17:メテラナVS巨人
逆三角形の隊列を組んだ騎馬隊は、川が岩を避けるように滑らかに進み、サイクロプスを掬い取るようにして取り囲んでいく。
正面からぶつかる気はない。
距離を保ち、間合いをずらし、常に視界の端へと散る。
巨体がこちらを追おうとするたび、騎馬隊は左右に割れ、背後へ回り込む。
その動きに、迷いはなかった。
——それは、事前にルシアンから聞いていた話と、寸分違わぬ展開だった。
メテラナの脳裏に、あの短い打ち合わせが蘇る。
「奴の目は大きいからこそ視力は良いです。ですが、その分——視野は狭いと思います」
ルシアンはそう言って、自分の目を指す。
「私たち人間ですら、両目でおよそ二百度が限界です。一つ目となれば、さらに絞られる。正面は見えても、側面や背後は弱点になります」
「つまり」
メテラナが、即座に言葉を継いだ。
「広い場所で、距離を取って、散る。視界の外に出続ければいい」
「ええ。理屈の上では」
少し間を置いて、ルシアンは続けた。
「馬上から矢で目を狙う、という手もありますが……」
「走る馬から、六メートル上の目を、ね」
メテラナは悩む。
「武芸に優れていたとしても、相当に無理があるわね」
「はい。それに、奴は手で目を覆うこともできます」
そこで、彼女は楽しげに目を細めた。
「なら、分散して足を斬る」
「……足を?」
「脛を刻み続ければ、いずれ崩れるでしょう」
あっさりと言い切り、そして平然と続けた。
「崩れたところを、私が登って——」
剣を握る仕草をする。
「その気色の悪い目玉に、剣を突き立てればいい」
ルシアンは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……それをやるには、凄まじい反射神経と、卓越した騎馬術が必要かと」
だが、メテラナは即答だった。
「どちらも得意よ」
自慢でも、虚勢でもない。
ただの事実として、そう言った。
——そして今。
騎馬隊は、まさにその通りに動いている。
サイクロプスは苛立ち、唸り声を上げながら、目に入った影へ腕を振るう。
「当たらないわよ。あなた、大きいだけだもの」
だが、そのたびに獲物は視界の外へと逃れ、代わりに刃が脛へと走る。
血が飛び、巨体がよろめく。
メテラナは、馬上で剣を構えたまま、冷静に距離を測っていた。
——あとは、崩れるのを待つだけ。
交互に、何度も。
切っては退き、退いては切る。
刃は脛を刻み、腱を断ち、血を奪う。
騎馬は円を描き、決して正面に立たず、決して留まらない。
サイクロプスは吼え、腕を振り回すが、そこに敵はいない。
あるのは、視界の外から伸びる痛みだけだった。
やがて——
筋が限界を迎えた。
巨体が大きく傾き、地面を踏み鳴らしながら、膝が崩れる。
「今!」
メテラナの声が、空気を裂いた。
彼女は即座に鐙を叩き、馬腹を蹴る。
一直線。迷いのない突進。
距離が詰まる。
速度が乗り切った、その瞬間——
彼女は躊躇なく、馬上から跳んだ。
着地ではない。
飛び込みだ。
象の皮のように厚く、ざらついた皮膚を蹴り上げ、身体を預ける。
剣を突き立て、引き上げ、また突き立てる。
斜面を探し、角度を選び、重力を味方につける。
巨体が揺れる。
だが、彼女は止まらない。
ついに——
巨大な眼球が、目前に迫る。
一瞬、濁った瞳孔が彼女を捉えた。
「ええ、分かってる。怖いでしょう?」
次の瞬間。
剣が、深く、一直線に突き立てられた。
空気が震え、唸る。
それは言葉にならぬ断末魔だった。
音というより、破裂に近い。
メテラナは剣を引き抜くと同時に、身を翻す。
倒れゆく影から、跳ぶ。
着地。
直後、巨体が地を打ち、城壁を震わせた。
間髪入れず、騎馬隊が群がる。
倒れた獲物へ、剣が、槍が、容赦なく降り注ぐ。
啄むように、確実に、息の根を止める。
その光景は——
まるで、死肉を見つけた黒いカラスの群れだった。
そして、その中心に立つメテラナ・ブラックウェルは、剣先の血を振り払いながら、すでに次の戦場を見据えていた。
*
キリエ様を救い出すには、ヴァンダ勢が籠城するヴァンダ卿の執務室へ向かい、いったん瓦解した突破部隊を再始動させる必要があった。
正面の戦線から外れ、あえて侵攻方向とは逆を突く——危険ではあるが、最も確実な手でもある。
メテラナから預けられているのは、ブラックウェル軍の下級騎士隊。数は多くないが、機動と度胸だけは折り紙付きだと聞いている。
その隊を束ねる隊長の名を、俺は記憶の底から引き上げた。
「……“キッカ殿”はどこに?」
振り返って声を張ると、背後の隊列の中から、甲冑がぶつかり合う甲高い音が響いた。
やや遅れて、ずんぐりとした影が一つ、ぴょこりと前へ出てくる。明らかに甲冑のサイズが合っていない。肩当てはずれ、胸当ては腹に食い込み、歩くたびにがちゃがちゃと忙しない。
「はいさー! ウチですウチ〜!」
場違いなほど陽気な声。
兜の面がぱかりと跳ね上がり、現れたのは金髪にそばかすの浮いた少女の顔だった。目だけは妙に鋭く、戦場の空気をしっかりと測っている。
キッカ。
ブラックウェル軍第十二下級騎士隊、その隊長。
「これより、ヴァンダ卿の本陣——執務室へ向かおうと思います。主戦線とは逆になりますが、問題は?」
一瞬、隊の空気が張りつめる。
撤退とも取られかねない進路だ。部下たちの間に、わずかな動揺が走る。
だがキッカは、にやりと笑った。
「問題? いえいえ、大ありですなぁ」
次の瞬間、彼女はくるりと振り返り、部下たちに向かって声を張り上げた。
「聞いたかい、みんな! 逆走だってさ! こりゃ敵さん、鼻血出るほど驚くよ!」
どっと笑いが起こる。
張りつめていた空気が、一息でほどけた。
「正面は今ごった煮。だったら裏から鍋ひっくり返した方が早いってもんです! ねぇ、ルシアン殿!」
そう言って、彼女は親指で自分の胸を指す。
「ご安心を。道の選び方も、通し方も、ウチは慣れております。その背中——」
びしっと背筋を伸ばす。
しかし、やはり甲冑が合っていないせいで、どこか締まりがない。
「このキッカめが、しっかりとお守りいたしやす!」
軽口の裏に、揺るぎのない覚悟があった。
ルシアンは、思わず小さく息を吐き、そして頷いた。
——なるほど。
この少女が隊を預かっている理由が、少しわかった気がした。
そして俺たちは、ヴァンダ卿の執務室がある区画へと足を向けた。
——だが、違和感はすぐに形を持った。
通路に転がる死体の数が、城を出た時よりも明らかに増えている。
鎧の裂け目から覗く肉、乾ききらない血溜まり、壁に飛び散った赤黒い痕。どれもが新しい。
籠城戦は、まだ終わっていない。
いや——むしろ、ここに来て激しさを増している。
進むほどに、空気が重くなる。
火薬でも腐臭でもない、もっと生々しい、殺意そのものの気配が肌を撫でた。
俺は足を止め、無意識に呼吸を殺す。
——これは、仲間の気配じゃない。
背後の気配を確認しつつ、剣の柄に手をかけ、壁沿いに一歩ずつ進む。
甲冑の擦れる音すら、この静けさの中ではやけに大きく響いた。
そして、扉の隙間から中を覗いた瞬間、答えはあまりにも明白だった。
サロンにいたのは——ドラゴ勢。
血に濡れた床の上で、ヴァンダ配下——サロード勢の兵が、いくつも転がっている。
まだ息のある者は、腹を押さえ、喉を鳴らし、瀕死の呻き声を漏らしていた。
血は、まだ温かい。
傷口も、乾いていない。
「キッカ殿、もしかしたら——本陣はすでに……」
言葉を濁した俺に、キッカは一瞬だけ周囲を見回した。
床の血の乾き具合、倒れた兵の呼吸、空気に残る熱。そうしたものを、まるで嗅ぎ分けるように。
「ありゃりゃ〜」
だが、次の瞬間には、いつもの調子で肩をすくめる。
「こりゃあ、彼らの感じ……ついさっき着いたばかりですな。血もまだ生きてる。ちょっとだけ、遅かったですかねぇ」
その軽口に、かえって背筋が冷える。
冗談めかしてはいるが、状況判断は正確だった。
「とにかくサロンを抜けて、さらに奥まで行かなければ。突破できますか?」
問いかけると、キッカは甲冑の継ぎ目を叩き、にっと笑った。
「心配御無用! ウチらが第十二隊。下級とはいえ、寄せ集めじゃありません」
その視線が、背後の部下たちへと流れる。
「数は少なくても、修羅場はくぐってますで。道を開くのは得意分野っ」
軽快な口調とは裏腹に、言葉の芯は揺れていない。
この少女は——戦場を知っている。
俺は短く息を吸い、頷いた。
「……信じます」
「ほいさ!」
その一声を合図に、俺たちは一斉に動いた。
剣を抜き、盾を構え、
血の匂いが立ち込めるサロンへ——
俺はキッカの言葉を信じて、迷いなく突撃した。
キッカの一歩が踏み出された瞬間、全員が理解した。
「行っくぜ〜!」
軽い声とは裏腹に、彼女は真っ先にサロンへ躍り込む。
小柄な体に不釣り合いな盾を掲げ、床を蹴る足取りは迷いがない。
次の瞬間、怒号と金属音が炸裂した。
ドラゴ勢がこちらに気づき、槍を構え直す。
だが、遅い。
「前ぇぇぇ!」
キッカの声が弾ける。
第十二隊は散開せず、あえて密集したまま突っ込んだ。
盾と盾が噛み合い、ひとつの塊となって敵陣へ押し込む。
槍が突き出される。
だが、最前列が盾で受け、横合いから短剣が閃いた。
「左、抑えぇ! 右、奥へ流しちゃえ!」
指示は短く、的確。
敵を倒すより、道を“作る”動きだ。
俺も剣を振るう。
斬る。押す。踏み込む。
床に散らばる血で足を取られそうになるが、止まらない。
止まった瞬間、囲まれる。
「お客さん、こっち見すぎ!」
背後からキッカの声。
次の瞬間、俺の脇をすり抜けた彼女の槌が、敵兵の膝を粉砕した。
派手じゃない。
だが、確実に“戦線を崩す”一撃。
サロンは瞬く間に乱戦と化した。
瀕死のサロード勢が壁際で呻く中、
ドラゴ勢は混乱し、後退し、隊形を失っていく。
「そのまま! 奥へ奥へ! 足止めはウチらが!」
キッカが振り返り、俺を見た。
その目は笑っていない。
だが、恐れもない。
「ルシアン殿、今です!」
開いた。
サロンの奥——執務室へと続く通路が。
俺は一瞬だけ振り返り、第十二隊の背を見た。
盾を重ね、傷を負いながらも、確実に敵を押し留めている。
「……ありがとうございます!」
聞こえたかどうかは分からない。
だが、俺はそのまま通路へ飛び込み、さらに奥へと走った。




