12:衝突
サロード・ヴァンダ勢、百九十三人。
ドラゴ・ヴァンダ勢、八百人。
壮大なお家騒動が、今まさに火を噴こうとしていた。
サロード・ヴァンダ勢は二つに分割。
サロード卿自身が率いる主力部隊。
そして、キリエ様奪還を目的とした突破部隊。
主力部隊が前衛として正面から敵を引きつけ、その隙を縫うように突破部隊が城内を進む。目的は一つ——キリエ・ヴァンダを見つけ出し、無傷で連れ戻すこと。
俺は、その突破部隊の一員として城内へ踏み込んだ。
だが、進軍は中央稜線街区で止められた。
そこには、ドラゴ勢の兵がずらりと並び、盾を連ねて壁を作り、槍の穂先をこちらへ向けて待ち構えていた。石畳に並ぶ盾の縁が、まるで城そのものが歯を剥いたかのように見える。
その瞬間、隊列の前に、ヴァンダ卿が一歩進み出た。
恐れも迷いもなく。
「ご苦労、ご苦労」
場違いなほど穏やかな声が、稜線街区に響いた。
「わしは、お前たちにそんな命を出した覚えは無いがな」
——主君が、目の前にいる。
しかし、盾の壁は崩れない。槍も下がらない。
「反逆者として盾を構えるのであれば」
ヴァンダ卿は静かに告げる。
「それ相応の罰を受けてもらうことになるぞ」
そう言って、兜の面具を下ろした。金属音が乾いた空気を裂く。
ヴァンダ卿自慢の戦闘斧を肩に担ぎ、その姿は、もはや領主ではなく、一人の武人だった。
ドラゴ勢の背後から、弓兵が姿を現す。弦はすでに引かれ、矢は番えられ、今にも放たれようとしていた。
ヴァンダ卿は、短く息を吐き、覚悟を決めたように声を張り上げる。
「……よかろう。ならば、反逆者とみなす」
戦斧が前を指す。
「全員——構えぇ!」
号令と同時に、ヴァンダ勢も盾を組み上げた。
金属と木が噛み合う音が連なり、一つの巨大な戦車のように、ゆっくりと、しかし確実に前進を始める。
足音が重なり、城が震える。
——こうして、避けられぬ本格的な戦闘が、ついに始まろうとしていた。
衝突。
雄叫び。
槍と槍が噛み合い、盾と盾が叩き合う鈍い音が連なって弾ける。金属が歪み、木が軋み、誰かの悲鳴がその上に重なった。
矢が宙を切り裂き、石壁に突き立ち、あるいは鎧に弾かれて甲高い音を残す。血の匂いと鉄の匂いが一気に立ちこめ、そこはもはや城の一画ではなく、紛れもない戦場だった。
混乱の渦の中心で、ヴァンダ卿の戦斧が振るわれるのが見える。老いを感じさせぬ一撃一撃が、盾の列を叩き割り、兵たちの足を止めていた。
その瞬間を逃さず——。
俺たち突破部隊は、戦列の陰に身を滑り込ませるように前へ出た。正面の激突に意識を奪われた敵兵は、こちらに目を向ける余裕などない。
中央稜線街区を抜ければ、城内は一気に狭くなる。長い廊下、屈曲した通路、階段と階段を繋ぐ踊り場。ここから先は、盾の数も兵の多寡も意味を失う。
求められるのは、臨機応変な判断と、息を殺すような隠密行動。
一瞬の遅れが命取りになる領域だ。
俺は剣の柄を握り直し、背後で続く仲間たちの気配を確かめる。
この先にいるはずのキリエ様を思い浮かべながら、俺たちは戦場の裏側へと、静かに踏み込んでいった。
だが——俺たち突破部隊を待ち受けていたのは、想定もしていなかった“化け物”だった。
連絡通路を駆け抜けていた、その時だ。
前触れもなく、轟音とともに天井が崩れ落ちた。
石と梁と粉塵が、一気に噴き出す。
それは崩落というより、撃ち出されたと言った方が近い。滝のような瓦礫の奔流が通路を呑み込んだ。
「止まれぇぇぇ!!」
突破部隊の先頭から、喉を裂くような叫びが響く。
直後、悲鳴が途切れ、重い衝撃音だけが残った。
何かがおかしい。
これは事故じゃない。
そう思った矢先、今度は側面の壁が内側へと爆ぜた。
石壁が歪み、砕け、瓦礫が横殴りに噴射される。
逃げる間もなく、仲間たちが飲み込まれていく。
鎧ごと叩き潰され、声すら上げられなかった者もいる。
粉塵が舞い、視界が白く霞む。
その奥で、何かが動いた。
ぬるり、と。
連絡通路の窓枠の外から、それは覗き込んできた。
人の顔ほどもある、巨大な黒目。
その周囲を、血走った白目が歪に取り囲んでいる。
吐き出される息は突風のようで、粉塵を一気に吹き飛ばした。
窓枠が軋み、石が悲鳴を上げる。
巨体。
圧倒的な質量と存在感。
言葉にする前に、身体が理解していた。
これは知恵も策も要らない、ただ強くて、大きいという事実そのもの。
最も原始的で、最もありきたりな——
それでいて、最悪の化け物。
俺は歯を食いしばり、その名を悟る。
一つ目巨人。
この狭い城内で遭遇していい存在では、決してなかった。
「退けぇぇ!! 退けぇぇぇ!!」
誰かの叫びが、命令として成立する前に、恐怖として通路を駆け抜けた。
俺たちは振り返ることもできず、ただ崩れかけた連絡通路を引き返す。
天井はなおも唸り、壁は悲鳴を上げて裂けていく。
背後から響くのは、重い足音と、空気を裂く呼気——サイクロプスの気配。
逃げ遅れた仲間が、次々と消えていった。
盾ごと押し潰され、
身体を掴まれ、捻られ、
悲鳴が声になる前に、骨の砕ける音だけが残る。
剣も槍も意味を成さない。
技量でも勇気でもない。
ただ、質量と腕力がすべてを踏みにじっていく。
誰かが俺の腕を掴んだ。
次の瞬間、その手は消えた。
引き裂かれ、
握り潰され、
血と鎧の破片が壁に叩きつけられる。
——見ていられなかった。
見続ければ、足が止まる。
だから俺は走った。
走るしかなかった。
ようやく連絡通路を脱した時、息をしている者は半分にも満たなかった。
顔を見合わせる余裕もなく、人数を数える気力すら奪われていた。
突破部隊は、もはや“部隊”ではなかった。
この人数では、キリエ様奪還どころか、足止めすらできない。
誰もが、それを理解していた。
沈黙の中で下された判断は、冷たく、しかし正しかった。
——ヴァンダ卿率いる主力部隊に合流する。
立て直すしかない。
そうでなければ、ここで全滅するだけだ。
俺たちは歯を食いしばり、血と瓦礫にまみれたまま、引き返すことを選んだ。
しかし、主力部隊とドラゴ勢がぶつかり合っているはずの中央稜線街区へ戻った、その瞬間——
俺たちは、嫌でも現実を突きつけられた。
盾の壁は崩れ、槍の列は乱れ、ヴァンダ卿勢は、明らかに押し返されていた。
「見ろ……我が軍が、撤退している……」
兵の一人が、喉の奥を引き裂くような声で呟いた。
「本当だ……」
「なぜだ……」
誰もが理由を探そうとしたが、答えは見えている。
数だ。
圧倒的な兵力差が、じわじわと、しかし確実に牙を剥いていた。
絶望は、戦場では最も厄介な伝染病だ。
一人が崩れれば、次が崩れる。
目の前の光景は、その兆候に満ちていた。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
嘆いている時間はない。
「……側面から駆けるしかありません」
俺は声を張り上げた。
「戦火に紛れて、主力部隊に合流する。この人数では、正面からの挟み撃ちは無理です」
口にしている俺自身が、情けないほど消極的な策だと理解していた。
だが、今は生き延びることが最優先だ。
誰も反論しなかった。
反論できるだけの余力も、希望も、残っていなかったからだ。
俺たちは互いの顔を一瞬だけ確認し、次の瞬間には、それぞれが別の影となって走り出した。
主力部隊に合流するために。




