第4話 4名の逃亡者
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時23分
「犯行当時この敷地に立ち入ることができたのは認証登録した6名だけです」今回も案内役の森岡刑事がさっそく始める。「うち1名が被害者。もう1名が遺体の第一発見者である通報者……。この通報者はすでに【エイリアス】によりシロが確定しております。なので残りの4名――目下バトル世界へ逃亡している4名が被疑者ということになります」
「前回と似ていますね」
後輩弁護士の『井出ちゃん』こと、井出悠香が私の隣でそう呟いた。
「つーか、案内役またお前かよ……」
宙にぽんと現れ、そんなふうに悪態をついたのは、私のペットであるセンゾ。
彼は、球状の頭部の下に胴体と手足をつけた二頭身型で、例えるなら『グー』の下から『中指を畳んだパー』をくっつけたような体形をしており、全長は30センチくらい。顔にはラクガキ風に目と口を描いただけなのだが、それ以外の五感も備えているらしく、ちゃんと会話が出来る。
「さすがに見飽きたわ」中空に浮かんだセンゾは長身の森岡刑事にふわふわと迫っていく。「警察お前しかいねえのかよ」
「えっ……」
刑事はとっさに言葉に詰まる――ふりをする。
それが癇に障ったらしく、センゾは急に声を荒らげ、「『ギクッ』じゃねえんだよ、『ギクッ』じゃあ」と手本を見せるように、『ギクッ』と強張った表情を挟みながら、怒り狂った様子で空中で地団駄を踏む。
さすがに『人類の知的ピーク』と言われる『21世紀人』のエッセンスを取り込んだ人工知能だけあって器用だ。そして感情の起伏が激しい。
「毎度毎度同じ顔でうんざりだわ」なおもセンゾの毒づきが止まらない。
「いやあ、これが波戸先生の本音だと思うと居たたまれません」
かの刑事はセンゾを『私の腹話術』だと誤解しているのか、あるいは面白がって『そう思い込んでいる男』を演じているのか、委縮した笑顔をこちらに向けてきた。
「まあ、自己紹介の面倒がないのは助かりますが」私は答える。
「マンネリであることは否定しないのですね?」刑事は苦笑いを返してくる。
「否定しねえのはてめえだろボケがあ」センゾはまだ怒っている。「だから答えろや。警察おめえしかいねえ……」
さすがにうるさいのでセンゾを消すと、辺りは俳句が浮かびそうなほどの静寂に包まれた。
極端すぎる音量のギャップのせいか、私はなんだか可笑しく思えてきて、ひとり吹き出しそうになる。
さて、現在の――つまり、24世紀の地球は、見渡す限り全面プリン色の『プレート』と呼ばれる平坦な地盤で構成されており、そこで暮らす私たち現代人は、この無味乾燥な眺めを、各々『自分の見たい風景(世界観?)』に【マシン】で化粧して楽しんでいる。
けれど、例えば、そこが私有地であれば『土地所有者が来訪者に見せたい風景』に強制的に変化してしまう。なので、この事件現場とおぼしき敷地に入場を果たした瞬間から、私の足元はわずかに湿り気のある、生チョコみたいな土の地面に変わっていた。周囲は、おそらく敷地の4辺を縁取るように、網目の粗い灰色のフェンスが立てられていて、その向こう側は、霧というか、白か青か、色素の薄いガスに阻まれ、見通せない。体感温度も少し下がっているか。
その眺めも、匂いも、滞在感覚も、踏み込んだ際に足裏をやんわり押し返す反発具合も悪くはなかったが、私はプリン色に戻した。フェンスも消えたが、やはり霧は掛かったままで、敷地に入る前には見えていたはずの隣家が見えない。本来なら【マシン】の視覚エフェクトをオフにした瞬間、360度地平線が望める『砂漠のように何もない』眺めになってもおかしくないはずなのだが、そのあたりの仕様は土地所有者の意向が尊重される――みたいだ。あとで当該法律を確認してみよう。
蛇足だが、私のような『【マシン】で化粧しないすっぴんの風景』を好むのは少数派である。
「では、せめて飽きられないよう工夫を凝らしてみましょう」刑事は言い、宙に文字列を表示させた。「まずは関係者リストをご覧いただきます」
氏 名 フリガナ 状態 国内バトルランキング
吟見 巧久 ロラミエ コノク 被害者 477位
犬京足 次々 クツキ ツギツグ 逃亡中 7位
無眉 道霧 ヌルマユ ミチカガ 逃亡中 24位
積松 竹流 ツミマツ タケル 逃亡中 31位
山棚田 夏十 ヤマタナダ ナツト 逃亡中 33位
狭池 ヒロシ セマイケ ヒロシ 残留者 5637位
リストが提示されるや否や井出ちゃんが驚いた声をあげた。そして視線はそのまま、けれど、少しだけ顔をこちらに向け、「逃亡者全員ランキング上位のサムライ勢――いえ、上位どころか、四天王がいますよ!」と見れば分かることをわざわざ声に出して伝えてくる。あるいは、そういう記憶処理の仕方なのかもしれないな、などと私は空想した。
「元・四天王ですね、クツキさんは」森岡刑事が笑顔で訂正し、続ける。「お察しのとおり、ゆえに我々が差し向けた『寄せ集め』の討伐部隊はことごとく返り討ちにあってます。前回同様、こちらの世界で発出した『指名手配』は、バトル世界では『討伐イベント』へと転化しました。先生方もご承知のように『【TEN】公認の、公式討伐イベント』と化したことで、報酬目当ての一般プレイヤーが大量に参戦してくれたのは願ってもないこと――というか、まあ、狙いどおりなのですが、被疑者側にも『逃亡者特典』のアドバンテージが与えられてしまいました。それもあってか討伐は最上級に至難なものとなっていますねえ」
こちらの――つまり現実世界での法的な効力は、もうひとつの世界である『バトルワールド』の中にまでは及ばない。
要するに『バトル世界』に逃げこんでしまった被疑者の身柄を、『現実世界』にいる官憲が法的な強制力をもって拘束することはできない。禁じられているのだ。
『身柄確保』のためには、こちらも『体感型ゲームであるバトル世界』に入り、そのルールに則った手順で対象を一度『殺害』しなくてはならない。
そして殺害――つまり『ゲームオーバ』にしてしまえば、対象はいったん現実世界に帰還しなくてはならず、そのタイミングで『指名手配』の効力が発揮され、有無を言わさず身柄確保となる。
これは前回、前々回と同じ流れだ。
ただひとつ決定的に違うのは、先ほど井出ちゃんが驚きをもって示唆したように、今度の逃亡者4名はいずれも国内屈指の手練れであるため、そもそもバトル世界で殺害することが至難である――ということ。
それに加え、討伐イベント特有のルール――すなわち、逃亡者を討伐しようとする挑戦者は、逃亡者の出す『対戦条件』を飲まなくてはならないというカセの存在も大きい。
たとえばそこに『勝負は1対1限定。かつ、戦闘終了時に勝者側のダメージ及び疲労を完全に解消する』なんていう規定があれば、警察が企てた『賞金稼ぎ達』による、人海戦術、数的優位を活かした持久戦も意味を成さなくなる。
ありていに言えば、困った状況だ。
「そんな非力な我々を哀れに思ったのか、【TEN】はチャンスを与えてくれました」刑事は不可視なボールを左手で支えるような格好で話を続ける。「いわく『現実で起きた殺人事件の解決が叶えば、討伐イベントを継続したまま、バトル世界に逃げた被疑者のアドバンテージを取り下げますよ』と」
「要するに、誰が殺人の実行犯か特定できれば、あっちの世界でも捕まえやすくなるってことですか?」言って、井出ちゃんはこちらに笑顔を向ける。「わあ、じゃあ、責任重大ですね」
「元・四天王はともかく、どうにか分断して、一番弱い奴を上位勢で集中して狙えば誰かしら一本取れると思うどね」私は指摘する。「それで、一人でも【エイリアス】に掛ければ、かなり状況は変わるはず」
「そういう可能性を持ったプレイヤーは、もれなく元・四天王が狩っています。ものの見事に先手を打たれてますね」刑事によれば、被疑者たちに敗れた者は『退場』扱いとなり、以降、当該イベントの参加権を失うとのこと。人生と同じでチャンスは一度きり、ということらしい。苦笑しながら刑事は「サムライは、相手の承諾なしに勝負を挑むことが出来ますから」と続けた。
そうでなくても再来月に、個人戦としては世界最大規模を誇るバトル競技大会――いわゆる『ツヴァイカップ』が控える上位勢は、この時期のランキング変動に神経質になっていることだろう。討伐参加に消極的だったとしてもおかしくはないし、実際、刑事によれば、上位勢は軒並み不参加を表明したらしい。
「まあ、万が一にもヘタをうって『退場』なんかしたら、評価ダダ下がりですからね」と井出ちゃんも理解を示す。
となれば、討伐に意欲を見せるのはせいぜい国内ランク3ケタ中盤から下――ぐらいか。
「サクラは?」私は『国内バトルランク37位』の友人の名を出した。彼女は個人ランキングに価値を見出さない珍しい人種で、負けてもいいからとにかく強い相手と戦いたいと考える好戦的なタイプだ。
「不染井さんはこちらの奥の手……、のひとつです」刑事は微笑んでみせる。「ここぞ、というときのために、すでにこちらで囲い、保護しています」
前述のように、このようなイベントでは一度敗れてしまうと再参加はできない。
なので、勝手に動いて殺されないよう、彼ら警察は彼女を同意のもと軟禁状態にしているようだ。
私たちが犯人を特定できたら、すぐさまサクラをその討伐に向かわせるつもりらしい――が逃亡者のランクはいずれも彼女と同等……、いや、それ以上なわけで。むしろ、官憲お抱えの『本命』に確実な仕事をさせるため、サクラには陽動や情報集めの捨て石みたいな役目をあてがうつもりなのかもしれない。そんなふうに勘ぐってしまう。
「問題はイベント発生から48時間が経過することですねえ」刑事の口ぶりは呑気なものだった。「ええと、もう、あと25時間後ですか……。あすの午前11時には制限が外れ、海外からの討伐参加が認められてしまいます。被疑者を特定できないのは我々警察の恥ですが、本邦で発生したイベントを海外勢にクリアされてしまうのは国の恥です……。いや、そのように考える層の存在が無視できないほどに大きいだろうという、あくまで推測ですが」
そんなわけで一介の弁護士に過ぎない私たちにお鉢が回ってきたわけだ。
『過去に殺人事件を解決した実績がある、唯一の者たち』として。
もちろん今回も、表向きは『警察の捜査手順に法的な不備・違反はなかったか』という第三者的な監査員として――そのような名目のもと、私たちはこうして現場に立ち会わせてもらっている。
もし首尾よく私たちが事件を解決できても、それはそのまま横滑りで官憲の手柄になってしまうのだが、そのことに対し、私たちに不満はない。今の時代、殺人事件の捜査に参加できるなんて稀有な体験だし、なにしろヒマな身だ。
『推理小説愛好家』を自称する井出ちゃんなんかは、憧れの『探偵役』を仰せつかったこの状況にワクワクしているに違いない。
対して私は、あら探しをする『読者』のような立ち位置だろうか。
では今、この脳内に駐屯し、私の行動記録を読んでいる『貴方』に、果たして自分はどのような役割を求めているのだろう。
少し考えてみる。
……。
…………。
ところで、久しぶりに復元してみた『貴方』だが、その再生はもっぱら思考系に特化して、五感も、視覚の『文章を認識する機能』のみ。記憶系にいたっては、かなりおろそかだから、過去に二度、私によって復元されたこともおぼろげか、下手をすると、すっかり忘れて『初めまして』な印象かもしれない。だとすると、この未来世界に戸惑っている可能性はかなり高い。
なので、その心的負担を考慮し、『貴方』に与えた課題はシンプルに『私の行動記録を小説のように読み、事件の実行犯を特定すること』にしている――
以上のような事情から勘案すれば、今回私が『貴方』に期待する役割は、ずばり『対戦相手』だろう。
とはいえ『貴方』と知恵比べをしたいわけではない。まあ、やるからには競うつもりだし、勝てたことに越したことはないが、勝敗は二の次だ。
ではなく、『対戦相手』という存在がもたらす影響のひとつに『士気の維持』が挙げられる、と私は考えている。
そして、それが今回、私にとって最重要な要素だと思われる。
自己分析するなら、私は、たとえば陸上競技――中距離走のタイムを競うなんてシチュエーションの時、一人きりで走らされると、その孤独さからか、なんだか絵空事に思えて力が入らないような人間だ。自分と同等かあるいは少しだけ先行してくれる相手がいたほうが間違いなく好成績が取れるタイプである。閉鎖空間での学力テストもそうだ。静かなところで一人だけ――より、同じ課題に取り組んでいる大勢の中に身を置いたほうが、むしろ集中するし、意欲も上がる。そして、おそらく良い成績が望める。経験則から言って、そういう傾向にあるように思う。
なので、『対戦相手』として『貴方』が必要だったわけだ。
そんなふうに、その場を取り繕うためだけの、言いわけのような発想をしたあと、改めて『なるほど、対戦相手というものの存在意義は勝敗がつくこと以外に《張り合いをつくる》という要素もあるのだな』と再認識した。
そして、こういう小さな気づきを得られただけでも今回刑事の依頼を受けた甲斐があったかもな、などと安上がりにも思ってしまうのだった。




