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ROME

 マリオは朝から興奮していた。仕事も手につかず、何をやっても上の空である。日本人の僕にはととも想像できないが、イタリアの男はこれが当たり前なのだそうだ。


「ヨシ、今日はロマニスタにとって大事な日なんだ」

 マリオはまくし立てた口調でさらに続ける。


「日本人のお前には理解できないだろうが、生っ粋のイタリア人、いや、ロマニスタなら誰でもそうだ。カルチョはイタリア人の一部、そしてローマは我等ロマニスタの一部なんだ。それが大一番ともなれば仕事なんてみんなそっちのけさ」


 僕がこのローマにバリスタの修行に来て2年。カルチョ、日本で言うところのサッカーは、彼等にとって生活の一部である事は実感していた。ローマのサッカーファン達は、週末にはいつも沸き立っている。大きいとは言えないバールにも、水曜日を過ぎたあたりから訪れる客の話題はサッカー談議一色に染まる。今週もそうだ、目前に迫った地元サッカークラブと優勝の行方を占う強豪クラブとの対戦を控え、客の話題はその話でもちきりだ。

 マリオはこのバールのオーナーでもあり、ローマで生まれ、ローマで育ち、ローマを愛してきた。そんな彼であるからこそ、この店はロマニスタ達で賑わう。しがないバリスタ見習いとしては、いかんともしがたい事なのだが、それでもお構い無しだ。

 僕が生まれたのは日本の大阪である。日本ではサッカーより野球の方が人気が高い。タイガースと言う人気の球団があり、僕もその球団のファンでもある。サッカーは最近人気が上がり始め、日本代表が活躍するにつれて国内での人気がようやく高くなってきた程度なのだ。その為、もっぱら国内での人気は地元サッカークラブより日本代表の試合に集中していた。先に行われたフランスワールドカップの試合で惨敗した日本代表を見たとしても、未だ日本と世界の壁は歴然だった。野球の試合はシーズンに入れば毎日のようにやっている。優勝を占うなどシーズン終盤にならなければ、新聞紙の一面に踊り出る事などほとんどと言ってもいい程ない。


「マリオ。日本にも野球ってのがあるけど、そこまで生活の一部にはならないよ」


「それは日本人には野球に対する愛がないからさ。ヨシ、お前の言うタイガースってのは、どれだけ人に愛されているんだい?」


 僕はその答えに困った。確かにタイガースのファンではあるが、愛しているなどと、恋人のような感情を抱いた事なんてなかった。


「そこが日本人の冷めた所なんだ。全ては人生の一部であり、人生は全てを懸けて始めて活きるんだ。お前も一人前のバリスタをめざすなら、それを見習え。そうすれば、俺達イタリア人の心がわかる」


講釈を述べるマリオの顔は、何かを達観したように誇らしげだ。僕は確かにバリスタになる為にイタリアに来た。親に泣きつき、勤めていた会社に泣きつき、無理を通してこの場所にいる。果たして、僕は何かを懸けてここにいるのだろうかと、自問自答してしまう。


「ヨシ? どうした? 何を悩む? 日本人は物事を深く考え過ぎなんだ」


 僕をみて落ち込んでいたと思ったのか、マリオは僕の肩を叩いて心の中を口にした。


「そんなに考えてはいないよ。マリオ、僕にだって日本人としての誇りはある。それに、それとこれとは別の話だろ?」


「ノン! ヨシ、同じだよ。価値観は人それぞれだけど、懸けるモノは同じさ、ヤツを見てみろ!! お前と何が違う?」


 マリオは、テレビに映っていた一人の日本人を指差し、僕に問い返した。その日本人は僕と同じ頃、イタリアにやって来たサッカー選手であった。彼は、昔イタリアに来たサッカー選手の日本人とはどこか違っていた。二人の日本人サッカー選手を比べれば、独特の雰囲気は醸し出していたが、決め手となる何かが別の色を放っていた。ワールドカップで特に活躍した選手でもないのに、何故かビッククラブと呼ばれる地元サッカークラブの選手としてイタリア人すら一目置かれる存在感をもっていた。


「何って」


 詰まった言葉を出した僕に、マリオは蓄えた髭を撫でて息をつく。


「ヨシ、それはな、ヤツはジョカトーレとしての自分を懸けて戦っているんだ。その証拠にヤツはローマの、いやカルチョの全てが自分の相手なんだ。俺達ロマニスタも、監督もチームメイトでさえもな」


「それじゃ、僕は……」


「分かっているじゃないか、お前はまだバリスタとしてここにいるだけだ。バリスタとして、イタリア人と戦っていない。だろ?」


確かに僕はバリスタの修行でここにいる。たが、バリスタとしてイタリア人と戦うなんて事は考えた事もなかった。一種の覚悟なのだろうか、今まで考えもしなかった事を当のイタリア人であるマリオの口から語られるとは何たる不覚だったのだろう。

試合が始まる三時間前には、バールの中は満席になっていた。ロマニスタ達は皆、口々に歌を歌い、その場にいない選手達を鼓舞する。そして、試合の幕が開けると興奮は頂点に達する。試合の様子を移すテレビは店の視線を集めていた。僕もその一人となって、日本人サッカー選手の行方を追った。


 彼の足から放たれたボールがなだらかた孤を描き、ゴールネットに鋭く突き刺さる。


『よっしゃぁ!』


 イタリア人達には何を言ったか解らなかっただろうが、僕には何となく解っていた。繰り返される彼のゴールシーンで、彼の口元はそう動いていた。


 その瞬間、バールの客達の興奮は歓喜の坩堝と化した。


「懸けるものか……」バールの片隅で片付けをする僕はそう呟いていた。マリオは、まだ客達と今日の試合について話を咲かせている。


人生とは全てを懸ける戦いなんだ。遠い異国の地で、遥々やってきた日本人の僕は心に思いを馳せた。

初めての投稿作品になります。日本人サッカー選手はあのサッカー選手です。

テレビの試合は予想してみて下さい。わかればマニア認定します。

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