過ちの代償、若き声
リュミエールの朝は、喧騒と共に訪れる。
中央市場では果物売りが声を張り上げ、旅の商人たちが荷馬車を引いて港へ向かう。
高台に立つ聖堂の鐘が鳴り、子どもたちが走り出す。
それはまるで、昨日の憂いなど存在しなかったかのような、容赦ないほどに明るい一日だ。
だが、ガルドにとってその朝は――静かで、重いものだった。
目覚めてすぐに火床に火を入れることもなく、彼はぼんやりと、槌を持ったまま工房の片隅に腰を下ろしていた。
「……報告だけはしよう。あの剣のことも、あの時のことも、全部」
そう、彼は決めていた。
もはや職人として打つ槌に迷いが出るようでは、誰かの命を支える道具など作れるはずもない。
カイルがあの剣で命を落としていたら、取り返しがつかなかった。
報告しよう。そして、終わらせよう。
それが責任というものだ。
そう、自分に言い聞かせた矢先――
「ガルドさーん! いますかー!?」
声がした。
扉を叩く音と共に、聞き覚えのある若い声が工房に響いた。
ガルドは動けなかった。何かが胸を突き上げてくる。
躊躇いと、恐れと――そして、期待。
ゆっくりと立ち上がり、重たい扉を開けた。
そこに立っていたのは、確かに彼だった。
カイル・エストレア。
――生きていた。
それだけで、ガルドの胸はぎゅっと締めつけられた。
「やっぱり、ここでしたか。あの……急にすみません」
言葉を探しながら、カイルは帽子を取って頭を下げた。
体つきは以前よりしっかりしていて、皮のジャケットは冒険で鍛えられたような傷があった。
腰には、ガルドが渡した魔剣が収まっている。鞘の傷は浅く、だが使い込まれた印があった。
「……お前、まだその剣を使っているのか」
ようやく出た声は、かすれていた。
「ええ。使ってますよ。あの剣、ちょっと難しいですけど……ちゃんと助けてくれました」
カイルは、いたずらっぽく笑う。
「正直、最初のころは何度も暴走しかけましたけど、魔脈の流し方、ちゃんと訓練して……今じゃ、頼れる相棒です」
頼れる――。
その言葉が、ガルドの中で何かをほどいていく。
「……お前、北の渓谷で大怪我をしたと聞いた」
「ああ……あれ、ですね。うん、死ぬかと思いました」
カイルは笑っていた。冗談めいて。だが、目は曇っていなかった。
「でも、それは俺の未熟さのせいです。あの剣じゃなかったら、あそこで全滅してたと思う。魔力の暴走を抑えるには、ちゃんと“意志”が要る。あれを乗り越えたから、俺、少しだけ強くなれた気がしてるんです」
まるで、傷ついた過去を“学び”と呼べるだけの強さを、彼は手に入れていた。
それは、ガルドがかつて持っていた強さでもあった。
だが、今は失ったと思っていたものだった。
「……俺は、あの時、お前を殺しかけたのだと思っていた」
ついに、胸にしまっていた言葉がこぼれた。
「だから、店を……鍛冶を、もうやめようと思っていた。怖かった。間違いを選んでしまった自分が、怖かった」
カイルは少しだけ驚いた顔をしたが、それ以上、何も言わず聞いていた。
そして――静かに首を振った。
「ガルドさん。俺、あの時あなたが“信じてくれた”こと、すごく嬉しかったです」
「……信じた、か」
「あの剣を渡してくれたのは、俺を“戦うに足る者”だと見てくれたからじゃないですか? もし、俺がそこで死んでたら、それは俺の未熟さです。でも、生き延びた今、俺はあの剣と一緒に前に進んでます」
そう言い切ったカイルは、どこかあの頃のガルドに似ていた。
「……頼みがあるんです。あの剣、研いでもらえませんか? 次の依頼、遠征になるんで。ガルドさんの手で、もう一度」
研いでくれ――。
その言葉に、ガルドの手がわずかに震えた。
昨日まで、槌を手放そうとしていた男の手が。
「……わかった。朝までに、仕上げておこう」
短く答えた声には、確かな熱が宿っていた。
カイルが帰ったあと、工房の炉に火が入る。
しばらく止まっていた火床が再び赤く染まり、鉄を打つ音がリュミエールの空に響く。
――ゴン。
――カァン。
静かだが、力強い槌の音。
それは、過去に囚われた男が、もう一度立ち上がる音だった。