Prologue ―再構築の目覚め―
──コマンドラインが、闇の中に浮かんでいた。
shutdown -h now
最終ログアウト処理を終えた後、サーバのファンの音さえ遠ざかり、
世界がゆっくりと、静かに、暗転していった。
彼女は確かに死んだ──そう、思っていた。
目覚めは、光だった。
刺すような蛍光灯の白ではない。やわらかな陽光が、まぶた越しに温かさを伝えてくる。
「……お嬢様?」
耳元で、少女の声がした。くぐもっていた音が、次第に輪郭を帯びる。
「アイリスお嬢様、お目覚めですか?」
ゆっくりと瞼を開けた。
天蓋付きのベッド。淡い薔薇模様の天井布。見知らぬ部屋。
目の前には白いフリルのメイド服に身を包んだ少女が、不安そうにこちらを覗き込んでいた。
──誰?
──ここはどこ?
──なぜ……?
「……ここは……」
「グレイン伯爵邸でございます。ご気分が優れませんか? すぐに侍医を──」
その言葉を聞いた瞬間、流れ込んできた。
まるで、記憶ファイルが一斉に展開されていくように。
「アイリス・グレイン」。
この世界の伯爵家に生まれた少女。
父は王国軍の魔術師、母は魔法大学の教授の娘。
教養、魔法、礼儀、貴族の務め。
気がつけば、そのすべてが「自分のもの」として、脳に刻まれていた。
──けれど。
“私は、アイリスじゃない”
“……でも、アイリスでもある”
この身体に流れ込んできた記憶と意識は矛盾していない。
明らかに自分自身のものとして、融合していた。
だが、消えなかった。死ぬ前の記憶、思考、言語の感覚。
「……転生、したの?」
ぽつりと漏らした言葉に、メイドの少女は目を瞬かせる。
「て、んせい……?」
応えずに、アイリスはゆっくりと身体を起こした。
全身に力が戻り、意識は明瞭だった。
窓の外を見る──庭園の奥、地面に何かが刻まれている。
それは魔法陣。幾何学的に構成された、巨大な詠唱装置。
そして、浮かんでいた。
光の粒で構成された、半透明の詠唱文。
Ignis exuro vitas hostium.
──ラテン語?
……読めない。読めないけれど、わかる。
これは「意味」ではなく、「構造」を見るべきものだ。
主語。動詞。目的語。
命令の流れ。文の分岐。属性の定義。
「……完全に構文ベースじゃない、これ」
アイリスの声が震える。けれど、それは恐れではなかった。
それは、プログラマが未知のコード体系を初めて目にしたときの――
期待と歓喜の震えだった。
意味はわからない。
けれど、明らかに文法がある。
構文がある。命令系統がある。
if文、ループ、トリガー、そして条件発火式。
──魔法が“言語”で動いている。
「これ、私……解ける」
不意に笑いがこみ上げた。
どうしても壊せなかった“世界”。
報われなかった努力。
見えなかった出口。
全てを終わらせたはずのその先で、今、自分は“新しいシステム”を目の当たりにしている。
未知のプログラミング言語。
それも、世界そのものを動かす言語だ。
「私はこの世界の魔法を──再構築する」
今ここに、“魔導構文師”が目覚めた。
それは、技術で魔法を凌駕する少女の、最初の再起動だった。