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1-(2) ホームセンター


昨日、朝食を取っている時。


おばあちゃんは急須からお茶を注ぎながら



「ねえ、みずきちゃん。今日は何か予定でもあるのかしら?」



と私にたずねてきた。


こんな会話は普通にされているのかもしれないが、

私たちはめったに話さないから、すこし驚いた。



「何にもないよ。おばあちゃん、


 どこか行きたいところでもあるの?」



おばあちゃんは両手で湯のみを支えてゆっくりお茶を飲んでから、


小さな庭をガラス越しに見つめて



「ホームセンターというのかしら?


 そこに行きたいのよ」



と言った



「ホームセンター?


 いいけどそんなところで何か買うの?」



「ええ。ちょっとお花を植えようかと思って」



「花って、今冬だよ?大晦日だよ?」



「いいのよ」



おばあちゃんはにっこりとほほ笑む。


仕方ない、一番近くのホームセンターに行くにしても、


車で行かないと大変だから。



「分かった、いいよ。そうしよう。


 ついでに、スーパーも寄って年越しそばとおせち買ってこないと」



「そうね。今年はちょっぴり贅沢なおそばにしましょうか」



贅沢にという言葉に少し反応してしまった。


もちろん喜んでという意味ではない。


普段日常的に行っていないことをすると、


真夏に雪が降るとか、雨が槍になるとか、


そういうたとえをする。


そして、それは決していいたとえではないように、


私にとって贅沢という言葉は決していいものを連想させない。



「いいねそれ。天ぷらとか乗っけちゃおっか」



そう、おどけて口にはしてみたものの、平坦だ。


私は目玉焼きを箸で持ち上げ、白いご飯の上に置く。


おばあちゃんはゆっくりとお茶を飲んでため息をつく。



この人は知っているはずだ。


私がその言葉に対して。


いや、その言葉に対してというよりも、


日常的ではないことに対して、敏感に反応してしまうことを。



ただの偶然に過ぎないのだろうか。




どこかの家でラジオを聞いているのか、明るく弾むような声が聞こえてくる。


しかし、何と言っているのかは早くて聞き取れない。


その意味の持たない音は果たして何のために発せられているのかと問いたくなるほどに。


そして、その音を言葉として理解したとしても、


あたしの問いに答えをくれるはずもない。



「そういえば、みずきちゃんはお友達と初詣行く約束はしているの?」



ラジオに気を取られていた私はワンテンポ遅れて答えた。



「してないよ」



「そう」



それにしても、私はこういうおばあちゃんの肯定的な言葉の選択が好きだ。


些細なことといえばそうなんだけど、


何事もそういう小さな積み重なりで人柄の善し悪しが決まるんだと思うから。




それから私たちは朝食を食べ終えると、


部屋の掃除を一通り済ませ、車に乗り込んだ。


大手のホームセンターとはいえ、


こんな田舎からすぐにいけるような場所に店舗はなく、


車で30分はかかる。


渋滞なんて車の数が少なすぎて無縁な場所だから、


ストレスがたまることはないのだけど。




静まりかえる車内に、エンジンの音が響く。




普段から私たちはお互い口数が多い方ではないから、


あまり言葉を交わさない。


昔からだから、今ではそれは当り前になり、空気の重さも感じない。



しかし、何故か今日はいつもよりおばあちゃんの口数が多い気がした。



「みずきちゃんはローマの休日を見たことがある?」



急にそんな話を持ちかけてきた。



「ローマの休日?


 見たことあるよ。


 有名な名作映画じゃない。


 それがどうかしたの?」



「最後のところは覚えている?」



「もちろん。アンとジョーがお互いの立場を


 わきまえた上での別れのシーンでしょ?」



「そうね。アン王女とジョーが別れた後、


 ジョーが最後までその場にとどまり、


 その後ゆっくりと歩いて行くところ」



「本当に最後のところだね」



ローマの休日というのはアン王女という英国の王女と、


新聞記者ジョーの恋物語だ。


最後にアンは王女として、


ジョーは新聞記者としての立場を考え、


お互いに向き合う。


そして、王女としての言葉だけを残して、


その場を去っていくアン。


それを見た他の報道関係者が次々と会場を後にするが、


最後までジョーはその場にとどまる。


あたりが静けさに包まれたころ、


ようやく出口へと歩きはじめる。



ゆっくりと時間をかけて。




「その長いセリフのない時間に、


 もしかしたら追いかけてくるんじゃないかって


 期待させられるでしょ?」



「させられる。正直来ると思ってたもん。


 ハッピーエンドで終わりそうな雰囲気あったじゃない」



「私もよ。始めてみた時は…そうね、


 14くらいだったから、その時の私も期待していたの」



「あれは脚本家の人がすごいよね。


 名前はなんて言ったっけ…」



「私も今では忘れてしまったわね。


 昔は覚えていたのに」



二人して、人の名前をすぐに忘れてしまうことに笑った後



「でも急にそんな話して、どうしたの?」と聞いてみた。



「今思いだしただけなのよ」



そう言って、おばあちゃんはいつものように笑顔で言っていた。



前を見つめていたしわの寄った目は傾き、


遠くの山を見つめている気がした。



そして、少しの間を置き



「それもやっぱり追いかけてはこないのだわ」



何故そんな話を唐突にし始めたのかは分からない。


でも、その最後の言葉はどこかあきらめと、


悲しみが込められている気がしてならない。


それも、映画の中の二人ではなく、


現実世界に存在するものと重ねている。



そんな気がした。





いくら今日が珍しい日であるといっても、


さすがに渋滞に巻き込まれることはなかった。


ホームセンターにつくなり、


「大きいのね」と驚いていたおばあちゃんにとっては


珍いことが追加されたのだろうけど。



「花を買いたいんだっけ?」



「ええ、そう」



「じゃあ、あっちの方かな」



少し小さめのカートを押しながら、


本館の隣にあるビニールハウスが3つほど並んだ


植物館なるもののところへ移動した。



植物館とは大層な名前だと思っていたのだが、


そこに足を踏み入れるなり、


驚きを隠せなかった。


ほんとうに植物館なのだ。


木から花からとにかく色んな種類があり、


売るために置いてありますというより、



「きれいに展示してあるこの中から好きなものがありましたら、


 順序の最後におみあげコーナーがございますので、


 そちらの方でお買い求めください」



という感じなのだ。


いや、もちろん順序も、


おみあげコーナーもないのだけど。



「どういう花がいいとかあるの?」



近くに並べてあった安い花を手に持ちつつ、聞いてみた。



「そうね。向日葵がいいわ」



「向日葵ねえ。でも帰ってすぐ植えることはできないみたいよ?」



「そうなの?」



「そうみたい。だって、種を植える時期は


 5月から6月みたいだし。後半年後ね」



おばあちゃんは少し残念そうな顔をしていたけど


「それでもいいわ」といって、


何種類かの向日葵の種の中から、熱心に選んでいた。



「大きいのがいいかしらね。やっぱり」



そんな発言に少し驚き



「え、向日葵って大きいんじゃないの?」



と声を多少荒げて聞いてしまった。



「違うのよ。今は小さいのもあるみたい」



二つの、大きさの違う向日葵の種を私に渡してきた。


確かに、品種改良されているようだ。



「前からこんなのあったっけね」



花なんて見るだけで、詳しい種類とか新種とか、


全く分からなかった。


まさか、向日葵がミニチュア化されるなんて、


昔の人には信じられないことでしょうに。



「どうしようかしらね」



おばあちゃんは真剣に悩んでいるのだが、


あたしはやっぱり大きい方が、純血というのも可笑しいのかもしれないけど、正当で、


小さく品種改良されたものは向日葵じゃない気がした。


それでも、小さな向日葵の方が家の小さな庭にはぴったりな気がするのも事実だった。



「じゃあ、両方買ってこうよ。


 ちっちゃい向日葵も見てみたいじゃない?」



それが一番いいのだ。安いんだし。



「それもそうね」



結局、あたしの一存で両方買って育てることにした。


一存とは言っても、大したことはないが、


何故だか響きがいい。



ちょっと誇らしく小さな向日葵を迎え入れてやれそうだ。



「他の花も買っていく?


 可愛い花いっぱいあるよ」



「お家に帰って飾れるのにしましょう。


 この向日葵はまだ見られないからね」



「それもそうだね」



「ここで花束を作ってもらえるのかしら?」



それはさすがに違う場所のような気がした。


明らかにこの植物館に置いてある花は全て、足を土に突っ込んでいたから。



「そういえば、ここに来る途中に花屋さんがあった気がするよ」



本館の方に、花束なんかをつくってくれるコーナーがあったのを思い出し、


大小の向日葵の種を購入したあと、そこに行った。



その場所は、見渡す限りに色鮮やかな花が生き生きと置かれている、


とても清々しい場所だった。



真っ赤なバラはガラスの向こうに凛と澄まして立っているし、


ピンクのチューリップからは、カラフルな色の水が滴り落ちてきそうだ。


ガーベラは今か今かと空に飛び立って行きそうなのに、


胡蝶蘭はそれとは正反対にしっくりとその場に溶け込んでいるのを感じた。



いずれにせよ、その場にある花はどれも、


自らを他の花と無意味に比べたりもせず、


堂々としていた。



それはまるで人間の生きる世界から遠い、


どこかの楽園にいるかのような錯覚を私に与えて、


そして、



その感覚は小さいころ、両親と三人で見に言った小さな舞台を無意識に思い出させた。







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