕主任。膝かけは、いつも置いてあるんですか?」
ありがたくお腹に掛けさせてもらってから、疑問に思って声をかける。
「ぼくの妹も、胃腸が弱くて、車に乗る時は、お腹に何か掛けていないと落ち着いて車に乗っていられないって、言い張るので、載せているんですよ。」
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
「妹と弟が、一人ずつ居ますね。」
「わたしは、姉と妹が居ます。」
「三姉妹ですか。家の妹が聞いたら、羨ましがりますよ、きっと。姉か妹が欲しいって、ずっと言っていましたから。」
「あ、わたしも、お兄ちゃんか弟が欲しかったです。」
そんな風に、他愛がない話しなんだけど、不思議と会話が途切れて気まずい思いをする事無く、あっという間に、焼き鳥チェーン店に到着。
思っていたより混んでいなくて、待たずに席に案内される。
メニューを見ながら、あれも美味しそう、これも食べてみたいなあって言ったのを、全部注文しようとしてて、焦って止める。
「田渕主任。釜飯二つは頼みすぎです。わたしそんなに食べられません。」
「ここの釜飯は量が少ないから、大丈夫ですよ。食べられ無かった残りは、ぼくが食べます。」
言葉通りに、パクパクと食べる姿は、とても美味しそうで。
男の人って、一口が大きいんだなあ。箸の使い方も綺麗だし、食べる姿勢もいいな。好き嫌い無く、なんでも美味しそうに食べる人って、すごく好感が持てるよね。
わたしも、いろんな美味しいものを、少しずつ食べられて、とっても幸せ。
釜飯も、一杯目はそのまま、二杯目はお出しをかけてお茶漬け風に食べて、美味しかった~。お腹一杯。幸せ~。
「そろそろ、出ましょうか?」
田渕主任さんは、自然な動作で伝票を持って、立ち上がる。
「あの、わたしに払わせて下さい。」
伝票に手を伸ばすが、にっこりと笑って、サラっとかわされる。
身長差があって届かないのを、分かってしてますね、主任。
「気になる様でしたら、次の時におごって下さい。それとも、二度と一緒に食事をしたくないくらい嫌だったら、仕方ないんですが。」
悲しそうな表情になって、申し訳無くなってしまい、慌てて、そんなこと無かったですって、首を横に振って否定する。
「嫌なんて事、全然無かったです。すごく楽しくお食事出来ました。」
そう言うと、安心したように、にっこり笑って、すたすたとレジに向かって、支払いを済ませてしまう。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。次はおごらせて下さいね。」
「こちらこそ。美味しかったですね。こんなに楽しい食事は久しぶりです。ありがとう。寮まで送りますね。」
電子音がして、車のロックが外れ、助手席のドアを開けて下さる。
わたしが乗り込んでから、運転席に座り、エンジンをかける。
「次のお休みは、土曜日ですか?金曜の晩は空いていますか?」
「はい。空いています。」
彼氏の居ないわたしには、何の予定もございません。
「次は、金曜の晩の6時に。食べたいものが出来たら、携帯に連絡してもらえれば、希望に添える様に探しますから、遠慮なく電話して下さいね。6時以降なら大体大丈夫です。」
寮に送ってもらってからは、予想以上に冷やかされ、根掘り葉掘り聞かれ、ぐったりと疲れてしまったのでした。
金曜日まで、浮かれながら仕事をしていたみたいで。ご機嫌だね、何かいいことあった?って、何人かに聞かれてしまう。
そんなに、浮かれていたのかなぁ?
ただ、その金曜日の食事でも、結局おごらせてもらえず、その後も、週末の休みの前日の晩に二回食事をして、三回目の食事が終わった後に。
二人で車に乗り込み、エンジンをかける。ルームランプが消え、車のCDから音楽が流れる。
そのまま、ハンドルに手を置いたまま、何かを思い詰めている様子で、黙り込んでしまう。
えっと、どうしたのかな?さっきまで、楽しく過ごしていたと思うんだけど。
今まで、会話が続かないなんて事、無かったのに。
「ぼくは、岩城さんの事が、好きです。岩城さんにお付き合いしている人が居ないのでしたら、ぼくと、結婚を前提にお付き合いをしてもらえませんでしょうか?」
暗い車内だけど、周りの夜景に照らされて、真剣な表情で見つめているのが、よく分かる。
「あの、ほんとに、わたしでいいのでしょうか?わたし、胸も無いし、胃腸も弱くて、すぐにお腹が痛くなってしまうし。」
「ぼくだって、10歳も年上で、背もあまり高く無く、収入もそこそこ、顔立ちも普通メンですよ。」
そうだよね。みんな、それぞれ違ったコンプレックスを持っていて、それでも、わたしがいいって、思ってくれているんだ。
わたしは、田渕主任さんの事を、どう思っている?
「わたしも、しゅ、じゃなくって、田渕さんの事が好きです。年の差なんて気にならないし、顔立ちも、わたしの好みだと思っています。」
「ありがとう。」
恥ずかしさに、目を伏せてしまったわたしの耳元で、ほっとした様なかすれた声が聞こえる。
大きな手が、頬を包み込み、そっと、上を向かせられる。
想像していた通りの気持ちいい手の平に、うっとりとして、目を閉じる。
温かい気配が近づいて来て、唇に温かくて柔らかいものが、そっと押し当てられる。
これが、キスなんだ。
思っていたより、温かくて気持ちいいものなんだなぁ。
うっとりとしている内に、その温もりが離れて行ってしまって、少し寂しくなって、田渕さんを見上げる。
もう一度、近づいて来て、今度は、さっきよりも、もう少し強く押し当てられる。
あ、デザートに食べていた、バニラアイスの味。
ドキドキして、息も上手く出来なくて、ふわふわして、田渕さんのスーツをギュッと掴んでしまっていた。
どれくらい続いたのか、全然覚えていなくて、温かい胸に顔を埋めて、ぎゅっと強く抱きしめられていた。
スーツを掴んでいた手を離して、広い背中に回して、抱きしめる。
人の体温って、気持ちいいものなんだなぁって、ぼんやりと考えながら、しばらくそのまま抱き合っていた。
「いつまでも、こうして居たいくらいですが、寮の門限もあるから、今日はそろそろ帰りましょうか。明日も会えますか?」
明日も会えるんだ。お付き合いなんだから、休みが同じ日に会って、デートしたりなんかしちゃうんだよね。よくは知らないけど。
「明日、大丈夫です。空いてます。」
きゃあぁ、初デートだよ。どうしよう?
「9時でいいですか?」
はい。ってうなずく。
「ドライブ先、何処かいい所を考えておきますね。」