終:結末乃始
犬崎達は、歩いてきた道を再び戻り、リサ宅の前へと到着した。
2階に恐らくリサの部屋があると思うのだが、その部屋の窓にはカーテンがかかっており、明かりも灯っていない。
「戻ってきましたけど、これからどうするつもりですか?」
来訪に気付かれれば、今度こそ間違いなく警察を呼ばれるだろう。それはマズい。
「口に手を当て、目を閉じろ」
「……え? は、はい」
一瞬、何をするつもりなんだろうと緊張するが、未夜は言う通りに口元に手を当て、目を閉じる。すると、自分の足が地面から離れた。同時に、肩と腿に温かい、それでいて力強い手の感触が伝わる。
(こ、こここ、これって?! 私、今、お姫様だっこされてる!)
一瞬、身体が沈んだかと思うと激しい突風が未夜を襲った。
「――――――!!!」
「もういいぞ。目を開けろ」
未夜が恐る恐る目を開けると、立っている場所が先程の玄関前から、2階のベランダへと移っていた。つまり犬崎は、未夜を抱きかかえたまま垂直5メートル以上の跳躍をしてみせたのである。人間離れしているが、犬崎にとっては至って簡単な事。口元と目を押さえるよう指示をしたのは、悲鳴を上げさせない為の配慮だろう。
「いい加減、離れやがれ」
犬崎は既に手を離している。未夜の足も接地されているのだが、何故か手だけ犬崎の首に回し、ひっついている状態。
「す、すいま――んむっ!?」
大声が出そうになった未夜の口を手で制し、犬崎はジロリと睨みつける。
「ふ……ふいまへん……」
2人は部屋に侵入を試みるが、鍵がかかっているようで全く窓が開かない。
「どいてろ」
犬崎は窓の前に立ち、軽く指を動かす。すると数秒遅れて、鍵から周囲数センチの窓ガラスがパキリと割れた。そこに指を突っ込み、鍵を開けて部屋の中に入る。
「靴を脱げ。分かっていると思うが、足音に警戒しろ。声を出すな」
こくりと頷き、そして未夜は「なんで、ここまでしてリサちゃんに会わなければならないのだろう?」と疑問に思っていた。当然、口に出しては言えないが。
「すぐに『こっくりさん』が現れる。気を引き締めておけ」
整理整頓された部屋、これがリサの部屋なのだろう。机やベッドが置かれているが、少女らしさがまるでない。ぬいぐるみも、好きなアイドルのポスターも、何1つ存在していないのだ。
(なんだか……言ったら悪いですけど、すごく殺風景な部屋ですね)
そんな部屋から2人はすぐに出ていく。真っ暗な廊下を目を凝らしながら進み、階段を降りれば仄かな光が見えた。リビングからの明かりだ。
未夜を待機させ、犬崎は素早い動きでリビング前まで移動する。耳を押し当ててみるが、話し声どころかテレビの音も聞こえない。
(手遅れでなければいいが……)
慎重に扉を開けていき、中の様子を確認。すると、そこに――リサの姿が見えた。
下着1枚のみしか付けておらず、横たわっている。ピクリとも動いてはいない。
(どうですか、犬崎さ――うわわわっ?!)
犬崎が合図を出していない内から近付いてきた未夜が、何もない場所でつまづいてしまう。その結果、大きな音がたってしまい……
「――――ッ?! 誰ッ?! そこにいるのはッ!?」
涙ぐみながら未夜が「ごめんなさぃい」と呟く。犬崎は軽く舌打ちしてみせると、一気にリビングの扉を開けた。
「そこまでだ」
「な、なんですか、あなたは! 突然家に押し入って……!」
「話はリナの呪いを解いてから聞いてやる」
「の、呪い……? ちょっとあなた、何の話を」
母親を無視して、犬崎はリサに近寄ると声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
頬を軽く叩いてやると、リサの目がうっすら開く。
「……け、犬崎……さん……?」
「今から、オマエの呪いを解いてやる」
「……えっ……?!」
「犬崎さん、それは、どうやって……」
未夜はリサに服を渡し、改めて犬崎に尋ねた。
「簡単な事だ。呪いを作りだす元凶を絶てばいいだけの話だからな」
「元凶って……こっくりさん、ですか?」
未夜の言葉に、犬崎は「違う」とキッパリ言いきる。
「オマエが、呪いの元凶だ」
犬崎が指さす先、それは――――
リサ、本人!
「え……? リサ、ちゃん? でも、おかしいじゃないですか! リサちゃんからの依頼なんですよ?! それに、こうして……こっくりさんの呪いだって……!」
「背中の事を言っているのか? それはアンタの口から詳しい話を聞きてぇな」
犬崎は、リサの母親を睨みつける。
「………………ッ!!」
母親は動揺した様子で、顔面を蒼白にしていた。
「これは、こっくりさんの呪いなんかじゃねぇ。そこの母親が行った、折檻痕だ」
「せ、折檻……?!」
「見た瞬間、すぐ分かっていた。随分ひどい折檻を長い間、受けて来たみたいだな」
急いで自宅に戻らせた理由も、犬崎達をリサと会わせなかった理由も……全ては、そこにあった。
(そうか……だから犬崎さんは、あんな行動を)
「なにを……! ど、どこに、そんな証拠が……ッ!」
言い逃れようとする母親の腕を犬崎は掴み、掌を開けさせた。
「おかしな所にタコが出来ているな。ペンダコでもなさそうだ。これは折檻タコじゃないのか?」
「……なッ!? は、離してッ!!」
「折檻道具をどこに隠した? 俺の勘だと、寝室辺りが怪しいと踏んでいる」
「ぐッ……! うぅぅ……!」
「で、でも犬崎さん! なんでリサちゃんは、それを呪いと嘘ついて……」
「リサにとって、都合がよかったからさ」
「つ、都合?」
犬崎は語り始める。事件の真相を。
リサには父親がいない。見た事すらない。リサの母親は、いわゆる未婚の母だった。
女手1つで子供を育てるのは大変で、母親は仕事や家庭のストレスをリサにぶつけていた。リサ自身も、母親の気持ちが分かるので抵抗などしなかった。毎日毎日殴られ、罵倒され、それでも耐えてきた。
リサが中学校に入った頃、彼女はイジメの対象となってしまう。相手は、もちろんヒカル。唯一の安らぎの場であったはずの学校は、辛いモノとなってしまった。
そんなある日、ヒカルは提案してきたのだ。
「こっくりさんをしよう」
最初はヒカルを怖がらせる事が目的だった。小さな復讐……もしかすれば、私の事を気味悪がってイジメてこなくなるかもしれない、などの期待もあった。霊に取り憑かれたと自作自演を行い、取り乱すヒカルの様を見ていると気分が晴れた。バレるのが怖くて、他の参加者達も驚かせようと考えたリナは、下校中の梶を追い、声色を変えて脅したりもした。効果は、てきめんだった。そんな時、予期せぬ出来事が起こってしまう。
こっくりさんに参加した同級生、馬場が……死んでしまったのだ。
その事態は、リサに動揺を走らせた。
アリサは言っていた。「こっくりさんの呪いだ」と。
梶君は言っていた。「大変な事になった」と。
……私のせい……?
私のせいで、馬場君は死んだの……?
私が、くだらない演技をしたせいで……
本当に、こっくりさんの呪いが起こっているのだとしたら……
私のせいで……私の、私の!
眠れない日が続いた。食欲も出ず、毎日悩んだ。母親から折檻を受けながら、このまま死んでしまえたらと考えた。相談に乗ってくれる相手などおらず、もはや限界まで追いつめられたリサは決断する。「誰でもいい、誰か、私を助けて……!」そう考えた時、リサは通帳を持って犬崎の事務所に足を向けていた。
――リサは、泣いていた。犬崎達の前で、大粒の涙を零しながら。
「うあぁぁああああぁあッッッ!!!!!!!」
絶叫に近い声を出しながら、泣きじゃくるリサ。その時、初めてリサは等身大になった。全てを表に出した。ずっと耐えてきた。これからも耐えていくのだと思っていた。だが、それは叶わなかった。小柄な体と心では、これ以上繋ぎとめる事が出来なかった。隠し通す事が出来なかった。
「リサちゃん……」
傍にいた未夜は、リサをそっと抱き寄せ、その頭を撫でてやる。
「もう大丈夫……もう大丈夫だよ……」
慈愛に満ちた未夜の表情。その瞳にも、うっすらと涙が溢れていた。
「……んじゃ……わよ……」
近くで、声が聞こえた。その方向を見ると、俯いた状態でリサの母親が立っていた。
手に、警棒のような武器と包丁を握って。
「フザけんじゃないわよ……こんな事……近所に知られたら……どんな顔して表を歩けばいいのよ……! フザけんじゃないわよッ!」
ジリ……と、母親は犬崎達に向かって歩み寄る。
「ムダな事はやめておけ。女を殴る趣味はねーが、かかってくるなら容赦しねぇ」
「消さないと! 消さないと! 消サなイとッ!」
母親は、既に正気を保っていなかった。目を見開き、口端からよだれを流したまま小刻みに身体を震わせている。
「チッ、しゃーねーな……未夜、リサの目を塞いどけ。オマエもだ」
「は、はい!」
次の瞬間、ゴウッ、と部屋中の空気が変わった。何が起こっているのかは分からないが、未夜の全身が総毛だつ。
「殴りはしねェ、安心しろ」
その刹那、犬崎の様相が激変した。
美しい銀髪に燃える様な灼眼。
犬崎の中に眠る憑神――" 臥怨吏竜 "……!
「ああぁあぁああ……ッ!?」
リサの母親は、犬崎から目を離せない。
身体が弛緩し、手から得物を落としてしまう。
それは今までに感じた事のない、絶望的な恐怖――
狩るモノと狩られるモノの粛然とした差――
犬崎は、すぅ、と小さく息を吸い込むと……
「ガアァアアアアアアッッッッ!!!!!!!」
まさに野獣、といった感じで咆哮した。
家中がビリビリと振動し、リビングの窓にヒビが入る。
それを目前にした母親は口から泡を吐き、白目を剥いて崩れ去った。
「もういいぞ、未夜」
犬崎に言われ、ゆっくりと目を開ける未夜。
「リサちゃんのお母さんは、大丈夫なんですか?」
「気を失ってるだけだ、問題ない」
ガムを1枚口に放り込み、銀髪をガシガシと掻きむしる。
「大丈夫? リサちゃん」
声をかける未夜だったが、当のリサは泣きつかれたのか、グッタリとしていた。
「……チッ……」
犬崎はリサに近寄ると、声をかける。
「ガキが1人で、なんでも抱え込むんじゃねーよ。オラ」
「ひっ……!」
変わり過ぎた犬崎を見て、小さな悲鳴を上げるリサと「怖がらせないでください!」と怒鳴る未夜。
「馬場の交通事故だがな、ウラは取れた。呪いでもなんでもねぇ、原因は運転手の居眠り。現在ソイツは警察署に出頭して、檻の中だ」
「……えっ……?」
「つまり、呪いなんざ無かったって事だ。たまたまの偶然だったんだよ、全部な」
「よかったね、リサちゃん」
「だがな……」
ズイ、とリサに接近して言葉を続ける犬崎。
「オマエに全く原因がねぇワケじゃない。母親が間違っていたのなら、何故直してやらねぇ? イジメられるのが嫌なら、何故抵抗しねぇ?」
「…………それは…………」
「全ては、オマエの弱さだ。初めから諦めてんじゃねぇよ。負けを認めてんじゃねぇよ。もがいて、もがき抜いて……そっからだろうが」
「……犬崎さん……」
「オマエもいい加減、その呪縛から解き放たれろ」
犬崎は、リサの頭を乱暴に撫でる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
そしてリサも、再び涙を零しながら頭を下げたのだった。
――後日。母親は自分のやった事を反省したようで、その後リサに暴力を振るう事はなくなったらしい。学校でもイジメがなくなり、リサは今、児童カウンセラーになるべく受験勉強を頑張っているそうだ。
事件を解決させ、すっかり遅くなった夜道を進む犬崎達。
「でもまさか……こっくりさんの呪いが、リサちゃんが起こしたものだったなんて」
ふぅ、と溜め息をつく未夜。
「実際、呪いとかってあるんですかね? こっくりさんって実在していたんですかね?」
「こっくりさんは、オカルトゲームを契機に発症した集団ヒステリーだという説もある。自己暗示であったり、感応精神病を引き起こすなどと言われたりな。動物霊であるという話や、焼け死んだ子供の霊だという話もあるが、本当の所は誰も知らねぇ」
まぁ、解明しようなんつー奴もいないだろうがなと犬崎は補足した。
「イジメにしても、いつまでも無くなりませんよね。悲しいです……」
「おそらく100年経っても、この問題は無くなってねーんじゃないか? 俺達がそれに対して、どうこう出来るモンでもないしな」
「それは、そうですけど……」
「とりあえずは、目先の事だ。成功報酬も入るし、明日は豪勢に焼き肉でも……」
「報酬ですか? 私がリサちゃんに断っておきましたから。先にもらったお金も、返しましたし」
「はぁああぁ?! オマエ、な、何してんだよ?! 取り返してこい! あれは既に俺の金だぞ?!」
「中学生からお金を貰って、タダですむと思ってるんですか? 問題あるんじゃないですかね」
「ぐっ?! そ、それは」
「バレたらヤバいんじゃないんですか? 営業停止になっちゃったりして」
「ぐぅうぅう……!!」
「私は犬崎さんの事を想って、そうしたんです。感謝して欲しいくらいですよ」
「オマエ……ッ! 初めから、その事に気付いてて……ッ!」
「でも安心して下さい。明日は私が腕によりをかけて御飯を作ってあげますから。何か食べたい物はありますか? ちなみに高い物はダメですよ?」
満面の笑みを浮かべる未夜の隣で、激しく落ち込んでみせる犬崎。
(高級ディナーのつもりだったのに……ちくしょぉおおおおッッ!!!!)
犬崎の平穏は、当分先の事となりそうだ。