表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/19

10:戦闘前夜

 ドラゴ・ヴァンダの顔は、日を追うごとに険しさを増していった。

 城の廊下ですれ違うたび、視線が絡む。剣を抜くでもなく、言葉を投げるでもない。ただ、こちらを値踏みするような、あるいは噛み殺した怨嗟を押し付けるような目だった。


 近頃では、その視線の裏にある理由も、はっきりと見えていた。

 ヴァンダ卿は何かにつけてキリエ様を傍に置き、評定にも、書庫にも、時には軍議の末席にすら同席させる。一方で、長男であるはずのドラゴは、次第に外されていった。

 命令が届くのは遅れ、意見は求められず、功績は語られない。


 ——それは致命的な冷遇だった。


 不満は、沈黙という形で城内に溜まり続けていた。

 そして、それが破裂したのは、ある深夜のことだった。


 城内が、やけに騒がしい。

 自室にいながらでも分かる。足音が多すぎる。鎧の擦れる音、短く飛び交う命令、火を灯す気配。

 嫌な予感が、背骨を這い上がってきた。


 ほどなく、扉が強くノックされる。


「ルシアン!」


 扉を開けると、鎧姿の親衛隊仲間が立っていた。顔色が悪い。呼吸も荒い。


「大変なことになった」


「この騒ぎ……ただ事じゃないとは思っていたが」


 俺の言葉に、彼は一瞬だけ視線を伏せ、そして吐き出すように告げた。


「ドラゴ様が、武装蜂起なさった」


「……武装蜂起?」


 言葉の意味が、頭の中でうまく噛み合わない。

 反芻して、ようやく血の気が引いた。


「ヴァンダ卿を失脚させるおつもりだ。すでに一部の兵を押さえている。それに……」


 彼は言い淀み、声を落とした。


「武装蜂起には、キリエ様も参加されている、という噂も」


「キリエ様も!?」


 思わず声が荒くなる。


「……いや、それはあり得ない」


 即座に否定した。


「キリエ様は、どう考えてもヴァンダ卿派だ。ドラゴ様につく理由がない」


 そう言い切ったものの、胸の奥に引っかかるものが残る。

 理屈では分かっている。だが今夜の城は、理屈で動いていない。


 親衛隊仲間は、苦い顔で首を振った。


「よくはわからん。だが……とにかく、いつでも戦える準備をしておけ」


 その言葉には、判断を放棄した響きがあった。


「……分かった。……で、我々親衛隊はどっちに着くべきなんだ」


 俺が問うと、彼はしばらく黙り込み、廊下の奥——城の中心部をちらりと見やった。


「さぁな……」


 彼は短く吐き捨てるように言って、肩をすくめる。


「ただなルシアン。この城内で、今、優勢なのは……不意打ちを決め込んだドラゴ様だ。それは間違いない。優勢と劣勢が、もう見えているなら……多くは優勢の方につく。……それに、」


 彼は声を潜める。


「キリエ様がドラゴ様側にいる、という噂が、拍車をかけてる。“才女が選んだのはどちらか”——」


 おかしい。

 キリエ様が、ドラゴに就くなんて——どう考えても、おかしすぎる。


 あの聡明さ。あの冷静さ。

 父を見据え、領を見据え、先を見据えていた彼女が、衝動と虚栄に支配された兄の側につく理由がない。


 ——考えろ。

 剣を抜く前に、頭を使え。

 就くべきは、どちらだ。


 俺は自分に言い聞かせるように、そして彼を糺すように口を開いた。


「けれど……もし、キリエ様がドラゴ様に“囚われている”のだとしたら、話は別だろ。その場合、我々がつくべきはヴァンダ卿。キリエ様は救出対象だ。ならば——我々はキリエ様を取り戻さなければならない」


 それは騎士として、いや、人として当然の理屈だった。

 俺自身、その理屈に縋りたかったのかもしれない。


 だが、親衛隊仲間は、すぐには頷かなかった。


 唇を引き結び、視線を落とし、微妙な顔をする。


「……しかしな、ルシアン」


 低い声だった。


「今、この状況でヴァンダ卿につくのは、正直言って——勝ち目が薄い」


「……」


「ヴァンダ卿が今、抱え込めているのは、自身の親衛隊と、昔からの信頼がある少数の家臣だけだ。兵の数も、配置も……すでにドラゴ様に押さえられつつある」


 そう言い切って、彼は一瞬だけこちらを見た。

 そこにあったのは忠義でも悪意でもない。ただの——生存の計算だ。


「俺は、ドラゴ様の方に行く」


 それだけ告げると、彼は踵を返し、城内の闇へと溶けていった。

 足音が遠ざかるにつれ、胸の奥がじわりと冷えていく。


 俺も急いで装具を身に着ける。

 剣を帯び、外套を羽織り、思考が加速する。


 ドラゴ様の側につくか。

 ヴァンダ卿の側につくか。


 勝つのはどちらか。

 生き残るのはどちらか。


 ——答えは、とうに出ていた。


 胸の奥で、あの夜と同じ感覚が疼く。

 屍喰王リッチを前にした時。

 誰もついてこなかった、あの闇の中で感じた、確かな違和感。


 見過ごしてはいけないものがある。


 理屈では負ける。

 常識でも負ける。

 だが、それでも——。


 俺はその沸々と湧き上がる違和感に、身を委ねた。


 迷いはなかった。


 俺は踵を返し、静まり返った回廊を走る。

 向かう先はただ一つ。


 ——ヴァンダ卿のもとへ。





 ドラゴ・ヴァンダが城の大半を掌握するまで、わずか一時間とかからなかった。

 通路は塞がれ、詰所にはすでに彼の名を口にする兵が立っていた。


「父、サロード・ヴァンダは伝統を軽んじ、愚かな魔術とやらで我々を欺こうとしている!」


 だが、その言葉に心から頷いた者は、実のところ多くはない。


 それでも事態が傾いたのは、別の理由だ。


 ドラゴがすでに優勢であるという噂。

 そして、才女キリエ・ヴァンダまでもがドラゴ側についた、という噂。


 真偽など、もはや誰も確かめようとしなかった。


 ドラゴ側に付いた兵の士気は、不思議なほど薄かった。

 彼らは自分たちが誰と敵対しているのか、はっきり理解していない。

 ましてや、その相手が——この城を築き、守ってきたヴァンダ卿その人であるという現実を、直視できずにいた。


 これは、ただの大袈裟な親子喧嘩だ。

 感情がこじれた末の、見せかけの武装だ。

 本当に刃が交わることなど、あるはずがない。


 皆が、どこかでそう思っていた。


 誰も、ヴァンダ卿を本気で殺そうとはしていなかった。


 ——そう、ドラゴを除いて。

読者の皆様

10話まで読んで頂き本当にありがとうございます!

たくさんの小説があるなかで、この物語に触れて頂き感謝でいっぱいです。

もし差し支えなければ、ブックマークをして頂ければ作者の励みになりますので、何卒よろしくお願いします!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ