第12話:組織の代謝と功労者の廃棄
組織というものは、生き物によく似ている。成長期にはあらゆる栄養を吸収し、その巨体を維持するために多くの細胞を抱え込む。だが、飢餓や病に襲われれば、生き残るために末端の組織を切り捨て、基礎代謝を落とさなければならない。生物学的に言えばそれは自然な生存戦略だが、切り捨てられる細胞が感情を持った人間である場合、その営みは凄惨な殺戮へと変貌する。
俺の仕事は、その殺戮の執刀医になることだった。麻酔なしで、かつて組織を支えた主要な臓器を摘出し、ゴミ箱へ放り込む。それが統括官という椅子に座る男の、最も忌まわしく、かつ最も純度の高い職務である。
魔物の大侵攻から三ヶ月。都市は驚異的な速度で復興を遂げていた。俺の指揮の下、全権を掌握した調整局は、都市の全リソースを効率化の極地へと叩き込んだ。
しかし、その急激な変化は、歪みを生んでいた。肥大化した戦時体制を、平時へと戻す過程。そこには、役割を終えたにもかかわらず居座り続ける、不採算な組織という名の贅肉が存在していた。
俺の机の上に置かれたのは、自警団付属の補給支援隊、通称「古参隊」の解体案だ。彼らはかつて、まだ騎士団が未整備だった頃の都市を守り抜いた功労者たちだった。平均年齢は五十を超え、その多くが戦傷を抱えている。彼らの主な仕事は、倉庫の管理や、簡易的な武具の修理、そして戦場での炊き出しだ。かつての泥沼の戦いにおいて、彼らの献身がなければ、ガランドたち騎士団も持ちこたえられなかっただろう。
彼らは「都市の魂」と呼ばれ、市民からも、そして騎士たちからも深い敬意を集めていた。
だが、数字は無慈悲だった。俺が導入した、商業ギルドによる一括物流管理システムと、最新の魔導鍛冶技術を導入した武具整備部門。これらと比較して、彼らの作業効率は三分の一以下。維持コストは、外部委託する場合の二倍。さらに、彼らが占拠している一等地の倉庫群は、今の都市にとって最も重要な物流拠点として転用すべき場所だった。
経営判断としての答えは、会議室に入る前から出ていた。解体。全隊員の即時解雇、および組織の消滅だ。
「先生、彼らの代表が外で待っています」
ロイスが、いつになく慎重な声で言った。部屋の外からは、複数の重い足音と、金属が擦れ合うような音が聞こえてくる。古参たちが、自分たちの処刑宣告を阻止するためにやってきたのだ。
俺は深く椅子に沈み込み、書類に最後の一行を書き加えた。
「通せ」
ドアが開き、三人の男たちが執務室に入ってきた。先頭に立つのは、隊長のバルガス。白髪混じりの髭を蓄え、顔には大きな太刀傷がある。かつて魔物の牙から先代の市長を救ったと言われる英雄の一人だ。彼の背後には、松葉杖をついた男と、指を数本失った男が控えていた。
彼らが纏っているのは、色褪せてはいるが、磨き抜かれた古い革鎧だった。その姿は、この洗練された近代的な執務室において、ひどく場違いで、ひどく誇り高く見えた。
「統括官殿。我々への通知が間違いでないか確かめに来た」
バルガスの声は、地底から響くような重低音だった。彼は帽子を脱ぐこともなく、真っ直ぐに俺の目を見据えた。俺は表情を動かさず、机の上の書類を指差した。
「間違いではありません。古参隊は本日をもって解散。倉庫は明日から商業ギルドの管理下に入ります」
「……我々が何をしてきたか忘れたのか。あんたがあの橋を落とした時、対岸から泳いできた負傷者を真っ先に引き揚げたのは誰だ。あんたの命令で泥を啜りながら、一睡もせずに防壁を固めたのは誰だ」
「記憶しています。皆さんの貢献は、都市の歴史に深く刻まれています」
俺は事務的に答えた。感謝の言葉。それは、この場面において最も安価で、最も無意味な通貨だ。
「ですが、歴史の重みは、現在の運営コストを相殺しません。皆さんの組織を維持するために、年間で金貨八百枚が消費されている。同じ予算があれば、最新の警備システムを導入し、さらに五十人の若者を新規雇用できる。これが事実です」
「金の話か。俺たちの命を、その安っぽい算盤で弾いたというのか」
背後にいた松葉杖の男が、吐き捨てるように言った。彼の目は怒りに燃えていた。
彼らは誇りを売りに来たのではない。自分たちの居場所を守りに来たのだ。居場所とは、生存そのものだ。五十を過ぎ、体にガタが来た男たちが、ここを追い出されてどこへ行く。新しいスキルを身につける時間はなく、若者と競う体力もない。彼らにとって解体とは、社会的な死刑宣告に他ならない。
「感情論を言いに来たのであれば、時間の無駄です。私は、感情で予算は動かしません」
「統括官! 少しは人の血が通った話をしろ!」
バルガスが机を叩いた。ドン、と重い衝撃が走り、ペン立てが揺れた。ロイスが即座に腰の短剣に手を伸ばしたが、俺は視線だけでそれを制した。
バルガスの手は、震えていた。それは怒りだけではない。自分の信じてきた世界が、この若造のペン先一つで消えていくことへの、根源的な恐怖だ。
「我々がいなくなれば、この街の魂が消えるぞ。義理も人情も、すべて数字に置き換えて、後に残るのは冷たい石壁だけだ。あんたはそれで満足なのか」
「魂で腹は膨らみません、バルガス隊長」
俺は冷たく言い放った。バルガスの瞳の中に、かつてハンスに見せたのと同じ絶望の色が宿るのを見た。俺の心臓が、一瞬だけ不規則なリズムを刻んだ。
だが、俺は止まらない。止まることは、俺がこれまで切り捨ててきたものへの冒涜だ。一度でも揺らげば、すべてが崩れる。
「皆さんのような熟練の戦士たちが、倉庫番や炊き出しに甘んじていることこそ、人的資源の浪費です。退職金として、通常の三倍の額を用意しました。さらに、近郊の開拓村での指導役というポストも斡旋します」
「……施しを受けるつもりはない。俺たちは最後まで、この街の守り手として死にたいんだ」
バルガスは深く息を吐き、静かに背を向けた。その背中は、入室した時よりもずっと老いて見えた。松葉杖の音が、虚しく部屋に響く。
彼らは何も勝ち取れなかった。ただ、自分たちの時代の終焉を、最も無機質な形で突きつけられただけだ。ドアが閉まり、静寂が戻った。
「先生、お疲れ様です。これで懸案事項の一つが片付きましたね」
ロイスが、安堵したように書類を片付け始めた。俺は何も答えなかった。窓の外を見た。古参隊の男たちが、肩を落として歩いていくのが見えた。
彼らが去った後の倉庫には、明日から新しい荷物が運び込まれ、新しいシステムが稼働し始める。都市はさらに効率的になり、さらに強固になる。俺は正しいことをした。組織を新陳代謝させ、不要なコストを削減した。
だが、俺の胸の中に残ったのは、達成感ではない。古い肺胞を一つずつ潰していくような、息苦しさだけだった。
その日の夜、俺の元には二通の手紙が届いた。一つは、商業ギルドの若手経営者たちからの連名による感謝状だ。「古参隊の独占していた倉庫が開放されたことで、流通スピードが劇的に向上しました。先生の決断に、心からの敬意を表します」
もう一つは、匿名で送られてきた、殴り書きの罵倒状だ。「英雄をゴミのように捨てる人でなし。お前が死ぬ時、誰も看取らないだろう。地獄へ落ちろ」
俺は二枚の紙を並べて眺めた。感謝。恨み。どちらも同じ重さの羊皮紙だ。どちらも、俺の判断という入力に対する、世界からのレスポンスだ。データとして見れば、それは「受益者」と「被害者」の統計に過ぎない。
俺は、無造作にそれらをシュレッダーの代わりの暖炉へ放り込んだ。紙が燃え、灰になる。感情も、言葉も、すべては灰となって消える。後に残るのは、冷徹に刻まれた実績という名の数字だけだ。
深夜。俺は一人、執務机に向かっていた。山のような書類。インクの匂い。俺は無意識に、右手のペンを握る指をさすった。中指の第二関節のあたりに、硬いタコができている。就任した当初はなかったものだ。
毎日、何百回と署名を繰り返し、何千回と数字を書き込んできた結果だ。皮膚が変形し、感覚が鈍くなっている。それは、俺がこの世界に刻んできた判断の数そのものだった。お前はどれだけの人間の運命を書き換えてきたのか。そのペン先で、どれだけの未来を剪定してきたのか。
このタコは、消えない証拠だ。たとえ俺がこの椅子を降りたとしても、この硬い皮膚は、俺が何をしたかを語り続けるだろう。
ふと、執務室の隅に人影が見えた気がした。ハンスか。橋の上で取り残された名もなき避難民か。それとも、今日居場所を奪ったバルガスたちか。俺は幻覚を見ているのかもしれない。
だが、俺は驚かなかった。むしろ、彼らがそこにいることが当然のように思えた。この部屋は、俺一人の場所ではない。俺が切り捨ててきた者たちの、無念の集積所なのだ。
「……何か文句があるか」
俺は闇に向かって、たった一行の言葉を投げた。返事はない。ただ、風が窓を叩く音だけが聞こえる。
俺は自嘲気味に鼻で笑い、再びペンを握った。タコが机の面に当たり、鈍い痛みを感じさせる。心地よい痛みだ。この痛みだけが、俺がまだ人間として生きていることを証明してくれている気がした。
翌朝。古参隊の倉庫の解体作業が始まった。大きな槌が石壁を叩き、埃が舞い上がる。かつての英雄たちの居場所が、跡形もなく消えていく。
俺はその様子を監視塔から眺めていた。隣に、ガランドが立っていた。彼は複雑な表情で、かつての部下たちの末路を見つめていた。
「これでよかったのか、工藤殿。彼らは、私の命の恩人でもあるのだ」
「よかったかどうかは、十年後の帳簿が証明します。団長、情で飯は食えません」
俺の言葉に、ガランドは何も答えなかった。彼はただ、一度だけ深く溜息をつき、去っていった。俺もまた、彼を追わなかった。俺たちはもう、同じ道を歩いてはいない。
彼は光の中に立ち、俺は闇の境界線で天秤を支える。それが、この都市の役割分担だ。
「先生、次の案件です。孤児院の定員適正化について」
ロイスが新しい書類を持って現れた。定員適正化。また、誰かを追い出すための、綺麗な名前の付いたリストラだ。
俺は椅子に座り直し、指のタコを机に押し当てた。硬い感触が、俺の思考を研ぎ澄ませる。迷うな。考えるな。ただ、最適解を出せ。俺は自分自身を殺し、再び機械の歯車としての回転を始めた。
作業が進むにつれ、都市の姿は刻一刻と変わっていく。古いものは壊され、新しいものが生まれる。効率という名の巨大な怪物が、過去を食い散らかしながら未来へと突き進む。俺はその怪物の脳となり、手足となって、この都市をどこまでも加速させていく。
その果てに何があるのか。それは、俺にも分からない。だが、俺は止まることができない。ペンのインクが尽きるまで。指のタコが、骨にまで達するその日まで。
午後の会議。俺は新しい物流計画について説明した。反対意見は出なかった。誰もが俺の判断を無批判に受け入れ、称賛する。かつて議論を戦わせた日々が、遠い昔のことのように思える。
思考停止。それが、俺が作り上げたシステムの終着点だった。俺が言えば、それが真理になる。俺が決めれば、それが運命になる。この万能感に似た絶望を、誰が理解してくれるだろうか。
会議室を出る時、俺はふと、解体された倉庫の跡地を見た。そこにはもう、バルガスたちの気配はなかった。ただ、平らに均された土が広がっているだけだ。
彼らがこの街にいた証拠など、どこにも残っていない。いや、唯一残っているのは、俺の右手のタコだけだ。俺が彼らの居場所を奪ったという事実は、俺の体の一部となって、永遠に刻まれ続ける。
俺は手を握り、そして開いた。タコの感触が、重く、確かな実体を持ってそこにあった。
俺は、その感覚を抱きしめるようにして、次の執務に向かった。都市の喧騒が、遠くから俺を呼んでいた。数万人の命を預かる、孤独な執行者の日常が、再び幕を開ける。
俺はペンを握る。インクが紙に染み込む。また一つ、過去が消え、新しい数字が生まれた。俺は、誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
「……次だ。誰の未来を削ればいい」
俺の問いに答える者はいない。ただ、ペンが紙を引っ掻く音だけが、不気味に響き続けていた。その音は、死者の悲鳴にも、あるいは未来への産声にも聞こえた。俺は、その両方から耳を塞ぎ、ただひたすらに書類を裁き続けた。俺という存在が、完全に一つの機能へと同化するまで。




