if文で魔法を走らせろ
書斎の片隅、山積みの古文書と羊皮紙の海に埋もれるように、アイリスは一人、ペンを走らせていた。
「……やっぱり、“Fulmen Iacio”は動詞句ね。雷撃を投げる構文。主語が省略されてるだけ」
脇に置かれたノートには、自作の“魔導構文ノート”がびっしりと書き込まれていた。
主語、動詞、目的語、修飾句──まるでプログラミングの構文解析ツールのように、魔法詠唱を要素ごとに分解していく。
「次は……条件分岐」
机に広げた文献の断片には、こう書かれていた:
Si hostis prope est, fulmen iacio.
意味はまだ断定できない。けれど、“Si”=ifなのは直感でわかった。
「“Si hostis prope est, fulmen iacio.”……もし敵が近くにいれば、雷を投げろ……って意味だと思うけど──」
アイリスは眉を寄せた。
「でも、“敵”って、どう定義されてるの? 見た目? 魔力反応? それとも……事前に登録されたIDとか?」
記述はシンプルだ。だが、構文に条件が書かれているだけで、判定のロジックが見えない。
「……この言語、たぶん“評価関数”を内包してるわ。“hostis(敵)”という変数に、なにか判定式が事前に紐づけられてる。そうじゃないと、こんな曖昧な条件で自動発動するはずがない」
アイリスはにやりと笑った。
これだ。この世界の魔法言語には、“制御構文”がある。
条件、繰り返し、並列実行。
つまり、魔法はただの力ではなく、設計された構文実行体だ。
「じゃあ、試してみようか。構文で魔法を走らせるってやつを」
彼女は新しい羊皮紙に、独自の詠唱を記述し始めた。
Si lux minor est, Lux Illumina.
Else, Ventus Move.
【もし光が弱ければ、光を灯せ。そうでなければ、風を動かせ】
本来の詠唱には存在しない文法要素──"Else"を追加した、完全自作の魔導構文。
「これが動けば、私は……“魔導構文師”として第一歩を踏み出せる」
アイリスは、机上の小型魔導石に手をかざし、魔力を流し込み、呪文……魔法言語(マギア語)を詠唱した。
詠唱陣が浮かび上がる。
構文を読み込むように、魔導石の表面が淡く発光し──
「……発動──ッ」
ガンッ!!
次の瞬間、光が弾け、風が部屋の中を吹き荒れた。
本棚が倒れ、紙が宙に舞い、魔導石が悲鳴のような音を上げる。
「くっ……! 変数未定義エラー!?」
叫ぶように突っ込む自分に、一瞬だけ前世の自分が重なった。
「アイリス!!」
書斎の扉が開き、兄エイデンが駆け込んできた。
彼の指先から光が走り、魔導石が一瞬で停止する。
「……魔法が、暴走したのか?」
「ええ……たぶん、構文の条件処理が途中でバグって暴走した。魔力の流れがループしたの。ログがあればわかるんだけど……!」
「ログって……何言ってるんだお前……」
エイデンは一瞬だけ呆れたように息を吐き、だが次の瞬間、真剣な表情で言った。
「君のやっていることは、魔法の在り方を根本から変える行為だ。……だが」
彼はそっと、倒れた書棚の隅からアイリスの構文ノートを拾い上げた。
「“読み方”ではなく、“書き方”から魔法を学ぶ者が、かつていただろうか?」
アイリスは、破れかけた詠唱図の上で、静かに答えた。
「私は、この世界の魔法を再構築したいの。
ただ唱えるんじゃない。理解して、設計して、制御する。
魔法を“書ける”ようになりたい」
エイデンは黙って頷いた。
「……魔法大学に行け。お前なら、アルカナム魔法大学にも行けるはずだ。」
その言葉に、アイリスは目を見開いた。
「兄さん……」
「構文魔法の危険性は、俺が一番よく知っている。だが、君にはその先を見通す目がある。ならば──やってみろ。後は自分で証明しろ」
魔法は、詠唱するものではない。
魔法は、書き換えられるものだ。
それが、魔導構文師の初めての“成功”だった。