表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/10

7:闇の戦い

 リッチとは、死を司る存在だ。

 屍喰鬼グールが歪な進化を遂げた末の姿なのか、それとも、生前から“死を超える資質”を備えていた者が至った境地なのか――答えは後者だ。あれは偶然生まれる怪物ではない。


 魔術書『逆さ十字の書』には、リッチを討つ術がいくつか記されている。


 第一は、“魂の器”を見つけ出し、それを破壊すること。


 屍喰の魔物とはいえ、魂が無いわけではない。屍喰鬼がたおれるように、リッチもまた殺すことはできる。だが、厄介なのはそこから先だ。多くのリッチは、己の魂を肉体とは別の器へと移している。

 なぜなら彼らにとって、“魂が肉体の内に縛られている”という状態そのものが、耐え難い屈辱であり、下等な在り方だからだ。


 あれほど舌の回らぬ声で喋るくせに、抱く哲学だけは妙に高尚だ。

 ――まったく、死に魅入られた者らしい矜持きょうじと言える。


 だが、この果てしなく連なるルクス山脈に隠された、魂の器を探すなど、現実的ではない。時間も、人手も、何もかもが足りない。


 となれば、残された手段は一つ。


 『逆さ十字の書』が示す、もう一つのリッチ討伐法。

 それを成立させる“鍵”を――キリエ様が握っている、《《可能性がある》》。


 確証ではない。

 保証もない。


 あくまで、可能性だ。


 だが今はもう、その可能性に賭けるしかなかった。

 それ以外に、夜を切り裂く術は残されていないのだから。


「反復術式……」


 小さく呟き、俺は息を整えた。

 指先に意識を集め、術式を展開する。淡い光の幾何が空中に浮かび、折り重なるように回転し始めた。


 反復術式。

 魔術を一定時間閉じ込め、術式の内壁で反射させ続けることで、効果を保存・維持するための技法だ。派手さはなく、実戦で使われることは少なく、だからこそ、俺自身も扱いに慣れてはいない。


 術式が安定するのを確認しながら、思わず首を捻る。


「……いけるといいが」


 独り言のように呟き、俺は歩き出した。

 リッチが消えた方角へ。闇がより濃く沈んだ、山の奥へ。


 草を掻き分け、枝を避け、足場の悪い斜面を下る。踏みしめるたびに湿った土が音を立て、夜気に混じって、腐臭とも薬草ともつかない匂いが鼻を刺した。

 この先に“工房”がある――そんな確信だけが、背中を押していた。


 やがて、視界の先に黒い裂け目が現れた。

 岩肌に穿たれた、不自然な闇。松明の光を吸い込み、吐き返さない口。


 洞窟だ。


 冷気が、洞の奥から這い出してくる。

 まるで死そのものが、息をしているかのように。


  俺は簡易的な照明術を起動させた。

 術式は短く、効率だけを重視したものだ。白い光球が俺を中心にゆっくりと軌道を描き、まるで衛星のように周回を始める。光は強すぎず、しかし闇を拒むには充分だった。


 鞘の中で眠っていた剣を、音を立てぬよう静かに引き抜く。

 金属が擦れるかすかな感触すら、今は大きな音に思えた。


 洞窟へ足を踏み入れる。


 内側は、外よりもはるかに冷えていた。

 岩肌は濡れ、天井から滴る水が一定の間隔で地面を打つ。その音が、まるで拍動のように洞内に反響している。


 進むにつれ、違和感が増していく。

 足元には古い骨――人のものとも、獣のものともつかない残骸が混じっている。砕け、噛み砕かれ、しかし完全には喰われきらず、捨て置かれた死だ。


 死体の使い残し。


 リッチの工房に近づいている証だった。


 さらに奥へ進むと、壁面に奇妙な痕跡が現れ始めた。

 黒ずんだ文字。血と煤で描かれたような、不格好な魔術陣。文法は破綻しているのに、理屈だけは正確で、嫌になるほど理性的だ。


「……やはり、ここか」


 息を潜め、光球を小さくする。

 光が広がりすぎれば、こちらの存在を知らせてしまう。


 洞窟はやがて広間へと開けた。

 天井は高く、中央には不自然な円形の空間。そこだけ、岩が削られ、床には幾重にも重なる術式が刻まれている。中心には、黒く乾いた血の跡――そして、その上に転がる、いくつかの失敗作。


 死体。

 腹を裂かれ、胸を穿たれ、それでも目的を果たせなかった器。


 ……キリエ様ではない。


 そのときだった。


 光球の一つが、何かを照らした。

 岩壁の影。そこから、ゆっくりと立ち上がる存在。


 骸骨の顔。

 黒い肉体。骨と影が縫い合わされたような姿。背後に伸びる、禍々しい魔力の糸。


 それは、こちらを見ていた。


「……来たか」


 屍喰王リッチ


 この山の死を束ねる者。

 キリエ様を奪った元凶が、静かに、こちらへと顔を向けた。


 そして、その禍々しい存在のさらに奥――

 揺らめく闇の向こう側に、銀の光があった。


 銀髪の人影。


 キリエ様だ。


 洞窟の壁に張り巡らされた黒い術糸に絡め取られ、宙に吊るされている。足先は地を踏まず、まるで供物のように扱われていた。

 目は開いている。閉じてしまえば楽だったはずなのに、彼女は現実から逃げず、ただそれを見据えてしまっている。


 その瞳に宿っているのは、紛れもない恐怖だった。


 呼吸は浅く、喉がひくりと動くたび、かすかな音が漏れる。叫びたいのに、声が出ない――そんな状態だと、一目でわかった。

 銀髪は乱れ、外套は裂け、幼い肩が小刻みに震えている。


 だが、それでも。


 完全に折れてはいなかった。


 俺と目が合った瞬間、キリエ様の瞳がわずかに揺れた。

 怯えの奥に、信じ難いほど微かな光が灯る。


 ――助けが、来た。


 そう思った顔だった。


 その表情が、胸の奥を締め付ける。


「……必ず、お助けします」


 誰にともなく、俺は小さく呟いた。

 それは誓いであり、同時に、ここで失敗すれば全てが終わるという宣告でもあった。


 その瞬間だった。


 闇が――笑った。


 骨が擦れ合うような、不快な音が空間に満ちる。湿った岩壁から、黒い影が迫る。

 それは人の形をしているが、人ではない。

 頭部は白く乾いた髑髏、眼窩の奥には緑がかった燐光が揺れている。黒衣のようにまとわりつく影は、肉ではなく死そのものだった。


「……オロカナル……」


 俺は即座に剣を正眼に構える。

 足は止めない。距離を詰める。考えるな。近づけ。

 魔術師としての理性が警鐘を鳴らす――近接戦闘は愚策だ。

 だが今は、剣しかない。


「キリエ様を――返せ」


 言葉と同時に、踏み込んだ。


 リッチの影が波打ち、地面から黒い腕のようなものが伸びる。

 俺はそれを斬り払う。

 刃が触れた感触は、肉ではない。濡れた布を裂くような、手応えのない抵抗。


 次の瞬間、背後から殺気。


 振り向く暇はない。体を捻り、剣を逆手にして突き出す。

 骨と金属がぶつかる音が洞窟に響いた。


 リッチの腕――白骨化した前腕が、刃を受け止めていた。


「……ッ!」


 衝撃が腕に走る。

 細い骨だ。脆いはずだ。だが、魔力で補強されている。

 人間の常識が通じない。


 リッチは一歩も退かず、逆に距離を詰めてくる。

 死臭が鼻を刺す。

 眼窩の奥の光が、俺を値踏みするように揺れた。


「……“シ”ヲアタエテヤル」


「黙れ!」


 剣を振り抜く。

 横薙ぎ。

 影が裂け、黒い霧のようなものが飛び散る。


 だが、致命傷にはならない。

 リッチは後退しながらも、身体を再構築するように影を集めていく。


 その間に、俺は位置を変える。

 洞窟の柱。岩壁。

 背後にキリエ様を置かない角度を取る。


 リッチが腕を振るう。

 影が鞭のように伸び、俺の脇腹を掠めた。


「ぐっ……!」


 鎧越しでも衝撃は重い。

 肺の空気が一瞬で吐き出される。


 だが、止まらない。


 俺は踏み込み、剣を突き立てた。

 狙いは胸――心臓の位置。

 意味がないと分かっていても、身体がそう動く。


 刃は黒い影に沈み込み、リッチの身体を貫いた。


 ――しかし。


 手応えが、ない。


 リッチは、笑ったように見えた。


「ムダ……ムダダ……」


 次の瞬間、強烈な衝撃が胸を打つ。

 骨の拳。

 身体が宙に浮き、背中から岩壁に叩きつけられた。


 視界が白く弾ける。

 剣を落としそうになるのを、必死で堪える。


 それでも、立ち上がる。


 血の味が口に広がる。

 だが、まだ動ける。


 リッチはゆっくりと歩み寄ってくる。

 勝利を確信した捕食者の歩みだ。


 その背後で――

 キリエ様が、必死に何かを叫ぼうとしていた。


 声は届かない。

 だが、その表情だけで十分だった。


 ――まだ、終わっていない。


 俺は剣を強く握り直す。

 この一振り一振りは、時間を稼ぐためのもの。

 本命は、まだ先だ。


「……さぁ来い、死神」


 俺は低く言い放ち、再び構えた。

 剣と死が、洞窟の奥で向かい合う。


 赤黒い術式が、洞窟の空気そのものを腐らせる。

 血と死を混ぜ合わせたような文様が、リッチの掌に浮かび、脈打ちながら形を整えていく。


 ――本命だ。


 直感がそう告げていた。

 これは牽制でも威嚇でもない。魂に直接触れ、削り取り、呪い殺すための魔術。


 俺は一歩下がり、キリエ様を背に庇うように立つ。

 背中越しに、彼女の浅い呼吸が伝わってくる。


「ノロイ……ノロイ……ノロイ……」


 呪詛が、言葉としてではなく概念として吐き出される。

 空間が歪み、視界が濁り、心臓の鼓動が一瞬遅れた。


 放たれた。


 赤黒い奔流が、蛇のように這い、一直線にこちらへ迫る。


 ――今だ。


 俺は歯を食いしばり、即座に術式を展開する。


「反復術式――!」


 空中に描かれた幾何学紋が、呪いを包み込む。

 術式内で魔術が跳ね返り、反射し、圧縮されていく。

 頭が軋む。視界の端が白く染まる。

 呪いは重い。想像以上だ。


 だが、耐えた。


 呪詛は術式の中に閉じ込められ、今は“保存された死”として脈動している。


 もちろん――

 これをそのまま撃ち返しても、リッチには効かない。


 それでも、構わない。


「……これは回路だ――キリエ様!」


 叫ぶように言った。


 背後で、はっと息を呑む気配。


「……は、はい!?」


 混乱と恐怖が混じった声。

 当然だ。今は状況を説明している余裕などない。


「お尋ねしたいことが! この山を……ヴァンダ家が治める以前に、居た、英雄はいますか!?」


 リッチがこちらを睨む。

 眼窩の燐光が揺れ、苛立ちを帯びた。


 これは賭けだ。

 歴史と記憶に基づく、ただ一つの可能性。


 反復術式の中で、呪いが不穏に脈打つ。

 長くは保たない。


 頼む――。


 キリエ様の声が、震えながらも続いた。


「……えぇ。この山のことを記した文献を、前に読んだことがありますから……たしか……」


 その一言で、胸の奥が熱くなる。


「狼の民と呼ばれた、民族の……首領……」


「名は!?」


 食い気味に問う。


 キリエ様は、はっきりと告げた。


「――“白狼のゴル・アリュード”」


 来た。


 ――回路は、これで繋がる。


 リッチが低く唸る。


「……ナニヲ……」


 揺らいでいる。

 確実に。


 俺は剣を構え直し、反復術式に意識を集中させる。

 今、術式の中にある呪いは、単なる死の魔術ではない。


 英雄の名を通すことで、“意味”を帯びる。


「ありがとう、キリエ様」


 短く告げ、前を向く。


「――次は、こちらの番だ」


 赤黒い術式が、英雄の名を得て、静かに形を変え始めていた。


 リッチを倒す、もう一つの方法。

 それは――生前の名を知り、それを“捩じ込む”ことだ。


 魂とは、本来、肉体と結びつくものだ。

 死を拒み、肉を捨て、なお存在し続けようとした者であっても、その根は変わらない。

 名とは、世界が個を認識するための楔であり、魂を定義する座標でもある。


 ゆえに、リッチがどれほど高尚な哲学を気取ろうと、どれほど魂を器に退避させようと――生前の名を知られた瞬間、存在は否応なく“かつての自分”へと引き戻される。


 それは呪いであり、祝福であり、逃れられぬ回帰だ。


 名を捩じ込まれた魂は、分離していた器から引き剥がされ、腐れ落ちた肉体へと縫い戻される。

 死を司る王は、その瞬間だけ、ただの“殺せる存在”に成り下がる。


 ――だからこそ、リッチは名を捨てる。

 ――だからこそ、名を知られることを、何よりも恐れる。


 そして何より、屍喰の王になるということは、生前、それなりに力を有した偉人であるということ。


 その名は、コツさえ掴めば、見つけ出すことができる。


 そして今、このルクス山の闇の底で、忘れ去られた名が、再び呼ばれようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ