第一話 忠義の日蔭者
深緑豊かな森の奥深くに、美しい湖があった。
その湖の畔、幼い少年と少女が肩を並べている。
「あなたは見たことある?」
美しい声の少女は少年に問う。
「何を?」
「精霊」
「見たことはないなぁ……」
そう答える少年に、少女は笑顔を浮かべて答えた。
「私はね、一度だけ見たことあるの」
「本当に!? どこでどこで?」
少女の言葉に、少年は大いに興味をひかれた。
「ここ」
「ここで!?」
「うん、ここ」
「もしかして、ここにつれて来たのは……」
確認するように言った少年に、少女は言った。
「そう、精霊が目的なの。精霊は不変の存在、そして水精霊は誠実の象徴と言われてるわ」
「聞いたことがある。水精霊の前で結ばれた約束は絶対って」
「うん、だから……」
少女は、少年の手を握る。少年も、その手を握り返す。
「私は……」
「僕は……」
「「あなたの事が好きです。いつか……結婚して下さい」」
二人は不変の契りを結ぶ。
そして、その契りには見届け人がいた。
『その契約しかと見届けた。妾が在る限り、その契約は違われる事はない』
聖歴1554年
その年は大陸史において激動の年と言われている。多くの国の指導者が、領土が、体制が、変動した。それは、大陸北西に浮かぶ島国、アルビオン王国も例外ではなかった。
アルビオン王国は今、変革のただ中にあった。いや、最早変革などと言える状況ではない。
現アルビオン王のジェームズ王が始めた体制改革により国内は二つに割れていた。ジェームズ王は亜人族に非常に好意的な人物であり、その改革を快く思わない者がいるのは当然の事だった。誰かが贔屓されていれば、その地位を貶めようとするのは人の悲しい習性である。
そして、とうとうジェームズ王の亜人優遇政策に反感を持った貴族達によって反乱が発生するのであった。
ここは、アルビオン王国首都の王城、王国の中心であり、王族の住まう不可侵領域である。
そんな王城内の廊下を進む男女の姿があった。
男はアルビオン王国最強の近衛騎士団、王室親衛騎士団の第二王女親衛隊に所属する騎士、名をサリヴァン・カルヴァートという。
現在サリヴァンは、国王が反乱軍鎮圧に出陣し、手すきとなった王城内の見回りを行っていた。
「お疲れ」
サリヴァンは、巡回中にすれ違った騎士に声を掛ける。
最近、騎士団に候補生として採用されたばかりの若い騎士見習いである。
「……はっ」
怪訝そうな顔し必要最低限の言葉で返される。無礼な振る舞いであり、普通ならば拳の一つでも叩き込むところである。
しかしサリヴァンは、この騎士見習いに吹き込まれたであろう己の噂を考えると、そんな気は起きなかった。
「おい、貴様」
「よせ、ジル」
サリヴァンの隣を歩く同僚の女騎士が、何も言わぬ彼の代わりに小言の一つでも言おうとする。
しかし、彼はそれを制止する。
「……!」
女騎士がサリヴァンを睨む。
「まったく……」
女騎士は、騎士見習いの姿が見えなくなったところであきれた様子でため息交じりに話しかける。女騎士の名はジル・エンフィールド。
ジルはサリヴァンと同じく王室親衛騎士団に所属する騎士である。サリヴァンとは騎士学校時代からの付き合いであり、同じ騎士団の別々の隊所属となった現在でも、交流は続いている。
「少しは訂正する気はないのかサリー?」
ジルは、サリヴァンのほうを向きながらそう言った。
その時、彼女の髪が揺れる。サラサラした赤髪であり、長い髪を後ろにひとまとめに結んでいる。馬の尻尾に例えられる結び方である。
「無罪の証明は難しいものだ。それに、実際に事実だしな」
「それもそうだな。本来ならば鎖に繋がれていてもおかしくなかったものが、これ以上の待遇を望むのは傲慢か」
騎士団内で、サリヴァンの評価は最悪だった。彼はもともと騎士団内の精鋭部隊に所属していたのだが、以前とある事件で失態を犯していたのだ。騎士団を追放されるどころか、牢に放りこまれていてもおかしくない失態であったが、しかし、そうはならなかった。
「うむ。現状に不満を持っては、救っていただいた殿下に申し訳ない」
彼を救ったのは王国の第二王女である。その王女の計らいで現在の隊に転属だけで済んでいたのだった。事実上の左遷であるが、左遷で王族の親衛隊への転属というのはおかしな話である。だが、それには第二王女の境遇に由来する事情があった。
「それで、敬愛する殿下のご命令で皆が寝支度をしているであろう時間に城内の見回りか?」
「そうだ。敬愛する殿下のご命令だ。俺は喜んで犬のように城内を駆け回る」
若干あきれ気味に茶化してくるジルであったが、サリヴァンはそれを喜ばしく思っていた。
(同じ隊の所属でもないのにこうして付き合ってくれるのだからありがたいものだ)
「そういえば、ガリア王国で新式のマスケット銃が開発されたらしい」
ジルが話題を変える。
彼女は遠距離武器、特にマスケットなどの火器に大きな関心を寄せていた。魔法を使わぬそれらの武器は魔法先進国である王国内では雑兵の武器として軽視されているのが現状であり、特に騎士階級では魔法至上主義の気風があったが、彼女は違った。
「興味深いな。どんな銃だ?」
「従来のものより、射程、威力、命中率が向上しているらしい。確か、ミニエーとかいうガリアのドワーフが発明したらしい」
ガリア王国。大陸に領土を持つ国家であり、アルビオン王国はもともとガリア王国の一部であった。
「何とか入手したいものだ。うちの隊でもマスケットの採用を上申しているのだが、これがなかなか聞き入れてくれない。お前の隊がうらやましいよサリー。第二王女殿下は先見の明がある」
「頭の固い騎士連中からは苦言を呈されているみたいだがな。殿下には敵が多い。お前のような理解者がいることは有難いことだ」
話題は、別の兵器に移る。
「そもそも、新式マスケットは帝国の魔導兵器に対抗するためだという噂が流れている。私も帝国の魔導兵器は脅威だと考えている」
帝国とは、大陸最大の軍事大国である神聖ヴァイマル帝国のことである。皇帝を中心とした極端な中央集権構造が特徴である。また、亜人族に対する徹底的な弾圧をおこなう階級社会であり、奴隷階級の亜人族を労働力とすることで、帝国の経済基盤は支えられている。
「同感だな。我が国では魔導兵器を軽視する者が多い。魔法は有効な技術だが魔導技術も然りだ」
サリヴァンとジルは有益な雑談に花を咲かせながら城内の見回りを続けた。
しかし、しばらくしたあたりから二人は違和感を覚え始める。彼らに向けられた複数の視線。そして、彼らが今まで幾度となく感じてきた死の気配、殺気である。
「妙だな……どう思う?」
先に口を開いたのはジルだった。それに対して、サリヴァンは声を殺して呟いた。
「静かに、後ろに二人、前に三人。」
彼の胸中には若干の焦りがあった。
(失態だ。囲まれるまで気付かないとは。しかし、城内でこのような……反乱軍の手の者か?殿下の危惧していたのはこのことか?)
ここ王城内には出陣中の国王と第一王子を除く王族全員が集まっていた。王族を人質にとれば王の動きを押さえこめることができ、さらに、王国の中心である首都を押さえることが戦略上重要なことであるのは明白であった。
だからこそ、この城内には騎士団長こそいないものの、王室親衛騎士団が守護しているのであった。外部からの侵入など、そうそう許すはずがないが、今、サリヴァンらは殺意のある何者かを確認していた。
(ともかく、まずはこの状況を打破し、侵入者を捕え状況を把握するのが先決だ。ならば……!)
「私は後ろをやる。一芝居打つから合わせろ」
ジルがサリヴァンの耳元でささやくと、彼はそれに応じた。
「了解、殺すなよ」
すると、ジルはいきなり軍服の胸元をはだけさせるとサリヴァンの胸にしなだれかかったのだった。
サリヴァンの視界に入ってくるのは豊満は胸だ。日ごろの訓練の賜物か、引き締まった体つきのジルであるが、胸は例外であった。彼は、以前ジルの部隊の隊員達がジルの胸について熱い議論を交わしていたのを思い出し、その議論の内容が正しかったことを今更ながらに納得していた。
(うむ。しかし、意表を突くためとはいえジルがこのような女であることを利用した手を打つとは……。敵を欺くにはまず味方から、その言葉の意味を実感する。味方すら予想できない手を使うのがどれだけ効果的か……。)
「ねぇ、もう我慢できないの……」
サリヴァンは思わず噴き出しそうになる。
ジルは常に冷静沈着で、凛々しい顔立ちの美しくも近寄りがたい雰囲気の持ち主であり、胸の中には熱い正義感の持ち主である女騎士である。その彼女が艶やかな猫なで声で媚びてきているのだ。普段の彼女との落差に笑いをこらえるサリヴァンの努力は、おそらくかなりのものであろう。
「……きて」
廊下のど真ん中でいきなりの痴態は不自然すぎた。しかし、それ以上に効果的であった。身持ちの固そうな彼女のこんな扇情的な様は衝撃的であった。
そして、ジルがサリヴァンの右手をひっぱり、自身の懐に突っ込ませたのであった。
(柔らかい)
率直な感想である。
だが、それだけではなかった。
(いや、これは……なるほど……)
「……!?」
サリヴァンは、自分たちを包囲している者の動揺が空気を通じて伝わってくるのが、わかった。
(ここだ、仕掛ける)
サリヴァンは、若干の名残惜しさを感じつつも、ジルの谷間から手を引き抜くと同時に、手にした短剣を敵に向かって投げつけた。電撃系の魔法術式を組み込まれた短剣は、ジルの懐に隠されていたものだった。
「はっ!!」
投射と同時に地をけり駆け出す。
戦場では約40ポンドのプレートメイルを着込んで戦うサリヴァンにとっては、今の軽装ならば、この程度の距離を高速で移動するのは造作もないことであった。
「ぐぅあああぁぁぁぁぁ!!」
電撃短剣が命中し、同時に仕込まれていた術式が起動した。対象を電撃が襲い意識を奪った。
短剣から数瞬遅れてサリヴァンと敵の距離が詰まる。
敵はフードを深くかぶっており顔は見えない、敵の一人は昏倒した仲間に気を取られており。残るもう一人は迎撃態勢だった。
だが、サリヴァンにはその構えは意味のないものだった。
「構えが甘い!」
サリヴァンが身構えている敵に仕掛ける。加速で得た力を初撃に込める。得物は護身用の直剣、敵も同じく直剣だが、サリヴァンより厚く長かった。
サリヴァンの攻撃が得物を狙う。加速の力と体重を乗せた一撃は敵を得物ごと吹き飛ばした。そこで、倒れた相手の顔にすかさず一撃、蹴りを放った。
「ぬぉぉぉぉおおおお!!」
サリヴァンは嫌な感触を覚えたが、攻撃を止めることはなかった。すかさず、もう一人に蹴りを放つ。
首を狩るようにはなった一撃を食らった敵はそのまま電撃で倒れた仲間に覆いかぶさる。
サリヴァンは電撃短剣を引き抜き、再び魔法力を込めて覆いかぶさったほうの敵に投げつけた。
「――――――っ!?!?」
声にならぬ悲鳴を上げ、そのまま動かなくなる。
サリヴァンが、背後でしていた物音が止んだため後ろに振り返ると、敵兵二人を制圧したジルの姿があった。
「制圧完了だ、ジルそちらはどうか?」
「大丈夫だ。ただ、二人とも気絶してしまった」
乱れた髪の毛を整えながらジルは報告する。先程はだけさせた胸元は戦いのためか、さらに大きく開けていたため、サリヴァンは目のやり場に困っていた。
「髪の前に服装を直せ」
サリヴァンの指摘にジルは、顔を赤く染めると、背を向けてそそくさと服装の乱れを直した。
正しく着直したところで振り返り言った。
「どうだった、私の演技は?」
サリヴァンは脳裏に先ほどの感触を思い出していたが、正直に答えなかった。
「うむ、笑いをこらえるのに必死だった。」
「……そこの奴らと同じ目にあわせてやろうか?」
射殺すような視線で睨みつけられる。
「冗談はさておき」
サリヴァンは鼻を押さえたまま悶えている敵兵の男を小突きながら尋ねる。
「誰の差し金だ? 素直に答えたほうが身のためだ」
男は答えない。
サリヴァンも、素直に話すと期待していなかった。
「まずは顔を拝ませてもらおうか」
男のフードをはぎ取ると、そこには予想外の顔が出てきた。
「なっ……お前は……」
そこに現れたのは先程、二人が見回り中にすれ違った騎士候補生だった。
「なんだこれは……どういうことだ?」
サリヴァンの後ろ、無力化した四人を縛り上げていたジルから驚きの声が上がる。なんと、残りの四人も全て王室親衛騎士団の新米騎士および候補生だったのだ。
「馬鹿な……なぜ、こんな。吐け、何が目的だ!!」
サリヴァンが電撃短剣を突きつけつつ自白を促す。
(抵抗できない人間をいたぶるなど、騎士道精神に反するが今は仕方ない)
剣を突き付けられ、新米騎士は身の危険を感じ口を開く。
「話すから! それをどけろ!」
ひとまず、突きつけていた短剣を離した。しかし、サリヴァンは不審な動きをすればすぐに動けるよう身構えていた。
短剣が離れたのを確認すると騎士候補生は語りだした。
「あんたらを襲ったのは、これから行う計画にあんたは邪魔だったんだとよ。俺たちに組みしない騎士は始末しろって命令だった」
「計画とは何だ? 貴様に指示を出したのは誰だ?」
「詳しいことは聞かされてない。俺が聞かされたのは国王の暗殺と王族の拘束をするってことだけだ……指示を出したのは王室親衛騎士団団長アンドレア・バントック卿だ。俺たちは隊長から、計画の障害になるからとあんたらを殺せって指示されただけだ」
衝撃的な内容であった。
王家に使え、その命に代えても守り抜くのが王室親衛騎士団の務めであった。その騎士団が暗殺計画を企てていたのだ。サリヴァンの心中に動揺が広がった。
(国王暗殺を企てるなど……なんと、なんと愚かな……この男にしてもそうだ、仮にも王室親衛騎士団の一員ながら、企てに参加した揚句にわが身大事にぺらぺらと……俺の目指した騎士とはこんな……こんなものだったのか?そもそも……)
「騎士団長だと……!? なん……なんという……」
騎士団長は、名実ともに王国最高の騎士であり。王国騎士の手本となるべき存在である。
「他に知っている事はないか!?」
ジルが剣を突き立て問いただす。剣にはかなりの力が込められており、わずかに震えていた。
「知らない! 俺は下っ端だ! これ以上は……がっ─────!?」
サリヴァンは電撃短剣を肩に突き刺し、発動させた。三度電撃を発した短剣は、刺された騎士を気絶させると、剣身の色があせて砕けてしまう。
「非常事態だ。コイツの話が本当なら、陛下たちが危ない」
「サリー、まずいぞ。この城には第一王女殿下達がおられる!」
サリヴァンは、すぐに考えを巡らせた。
(俺達二人では全員を救うことはできんだろう。こいつの口ぶりから察するに、企てに加担していない者たちは始末されているはず……)
「まずは第二王女殿下のもとへ! あの方ならば……あるいは……」
サリヴァンとジルは、王城内を駆け出した。主君の無事を祈りながら、これからの算段を立てながら。
だが、この時はまだ、この企てがこれから起こる一連の騒動の始まりに過ぎない事を理解していなかった。