『自殺音階』編
「空気も美味しいし、眺めは良いし。最高ねっ」
季節は初夏。山梨県鳳凰山の最高峰となる観音岳に訪れた【佐島 美恵子】は満面の笑みを浮かべていた。
観音岳から望む地蔵岳のオベリスク、そして甲斐駒岳はまさに絶景と呼ぶにふさわしく、心を洗い流してくれるかのよう。
雲に手が届きそうな程のこの場所は、美恵子達の計画を実行するには正に、うってつけと言える。
「晴れて本当に良かったな」
「さっき、カモシカの足跡があったぞ!」
他のメンバーも、地上2800mからの眺めに感動している様子だった。
「おいおい、オマエ等。俺達がここに来た目的、忘れてないか? さっさと準備しろ。明日の早朝には下山しなきゃいけないんだからな」
場を仕切る【雨木】の言葉に、一同は「はーい」と返事をしてみせる。
「調律、大丈夫か?」
「ん、問題ない」
「よし、始めるぞ。……2……1」
大自然の中で演奏される音色旋律。それに続いて、透明感のあるテノールが一瞬にして自然全てを観客へと変える。鳥も、山も、雲も……その美しい歌声に魅了されているかのように思えた。
美恵子達は、将来プロを目指す音大生。皆は近く行われる発表会の為、合宿と称して観音岳に訪れていた。
何故、観音岳なのかというと、同じメンバーの【武丸】が放った一言から始まった。
「高山ボイストレーニングだ」
聞き慣れない言葉に、他のメンバーは目をパチクリさせる。
「高山トレーニングって……あれか? マラソン選手とかが練習で行う……」
「そう! 空気の薄い過酷な環境下で行うトレーニングは、獲得出来る経験値量が圧倒的に違うのさ!」
またTV番組の影響を受けたのだろうと雨木は思った。大学に入ってからの付き合いだが、武丸の考える事や言いだす事は、いつも突拍子がない。
「前回、インパクトが大事とか言い出して、打ち上げ花火を100個インターネットで購入しようとするのを全員に止められた事、もう忘れたのか?」
「あれは諦めた。だから考えた! 今回の作戦を!」
「馬鹿馬鹿しい……」
溜め息をつく雨木の隣で、その提案に食い付く女生徒がいた。
「高山! ピクニック! 行ってみタイ!」
【鏡 ガレット】は青い瞳をキラキラさせながら話を聞いている。
「ガレットが本気にしちまったじゃねーか」
「あ、でも。私も賛成だなっ。確かに発表会は大事だけど、私達ももう卒業だし……このメンバーで思い出作りもしておきたいなって……ダメかな?」
「む……なるほど……」
「とりあえずダメ元で、顧問の大滝先生に聞いてみようよ」
……と、いう訳で。本当にダメ元で尋ねてみたのだが、
「いいぞ、許可する」
あっさりとOKが出て、今回の合宿は実現されたのだった。
――そして現在、夕方まで演奏練習を行い、その日は小屋の中で一晩過ごす事となった。食事を終えて一服していると、武丸がある物を発見する。
「おい雨木。見てみろよアレ」
指さす方向を見てみると、そこには古ぼけたレコードプレーヤーが置かれていた。
「コロンビアMODEL-248だな」
「動くのか?」
「ああ、針の状態は悪くない。動くと思うぞ。問題はレコードだが……ん?」
雨木はレコードプレーヤーを持ち上げてみる。すると、その下から……
「レコードだ!」
「プレーヤーが置かれているんだから、レコードも置いてあるとは思ったけどな」
「美恵子達も呼んで、鑑賞会といこうぜ!」
「たまにはナイスな事を思いつくんだな。感心したぞ」
「俺、呼んでくる!」
そう言うと、武丸は走り去って行った。
「本当にレコードだ、すごーい」
「俺が見つけたんだぜ?!」
「グランパが持ってタヨ! 触るとメッチャ怒られて、怖かっタヨー」
「これは楽しみだな。合宿っぽくなったじゃないか」
雨木はレコードを取り出し、プレーヤーにセットする。
「曲名は何て言うの?」
美恵子が尋ねるので、カバーを眺めながら答えた。
「えっと……
『Gloomy Sunday』
ヤーヴォル・ラースロー作詞
シェレッシュ・レジェー作曲
……知ってるか?」
「うーん、分かんない」
「タイトルがいいな! 『栄光の日曜日』なんてさ!」
「タケマル、違ウヨ。Glory ではなく Gloomy」
「和訳すると『暗い日曜日』になるわね」
「あー、その気持ち分かるぜ。俺も日曜のサ〇エさんが終わると、明日からまた学校だと思って鬱に」
「戯言はいい。始めるぞ」
暗い日曜日
両腕に花をいっぱい抱えた
私は私達の部屋に入った
疲れた心で
だって、私には
もう分かっていたのだ
あなたは来ないだろうと
そして私は歌った
愛と苦しみの歌を
私は一人ぼっちでいた
そして声を殺してすすり泣いた
木枯らしがうめき叫ぶのを聞きながら
暗い日曜日
苦しさに耐えかねたら
私はいつか日曜に死のう
生命の蝋燭を燃やしてしまおう
あなたが戻ってきたとき
私はもう逝ってしまっているだろう
椅子に座ったままで
目を見開いて
その瞳は
あなただけを見つめている
でも、どうか怖がらないで
私はあなたを
愛しているのだから
暗い日曜日
(※日本語訳歌詞抜粋)
「……なに……この曲……」
「陰鬱……だけど……いや、だからこそ」
「……Beautiful……」
1度聴いただけなのに……美恵子達は、この曲の虜になってしまった。
既にレコードは止まっていたが、誰1人として動こうとしない。
「……なぁ、雨木……」
「……なんだよ、武丸……」
「俺達の最後の発表会、この曲にしないか?」
そんな事を言い始めた武丸に、雨木は静かな声で答えた。
「オマエでも、たまにはナイスな事を思いつくんだな……」
「美恵子とガレットは、どうだ?」
「私も……唄いたい」
「No Problem」
「決定だな」
――夜が明けて、次の日。
武丸は自分のリュックに昨晩のレコードを入れて、下山の準備を終えた。
「割るんじゃねーぞ」
「分かってるって」
「でも本当に、ここに来て良かったよね」
「帰るまでが遠足でスヨ?」
「ここに来たのも、あの曲に巡り合えたのも……全ては運命って事かな」
「しかし残念なのは、オマエ等に何の進展もなかった事だ」
ニヤニヤとした顔を雨木と美恵子に向ける武丸。
「おまっ……! 何言ってやがる!」
「そ、そうよ、そうよっ!」
「Japanese " オクテ " でスネ」
「ガレットまでっ!」
「あっはははははは」
「よし、最後に皆で記念撮影して帰るぞ」
「今時、コンビニでインスタントカメラが売ってるなんてツイてたな!」
「武丸がデジカメ持ってくるの忘れたのが原因だろ? 余計な出費させやがって」
「ガレット! こっちこっち!」
「はい、チーズ!」
――パシャリ。
4人が映った記念写真。
この写真を最後に
私達は、2度と皆で集まる事は、なかった。