三話 お礼は生キャラメルを添えて
次の日に、メモに書いてあった産婦人科に、恐る恐る訪ねてみると、思っていたより明るく綺麗な待ち受け室に、ホッとする。
女医さんも、丁寧で優しく話しを聞いて下さったし、血液検査で貧血が見つかって、痛み止めと貧血のお薬をいだだきました。
いただいた痛み止めのお薬も、わたしに合っていたみたいで、市販のものより、良く効いて、もっと早めに受診しておけばよかったなって、つくづく思いました。
受診の帰りに、水飴と生クリームを買って、寮の自分の部屋から、20cmの耐熱のボウルと、四角い弁当箱、泡立て器、ゴムべら、クッキングシートを持って、食堂に。
寮生用の冷蔵庫に、牛乳とバターが入っているのは、確認済みなんだ。
実は、お礼に生キャラメルを作ろうと思っているの。
うちの寮の食堂には、晩ご飯を温める用に、電子レンジがあるんだけど、すっごい年代物で、ガラスのターンテーブルの付いている、レンジ機能しか無い奴なんです。
家の姉が、お菓子作りが大好きで、レンジで出来る簡単なお菓子のレシピを、いろいろと教えてもらっているの。
わたしにとっては、簡単な、って所が、一番大事な所なんだよね。
レンジだけで生キャラメルが出来るって、すっごいびっくりだよね。
耐熱のボウルに、水飴10g、はちみつ10g、上白糖120g、牛乳150gを入れます。
寮のレンジは、強で500Wだから、3分ね。
3分かけたら、取り出して、バター20g、生クリーム200gを入れて泡立て器で混ぜ、耐熱のボウルに両端を空けてラップをかけ、レンジでさらに20分かけます。
その間に、四角いお弁当箱の幅に、クッキングシートを切ってから、お弁当箱の内側に、きっちりと、クッキングシートを敷きます。
このお弁当箱は、入社して初めての社員旅行で、○しもとでお笑いを見た時のお昼に出た、二段重ねの弁当箱なんです。
大体13cm角くらいの大きさなんだけど、このお弁当箱がすっごい使い勝手が良くって、いろいろと便利に使わせてもらっています。
そうしている間に、20分が過ぎて、レンジがチンッと軽快な音を立てて止まる。
ミトンをはめて、ものすごく熱いので、やけどをしない様に気をつけながら取り出して、ラップを外して、ブワッと上がる、熱い水蒸気に気をつけながら、泡立て器でよく混ぜて、今度はラップをしないで3分レンジにかけて、よく混ぜる。
2分レンジにかけて、混ぜると、甘いキャラメルの香りが広がって、色もバッチリ美味しそうなキャラメル色に。
少しだけすくって氷水に入れてみて、すぐに固まる様なら、出来上がり。
用意していたお弁当箱に、ゴムべらで流し入れて、平らにならして、切っておいたクッキングシートを平らした上に乗せて、空気を抜く。
粗熱が取れたら、名前を書いた袋に入れて、冷蔵庫に。
冷蔵庫に入れる時に、名前を書いて置かないと、他の寮生食べられてしまうんですよ。
いつもは、一晩くらい冷蔵庫で寝かせるんだけど、今日は5時間くらいで固まっていたので、冷蔵庫から取り出す。
クッキングシートを外してから包丁で、4等分と8等分の32個に切り分けて、小さく長方形に切ったクッキングシートで包んで、キャンディ包みに。
そうしてできた生キャラメルを、シンプルな袋に2つに入れ分けてから、冷蔵庫に
入れておく。もちろん、名前を書いておくのを忘れていませんよ。
喜んでもらえると、いいな。
次の日、わたしの仕事が3時で終わってから、ロッカーに寄って、クーラーボックスに保冷剤と一緒に入れていた生キャラメルの入った袋を、2つ取り出す。生キャラメルって、熱に弱くて温かい所に置いておくと、すぐに柔らかくなってしまうの。今は3月だし、ロッカーは暖房が無いから大丈夫だとは思ったんだけど、念のためクーラーボックスに入れておいたんだ。
田渕主任さんと岡野さんにお礼を渡したくて、事務所の扉を開けようとすると、同じタイミングで内開きの扉が、中から開き、バランスを崩して倒れてしまう。
広くて温かいものに抱き止められて、転ぶ前に支えられる。
「大丈夫ですか?」
大きな手を肩に添えられて、立ち上がるのを手伝って下さる。
「すみませんでした。ありがとうございます。大丈夫です。おかげで転ばすに済みました。」
焦ったまま見上げると、やっぱり田渕主任さん。
「昨日はちゃんと診てもらって来ましたか?」
「はい。お薬もいただきました。あの、これ主任さんと、岡野さんに。主任さんは、手作りの物って大丈夫ですか?生キャラメルなんですけど。」
そう言いながら、生キャラメルの入った袋を渡す。
「これはどうもありがとう。ぼくは手作りの物も気にしませんし、甘い物も好きですが、生キャラメルなんて手作り出来る物なんですか?」
袋を二つとも受け取って下さって、驚いた様に袋を開けて覗き込む。
うっふっふ。そうでしょ、そうでしょ。
わたしも、お姉ちゃんが初めて作ってくれた時は、そりゃあもう驚いたもん。
お姉ちゃんが言うには、今時インターネットで検索したら、
レシピが出てるし、鍋で煮詰めていくんだったら、耐熱ボウルに入れて、レンジにかけた方が、焦げにくくていいかなって思ったんだったって。煮詰める時間だけ、どれくらいかかるか分からなくて、何度も様子を見ながらかけて面倒だったけど、一度時間が分かると後はレンジだから、そんなに時間が変わらないしね。
そう言って作れてしまうのが、お姉ちゃんのスゴイ所だと思う。
なんてったって、小学5年生の時からお菓子作りが大好きで、28になる今まで作り続けているんだもん。下手の横好きだからって照れて言うだろうけどね。
レンジの機種にもよるとは思うけど、一度煮詰める時間が決まったら、誰が作っても同じ物が出来るのが、レンジのいい所よね。
そうだよね、お姉ちゃん。わたしでも作れるのが、いい証拠だと思う。
みんな難しそうって言うけど、誰でも作れると思うんだけどな。
「こんな所で立ち話も迷惑をかけますし、今から休憩室に行くつもりなのですが、よかったら一緒に行きませんか?」
「はい。行きます。」
にっこりと微笑まれて、つい反射で応えてしまった。
「飲み物は、何が好きですか?」
「えっと、わたしは紅茶が好きです。実は、コーヒーは苦くて飲めなくて。今時、子どもだって飲めるのに、舌がお子様みたいなんですね、きっと。田渕主任さんは、何がお好きですか?」
「ぼくは、コーヒーでミルクと砂糖を入れるのが好きですね。10時と食後と3時に飲まないと作業がはかどらなくて。こうして、休憩室にまで飲みに来るんですよ。今日は、美味しそうな物をいただいたので、ブラックにしてみようかな。岩城さんはレモンとミルクではどちらが好きですか?」
「ミルクが好きなんです。わたしは、お砂糖は入れ無いですね。」
休憩室には、たまたま誰も居なくて、自動販売機で紅茶を選んで、はい、どうぞって、ミルクティーの入った紙コップを渡される。
あまりに自然な動作だったので、つい受け取ってしまう。
あ、しまった。わたし、今お金持って無い。
うちの洋菓子一課の仕事は、8時半までにその日に出荷するケーキの仕上げをする関係で、朝は6時出勤なので、3時には仕事が終わるんだ。作業場には私物持ち込み絶対禁止。普段は携帯はもちろん、お財布も持っていません。
なので、仕事が終わってからすぐに、ロッカーに行って生キャラメルの入った袋しか持って来なかったので、何も持っていないんだ。
「すみません。仕事が終わってからそのまま来たので、お財布持って来ていないんです。紅茶代、後で持って来ます。」
「気にしなくてもいいですよ。一緒に付き合ってもらっているお礼という事でどうでしょう。」
どうしようとまだ困っているわたしを見て、少し考え込んで、コーヒーを一口。苦そうに眉をしかめて、生キャラメルを取り出して、一口かじる。
ほんわりと眉間の皺が緩んで、コーヒーをもう一口飲む。
考え事が飛んでしまって、コーヒーを飲む手を、つい見とれてしまう。
「それでしたら、明日にでも一緒に夕飯を食べに行きませんか?今日だと寮の方で用意されていますよね、確か。コーヒー代はその時にでも。」
そうなんです。前日までにキャンセルしないと、寮のおばさんが用意してしまうので、もったいないんです。
って、わたし、問題はそこじゃ無いでしょ!
うっきゃー、男の人に食事に誘われているんですよね、これって。
うわ~ん、これってどうしたらいいの?
どうしよう?
「はい、これ、ぼくの携帯の番号です。」
スーツの胸のポケットから、名刺を取り出して、渡される。名前の下に手書きの携帯の番号。
わたし、名刺なんて初めてもらったよ。こんな風に書いてあるんだ。
会社の名前と課の名称と名前、会社の住所。
総務課の主任さんは、隼人さんって言うんだ。
「明日、寮の前に6時で大丈夫ですか?遅れそうな時は遠慮無く、連絡下さい。」
「はい、分かりました。」
「それでは明日。楽しみにしています。」
いつの間にか飲み終わっていたカップを、ごみ箱に捨てて、休憩室から出て行く。
あれ?悩んでいる内にわたし、いつの間にか食事に行く事になってしまっていない?今さら気づく。
いただいた名刺が、何だか温かい気がして胸に当てる。
そっか、今は携帯があるから、もしお腹が痛くなっても、連絡出来るんだ。
高校生の時に、携帯を持っていたら、あんなことにならなかったのかな。
ふっと、苦い思い出が、脳裏をよぎる。
それでも、ダメだったのかな?