第七話 湖の騎士
(死んだはずの、殺したはずの友が生きていた。)
(嬉しいかって?冗談じゃない。直視したくない現実が、思い出したくない過去が俺を殺しに来たんだ。嬉しい訳が無い。)
(だから、こいつは……)
(俺がもう一度殺す!)
「ハハハ! どうしたんだよサリヴァン! 力が抜けてきているぞ!」
「死人が口を利くな!」
ジェラルドは強かった。
サリヴァンは、ジェラルドとの勝負において一度しか勝利を収めたことがなかった。
「だったらもう一度殺してみやがれ! 何度だって蘇ってやる!」
常人を超える力がサリヴァンを襲う。
かろうじてジェラルドの剣を受け止めるも、サリヴァンは確実に押し込まれていた。
自身への怒りを露にするジェラルドに、サリヴァンは疑問をぶつける。
「なぜだ……! なぜお前はあんなことをした!」
かつてジェラルドは、他国のテロリストを国内に引き入れテロの準備を行っていた。その情報を得た王室親衛隊は、騎士団からそのような者が出た事を抹消するために、鎮圧隊を派遣した。そして、サリヴァンはその場で友を手にかけた。
「お前に何があった! 何がお前を追いつめた!?」
「てめぇだよ! てめぇが俺様を追いつめたんだよ!」
「何だと!? くっ……!」
競り合いから一気に押し込まれ、サリヴァンは後方に吹き飛ばされる。何とか体勢を保ったものの、サリヴァンは追い込まれていた。
「しらばっくれるなら教えてやるよ! お前が俺様にしたことを!」
ジェラルドは、己の過去を語り始めた。
騎士学校時代、ジェラルドたち三人は無二の親友であった。互いに信頼し、助け合い、競い合い、お互いを高めてきた。
ジェラルドはそれまでの人生において最高の幸福を得ていた。
ジェラルドは二人が好きだったサリヴァンは最高の友として。ジルは最愛の女性として。
そう、ジェラルドはジルに恋をした。
だが、思いを告げることはなかった。三人の関係を崩すようなことを避けたためだ。
時は過ぎ、ジェラルドの王室親衛騎士団に入団が決まると、二人は己のことのように祝福した。
その時、ジェラルドは確信する。自分は最高の友を得たと。
そして、騎士学校卒業の時。ジェラルドは、意を決してジルにその秘め続けた思いを告げた。
だが、その思いは届くことはなかった。
さらにその時、ジルがサリヴァンに惚れていることを知る。悲しみにとらわれそうになった彼は自身に言い聞かせた。
自分にはまだ、王国最高の騎士団から誘いがあったのだと、期待されているのだと、自分を慰めたのだ。
失意のジェラルドは、王室親衛騎士団の入団式に出席した。そこで、思いがけない二人に出会う。
サリヴァンとジルである。
衝撃だった。彼は、二人が入団することを知らなかったのだ。
ジェラルドは、その時話したジルの表情に違和感を覚えた。話を聞けば、サリヴァンに告白して振られたのだ語った。
この時ジェラルドは、己の心にひびが入るのを感じた。ジェラルドは、自身に一度も勝ったことのないサリヴァンが、自身が望んだものを拒絶したことに衝撃を受けた。
ジェラルドの目に映る、気丈に振る舞うジルの姿が痛々しかった。
そして、ジェラルドは憎んだ。何事無かったように振る舞うサリヴァンを。
だが、ジェラルドは何も言えなかった。ジルはサリヴァンを選んだのだから。この件に関してはサリヴァンの方が自身よりも上だと思ったからだ。
ジェラルドは、せめて騎士としてはサリヴァンの上であろうとした。彼は、騎士の務めに集中した。訓練であろうと、実戦であろうと、己の全力をつぎ込んだ。
だが、結果を出すことはなかった。ジェラルドは、らしくないミスを何度も犯した。
対照的にサリヴァンは、どんどん戦果を上げていった。ジェラルドは、騎士としてもサリヴァンに負けた。彼の心のひびは大きくなった。
そしてとうとう、サリヴァンは王国最強の騎士隊、聖騎士隊に加わるのだった。
サリヴァンは大勢から祝福された。かつて振ったはずのジルからも、満面の笑顔を向けられていた。
対して、騎士団期待の新星であったジェラルドは、その時にはもう誰からも見向きされていなかった。
ジェラルドの心は、とうとう壊れた。
許せなかった。己の愛する人の心を奪い、それを簡単に拒絶するサリヴァンが許せなかった。己の騎士としての尊厳を粉々に打ち砕いた。サリヴァン・カルヴァートが許せなくなった。
「許せないんだよ!! 俺様は! 貴様が! 憎い!!」
ジェラルドの真意を聞いたサリヴァンは、それを信じられなかった。
彼が己を恨んでいることにでは無い。彼がこんなに小さい男だったのかということにだ。
「馬鹿野郎が!」
サリヴァンは間合いを詰めて斬りかかる。
しかし、容易くジェラルドのガラティーンに受け止められる。
「お前はそんな男じゃなかった! お前はもっと高潔な男だっただろ!」
「お前が俺様を語るんじゃねぇ!!」
再び、サリヴァンは吹き飛ばされる。
「スケアクロウ! 遊んでいるんじゃない! 早くかたずけろ!」
もう一人の男がジェラルドを叱責する。
その男は、短剣二本でアルトリアと互角に渡り合っていた。
「サリヴァン! これで終わらせてやる!!」
アルトリアと男の戦いに気を取られたサリヴァンの、一瞬の隙をジェラルドは逃さなかった。
ジェラルドは地を蹴り、大きく跳躍してサリヴァンとの距離を詰める。そして、その懐に飛び込んできていた。
ジェラルドの速度に、サリヴァンは反応することは出来なかった。
「死ねぇぇぇえええ!!」
サリヴァンの眼前に飛び込んできたジェラルドの手には、ガラティーンは握られていなかった。ただ、その掌をサリヴァンの胸に向ける。
「何を……!?」
サリヴァンは、空いていた左腕で体を庇うように前に出した。
「悪魔の衝撃!!」
刹那の静寂が、時が止まったような感覚がサリヴァンに訪れる。
黒い光が、ジェラルドの掌に発生する。その光に、サリヴァンの視線は釘付けとなる。
サリヴァンの止まった時が動き出すと、彼は気付くのだった。自分が宙を舞っていることを。左腕が無いことを。
吹き飛ばされたサリヴァンの体は宙を舞い、湖の中心まで吹き飛ばされると着水し、沈んでいった。
サリヴァンが吹き飛ばされた直後に、爆風が周囲を襲っていた。
「なんですかっ! これは!?」
アルトリアには、風圧で周囲の状況が見えていない。
しかし、ジルはしかと見ていた。サリヴァンが吹き飛ばされるのを。その左腕が、消し飛ばされたのを。
「サリィィィィィイイイイイ!!」
ジルの悲痛な叫びが、爆風にかき消されることなく響いた。
「ちっ。消し済みにしてやるつもりだったが、体は残ったか。だが、あれなら生きていないだろう」
ジェラルドの言葉に、ジルの理性が消える。
「貴様ぁぁぁぁ!!」
激昂したジルの周囲の空間が、歪み始める。大気が揺らぎ、炎が舞う。魔力の暴走であった。
「ジル!? いけません! 落ち着きなさい!」
魔力は、使用者の感情によって大きくも小さくもなる。いま、ジルの怒りによって増大した魔力が暴れ、周囲の理を歪めてしまっていた。このままでは、発生した炎はジルをも焼きつくしてしまう。
「ジェラルドォォォ!! わたしは貴様を許さない!!」
周囲の狩狼が、ジルに飛びかかる。しかし、一匹たりともジルの体に届くことはなかった。ジルの纏う魔法の炎に焼きつくされたのだ。
「ジル!? なぜ、お前はあんな奴のために!?」
ジルの、己すら焼き尽くさんとする炎を見てジェラルドは酷く狼狽していた。
「なんでだよ、ジル! どうして君は俺様を見てくれない! 俺様だけを見てくれないんだ!」
「黙れぇぇぇえええ!!」
ジルは、右腕をジェラルドに向けて振りかざす。すると、炎の竜がその腕から伸びた。
「スケアクロウ!! 戦え!」
フードの男の言葉に反応したジェラルドは、ガラティーンを振るう。ガラティーンは、黒い光を発すると炎の竜を斬り裂いた。
「ジル!! 俺様のところへ来い!!」
ジルにジェラルドが迫る。周囲の炎をものともせず、近付いて行った。
「お前も、俺様と同じにしてやる。そうすれば、俺様だけを見てくれる!」
ジェラルドが一歩、また一歩ジルに近づいていく。
その時、湖の中で動きがあった。
沈みゆくサリヴァンの視界から、光が徐々に失われていく。彼の意識が、命が、消え始めていた。
(俺は、死ぬのか……)
己の終わりを、自覚する。
(志し半ばで、騎士の務めを果たせずに……。こんなところで死ぬのか?主を……、姫様を守れず、友を……、ジルを救えず。死ぬのか……)
意識が失われる寸前、サリヴァンの脳裏に一人の少女の言葉が浮かんできた。
『わたしは……あなたの事が好きです。いつか……結婚して下さい。』
サリヴァンは想起する。まだ、約束を果たしてないと。
「死ねない……!」
必死で、足掻きの声を上げる。
その声は、思いもよらぬ存在に届いた。
『死にたくないのかえ? 人の子よ?』
透き通るように美しく、清廉な声がサリヴァンの心に語り掛ける。
「死にたくないんじゃない、死ねないんだ! まだ、死ぬわけにいかないんだ……!」
『人は死の運命から逃れられぬ。いつかは、みんな死ぬのじゃ』
サリヴァンの足掻きを、声の主は静かに諭す。
だが、サリヴァンはそれでも死に抗う。
「それでも死ねない……! まだ、死ねない!!」
『傲慢じゃのぉ。何か理由があるのかえ?』
理由を問う声に、サリヴァンは答えた。
「俺はまだ、約束を果たしていない!!」
『くふふ、憶えておったか人の子よ。良いじゃろう』
それを聞いた声の主が、沈みゆくサリヴァンに近づく。
すると、水の体を持つ声の主がサリヴァンに問うた。
『妾が力を貸してやろう。その代わり、おぬしはこれから妾の目となり足となれ。妾は世界を見たいのだえ、変わった世界を。そして、おぬしたちの行く末えを見たいのだえ。よいな?』
その問いかけに、サリヴァンは力強く答えた。
「良いだろう! 結ぶぞ、その契り!!」
『くふふ、そうこなくてはの。では』
声の主とサリヴァンを、魔力の光が包み込んだ。
『光と希望を司りし我らが導きの神、精霊神樹ユグドラシルよ。我ここに、決して違えぬ契りを結ぶ』
『我は、依り代を求める者なり』
「我は、力を求める者なり」
『我は乙女の湖に住まう水精霊、その名はヴィヴィアン』
「我はアルビオン王国に仕える騎士、その名は」
「サリヴァン・クリスティアナ・バン・ランスロット・カルヴァート」
『我が名に懸けてこの契り』
「決して違わぬことを誓う」
『今ここに』
「契りは結ばれた」
二人を包み込む魔力の光が大きく輝く。
『くふふ。人の子、おぬし、ランスロットの一族かえ。なるほどのう。どおりで似ておったわけじゃ』
そう語る、ヴィヴィアンの水の体がサリヴァンの体に流れ込んだ。
『くふふ、うれしいのぅ。妾にとっては孫みたいなものじゃ』
完全にその体が同化した瞬間、サリヴァンの力なく閉じていた瞳が見開く。
『さぁ、行くぞえ』
ジェラルドが、ゆっくりとジルに近づく。
燃え盛る炎を振り払い、ガラティーンを大きく掲げ、振り下ろす。ジルにガラティーンの刃が襲いかかる。
その時だった。
湖の中心に水の爆発が生じた。
「何だ!? これは!?」
ジェラルドは驚き、剣を振るう手が止まる。
巻き上げられた湖の水が、豪雨のように降り注ぐ。そして、その水はジルを燃やしつくそうとしていた魔法の炎を鎮めたのだった。
「この水は? それに、わたしは何を……?」
その雨は、戦いを続けていたアルトリアにも降り注いだ。
「冷たい、けれど落ち着く。戦いで高ぶった私の心を冷やしてくれる……この雨は、一体?」
その雨を、天からの恵みのように甘受する二人に対して、ジェラルドとフードの男は、苦しんでいた。
「何なんだこれは!? 頭が痛い! 体が痛い! どうしたんだ俺様は!!」
「くっ、動きが……思考が……鈍っていく。この雨は……危険だ!」
そして、雨とともに地上に降り立つ。ジェラルドの前に、立ちふさがるように。一人の騎士が。サリヴァンが。降り立った。
「サリー……生きて!」
ジルが、感激の声を漏らす。しかし、サリヴァンは答えない。
「サリヴァン・カルヴァート!! このくたばり損ないがぁ!!」
サリヴァンの出現に戦意を取り戻したジェラルドは、ガラティーンに魔力を込めた。
「今度こそ殺す! 殺してやる!!」
闇色の光が、ガラティーンの輝く銀色の剣身を包んでいく。
そして、ジェラルドはサリヴァンに切りかかった。ガラティーンの闇の刃が、サリヴァンを襲うその前に彼はつぶやいた。
「精霊剣……アロンダイト」
サリヴァンの左腕に、剣が握られた。そう、透き通るほど綺麗な水で出来た左腕に。
現れた剣は曲がりも傷も無い両刃で、燦然と煌く銀色の剣身を持っていた。
「そんなこけおどしで!」
ガラティーンの刃が届く瞬間、現れた銀の剣に阻まれる。
「そんなもんでぇぇぇぇぇぇ!!」
ガラティーンを包む黒の光が増す。闇の魔法がその威力を強める。
そもそもガラティーンとは、ブレイスフォード家に伝わる古の聖剣である。現在では精製不可能な高純度のミスリルを強度限界寸前まで使用したミスリル純度の高い合金が使用された、失われた技術の産物である。ミスリルの純度は魔法力の伝達効率に直結する。純度が高ければ高いだけ、魔法はその威力を増す。
ガラティーンは、強力な闇の魔法を纏っていた。通常のミスリル合金製の剣で競り合えば、すぐに折れてしまうだろう。
しかし、精霊剣アロンダイトは闇の魔法を完全に受け流していた。
「ぐ、なんだこの剣は!?」
ジェラルドは、己の魔法をはじくアロンダイトに驚いていた。
「……無駄だ」
冷たい、凍てつくような声音でサリヴァンは言った。
真面目で正義感の強く、高潔で少し気の抜けたところのある、優しい彼の出す声ではなかった。どこまでも冷く、冷静で、感情の籠ってない呟きだった。
「何なんだお前は!? なんでこんな力!?」
ジェラルドの焦りの声すら、サリヴァンは気にも留めない。
だが、そんな己にサリヴァン自身も困惑していた。
(どうして、こんなに冷静なんだ?)
ジェラルドに対する怒りや悲しみすら消え失せていく己の心に戸惑っていた。
『考えるでない、心を乱すでない』
そんなサリヴァンにヴィヴィアンは語り掛けた。
『魔力の大小は感情によって左右される、水精霊の魔法は感情を鎮めることで威力を増すのだえ』
それを聞き、サリヴァンは前を見据える。
『何も考えるな、感情を揺らしてはならんえ』
ヴィヴィアンの言葉通り、余計な感情は封じ込め、ジェラルドをただの敵として向き合った。
「スケアクロウ! 避けろ!」
「は?」
高速の斬撃が、ジェラルドを掠める。
「っぶねぇ!!」
紙一重。
あと少し反応が遅ければ、ジェラルドの首は飛んでいた。
速い。そして、流れる水のような一撃だった。迷いなく、確実に急所を狙った一撃。
「…………」
感情に揺れることのない。ただ、無慈悲に命だけを狩取る一撃だ。
「やっとやる気になったか! いいぜ、殺し甲斐がある!」
ジェラルドの動きが変わる。
異常な膂力によって動き続ける。右、左、正面、上、下。斬り、払い、突き、打ち。あらゆる方向から、あらゆる種類の攻撃が、サリヴァンに繰り出される。
サリヴァンはその攻撃を避け、払い、受け止めた。
「ハハハ! いつまで受けきれるかなぁ!」
「…………」
サリヴァンには、ジェラルドの攻撃がすべて見えていた。
対するジェラルドも、一歩も引かずに攻撃を繰り出す。
攻防は、次の動きに移行する。
「このぉ!」
次は、速さではなく純粋な力勝負だ。
お互いの剣がぶつかり合う。ガラティーンとアロンダイトが。ジェラルドとサリヴァンが。交わった。
「サリヴァァァァァン!」
ジェラルドは叫ぶ。
「…………」
サリヴァンは答えない。
彼はどこまでも冷静だった。
そんな姿に、ジェラルドは怒りを募らせる。己など眼中に無いのかと、気にも留めぬ存在なのかと。
「むかつくんだよぉォォォ!!」
その叫びの直後、ジェラルドは動く。
ガラティーンを投げ捨て、右手の掌をサリヴァンに向けた。サリヴァンを吹き飛ばしたときと同じ動きであった。
「死ねぇぇぇぇええええ!!」
「…………」
それに対してサリヴァンは、アロンダイトを地に刺すと水の左腕を前に突き出す。
「悪魔の衝撃!!」
時が止まる感覚が訪れる。闇の衝撃が来る。
「水精霊の加護」
だが、それは届かなかった。闇の衝撃を水の障壁が阻んだ。
『くふふ。昔を思い出すえ』
やがて障壁は人の様な形をとる。
女性の形だ。だが、その体は透き通った水であった。
「何だこれは!?これはまるで……」
水の乙女を従えるサリヴァンの姿は、ジェラルドの記憶に刻まれたある物語の登場人物に酷似していた。
名前すら失われた、古の騎士。王国に尽くし、王に尽くした。忠義が、意志が、その高潔な姿が、受け継がれてきた。
王国の十二騎士の一人。水精霊の加護を受け、ミスリルの聖剣を振るう騎士。
その騎士は、
「“湖の騎士”……!?」