1-(1) 幸せな日々はどこに
緑色のカーテンから霞んだ光が差し込む。
淀んだ部屋の空気は少し息苦しい。
それでも、まだ体のだるさが残っていて起き上がる気が出てこない。
そんな当たり前の朝になるはずだったんだ。
今日も。
いつもと変わらぬように扉の向こう側からやかんの汽笛の音がして、
パタパタと擦るようなスリッパの音が聞こえ始めて、
少しすると食器を机に置く音がするんだ。
そして、独特な足音が扉に近づいてきて、コンコンって礼儀正しく扉を叩く。
「みずきちゃん?起きているんでしょ?ご飯食べましょう」
そうやって、小さく女性らしい声であたしを呼ぶの。
この言葉を聞くとあたしはとても安心するんだ。
あたしのことちゃんと理解してくれて、分かってくれているんだって思えるから。
声色を聴きとっただけで、ふわりと暖かい風が心に舞い込んでくるみたいな不思議な声の、
優しい表情が思い描かれる。
「うん」
返事をするあたしも、優しい顔をしているといいな。
って思いながら起き上がる。
そして、扉を開けると、目の前にはやっぱり優しい顔をした、おばあちゃんがいる。
あたしのたった一人の家族がいる。
はずなんだ。
今までずっとそうだったように、そこには優しい人がいるはずなんだ。
でも、暗く淀んだ部屋のベッドに未だあたしは寝そべっている。
やかんの汽笛も、スリッパの擦る音も、ノックも、言葉も、何にも聞こえてこない。
それだけで、あの時の恐怖が蘇る。
幼いころに感じた恐怖が。
血の気がどんどんなくなっていくのが分かる。
目の前が歪んできて、肌が何にも感じなくなる。
あたしは、無理やりふらつく頭を持ち上げ、起き上る。
そして、扉を開けると、そこには昨日の夜のまま何にも変わっていない部屋があった。
心なしか、全てが霞んで見える。
二人用の小さなちゃぶ台も、二枚の座布団も、台所も、主人を失って古びてしまったのか。
「お…ばあ…ちゃん?」
上手く声が出せない。
それでも、狭いこの家のどこにいたって聞こえるはずだ。
返事がどこかから聞こえてくるんじゃないかって、耳をそばだてる。
でも、冷蔵庫の音とか、隣の家のガスの音とかしか聞こえてはこない。
どこかに出かけているだけ?
いや、違う。
おばあちゃんは何も言わずにいなくなったりなんかしない。
あたしのことよく分かっていてくれている人だから。
絶対にない。
そうだ、靴を見に行こう。
狭い廊下を歩いてすぐのところにある小さな玄関にはしっかりと靴が二つ。
並んでいた。
「なん…で…?」
どうして靴が残ってるの…?
なんでいないの…?
あたしは何度も壁にぶつかりながら、扉と言う扉を全て開けた。
おばあちゃんの寝室には、布団すら引いていない。
トイレにもいない。
お風呂にもいない。
台所にもいない。
探す所なんてほとんどないのに、息が上がって苦しかった。
どうしよう。どうしよう。
どうしよう。どうしよう。
どうしよう。
急に足の力が抜けてそのばに座り込んでしまった。
「どうしよう…おばあちゃん…」
この状況に陥る一日前。
それは普通の生活だったじゃない。