16:城内戦
ドラゴの群勢はすでにヴァンダ卿の執務室付近まで雪崩れ込み、城内は決死の籠城戦の様相を呈していた。
石床には血が溜まり、折れた槍と盾が積み重なり、呻き声と怒号が交錯する。ここが本来、領主の知と威厳が集う場であったことを、もはや誰も思い出せないほどだった。
ヴァンダ卿の身体に刻まれた傷は、もはや数え切れない。
肩から脇腹にかけて血が滲み、鎧の内側は冷えきった重さを増している。
それでも彼は斧を手放さず、壁のように立ち続けていた。
「……くだらん」
吐き捨てるように、ヴァンダ卿は言った。
「こんな死に方があるか。反逆者に囲まれて、城の中でくたばるなど……笑えんわ」
その声に覇気は残っていたが、周囲の兵の目は正直だった。
皆、限界に近い。腕は震え、呼吸は荒れ、盾を構える手に力が入らない。
士気は削り取られ、ただ“耐えている”だけの時間が続いていた。
——その時だった。
「……お、おい」
若い兵の声が、異様に高く響いた。
「アレを……見ろ」
彼の指が、震えながら窓の外を指す。
隣の兵士も、半信半疑で視線を向け——言葉を失った。
「……なんだ、あれは……」
砂塵。
それは、山道を埋め尽くすほどの馬と兵が巻き上げる、黒い波だった。
ヴァンダ卿も、思わず一歩、前に出る。
「何事だ……?」
窓の向こう。
風に翻るのは、黒地に赤を帯びた旗。
その中央を駆ける先頭には、見覚えのある銀の鎧——そして、その隣。
ヴァンダ卿の目が、見開かれた。
「……ふ、は……」
乾いた喉から、かすれた笑いが漏れる。
「読書家……!」
次の瞬間、彼は吼えた。
「やったか!!」
その一言で、空気が変わった。
兵たちの背に、再び熱が戻る。
「来たぞ……!」
「援軍だ!」
「ブラックウェルだ……!」
歓喜と安堵が、絶望に沈みかけた城内を一気に駆け抜ける。
死を覚悟していた者たちの目に、再び生き延びる未来が映った。
*
山道を蹴り上げながら駆け、ルクス山城の城門が視界に入った。
——不思議な感覚だった。
いつもなら、ここは守る場所だ。
敵を迎え撃つための、最後の砦。
だが今、俺は攻める側として、この城を見上げている。
もっとも、難易度は比べものにならないほど低かった。
城内で内戦が起きている。
それは城にとって、致命的な弱点だ。
城門付近を見ただけで分かる。
兵の数が足りていない。配置も雑だ。
普段ならあり得ないほど、手薄だった。
「……いける」
俺は、横を走るメテラナを見る。
彼女は何も言わない。ただ、前を見据えている。
背後には、二千。
黒き軍勢が、山を揺らしながら迫っていた。
——今度こそ、戦局が、ひっくり返る。
城門に対して用意されたのは、分解組み立て式の大砲だった。
砲身、砲架、車輪——すべてが行軍用に分割され、山道でも迅速に再構成できるよう設計されている。
ブラックウェル軍は、それを扱い慣れていた。
海戦を主戦場としてきた彼らにとって、砲撃とは剣よりも先に身についた作法だ。
距離の測り方、装填の速さ、射角の癖。
誰かが怒鳴らずとも、兵たちは黙々と役割を果たしていく。
城門前。
敵の反撃は、ほとんどなかった。
内戦の只中にある城は、外敵に向ける余力を失っている。
門楼には数えるほどの兵影しかなく、矢も散発的に飛ぶだけだ。
「——前へ」
メテラナが短く命じる。
大砲が、城門から目と鼻の先まで押し出される。
常識的な攻城戦なら、あり得ない距離だ。
だが、今は常識を守る理由がなかった。
装填。
導火。
沈黙。
一拍の静寂ののち——
「撃て」
号令と同時に、火が走った。
轟音。
衝撃。
山肌に反響するほどの咆哮と共に、鉄球が城門へ叩き込まれる。
一斉射ではない。
時間差をつけた、連続砲撃。
一発目で蝶番を歪ませ、
二発目で門板を割り、
三発目で、内部構造そのものを砕く。
木と鉄が悲鳴を上げ、城門が内側へと膨れ上がる。
最後の一撃。
門は、耐えきれず崩れ落ちた。
土煙の向こうに、開いた通路が見える。
「突入!」
誰かの声が、合図になった。
次の瞬間、黒き軍勢が一斉に動き出す。
砕け散った城門の瓦礫を踏み砕き、躊躇なく、内部へとなだれ込む。
決壊した堤防から溢れ出す水のように。
黒く濁った濁流——暴力そのものだった。
「な、なんだ……!?」
最初に声を上げた兵は、状況を理解できていなかった。
砕けた城門の向こうから、黒い影が溢れ出す。
「敵襲——!? いや、違う……!」
「まさか……」
次の瞬間、誰かが叫んだ。
「ブラックウェルだ!!」
その名が放たれた途端、空気が凍りつく。
「嘘だろ……!? なんで、ここに……!」
「門は……門はもう——!」
答えは、目の前にあった。
ブラックウェルの軍勢は、止まらない。
押し寄せ、叩き込み、呑み込む。
「押し返せ! 隊列を——!」
命令は、黒い濁流に掻き消される。
「無理だ、数が違う!」
「後ろだ、後ろからも来てる!」
兵は倒れ、叫び、逃げ惑った。
踏み留まろうとした者も、次の瞬間には黒い波に呑み込まれる。
そこにあったのは、戦場ではない。
ただ、黒い流れと、それに押し潰される人影だけだった。
「おおおおおおおおおお!!」
咆哮とともに、ブラックウェル兵が雪崩れ込む。
混乱から抜けきれないドラゴ勢の兵に、剣が突き立ち、槍が穿たれる。
考える暇も、命令を待つ時間もない。ただ、叩き込まれる。
血が弾け、鎧が砕け、床が滑るほど赤く染まっていく。
黒い濁流は、止まらない。
城の奥へ、さらに奥へ——
抵抗も、悲鳴も、すべてを巻き込みながら流れ込んでいった。
その圧倒的な勢いに、俺は息を呑む。
——まずい。
このままでは、誰がどこにいるのか分からなくなる。
この戦火の中に、キリエ様が——
不安が走った。
一方その頃、メテラナは城の外郭に沿って騎馬を走らせていた。
石壁の影をなぞるように、一直線ではなく、あくまで迂回しながら——目指すのは、ドラゴが本陣を構えている兵舎区画。
正面衝突は狙っていない。
指揮の首を刎ねる。それだけでいい。
だが——
その進路を、塞ぐようにして現れた。
影が、伸びる。
いや、影ではない。
城壁よりも高く、塔の陰を覆い隠すほどの巨体が、ゆっくりと姿を現した。
六メートルはある。
筋肉の塊のような腕。岩を削り出したかのような脚。
そして、額の中央にひとつだけ開いた、巨大な目。
騎馬隊の空気が、一瞬で凍りつく。
「……へぇ」
だが、メテラナは笑った。
「あれが、ルシアンの言っていたサイクロプスね」
恐怖も驚きも、そこにはない。
ただ、確認するような声音だった。
サイクロプスの巨大な眼球が、ぎょろりと動き、騎馬隊を捉える。
獣のような低い唸りが、地面を震わせた。
「——止まるな」
メテラナは馬上で剣を掲げる。
「陣形を取れ!」
号令が飛ぶ。
それを合図に、騎馬隊が一斉に動いた。
後列の馬が速度を落として間合いを詰め、左右の隊が外へと開く。互いの間隔は寸分も狂わない。蹄の音が重なり、ばらばらだった動きが、ひとつの形へと収束していく。
流れるように完成したのは、逆三角陣。
メテラナの視線は、ただ一点、巨影を射抜いていた。
「……さて」
剣先を下げ、彼女は静かに告げる。
「巨人狩りの始まりね」




