27:強襲
「村を守るためにできた仕組みさ」
マーガルは、焚き火の中で崩れかけた薪を足先で押し直しながら言った。その声は強がりでも誇りでもなく、ただ長年そう言い聞かせてきた者のものだった。
「あたいらバミ村も、向こうのイゴ村もね。こうやって、生き延びてきたんだよ」
半ば諦めたような口調だった。
守っているのか、縛られているのか——その境目が、もはや本人にも分からなくなっている響き。
俺は、先ほどから引っかかっていた言葉を思い出し、慎重に口を開いた。
「イゴの村人が言っていた、“ハヴズ将軍”ってのは……一体、何者なんだ?」
「あー、それね」
マーガルは鼻で笑った。乾いた、どこか馬鹿にしたような音だった。
「昔話さ。百年以上も前、この村に現れた騎士様だよ」
そう言って、ちらりと俺を見る。
「ちょうど、あんたみたいな感じだったんだろうね。よそから流れてきて、腕が立って、言葉もそれなりに通じてさ」
「……それで?」
「最初は助っ人だった。沼の魔物を斬って、盗賊を追い払って、村を守ってくれた。だから皆、感謝したし、頼った。いつの間にか、“将軍”だなんて大層な呼び名までついてたよ」
炎が揺れ、その影がマーガルの顔に濃い皺を刻む。
「じゃあ、なぜ……そのハヴズ将軍は、この村に留まった?」
問いかけると、マーガルは少しだけ口角を上げた。
「そりゃ……じきに分かるさ」
わざとらしく含みを持たせる。その間が、嫌に長い。
「ハヴズは欲深い男だった。力もあって、信頼もあって、命令すれば人が動く。そうなると、人は次を欲しがるもんだ」
焚き火の向こうを見つめながら、マーガルは淡々と言葉を紡ぐ。
「隣のイゴ村の女たちを欲しがった」
そして、肩をすくめる。
「バミの男たちを率いて、夜明け前にイゴ村を襲った。奇襲だったらしい。抵抗もろくにできなかった。大勢の女が、この村に連れてこられた」
火が、ぱちりと弾けた。
「それから百年以上だ。イゴ村は、今でもそのことを忘れちゃいない。だから、ああして事あるごとに持ち出してくる」
なるほど。
イゴ村とバミ村の間に横たわる溝は、単なる資源や信仰の問題じゃない。
血で刻まれ、語り継がれ、正当化され続けた——百年分の、恨みと恐怖と諦めの積み重ねだった。
「仲良く握手ってわけにもいかないんだなぁ……」
マーガルはそう呟き、焚き火の赤を映した瞳を細めた。
「でもさ。あのお嬢ちゃんの言う通りだよ。ラミア様をぶっ倒せりゃ、イゴもバミも……何かは変わるに違いないさ」
そう言って、三本目の焼き魚に豪快にかぶりつく。
骨を気にも留めない食べ方は、どこか戦士らしく、そしてこの村の生き方そのものだった。
その夜、俺とキリエは、暖炉のあるこの居間にゴザを敷いてもらい、そこで休むことになった。
晩飯まで振る舞ってもらい、旅人としては破格のもてなしだ。
ぱち、ぱち、と薪が爆ぜる音。
火は落とされず、部屋には仄かな赤が残っている。
——そのぬくもりの中で、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
……だが。
下半身に、妙な重みを感じて、はっと目が覚める。
息が止まりそうになった。
視界に入ったのは、焚き火の赤を背にしたマーガルだった。
いつもの豪胆な笑みを浮かべ、距離の近さをまるで気にも留めていない。
「なっ——」
情けない声が喉から漏れかけた、その瞬間。
「しぃ」
彼女は人差し指を唇に当て、低く囁く。
「お嬢ちゃんが起きちまうだろ」
「……なんの、つもりだ」
俺の低い声に、マーガルは悪びれもせず肩をすくめた。
「ハヴズ将軍が、なんでこの村に留まったか——教えてやんよ」
彼女はそう言って、ぐっと距離を詰める。
「この村の女はねぇ……ちょっと《《そういう》》欲が強いんだ」
焚き火の赤が、彼女の輪郭を際立たせる。
「別に結婚しろって言ってるわけじゃないさ。契りも、誓いもいらない。ただ——欲しいと思ったものを、欲しい時にもらうだけ」
そう言うと、マーガルはためらいもなく俺の上半身に体を預けてきた。
分厚くて柔らかい胸の感触がはっきりと伝わる。
息が詰まる。
彼女の体温は高く、獣じみていて、そして生々しい。
そして——
「きゃああああああああああああ!!」
夜気を切り裂くような悲鳴が、居間に響き渡った。
「ルシアンが捕食されてるぅぅぅぅぅ!!」
完全に誤解された声だった。
跳ね起きたキリエの姿が視界の端に入り、次の瞬間、マーガルは愉快そうに「くっくっ」と喉を鳴らした。
「おっと」
彼女は名残惜しそうに、しかし素直に俺から身を離す。
焚き火の赤に照らされたまま、今にもこぼれ落ちそうだった胸元を、ゆっくりと引き寄せるように整え、
「ふぅ……」
一息。
まるで狩りを途中で切り上げた獣のような仕草だった。
俺はというと——
心臓がやけにうるさく、喉がからからで、頭の中が妙に白い。
捕食は免れたらしい。
「な、なにやってるの!?」
キリエが詰め寄ってくる。
頬を赤くし、剣の柄に手をかけているあたり、本気で“助けに来た”顔だ。
「ははは、安心しな。食っちゃいないよ」
マーガルは肩をすくめ、焚き火の向こうへ腰を下ろした。
「ちょっと昔話をしてただけさ。この村の——女の、昔話をね」
キリエは疑わしそうに俺を見る。
「……ルシアン?」
「……無事だ」
それだけ言うと、キリエは一瞬、言葉を失ったように黙り込んだ。
焚き火の赤が揺れる中で、彼女の表情だけが読み取れない。
そして次の瞬間——
「も、もう! そういうことはちゃんと説明してよ!」
思いきり頬を膨らませ、意味のわからない方向に怒りを爆発させた。
「なんか、すごく……すごく落ち着かないんだけど!」
俺は反射的に両手を上げた。
「ち、違う! キリエ、誤解だ。本当に何もなかった。マーガルが急に来ただけで——いや、来たのは事実だが、その……」
言えば言うほど、怪しくなる。
俺が言葉に詰まっていると、マーガルが面白そうに鼻で笑った。
「はは。安心しな、お嬢ちゃん」
焚き火の向こうで、肘を膝に乗せてこちらを見る。
「こいつ、びっくりするほど真面目だよ」
マーガルがそう言い残すと、焚き火がぱちりと爆ぜた。
火の粉が舞い、赤い光が天井の梁を一瞬だけ照らす。
キリエは腕を組んだまま、じっと俺を見ている。
その目に浮かんでいるのは、疑いというより——様子見だ。
「……ふぅん」
短く、素っ気ない相槌。
そのまま何も言わず、焚き火のほうへ視線を逸らした。
結局、マーガルは「邪魔者は退散だね」と笑いながら自室に引き上げていった。
居間には再び、焚き火の音と、夜の湿った静けさだけが残る。
俺とキリエ、二人きり。
ゴザは二枚敷かれていた。
居間は無駄に広い。余裕で剣の素振りができるくらいだ。
——なのに。
キリエは、自分のゴザをずるずると引きずり、俺のすぐ隣まで寄せてきた。
ほんの一腕分。いや、それよりも近い。
「キリエ?」
「寒いから」
即答だった。
そう言い切って、ゴザの上に横になる。
背中を向けるでもなく、仰向けでもなく、横向き。
俺のほうを向いて。
距離が、近い。
呼吸が分かる。
夜気を含んだ吐息が、耳元をかすめる。
「……」
「……」
しばらく、どちらも何も言わなかった。
やがてキリエが、小さく呟く。
「さっきの、本当に本当だよね。ルシアンは何もしてないんだよね」
「ああ。俺は小動物も同然だったよ」
「でも」
言葉が一拍、間を置く。
「私、置いていかれるの、あんまり好きじゃない」
胸の奥が、きしりと鳴った。
「置いていくつもりはないよ」
「知ってるでもね、分かってても、不安になることはあるの。それにルシアンは私が一番仲良いんだから……」
キリエは目を閉じる。
そのまま、ほんの少しだけ距離を詰めた。
ゴザ越しに、肩が触れる。
「だから今日は、ここ」
「……そうか」
それ以上、何も言えなかった。
焚き火が、静かに揺れる。
外では沼地の虫が鳴き、遠くで何かが水を打つ音がした。
やがて、キリエの呼吸がゆっくりと整い、
規則正しい寝息が、耳元で微かに響き始める。
俺は天井を見上げたまま、しばらく目を閉じなかった。




