王都の門が見える距離で、俺たちは“勝てない敵”に遭遇した
第2部「王都編」へようこそ。
この物語のルールは、たったひとつです。
眠る前に、大切な記憶をひとつ捨てれば、翌日、生き延びるための力を得る。
けれど、その力は祝福ではなく――昨日までの自分を、確実に削っていく代償です。
主人公の隣には、問い詰めないのに、忘れない少女・セリス。
足元には、世界そのものを拒むように鳴く、小さなドラゴン。
そして――
彼らが“中心”へ近づくほど、世界は優しくならない。
王都は、救いの場所ではありません。
ここは「答え」が眠る場所であり、同時に「観測」が最も濃くなる場所です。
どんな思い出を捨てれば、どんな力が得られるのか。
それを知らなければ、次の敵には勝てない。
知ったとしても、捨てた瞬間に――その痛みだけが残る。
今話は、そんな王都編の入口です。
王都に入る前に、まず“勝てない敵”が現れます。
その敗走が、旅の目的を決める。
もしよければ、ここで一つだけ、あなたにも問いかけさせてください。
あなたなら、生きるために何を捨てますか?
そして、捨てずに守りたいものは何ですか?
続きが気になったら、ブックマークで“帰り道”を残してもらえたら嬉しいです。
それでは――王都編、始めます。
王都へ向かう朝は、森の霧が薄かった。
薄いのに、肌に張りつく冷たさだけは残っている。息を吸うたび、喉の奥が少しだけ痛んだ。
足元で、幼いドラゴンがきゅと短く鳴いた。
合図みたいな声。嫌な予感の輪郭だけが、先に立つ。
セリスは荷袋の紐を締め直し、俺の方を見ないまま言った。
「私も行く」
その声に、迷いはなかった。
「王都には医療院がある。……それと、書庫」
「書庫?」
「記憶障害の記録が集まるって聞いたことがあるの。症例とか、呪いとか。……あなたの“仕組み”に似たものがあるかもしれない」
“あなたのため”と言い切らないところが、セリスらしい。
自分の足で、目的地を選ぶ。
「それに、王都の市場、見てみたい。……森の中じゃ、服も靴も、ずっと同じだし」
その言い方が妙に可愛くて、俺は返事を遅らせた。
「……分かった」
「じゃあ、決まり」
――この世界で生き延びる方法を、俺はひとつしか知らない。
眠る前に、大切な記憶をひとつ捨てること。
捨てた記憶の重さに比例して、翌日、俺は人ではありえない力を得る。
剣の扱い。距離の読み。生き残るための判断。
だがその代償として、昨日までの自分が、少しずつ削れていく。
名前。思い出。誰かと過ごした時間。
守れなかった記憶は力に変わり、守り続けたものは、いずれ“候補”になる。
それでも俺は捨てることを選んできた。
生きるために。守るために。
隣には、すべてを知らないまま同行する少女がいる。
彼女は問い詰めない。だが、忘れない。
そして足元には、世界そのものを拒むように鳴く、小さなドラゴンがいる。
強くなるほど、人間でいられなくなるこの世界で。
俺たちは今、「観測される中心」――王都へ足を踏み入れようとしていた。
最初に壊れたのは、音だった。
剣が風を切るはずの音も、ドラゴンの羽ばたきも、セリスの呼吸も――
すべてが、途中で削り取られたみたいに消えた。
「……来る」
俺の喉が、勝手にそう形を作った。
霧の向こう、街道の中央。
石畳が、ぐにゃりと沈む。
水じゃない。
影だ。
影が、立ち上がった。
人型に近い。
だが、肩の位置がずれている。脚は四本に見え、胴体の中心が曖昧だ。
黒い外套を纏っているようで、実際には“外套そのものが肉体”だった。
表面を走るのは、赤黒い紋。
脈打つたびに、**ずる……ずる……**と湿った音がする。
――黒脈重兵。
名前が、頭に落ちてくる。
覚えた記憶はない。
それでも、理解だけが先にある。
まただ。
俺は、“覚えていないはずのこと”を、知識ではなく結論として知っている。
同時に、ひとつの答えが出た。
今の俺では、倒せない。
「セリス、下がれ!」
叫ぶより早く、敵が動いた。
歩いたのではない。
石畳の上を、滑った。
距離感が壊れる。
一瞬前まで二十歩先にいたはずの影が、もう目前にいる。
「――っ!」
剣を振る。
刃は当たった。確かに当たった。
だが、切れない。
刃が影に沈み、吸われ、
次の瞬間――弾き返された。
ぎんっ、という音と同時に、腕が痺れる。
骨の奥まで冷たい衝撃が走り、膝が折れかけた。
「……剣、効いてない!?」
セリスの声が裏返る。
敵の腕が振り上がる。
拳、というより塊。
赤黒い脈が浮き出たそれが、空気を押し潰す。
ごうん――!
衝撃波。
地面が砕け、石が舞い、
俺とセリスは吹き飛ばされた。
背中を打つ。息が抜ける。
口の中に血の味。
「っ……!」
ドラゴンが飛び出す。
小さな体で、敵の影に噛みついた。
きゅううう――!!
拒絶の鳴き声。
空気が歪み、影の動きが一瞬だけ止まる。
だが――
「無駄だ」
低く、乾いた声。
影の中から、人の声がした。
次の瞬間、ドラゴンが弾き飛ばされる。
「――ッ!!」
俺は立ち上がる。
剣を構え、風を纏わせる。
《風歩》――踏み込む。
距離を詰め、横薙ぎ。
《裂剣・一文字》。
だが、刃はまた沈み、
今度は――絡め取られた。
影が剣を伝って、俺の腕に這い上がる。
冷たい。
血が逆流する感覚。
「……っ、来るな!」
振り払う。だが遅い。
影が、俺の胸に触れた瞬間――
記憶が、引きずられた。
実家の玄関。
靴を脱ぐ音。
「おかえり」という声――
「やめろ!!」
叫ぶ。
その瞬間、セリスが前に出た。
「――離れて!!」
短剣が飛ぶ。
狙いは影の“核”。
だが、短剣は途中で溶けた。
じゅ、と嫌な音。
金属が、意味を失う。
「……なるほど」
影が言う。
「この個体は、“記憶を捨てる型”か」
背筋が凍る。
「だが――」
影が、一歩踏み出す。
「対応表が未完成だ」
理解した。
こいつは、
「どんな記憶を捨てれば、どんな力が出るか」を知っている。
俺は、知らない。
だから――勝てない。
「セリス、走れ!!」
ドラゴンを抱え、セリスの手を掴む。
全力で、王都の方向へ。
背後で、重い音。
影が追ってくる。
地面が削れ、石が砕け、
空気が、悲鳴を上げる。
肩に、衝撃。
鈍い音。
肉が裂ける感触。
視界が赤く染まる。
「……っ、門が!!」
王都の城門が、見えた。
その瞬間――
影が、止まった。
「今日は、ここまでだ」
冷たい声。
「調べてこい。
何を捨てれば、何が得られるのかを」
影が、霧に溶ける。
残ったのは、
崩れた街道と、俺たちの荒い息だけだった。
衛兵の視線と、人の気配。
それだけで分かる。
――あの影は、ここまでは来ない。
俺たちは門をくぐった。
門の内側は、別の地獄だった。
人波が押し寄せ、怒号と笑い声が交じり合い、
俺の耳の奥には、まだ衝撃音が残っている。
俺たちは路地へ逃げ込み、壁にもたれて息を吐いた。
背中の傷が呼吸のたびに焼ける。
セリスの指は、まだ俺の袖を離さない。
「……今の、何?」
「黒脈重兵」
口にした瞬間、ぞっとする。
なぜ俺は“それ”を知っている。
なぜ、分類できる。
「勝てるの?」
「……今は無理だ」
セリスは短く息を吐いた。
「なら、調べよう。王都で」
門の向こうの王都は、
戦いの匂いとは別の匂いを持っていた。
焼きたてのパン。
香草のスープ。
炙った肉の脂。
甘い果物酒。
音も違う。
車輪のきしみ、呼び込みの声、笑い声。
金属が触れ合う音。
生活が、ここでは生きている。
露店の前で、セリスが立ち止まった。
丸いパンが積まれ、表面が香ばしく割れている。湯気が立つ。
「……これ、食べていいの?」
聞き方が、妙に控えめで可愛い。
俺は金貨を一枚出した。
売り子が笑い、パンを紙に包んで渡す。
セリスが両手で受け取り、湯気に顔を近づける。
ぱっと表情がほどけた。
「……あったかい」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛む。
“美味しい”という感覚が、どこか遠い。
なのに、彼女の反応だけは、眩しいほど分かる。
セリスが一口齧る。
さく、ふわ。
目が少しだけ潤む。
「……すごい。森の乾パンと、別の食べ物」
俺は笑いかけて、うまくできないことに気づく。
セリスが、パンを半分に割って差し出した。
「ほら。食べなよ」
俺は受け取って齧った。
温度と香りは分かる。
でも、味の輪郭が薄い。
セリスはそれを見逃さない。
でも言わない。
代わりに、明るい声で言った。
「王都、良い。……服も買えるし。靴も。ちゃんとした宿も」
その“ちゃんとした”が、なんだか可笑しくて、俺は少しだけ笑えた。
足元でドラゴンが、露店の匂いを嗅いでいる。
肉串に鼻先を近づけ、きゅと小さく鳴いた。食べたいらしい。
「……だめ」
セリスが即座に言う。
「そんな目で見てもだめ。これは人間の食べ物」
ドラゴンは不満そうに尾を振った。ぱた、ぱた。
セリスが笑い、売り子に小さな干し肉を頼む。
ドラゴン用の一欠片。
ドラゴンが喜んで噛みしめる。かり。
その光景に、俺は思う。
セリスは“守られる人”じゃない。
こういう瞬間に、自然に仲間を増やしていく。
俺が削っていく分、
彼女はこの世界とつながり続ける。
宿に入ると、湯の匂いがした。
木の床がきしみ、暖炉の火がぱちと鳴る。
部屋は狭いが、清潔だ。布団がある。それだけで贅沢に思える。
セリスが受付と軽く交渉し、二部屋取った。
「……別々?」
俺が言うと、セリスは肩をすくめた。
「一緒だと、あなた寝言で何か捨てるかもしれないでしょ」
冗談みたいに言って、核心を避ける。
その優しさが、ずるい。
ドラゴンは廊下の端で丸くなった。
浴室の前――見張る位置。
湯気が流れてきても、入ろうとしない。
俺はそれを見て、少しだけ安心した。
無防備な場所に、ドラゴンは入らない。入れない。
それでいい。
セリスが部屋の扉の前で振り返る。
「明日、医療院と書庫。あと、噂。黒い服の人たちの話」
俺は頷く。
「……俺も探す。王都の“規則”を」
セリスは笑った。
「じゃあ、今日は休む。削らない日」
扉が閉まる直前、彼女が小さく言った。
「それでも不安なら、ひとつだけ覚えておいて」
俺は聞き返せない。
「あなたが忘れても、私は“今”を覚えてる。……それで十分でしょ」
扉が閉まる。
胸の奥が、温かいまま、痛い。
夜。
俺はベッドに横たわり、天井の木目を見つめた。
眠る前に、いつもの“仕様”が喉元までせり上がってくる。
――捨てろ。
だが今日は、セリスの言葉を思い出す。
“削らない日”。
俺は、捨てない。
代わりに、ひとつだけ決めた。
明日から俺は、剣だけじゃ足りない。
王都は戦場じゃない。
言葉、噂、嘘、視線――見えない刃が飛ぶ場所だ。
だから、俺は“次に捨てる候補”を、今日のうちに選んでおく。
それが、俺の修行だ。
寝返りを打つ。
廊下の向こうから、湯の音がかすかに聞こえる。ちゃぷん。
セリスの気配。
ドラゴンの小さな呼吸。
俺は目を閉じた。
そして、王都の夜の匂いの中で、確信する。
この街には――
黒脈がいる。
黒衣がいる。
“観測する側”がいる。
俺たちは、ついに“中心”へ足を踏み入れた。
湯気が、木造の浴室に満ちていた。
湯の表面が、ちゃぷんと揺れる。
セリスは肩まで浸かり、静かに息を吐いた。
今日一日の疲れが、
指先から溶けていく。
髪をほどくと、濡れた髪が背に張りつく。
肩と鎖骨が、湯気の向こうでぼやける。
「……王都、か」
小さく呟く。
不安がないわけじゃない。
でも、それ以上に――知りたい。
彼は、どこまで削れているのか。
何を失って、まだ立っているのか。
湯の中で膝を抱え、
セリスは目を閉じる。
思い出すのは、
戦闘の直後に向けられた、あの視線。
遠いのに、必死で。
強いのに、どこか脆い。
「……放っておけるわけ、ないでしょ」
声は、湯気に溶けた。
外で、ドラゴンが小さく鳴く。
きゅ……
見張るような音。
セリスは微笑んで、湯をすくう。
湯気の中で、
ほんの少しだけ、頬が熱くなった。
それが湯のせいか、
彼のことを考えたせいか――
区別はつかなかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
王都編、いよいよ開始です。
もしあなたが「観測される街」に入ったなら、
強さより先に何を守りますか?
そして、何を捨てずにいられますか?
ブックマーク・評価は続きを書く力になります。
感想欄で「王都で起きてほしいイベント」も教えてください。
(王女救出? 書庫の禁書? 新仲間? ぜひ聞きたいです)
――百花繚乱




