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19/33

18:決闘

 執務室には、ドラゴがいた。


 重厚な机は薙ぎ倒され、壁に掛けられていた肖像画は血飛沫で見えなくなっている。

 床を覆う深紅は、もはや血溜まりと呼ぶには生温かく、踏み込むたびに靴底が嫌な音を立てた。


 ヴァンダ家の象徴である青——

 それは、今や赤に塗り潰されていた。


 中央に立つ男の剣は、腹部から深々と突き刺さったまま。

 柄を握る腕には、迷いも、震えもない。


 サロード・ヴァンダ。

 ヴァンダ卿は、目を見開いたまま、声もなく腹に刺さった剣を見下ろしていた。


 次の瞬間。


 ずるり、と嫌な音を立てて、剣が引き抜かれる。


 支えを失った身体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 血が床に広がり、青い衣を完全に飲み込む。


 ——死んだ。


 その事実を、理解するより先に。


 ドラゴの視線が、こちらを射抜いた。


 血塗れの顔に、歪んだ笑みが張り付く。


「……貴様か」


 低く、粘つく声。


「貴様が、ブラックウェルどもを引き入れた張本人だな。汚らわしい混血が……余計な真似をしやがって」


 唾を吐くように吐き捨てる。


 だが、次の瞬間、表情は一転した。

 破裂するような哄笑。


「だが、残念だったなぁ?」


 彼は、床に転がる死体を足で蹴った。


「お前の主は、今しがた死んだ。見ただろう? この通りだ」


 嗤う。壊れた玩具のように。


「お前がやったことは、ぜーんぶ無駄だ。無駄無駄無駄! ハハハハハハハ! ご苦労様でしたぁ!」


 耳障りな笑いが、執務室に反響する。


 俺は剣を構えたまま、一歩、前に出た。


「……キリエ様はどこだ」


 声は、思った以上に低く、掠れていた。


 ドラゴは一瞬、きょとんとした顔をしたあと、にやりと口角を吊り上げる。


「キリエ?」


 名を転がすように繰り返す。


「さぁなぁ……今頃は、鼠の餌にでもなってるんじゃないか?」


 ——地下。


 脳裏に、即座にあの場所が浮かぶ。


「地下の独房か……!」


 怒りが、胸の奥から噴き上がる。


 あそこは、人の住む場所じゃない。

 ましてや、十四歳の少女が押し込められていい場所でもない。


 光の届かない闇。

 息が詰まるほど狭く、湿り、腐臭が染みついた石の箱。


 そして——

 人の肉の味を覚えた鼠どもが、壁の隙間に巣食う、地獄。


 視界が、赤く染まる。


 ドラゴの嗤い声が、遠くに聞こえた。


「今の俺はすっかり爽やか良い気分。あのクソ親父を自らこの手でぶっ殺して、最高のテンションだぜ」


 俺は、静かに鞘へ手を伸ばした。


 金属が擦れる、乾いた音。

 剣身が闇を裂くように姿を現す。


 その瞬間、ドラゴの口元が歪んだ。


「俺とやるってか?」


 鼻で笑い、肩をすくめる。


「ハーフエルフ如きが、純人間様と剣で勝負かよ。身の程って言葉、知ってるか?」


 彼は剣に付いた血を、無造作に振り払った。

 床に飛び散る赤。


「貴様は俺には勝てない。……その記憶、しっかり刻まれてるだろう?」


 剣を構えるその姿は、技量だけを見れば確かに洗練されていた。

 だが、その動きには、どこか軽薄な高揚が混じっている。


 ドラゴは歯を剥き、笑った。


「あのクソ親父を、自分の手でぶっ殺してやったんだ。ああそうだ、自分のことばかりを考えて、俺たちを道具にしか思っていないあいつを。欠陥品の俺に殺されるとは、さぞあの世で歯をガタガタいわせているだろうなぁ。俺はなあ、今、生まれて初めて、すべてが思い通りだ!」


 ドラゴは床に落ちていたヴァンダ卿の斧を広い上げ、背中へ回し、革製のホルスターへ無造作に掛けた。


「俺は今この瞬間から、ヴァンダ領の領主だ」


 剣先が、こちらを指す。


「全軍の——そして、お前の指揮官だ」


 俺は剣を構えたまま、視線を逸らさなかった。


「それは良かったな」


 淡々と、事実だけを告げる。


「だが、残念だ」


 ドラゴの目を、真っ直ぐに見据える。


「今のあんたに、あのブラックウェルを押し返すほどの力量はない」


 一瞬。


 空気が、凍りついた。


 ドラゴの眉が引き攣り、口元が震える。


「……混血のくせよぉ」


 低く、噛み殺した声。


「偉そうな口をきくようになりやがって……」


 剣を握る手に、力が籠もる。

 血に濡れた床の上で、二本の刃が、互いを睨み合っていた。


 ——来る。


 そう思った瞬間には、ドラゴはもう踏み込んでいた。


 床を蹴る音が一拍遅れて聞こえる。

 距離が、一息に潰れる。


「遅ぇんだよ!」


 怒号と同時に、剣が振り下ろされた。


 俺は反射的に剣を掲げる。


 ——ガァンッ!!


 金属が噛み合い、衝撃が腕を貫いた。

 重い。

 ただ重いだけじゃない。殺すための重さだ。


「……っ!」


 受けきれず、靴底が石床を削って後退する。

 腕が痺れ、指先の感覚が一瞬、薄れた。


 間髪入れず、ドラゴは畳みかけてくる。


 縦。

 横。

 斜め。


 どれもが致命の軌道。

 見切るより早く、身体を動かすしかない。


「どうした、ハーフエルフ! 逃げてばかりか!」


 剣を受け、弾き、逸らす。

 だが、防御するたびに衝撃が蓄積していく。


 そして、刃を弾かれ、剣先が大きく外へ流れた。


「甘ちゃんってことじゃんねぇ!」


 すぐさま、肩口へ追撃が来る。


 避けきれない。


 俺は咄嗟に身体を捻る。

 刃は鎧をかすめて通り過ぎたが、衝撃で体勢が崩れた。


 床に片膝をつく。


 その瞬間、視界いっぱいにドラゴの影が落ちてきた。


「終わりだ!」


 剣が振り下ろされる。


 俺は歯を食いしばり、剣を差し入れて受け止めた。


 ——が。


 力が、違う。


「ぐっ……!」


 押し返そうとした瞬間、刃がずり落ちる。

 次の拍で、ドラゴの剣が俺の左肩へと到達した。


 鈍い衝撃。

 肉を裂く感触が、遅れて熱となって広がる。


「——っ!」


 だが、致命には至らなかった。


 ドラゴの踏み込みが深すぎたのだ。

 力任せに叩きつけた反動で、足元がわずかに泳ぐ。


「チッ……!」


 その一瞬。


 俺は即座に後方へ跳び、距離を取った。

 床を転がり、柱の陰へ滑り込む。


 今だ……!


 剣を握ったまま、空いた左手を傷口へ当てる。

 思考を切り替え、術式を脳裏に描いた。


 回復術式。

 詠唱は省略、構成だけを叩き込む。


 淡い光が掌に宿り、裂けた肉をなぞる。


 焼けるような痛みと共に、血の流れが止まった。


 完全ではない。

 だが、戦える。


 その様子を見て、ドラゴが鼻で笑った。


「……やっぱりな」


 彼は肩を回し、剣をぶら下げるように構える。


「姑息な真似をしやがって。何が魔術だ」


 唾を吐くように、言い捨てる。


「そんなもん、自然の摂理から逸脱した、穢れた呪いだろうが」


「……」


 俺は息を整えながら、剣を構え直す。


「便利だろ」


 そう返すと、ドラゴの眉がぴくりと動いた。


「黙れ。人の身で世界の理を捻じ曲げるから、お前らハーフエルフは忌み嫌われるんだ」


 剣先が、こちらを指す。


「剣で戦え。血を流せ。死ねるなら、ちゃんと死ね」


 俺は苦笑し、肩を回した。


「理屈は嫌いじゃない。だが——」


 剣先を、正面に据える。


「今は生き残る方が、ずっと大事だ」


 空気が、張り詰める。


 ドラゴは口角を吊り上げた。


「しゃらくせぇだろうが」


 剣が、再び、持ち上がる。


 俺も、構えを低くした。


 ドラゴは、間を置かずに再び踏み込んできた。


 床を蹴る音が、さっきより重い。

 剣先が描く軌道も、荒い。


 ……来る。


 それは予想通りだった。

 むしろ——狙い通りだ。


 奴は、俺が魔術で傷を塞いだのを見た。

 その瞬間から、意識が変わっている。


 “剣を捌いて勝つ”ではない。

 “回復される前に、より深く、より致命的に斬る”。


 剣技で圧す冷静さは薄れ、代わりに力と殺意が前に出てくる。


 つまり、余裕が消えた。


 俺は剣を構える。

 防御。あからさまな、受けの姿勢。


「オラァ! 混血ッ!」


 ドラゴの声が、苛立ちを孕む。


 一直線。

 迷いのない踏み込みと同時に、剣が振り下ろされる。


 ——その瞬間。


 俺は、斜め前へ踏み込んだ。


 ——《《剣だけを、置き去りにして》》。


 それは固定魔術。


 一時的に、対象の運動エネルギーを凍結する術式。


 だが、万能じゃない。


 少しでも強い力が加われば、術は破れる。

 相手の剣を直接止めるなんて、無理だ。


 だから、固定できるのは俺の剣のみ。


 ドラゴの剣が、俺の剣に触れる、その瞬間まで。

 空間に縫い留められたままの刃。


 いわば、囮。


「……なッ!?」


 鈍い衝撃と同時に、固定が解ける。

 だが、その時には、俺はもう正面にいなかった。


 勢いを殺せないまま、ドラゴの剣は空を斬る。


 横。


 すぐ隣。


 ドラゴの視線が追いつかない。


 俺は、伸ばした手で——

 ドラゴの背中に差されていた、あの斧の柄を掴んだ。


 ヴァンダ卿の斧。


 ずしりとした重みが、腕に伝わる。


「——っ!?」


 ドラゴが気づいた時には、もう遅い。


 俺は斧を引き抜き、その重さを殺さずに、振り下ろした。


 狙いは、首。


 鎧の隙間。


 鈍い衝撃音が、執務室に響いた。


 骨を叩く感触が、掌から肘へと伝わる。


 ドラゴの身体が、ぐらりと揺れた。

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