序:事乃始
「だぁあ! くそッ!」
パチンコ雑誌を怒りのまま握りつぶし、俺は電車が来るのを待っていた。
「何が信頼度80%の激熱リーチだよ! 全然ハズしてんじゃねーか!」
落ち着きを取り戻す為に、懐からガムを取り出して口に入れる。
わざわざ新台を打つ為に、隣町まで電車でやってきたっつーのに……
現在、サイフの中には小銭しか入っていない。午前中に消費者金融から金を借りて、パチンコで儲けたらすぐに返そうと思っていたが……気がつけば、素寒貧。
「外はクソ暑いっつーのに……サイフの中は寒すぎだろ……」
深~い溜め息をついてみせた後、チラリと正面を向くと、1人の女が見えた。
俯いているが、顔色が非常に悪いのがよく分かる。
『――番線、電車が参ります』
アナウンスが流れ、すぐに電車の姿が見えた、次の瞬間――
フラリと、その女が線路に身を投げる。
迫り来る電車。このままでは――
「チッ!!」
俺は舌打ちをしてみせると、全神経を集中させ床を蹴る。飛び去った後、遅れて「ドンッ」という音が聞こえた。まさに音速。
俺の身体は、助走なしの一歩で線路を跨ぎ、反対側のホームに着地。そのまま身体を反転させ、流れるような動作で女の腕を掴み、引っ張り上げる。
「ふんっ!」
女を背後から抱き締める形で脱出すると、すぐに電車が横を通過していく。
「な、なんだ?!」
「どうした?! なんか大きな音が聞こえたが……」
周りが騒ぎ始める。常人では俺の動きを目で追えられない。何が起こったのかすら分かっていないだろう。
「ん……んん……」
抱きしめたままにしていた女が微かに呻いてみせる。
自殺をするのは勝手だが、人のいない場所で、ひっそりと行って欲しいもんだ。でなければ、こっちの寝覚めが悪ィじゃねーか。
ついつい助けてしまったが、この先どうするか考える。
「面倒だが、事務所に連れ帰るか……本当に今日はツイてねぇ……」
――女をおぶさり、事務所前まで到着すると、そこには見知った女子高生【如月 未夜】が、うずくまる形で眠っていた。
「おい、起きろ。未夜」
足で軽く蹴飛ばしてやると、未夜はビクンと大きく痙攣させて飛び起きる。
「――ぅあっ?! ……け、犬崎さん?!」
「ここで何をしてんだ」
事務所の鍵を開けながら訊ねると、両頬を膨らませながら怒鳴ってきやがった。
「何を言ってるんですか! 今朝、犬崎さんの方から『借りてた金を全部返してやる。ついでに美味いモンでも食わしてやる』っていうから来たのに留守だし! 携帯を鳴らしても全然出ないし!」
携帯? お、本当だ。パチンコ屋にいたから、着信に気付かなかったようだな。
「……と、いうか……背中の女性は、なんなんですか?」
「ん? あぁ、コレか? コレは」
「まさか誘拐?! あぁッ、なんて事を……! いつか犯罪に手を汚すとは思っていましたけど、まさか若い女性を誘拐するなんてッ!」
おい。何気に失礼な事を言ってねーか、オマエ。
とりあえず背中のモノをソファーに寝かせ、事情を説明する。その時……
「――ん……あれ……?」
女が、ようやく目を覚ます。
「……私、一体……ここは……?」
辺りの様子を確認している女に俺は言い放つ。
「テメーなぁ。自殺するのは勝手だが、俺の目に映らない所で――」
「犬崎さんっ!」
ケッ、俺は何も間違った事を言っちゃぁいねーけどな!
「あの、体のほうは大丈夫ですか? どこか怪我とか……」
「……い、いえ……それより、あの……先程、私が自殺って……どういう……」
「おいおい。自分で線路に飛び込んでおきながら、覚えてないってか? もしや記憶喪失なんて面倒な事を言うつもりじゃねーよな」
「線路……飛び込み……? 自殺……や、やっぱり……!」
その話を聞いた瞬間、女はガタガタと震え始める。一体、なんだっつーんだ?
「申し遅れました……私、佐島美恵子といいます。音大に通う学生です」
美恵子と名乗った女は、深々と頭を下げる。
「如月未夜です。あの、なんで自殺しようとしたんですか……?」
麦茶を出しながら未夜が尋ねた。すると美恵子は表情に陰を落としたまま、ゆっくりと語り始める。
「……おかしな事を言うみたいですが……私、自殺をするつもりなかったんです」
「どういう意味ですか?」
「ある曲を聞いた事が全ての始まりでした……
自分の意思に関係なく " 自殺をさせられる "
そんな事が起こるようになったのは……」
「自殺を……させられる?」
「面白そうな話だな」
俺は身を乗り出して、女の話を聞く事にした。
「あ、あの……貴方は……?」
「俺か? 俺の名前は【犬崎 快刀】……探偵だ」
「――小屋で『暗い日曜日』というレコードを見つけ……私達は発表会で、その楽曲を演奏する事に決めたんです。最初の事件が起こったのは、合宿を終えた次の日の事でした。合宿を提案したサックス担当の武丸君が……部屋で……首を吊って自殺をしていたんです」
「……自殺……?」
未夜の顔色が青ざめていく。
「私達は、ひどくショックを受けました。発表会も辞退を考えていたんですが」
「やめなかったのか?」
「はい。同じメンバーの雨木君が、武丸君の分も精一杯演奏をしようって……
私達は発表会で演奏を行いました。そこには、各音楽関係者の方達もご覧になっていて……その内の1人の方が、私達の演奏をとても気に入ってくれて……
本当に嬉しかったんです。道が開けた事もそうですが、何より……武丸君の分まで頑張ってきた成果が出たんだって」
美恵子は、頬に涙を滑らせた。
「……発表を終えた次の日でした。その音楽会社の方が、自殺したと聞いたのは……その方は自室でガス自殺をしていたようです……そして、ある遺書を残していた事を教えてもらいました」
「……遺書?」
「自分の葬式で『暗い日曜日』を流して欲しいと……書かれていたみたいなんです」
「……そんな……」
「そこで私達は初めて武丸君の死や、その音楽会社の方の死が『暗い日曜日』に関わっているのではないか、と気付いたんです。最初は皆、そんなわけがないと……音楽で人が死ぬわけがないと言ってたんですが」
「……また自殺者が現れた」
犬崎の言葉に、美恵子は小さく「その通りです」と告げる。
「合宿を終えて2週間ほど経ちますが、その間に自殺者は10人くらい出ました」
「ほぼ毎日って事ですか?」
「はい。私達、怖くなって……いつか自分達も自殺 " させられてしまう " のではないかって……」
美恵子はカバンから手帳を取り出すと、間に挟んでいた写真を1枚取り出す。
「これが、合宿に行った時の写真です」
犬崎が手に取り眺めているのを未夜が隣で覗きこむ。
右からガレット、美恵子、雨木、武丸の順番で並んでいる。
「この左端にいるのが、最初の自殺者である武丸って男か」
「そうです」
武丸は満面の笑顔で写っていた。とても自殺を考えているような感じではない。
「小屋にはオマエ等以外、誰もいなかったんだな?」
「そうです」
「画質が悪いな」
「すみません、インスタントカメラで撮影しましたから多少、ピンボケが」
「犬崎さん、どうですか……?」
犬崎は写真を美恵子に返しながら解説を始める。
「……『暗い日曜日』は、1933年にハンガリーで発表された有名な自殺ソングだ。
歌詞の内容は、暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わるのだが……
問題は、その曲を聴いて自殺した人間が数百人も現れたという事。
当時の政府も、放送禁止を指定するまでだったと聞く」
「え……? では、やはり呪われているという事ですか……?」
「自殺との因果関係は明確には証明されていないし、本作が原因とされる自殺の記録も無い。今となっては、ただの都市伝説に成り下がっているがな。現にネット上では公開されているし、有名歌手がカバーしているバージョンもある。ただ……」
「なんですか?」
「現存している『暗い日曜日』は、全て複製なんだ。
当時、ナチス・ドイツによる軍事侵攻の危機にあった政府はオリジナルである楽曲を全て破壊したと言われている」
「つまり、どういう事ですか?」
「見つけたレコードは、かなり古い物だったんだろう? もし、その『暗い日曜日』が初版当時の物であり、原版でしか分からない呪いがレコードに込められているのだとしたら……」
「た、大変じゃないですか! このままだと……」
「ああ、ますます自殺者は増えていくかもな」
美恵子は、しばらく俯いていたが……やがて決心を固めた表情で顔を上げた。
「犬崎さん。探偵の貴方を見込んでお願いがあります。どうか私達を救ってください、お願いします!」
深く頭を下げる美恵子の足元に、涙が落ちた。
「犬崎さん……」
犬崎は腕を組み、ふんぞり返る形のまま眉根を寄せている。
「それは正式な依頼という事か? こっちも命を賭ける以上、安くはねぇぞ」
「構いません! お願いします」
「むぅ……」
犬崎はガムを口に入れて、それを噛みしめながら思案する。
(金も持っていそうだしな。せっかく舞い込んできた依頼だ。今のままだと明日の飯にも、ありつけない状態だし)
結論は、すぐに出た。
「……よし。その依頼、受けてやる」
「本当ですか?!」
美恵子の表情に笑顔が浮かぶ。
「つーワケで、例の如く……」
「情報集めですね! 分かりました! すぐに準備します!」
未夜は嬉々とした表情で支度に取りかかり始める。
(慣れた感じになってきてるのが、気に入らねェ……)
フン、と鼻息を荒くしながら犬崎も準備に取り掛かる。
「とりあえず写真の奴等と会って話を聞く。問題のレコードも直接見てみないとな」
「レコードは雨木君が持っているはずです。2人共、今なら大学にいると思います」
「よし。すぐに向かうぞ」
犬崎が支度を終えたのと、未夜が準備を終えたのは同時だった。
部屋を出ていく際、犬崎は不敵な笑みを浮かべながら呟く。
「おもしろくなってきやがった……」