糸を紡ぐということ
それから数日の間、蜘蛛男の姿をぱったりと見なくなった。僕は自分のことのように心配になった。蜘蛛は糸を紡いで巣を作り、そして獲物を捕らえて生活することを生業としている。つまり、糸をうまく紡ぐことができなかったら、それは死なのだ。
眼前に広がるベランダの窓、そこから見える様々な生活の営み。世間話に花を咲かせる主婦たち、小走りに駅へ急ぐサラリーマン、その所作が光を吸い込み、そして吐き出す。社会というものは、往々にしてそういうものなのだ。
僕はベランダに出た。冷気の薄化粧を纏った肌に夏の日差しがちくちくと突き刺さる。上下左右様々な角度からベランダを見回す。あった。ベランダの右の隅っこに蜘蛛の巣がある。蜘蛛の巣はちょうど日の当たらない日陰にひっそりと作られていた。蜘蛛の姿はない。蜘蛛のいない蜘蛛の巣。あれほどの糸の量をあれだけ複雑な曼荼羅図のように組み上げる労力は計り知れない。しかし、蜘蛛のいない蜘蛛の巣に何の価値があるのだろう。
宿命的結果としての蜘蛛の巣。そう、必死に糸を紡ぎ、それを広げ張り出す。これは宿命だ。蜘蛛男という男は、どこにでもいる平凡な男であり、そして自分自身なのだ。
無造作に並べられた言葉にまとまりがないので、後々書き直します。