第5話 2つの研究棟
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時25分
「この敷地はちょうど1週間前の4月11日の午前12時――正午ですね。正午に、逃亡者の一人であるヌルマユ氏が【TEN】に申請し、10日間の契約で借りた土地です」刑事が歩きながら説明を始める。「それから犯行がおこなわれ、通報を受けた警察が到着するまで、この敷地に足を踏み入れることができたのは、重ね重ねになりますが、そのリストの6名だけです」
「犯人はこの中にいる!」井出ちゃんが本気度43%くらいの凛とした声をつくって、私たちの足並みに合わせて動く一覧表を指差した。「みたいな感じでしょうか?」
「犯人はこの中にいた!」またしても勝手に現れたセンゾが、短い腕を横に広げて、言った。「じゃね?」
「まず、それを確かめるのが私たちの仕事だよね」
私はなるべく小さな動きで指を鳴らし、センゾを消す。
「ネタバレになってしまいますが」センゾと入れ替わるように宙からぽんっと、雪だるまを模した『我らが法務助手』ことフラボノがやはり勝手に現れる。センゾと同じサイズだが、こちらには手足はない。代わりに黒縁のメガネを掛けている。全反射するレンズに阻まれ、目は見えなかった。というか、そういう仕様だ。「当該時間帯、この敷地に入ることが出来たのは、森岡刑事の仰ったとおり、間違いなく一覧の6名で確定です。『7人目』は存在しません」そう言って、すぐに消えた。
このフラボノというやつは、センゾと同じく【マシン】でつくった人工知能を搭載したペットで、性格や機能をデザインしたのは私だが、所有権は私たちの法律事務所にある。『彼』は、物言わぬ【TEN】の代弁者みたいな立ち位置も兼ねており、つまりは、私たち人類に対し、嘘をつかないことが約束されている(ただし、冗談などは言う)。
「次に、殺害現場となった『研究棟』ですが――」この刑事は場の空白を察知するのが抜群にうまい。さらりと説明を再開する。「これはご覧のとおり2つに……、A棟とB棟に分かれています」
歩く私たちの行く手には、双子のようにそっくりな外観の建物が2つ並んでいた。
向かって左手――西側にあるのがA棟で、右手、東側にあるのがB棟だそうだ。
「どちらも3階建てで――」
刑事の説明に耳を傾けつつ、私は建物を観察する。
飾りも窓もない、20世紀風コンクリート建造物というのか、うっすら灰色の立方形。
横幅は15メートルぐらい、高さは30メートルほど。
俯瞰画像で確認してみると、屋上面から地上の床部分まできっちり15×15メートルの正方形で統一されているので、比率的には、正六面体のサイコロを二つ重ねたようなサイズ感に見える。
ただ『3階建て』を表現するためか、高さ10メートルごと――おそらく階層ごとに灰色はわずかに濃さを変えていた。
そのような立方体が2棟、10メートルほどの距離をあけて並んでいる。
他に目立つ特徴と言えば、両棟の間には、それぞれ2階とおぼしき部分から建物と同色の太いチューブが、もう一方の棟の1階部分へと繋がっていることか。ええと、太さは――と思うと、それを察したのか、フラボノが姿を見せず、直接頭の中に響くような、私にしか聞こえない声で「直径1メートルほどです」と教えてくれる。とくに撓んでいる様子もなく、びしっと伸びている。双方の棟の間に『X』という文字が出来ている感じ。この位置からだと2つのチューブは真ん中で結合しているように見えるが、合流はしていないらしい。刑事によれば、かの2本はわずかに隙間をあけ、接触せずにすれ違っている――それぞれ独立しているのだそうだ。
「出入り口は1階のみ。それぞれ建物南側に面したゲートのみとなります」私たちは敷地唯一の出入り口がある南側から研究棟へと歩いて近づいているから、刑事の言うとおり、それらしき『戸』が確認できた。「それとは別に、ご覧のとおり、双方とも2階ともう片方の1階は通路で結ばれていて――」
「通路? あのバッテンのことですか?」左利きの井出ちゃんが、宙に角ばった『α』を描くように人差し指を動かした。
「ええ、そうです」刑事は頷き、彼女につられるように建物のほうを指差す。「互いの棟を直接行き来するには、あのバッテン型の通路を介さなくてはいけません。それ以外の方法となると、面倒でもいったん一階の『戸』から建物の外に出て、もう片方の棟の、こちらもやはり一階の『戸』から入り直す、という手順を踏む必要があります」
「屋上に上がって、もう一方の屋上へジャンプして飛び移って、上から中に入るというのは駄目ですか?」井出ちゃんは、肩甲骨の辺りまで伸ばした後ろ髪を左手でウナジに押しつけるようにして、顔を上に向けた。
「屋上から屋上へ飛び移ること自体は、おそらく可能でしょうね」刑事は意味ありげな笑みを浮かべる。現場検証の際に試したのかもしれない。「ですが、そもそも建物内部からは屋上にあがれない仕様なんです。言わずもがなですが、屋上から建物内に入ることも出来ません。建物に入るには、やはり1階の『戸』からだけ」
そう言って刑事が手で指し示した1階の外壁部分。地面からタテに3メートル、そこから水平――つまりヨコに4メートル、そしてまた地面に向かって3メートルの『Π』型に、金色に輝くラインが引かれた。
その囲まれた領域が『戸』らしい。
『戸』もコンクリート風の様相で外壁と一体化しているのだが、表現が難しいが、外壁が縦縞なら、『戸』の部分は横縞になっているのか、光の反射具合――つまり、わずかに色が異なって見えた。
近づいてみて、『戸』は直にプリン色の地面には接しておらず、半円型の板の上に載っていることに気づいた。遠目では何かの模様に見えていたが違ったようだ。
刑事の話によると、戸の裏――建物内部にもこの半円板が展開されているから、全体として真円型になっているらしい。
つまり俯瞰で見ると、地面に埋め込まれるようにまんまるの円形の板が敷いてあって、その直径に戸ならびに建物南側外壁が垂直に立っているという感じだ。
「この戸は、下の半円型――あ、先ほど説明したとおり、この戸の裏にも同じような半円がありますから、真円ですね――円形の床と一体型でして、床自体が車輪のように動く回転扉方式となっております。なので、一度の認証で床に乗っている人間全員が建物の中に入れます」
『貴方』の時代でいう『バリアフリー』の精神にあたるのか、板は地面とほぼ同じ高さだった。やや黄緑がかったオフホワイトのプラスティックのような質感。
半円に乗った私と井出ちゃんは、足音が地中深くまで届いてしまうような、その心細い不思議な踏み心地に一瞬足を止めたが、森岡刑事がスタスタと率先して戸に近づいていってしまったので、すぐにそれに倣った。
刑事は、戸の表面を左手のひらで撫でるように触れ、宙に『操作画面』を呼び出してから、こちらに振り返る。
「これは【TEN】による個体認証ですが、それを受けるのは戸を開ける代表者1名だけ――今の状況で言うと、私だけです。先生方も一緒に計3名で乗っていますが、そちらの『人数』や『メンバー』の情報などは残らず、『何日の何時何分に、建物外側から、森岡という者が認証し、A棟の戸を開けた』という情報しか残りません」認証が終わると、まず半円の円周付近にシャボン玉のような膜――いや、幕、カーテンが現れる。「途中で乗ったり降りたりできないような、障壁の代わりだそうです」と刑事は説明した。
たしかに幕は半円の外へと逃れられないよう、私たち囲うように覆っていた。
上もだ。
いつの間にか戸と同じ高さの『天井』が形成されている。
それらは、ほんのり青色が溶け込んだようなガラスコップぐらいの透明さだったので、幕越しでも風景が動くのが分かった。俯瞰で見て、時計回り。
途中、フラボノが現れ、「森岡刑事の仰るように、戸の回転作動中におけるヒトないしモノの乗り降りは【TEN】によって厳格に禁じられています」と早口で保証した。「遅まきながら、先の森岡刑事による研究棟の説明および入場に関する説明にも誤りがないことをお伝えします」
10秒と待たずに半回転は完了したが、戸の中心近く――つまり回転軸の近くに居たためか、あるいは知らず【マシン】が支えてくれたのか、回転の開始、あるいは停止した瞬間に慣性で身体が揺れることはなかった。
周囲の幕が消えた気配を感じ、振り返ると、当たり前だが、私たちは建物の中に居た。
室内の全面、やはり、どこか温かみのあるコンクリート風で、ほんのわずか、陽に照らされる稲穂のような明るさが感じられた。
床面はほぼ正方形で、一辺がそれぞれ14メートル以上はあるだろうか、天井までは10メートルほど。
外から見た建物外観とほぼ同じサイズ。
中柱などはなく、逆さまにしたコップみたいに外壁が内壁を兼ねているようだ。下も半円型から向こうは、床ではなく、一面地続き――プリン色のまま。
照明器具も見当たらなかったが、壁や天井が発光しているのか、あるいは【TEN】が気を利かせて、私の可視領域を向上させて暗闇を解消しているのか、いずれにしろ、ちょうどよい明るさだった。
「他に部屋は?」刑事に続いて半円型から降りながら、私は訊いてみる。実のところ、声の跳ね返り具合を試してみたかったという稚気もあった。こちらもやはり【TEN】が調整してくれているのか、思ったより反響しない。普通だった。
「つくれません」刑事は『ありません』ではなく、そういう表現を用いた。「常時、この、ワンルームです」
私たちが入って来た戸のあるカベを『南側』と定義すれば、右手側の『東側』のカベに直径80センチほどの『丸』があった。灰色の壁に溶け込むような、似た感じの色合いだったが、薄いガラスのような物を貼っているのか、光沢のようなものが認められる。なので、それと分かった。
「あちらの『窓』は、表で見た『バッテン』の終着です」私の視線を追ったのか、刑事が解説してくれる。彼は井出ちゃんを真似して人差し指で宙に角張った『α』を描いてみせた。「B棟2階にいる人間があの『窓』からこちら側に飛び出してくる、という感じで――」
「飛び出してくる?」辺りを見回していた井出ちゃんが刑事に向き直り、そう訊き返す。
「ええ」刑事は頷く。「ほぼ瞬間移動のような体感なので――」そう表現している、ということだろう。「あとでお試しください……。あ、そうそう、『窓』は一方通行というか、『2階から1階』にしか飛べません。『1階から2階』には行けませんので。今は試せませんよ」
床から1メートル以上浮かせて設置されたそれは、たしかに『窓』のような高さにあった。あるいは『鏡』か。どちらも『21世紀に制作された映像作品』で見知ったギミックであり、今の時代においては必須の装置ではない。
まだ『窓』に興味ありげな井出ちゃんをよそに、改めて私は室内を見渡す。
何もない。
いや、『肉眼レベルで見えるものはない』が正確な表現か。
強いて言えば『この空間いっぱいに液体をためることも出来そうだな』などと空想した。
ふと、刑事がこの施設を『研究棟』と呼称していたことを思い出し、彼と目が合ったついでに私は尋ねてみる。「ここではどのような研究を?」
「関係者によれば、バトル競技の研究だそうです」
――と返されたら、現世ではそれ以上踏み込みようがない。
それくらい『バトル競技の研究』は全世界・全世代共通の、普遍的な趣味なのだ。
「棟内に擬似的なバトル空間をつくって、有志で研鑽していたとのことです」
「ん~? ちっと待てよ」とセンゾが出てきた。「今の流れだとバトル競技の研究って、座学じゃなくて実技? 模擬実戦? みてえなことだろ? 実際に身体動かして……。そんなのバトル世界に入ってやるもんなんじゃねえの?」
『わざわざこんなけったいな建物つくりやがってよ~』とばかりに周囲を見回している。「つか、天井たか」
「バトル世界だと逐一活動の記録が残ってしまうので、気軽に『遊びの対戦』ができない、というデメリットがあるんです」井出ちゃんが代わりに解説する。「それに部外者に『盗み見』されてしまう危険性もゼロではありませんし」
『盗み見』も競技的娯楽の一種として許容されているバトル世界と違って、『現実世界』ではセキュリティのほうが断然強いから、かような心配をせずに済む。なので『現実世界に擬似的なバトル空間をつくる』というのは、門外不出、原則として対外試合を禁じるサムライたちにとっては、ごくごく当然な設定選択とも言える。不自然さはない。
「ちなみにこの建物内からバトル世界に入ることも禁じられています」刑事が付け加えた。
これも解説すると、現実世界でつくった擬似的なバトル空間とホンモノのバトル世界の滞在感覚というのか、まあ、要するに『居心地』には差異がない。そのため棟内滞在中に、それが現実世界に構築した擬似的なバトル空間なのか、それとも誤って本物のバトル世界に入ってしまった(あるいは知らぬうちに入れられてしまった)のか、双方取り違えないよう、そもそも棟内からバトル世界へ入ることを禁じているのだろう。今の時代に生きる私たちからすれば、そういう規定や判断は標準的であり、やはり怪しむべき箇所はない。
あ~、あと、余談だが、私はとある制約により、カタカナ語の末尾にある『伸ばし棒』を発音したり、表記することが出来ない。例えば、競技者はプレイヤだし、投手はピッチャと表記・発声することになる。けれど、例外もあって、フリーやスターやギターやサッカーなどは伸ばせたりする。その線引きは曖昧であるし、事件解決にはおそらく無関係だろうが、表記のずれ――不統一は『貴方』も気になるかもしれないので、一応断っておこう。
刑事と目が合う。
「2階にはどうやって?」見るべきものは見た、と判断し、私は促した。




