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26:バミ村

 目が覚めた時、外が騒がしかった。

 次第に、それが原因で目を覚ましたのだと理解する。


 外はまだ夜の色を残している。どうやら、キリエも同じ物音で目を覚ましたらしい。


「……なんか、うるさいね」


「喧嘩か? 怒鳴り声みたいなのも聞こえるが」


 窓の外では、揺らめく火の影が壁を舐めるように踊っていた。

 胸の奥がざわつく。これは、ただ事じゃない。


 窓から身を乗り出して外を見る。

 イゴ村の住民たちが村の入り口に密集し、その向こうにも、同じ数だけの人影が対峙するように並んでいる。方角からして、バミ村の連中だろう。


 松明の光に照らされた群衆は、槍、剣、鍬や鎌といった農具を構え、今にもぶつかり合いそうな空気を孕んでいた。


「喧嘩どころじゃないね」


「嫌な予感しかしないな」


 俺たちは急いで身支度を整え、鎧を纏い、剣を取る。

 こういう時、騎士の名残が嫌でも背中を押す。


 外へ出ると、視線が一斉にこちらへ向いた。

 騎士としての姿は沼地の村人たちにとって十分に異物であり、同時に抑止力でもあったらしい。ざわめきが、ほんの少しだけ沈む。


 俺たちは、イゴ村とバミ村が衝突寸前で睨み合う最前線へ歩み出る。


「どうしたんだ、一体」


 声を張ると、バミ村側の先頭に立っていた、戦士然とした体格の女が一歩踏み出した。筋肉の浮いた腕に槍を携え、目には怒りが剥き出しだ。


「こいつらイゴの連中が、あたいらの村の子を攫ったんだい。だから取り返しに来たのさ!」


 怒号が背後から重なる。

 まずは事実確認だ。


 俺はイゴ村側へ視線を向ける。


「それは、本当なのか?」


 すると、前線に立っていた歯の抜けた男が、開き直ったように吐き捨てる。


「仕方ねぇだろ! こっちはもとよりよぉ、お前たちの“ハヴズ将軍”のせいで、女も少ねぇし、イチジクだって実らねえし!」


 その瞬間、バミ村側がどっと沸いた。


「はぁ!? そんな二百年も前の話を持ち出して、誘拐を正当化するってんのか!」


 女戦士が怒鳴り返す。

 松明の炎が揺れ、群衆の感情がそれに呼応するように煽られていく。


 空気が、ひりつく。


 俺は一歩前に出て、両手を広げた。


「とにかく、人を攫うのは良くない。理由がどうあれ、バミ村の人たちが怒るのも無理はない」


「そうだそうだ!」


 賛同の声がバミ村側から上がる。


 俺は続けて、視線をイゴ村へ向けた。


「だが、だからといって武力で解決しようとするのも悪手だ。血を流せば、もう引き返せなくなる。まずは話し合うべきだ」


「こいつらとは話になんねぇんだよ!」

「んだとおらぁ!」


 再び怒号が飛び交い、今にも誰かが前へ踏み出しそうになる。


 その時——

 俺の隣で、キリエが静かに一歩、前へ出た。


 松明の光を受けて、彼女の瞳が、異様なほど澄んで見えた。


 怒号が再び膨れ上がりかけた、その時だった。


「待ってください」


 キリエが、今度ははっきりと手を挙げた。

 松明の揺れる光の中、その細い腕はやけに目立つ。


「まず一つだけ、決めましょう」


 夜気の中で、その声は澄んでいた。怒鳴るでもなく、怯えるでもない。だが、確かに場を切り裂く強さがあった。


「攫われた娘は——今すぐ、バミ村に返してください」


 どよめきが走る。

 松明の火がざわめき、群衆のざらついた息遣いが重なる。


 イゴ村の前列にいた歯抜けの男が、一歩踏み出して噛みついた。


「ふざけんな! それじゃあ生贄はどうす——」


「話は最後まで聞いて」


 キリエは遮った。

 声は低く、しかし一切の感情を乗せていない。

 だからこそ、逆に怖かった。


「返す。その代わりに——今回の生贄は、バミ村から出す」


 今度はバミ村の側が騒ぎ出す。怒号が飛び、槍の穂先が揺れた。

 だがキリエは、それすら手のひら一つで制した。


「落ち着いて。ちゃんと理由はあるから」


 そして、イゴ村の男たちを見渡す。


「イゴの村は、女が少ない代わりに、男が多いんでしょう?」


 歯抜けの男が、言い返そうとして言葉を失う。


「それに、その立派な槍や剣……戦える人たちが、ちゃんといる」


 イゴ村の男たちが、思わず眉を上げる。

 誇りを突かれた顔だった。


「つまり、こうです」


 キリエは淡々と続ける。


「今度の生贄は、バミ村から出す。その代わり、イゴ村の男たちは《《護衛》》として同行する」


 空気が、ぴたりと止まった。


「そして——」


 キリエは、ちらりと俺を見る。


「私と、この勇敢な騎士ルシアンも、こっそり同行します」


 俺は内心で呻いたが、表には出さない。


「目的は一つ」


 キリエは、はっきりと言った。


「そのラミアとやらを、倒す」


 ざわめきが爆発する。


「倒せるわけない……」

「ラミア様を怒らせたら、どんな災厄が——」


 恐怖と迷信が、口々に吐き出される。


 その時、キリエが一歩前に出た。


「——だから、今なんだよ」


 声が張り上げられる。


「怖いからって、逃げ続けて。半年に一度、娘を差し出して。それで、何が変わったの?」


 松明の光が、彼女の銀髪を照らす。


「これからも娘を! 孫を! そのまた子どもを!」


 キリエの声が震えた。怒りだ。


「末代まで、ずっと差し出すつもり!? そんな情けない一族で、本当にいいの!?」


 誰も、すぐには答えられなかった。


 俺はその背中を見ながら、はっきりと理解した。


 キリエは——一族を乗っ取り、主君を失脚させてなお民の心を掴み、ヴァンダ家を支配したあの山の毒蛇(サロード)の血をしっかり引き継いでいると。


 バミ村の娘は、まるで荷物のようにイゴ村の男たちに引きずられてきた。腕を掴まれ、背を押され、足をもつれさせながら、無言のまま群衆の前へ突き出される。その扱いの粗雑さが、火に油を注ぐ形になっていた。


 娘を受け取った瞬間、バミ村の空気が目に見えて荒れた。怒号が重なり、拳を握りしめる音があちこちから伝わってくる。助かった安堵よりも先に、侮辱されたという感情が先立っているのが、肌に刺さるように分かった。


 それでも、キリエの提案は受け入れられた。渋々、歯を噛みしめながら、両村ともにだ。

 痛み分け——そう言えば聞こえはいいが、実際にはどちらも多くを失う賭けだ。バミ村は「余分に」娘の命を差し出す可能性を抱え、イゴ村は多くの男たちの命を天秤に載せることになる。


 誰もが思ったはずだ。

 結局、戻された娘が生贄になるのだ、と。


 だが、キリエは違った。

 あの横顔——すでに次の一手を盤上に置き終えた者の目をしていた。


 その考えを実行するため、俺たちは今度はバミ村へと向かった。

 村の佇まいはイゴ村と大差ない。湿った地面、低い家々、獣と人の匂いが混ざった空気。隣り合う村なのだから当然か。文化も風習も、根っこは同じなのだろう。


 そんな中で、俺たちを家に招き入れたのが、あの女戦士だった。

 名をマーガルという。若いが、この村ではご意見番として通っているらしい。


 家の中は飾り気がなく、壁に掛けられているのは狩りの獲物と、使い込まれた武具ばかりだ。彼女は自慢の大槌を無造作に壁際へ立てかけ、丸太をそのまま置いただけの椅子に腰を下ろした。俺たちも同じような椅子に座らされる。


 暖炉の火が、濡れた靴をじわじわと乾かしてくれる。

 火の爆ぜる音の合間に、マーガルの鋭い視線がキリエへと向けられていた。


「あんた、まだ子供だろうに。にしては中々やるわね。あたい、正直ちょっと感動したよ」


 マーガルは焚き火越しにキリエを見て、口の端をつり上げた。


「それにさ、あんたもだ。あのいざこざのど真ん中に、自分から首突っ込む奴はそういない。度胸だけは一人前だ」


 どうやら、キリエも俺も一応は称賛されたらしい。

 この女の家に招き入れられたのは、正解だったようだ。少なくとも、イゴ村で出会ったあの宿主よりは、話が通じそうな気配がある。


 マーガルは暖炉に立てかけていた串を引き抜き、焼けた魚をそのまま俺たちに差し出した。脂が落ち、火に触れて小さく爆ぜる音がする。

 俺とキリエは軽く会釈し、礼を言って受け取った。


 彼女はというと、遠慮という概念を忘れたかのように魚にかぶりつく。歯で骨を砕く音すら、どこか誇らしげだった。


「ここを通るってことはさ、観光か——それともシィムーンに行く途中かだね」


「まあ、そんなところだが……失礼な話、ここに観光で来る人間って、どういう連中なんだ?」


 一瞬、マーガルは考える素振りを見せ、それからあっさりと言った。


「あぁ、生贄だよ」


 あまりにも軽い口調だった。

 軽すぎて、俺たちはその言葉を咀嚼する前に、喉の奥で引っかからせてしまった。


「ラミア様に捧げる生贄と、生贄を送る儀式を見に来る観光客がいるんだ」


 マーガルは気にする様子もなく続ける。


「今回は沼の様子が荒れてるから来てないけどさ。普段なら、ちょくちょく顔を出すよ」


「……悪趣味が過ぎないか?」


 思わず、言葉が零れた。

 だがマーガルは、むしろそれを当然の評価として受け取ったように肩をすくめる。


「そりゃそうさ。でもね、あたいらも観光客に飯を振舞って、宿に泊めて、それなりに儲かるんだよ」


 彼女は魚の骨を火に放り投げた。


「何せ来るのは領主様だの、金持ちだのが多い。羽振りがいい。で、その金を何に使うかって言えば——女の子の育成費用だ」


 俺の背中を、嫌な汗が伝った。


「生贄の……循環、か」


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