第2話 ■読み飛ばし可なバトル編■ 遭遇
もうひとつのプロローグ // 『当方』による割り込みを確認しました
『当方』です。
このたび『貴方』が授かった課題を『屏風に逃げ込んだ4頭の虎のうち、どれが人食い虎か特定せよ』の譬えをもって解するなら、これから提供致しますのは『そうして特定された人食い虎を屏風の外へと追い出す役目』を、のちに拝命することになる者たちのお話となります。
これは波戸女史が『自分が調査している間にバトル世界ではどのような追跡劇が起きているのか』あるいは『真犯人特定後にはどんな大捕物が行なわれるのか』という自身の好奇心を満たすために、ワタクシに情報収集を命じた結果――そうして獲得した当該関係者らの『行動記録』となります。
そんな『裏話』を、波戸女史は事件解決後にゆっくり視聴するおつもりのようですが、彼女と認識の一部を共有する『貴方』には、先んじてそれを閲覧する権利が与えられています。
もちろん、率直に申せば、それらは『貴方』の課題達成にはなんら無価値なエピソード群となります。
ご覧になるか、読み飛ばすか、『貴方』の御心次第です。
どうぞ、ご随意に。
では、改めまして――
■
《ソメナイの行動記録》 // バトルワールドにて
うす暗い森の中では比較的ひらけた場所。
そこが『彼女』との遭遇地点だった。
プレイヤーネーム・ゴケネコ。
木々の間にハッキリと立派に張ったクモの巣を避けるようにして姿を現した彼女は、半袖の白いブラウスに膝上10センチほどの丈の長めの黒のスカート、それと同系色のソックスにローファーという、21世紀の女子高生みたいな格好をしていた。
濡れたように深みのある、けれどサラサラと揺れる黒髪は、肩に掛からない程度のボブカットで、項垂れているためか、前髪が目許を隠していた。
すらーっと長い手足、痩せた胸部は『少年』を思わせたが、肌の質感、わずかに丸みを帯びた体つきは、間違いなく『少女』のそれだった。
(雰囲気あるね~)
十数メートル離れて『彼女』と対峙している不染井桜は、左手で西洋風両手剣型の得物――ガンブレードをくるくる回しながら、まずはそんな感想を持った。
あす決勝戦を迎えるバトルカップにおいて、3大会ぶりのベスト16という好成績を収めた日本代表チーム――そのレギュラーメンバーであった不染井は、『もしベスト32以上に残ることができた場合、大会終了から30日を経過するまでの期間、サプライヤーのブランドロゴの入った衣服を着用する』という規約により、海外a社デザインのカラフルなポロシャツを着ていた。下はチェック柄のミニスカートに脛まで覆うような長めのソックスだから、トータルで見るとラクロス同好会みたいな格好である。
(やっぱ、シンプルイズベストだね~)
ゴケネコのモノクロな装いは、シンプルなぶん、いつまで経っても古臭く映らない。
それに対して自分は――と不染井は気が滅入りそうになった。
華やかな色使いは、今の自分に似合い過ぎている。
えてして、そういうファッションは、見る者に強い印象を与えるせいか、どうしても日数を経ると途端に古臭くなってしまう傾向がある――不染井は常々そんなふうに感じていた。
というわけで、彼女はa社のロゴが入った紺色のコートを取り寄せて羽織り、シャツの色合いも周囲に合わせ暗めに調整を試みる。いくぶん地味にしてみた。
左右反転しない鏡(厳密には反転しているのは前後だが)を呼び出し、チェック。まあまあだ。背景に映る森に見事に溶け込んでいるのが我ながら素敵だと思った。
靴にはサプライヤーの制約が及ばないので、国内a社の物を採用。
このゲーム世界では、どんな形状でも走るのに支障は少ないから、薄底のスニーカータイプで。
日本において、海外a社の衣服に靴を国内a社のもので合わせることを、俗に『2018オーサコ・スタイル』と呼ぶのだが、不染井にはその由来について知らないし、調べるほどの興味も沸かなかった。
戦闘開始の合図がなされるとゴケネコはいきなり襲ってきた。
誇張なく、まばたきした次の瞬間、不染井の寸前まで彼女は迫っていた。
速い。
先のバトルカップでも、ついぞ体感できなかった速度だ。
それでもかろうじて不染井が反応できたのは、敵がこぼす恨みのこもったような唸り声のお陰だった。
ゴケネコは獣のように唸りながら、接近の勢いそのままに、頭の高さまで上げた右手をこちらめがけて振り下ろしてくる。
不染井はそれをガンブレードで受ける。
いや、受けるというより、相手の力に逆らわず、剣の先端付近――刃先ではなく鎬の平たい部分に当てさせるという感じ。
接近同様、その攻撃も、不染井の動体視力では捉えらない速度だったが、分かりやすい構えから放たれた軌道は、やはり素直なものだったらしい。ほとんど勘だったが、なんとか思いどおりの箇所に当てることができた。
ゴケネコ側からすれば、外力を与えたはずの不染井の剣は、盾のように抵抗したりしない。押せる。けれど宙を舞う羽毛みたいに手応えがないから、真っ二つに破壊できない。刃は切断を免れるかのように動く。回転する。
不染井はその勢いを利用して、相手の背後に回った。
いや、反動でそちらへと強制的に押し飛ばされた――という感じか。
それはまるで地球がいきなり自転を止めたかのような、今まで感じたことのない強烈な勢いで、先ほど代えたばかりのスニーカーの底面と柔らかいはずの土の地面とが、粘着気味の奇怪な摩擦音を生み出したが、状況としては思い描いたとおりだった。
不染井はきちんと現状を把握できていた。
本来、正面衝突するはずだった自分たちは、『刃』を介して、回転ドアのようにすれ違ったのだ、と。
入れ違い、振り返り、敵の背後を取る形となった不染井はそのまま、攻撃直後の無防備なゴケネコの脇腹に向けて、ガンブレードを振る。
刃の回転による入れ違いからこの攻撃までの一連の流れは、まさしく『攻防一体』のワンアクションだったので、いくら俊敏性に優れていようと避けられないはずだし、実際、敵はかわせなかった。
けれ刃が彼女の細い胴体の中腹まで入ったところで――
ぽんっ
――と音がしたかと思うと、ゴケネコの身体は白煙に包まれ、見えなくなってしまった。
その煙はすぐに霧散したが、代わりに現れたのは『円柱型』のオブジェクト。
たしかに刃を差し込んだはずのゴケネコの身体は、いつの間にかダークブラウンの『円柱型』に変わっていた。
それが『丸太』であると、不染井は少し遅れて認識する。
長さ50センチ、直径は30センチくらいだろうか、見た目ほど重さは感じない。
その中間までめりこんだガンブレードはそれ以上は切断しきれず、けれど、引き抜くことも叶わず、嵌ってしまった。
呑み込まれてしまった。
仕方なく、丸太と一体化した刃をスイングしきって、眼前の視界をクリアにすると、予想どおり、不染井の前方3メートルほど離れた中空から、またしても、ぽんっと特徴的な音を立て、煙とともにゴケネコが姿を現す。
(空蝉の術……!)
再び現れたゴケネコは前髪で目を隠しながら、着地した一歩目からこちらに駆け跳んで――いや、もう距離を詰め、攻撃モーションに入っている。
またしても右手の振り下ろし。
やはり詳しい体さばきは見えない。
だが、すでに不染井はその『攻撃軌道』を体験している。
彼女は右手で剣を握ったまま、『もうどうにでもして』という感じでヒトデのように広げた全身を相手に向けた。そうやって一瞬だけ引きつけてから、改めて、自身をアコーディオンに見立て、畳むように右手側に身体全体を寄せる。
本来なら相手を脳天から真っ二つにするようなゴケネコの攻撃は見事に空振りに終わる――と思いきや、斬撃の軌道上、わずかに残っていた不染井の左手首を両断した。
続いてゴケネコが、避けた相手に対し、もう一度右手で追撃を行なうまえに、不染井は切断され、宙に留まっていた自分の左手を、ボレーシュートの要領でゴケネコの顔面めがけ蹴りつける。
敵に『左手だけ』を斬らせることも、切断されるであろうそれを蹴りつけることも、避けるまえから決めていたので、わずかに不染井のほうが速かった。
さらにゴケネコがそれを払うように右手を構え直した瞬間、フィッシュテール。
蹴り飛ばした左手に、丸太ごとガンブレードを送ってやる。
本来、単なる手遊び――剣型の得物をバトントワリングのバトンに見立てて手首でくるくる回転させるだけの魅せ技である『フィッシュテール』だが、常日頃、手首だけでは飽き足らず、足や首や腰など身体の至るところで回転させていたお陰か、いつしか、今回のように切り離した肉体にも遠隔で刃を送る――などという芸当も許されるようになっていた。
その些細な成長の初披露だったが――
ゴケネコは意に介せず、もろもろ丸太ごと刃を、右手で両断にした。
(切れ味!)
最近観た21世紀に制作された映像作品に影響されてか、不染井は言葉を省き、そう表現した。
蛇足を承知で言うなら『なんて凄い切れ味してんの!』ぐらいの意味だ。
心のうちでそんな感嘆をしつつ、不染井はすでに背を向け、逃げていた。
キックの勢いで相手に背を向けるようにくるっと180度反転し、先ほどゴケネコが見せたように、その蹴り足を地面に着ける一歩目から走り出していた。
粘りのある、いわゆる靭性の高い金属でつくったガンブレードを、あっけなく両断するゴケネコの威力は凄まじいが、かの剣はゲーム内で購入ないしイベントをクリアして収得した既製品ではなく、生成ポイントを支払って不染井自らデザインした『生成武器』である。破壊した瞬間、星屑のような特徴的なエフェクトが巻き起こり、ゴケネコの視界から、逃げる不染井の姿を隠したはずだ。
とはいえ、双方の走力にはあからさまな差がある。
実際のところ、ここがコブのような起伏を孕んだ森ではなく平地であれば、3歩も行かないうちに――
不染井がもしパルクールの技術を学んでいなければ、6歩も行かない地点で――
そして、『本来』ならば不染井は10歩目を踏むことを許されないほど両者の速度には歴然とした差があったのだが、13歩目を数える現在、そうなってはいない。
クモの巣のおかげだ。
登場の際、もしやと思ったが、ゴケネコはどういうわけか、クモの巣を壊さぬよう、いや、それどこか揺らすことすら憚るように、追跡経路上にある糸をいちいち大きく避けた。
不染井のほうは、そんなことを気に掛ける必要もなかったが、けれど、なんとなく感化されて、なるべく壊さぬよう逃げた。
奇しくも、いや、当然のごとく、それはルート距離に最大差をつける要因となる。
そのため、双方の差は20歩目を経てもゼロにはならなかった。
けれど――
(圧迫感!)
先のバトルカップでも、これほどのプレッシャーはついぞ感じられなかった。
ヒトのそれではない、獣だ。
逃げているあいだ、不染井はまるで生きた心地がしなかった。
そして、本当に強い相手はこんなふうに『酩酊感』を与えてくるものだと彼女は実感した。
不染井は夢中というより、ふわふわとした夢心地のなか、逃げた。
きちんと足に力が伝わっているか怪しい感じだったが、ちゃんと自身の最高速度が出ている。不思議だ。
きっと油断するとたちまち追いつかれ、攻撃を受け、この酩酊感は走馬燈に変わるのだろう。
それも悪くないなあ、などと思いつつ、不染井は逃げる。
くすぐってくる恋人と追いかけっこしているみたいだ。
とにかく楽しくて、ドキドキして、幸せで、仕方がないのだ。
さて、原則『一人一種』しか登録・使用が許されない生成武器だが、不染井は、使用していない一方の所有権を『使い魔』に預けることで『ガンブレード』と『札』という2種類の生成武器の同時登録に成功している(同時使用は不可)。
先ほどゴケネコに破壊されたガンブレードは再生成するのに60秒の時間経過が必要だが、そちらの使用権利を今しがた使い魔に預けたから、『札』のほうはいつでも使用可能な状態となっている。
この『札』は本来、ガンブレードの刃を通さない硬い敵を想定した得物で、これを貼りつけられた相手は4秒強以内に身体から剥がさないと呪いにより死に至るという強烈無比な性能を備えているのだが、裏面に粘着力――札の角や端の部分からめくるようにやらないと剥がれにくい性質、そして、『札』という名称とは裏腹に、ある程度自由な形状で産出できることから、別の用途が生まれる。
それを実演するように不染井は、細く紐状に伸ばした札を生成し、木々の間に通せんぼするロープのように仕掛けてみた。
つまりは、罠だ。
けれど、これをゴケネコは避けもしなかった。
なるべく保護色になるようカラーを選んで、高低さまざまな位置に工夫して仕掛けたつもりだったが、足元近くの低いものは飛び越えられ、上半身に掛かる高さのものは彼女の右手によって裁断されてしまい、さほど足止めにはならなかった。
次に、現実世界でも片手で『鶴』が折れるほど指先の器用な不染井は、切り絵の要領で『クモの巣』っぽくデザインした『札』を木々の間に広げてみたが、一作目しか通じなかった。ひょっとして『クモ本体』がポイントなのかな、と思い至り、やはり札を折ってクモつくり、撒いてみたが、こちらは一顧だにせず、スルーされた。
札は、たとえ衣服や靴越しでも不染井の身体のどこからでも産出できるから、足跡をつけるついでに接着面を上側にした『踏み罠式の札』も併せて生成しているのだが、引っ掛かった気配はない。見透かされているようだ。
最後の策としては、追いついたゴケネコが、後ろにたなびく自分のロングコートを掴んだ瞬間に、そのコートの表面から最大面積の札を生成して、車のフロントガラスに突風で貼りつく新聞紙のように、目くらましにしてやろうかと企んでいた。あわよくば、それは、暴漢の捕縛する網のように絡みついて相手の身動きを封じてくれるかもしれない、などと都合よく期待した。
もちろん、ゴケネコがコートを掴んで引き止める――なんて悠長な真似をせずに、逃げる鹿を追い射抜く矢のように、一瞬の接触で仕留めてくる可能性もあったし、実際、双方にはそれぐらいの速度差があった。
(さて、どうなっちゃうか……)
そうぐるぐる思考を巡らせた不染井が、前方2つ、上と下に張ったクモの巣の間をハードル選手のように身を縮めてすり抜けると、一気に周囲が明るくなった。嘘みたいに視界の彩度が上がる。
どうやら、もう少しで森を抜けるというところまで来たらしい。
ここは実際の肉体を使った体感型の――けれど、ゲーム世界である。
【マシン】による筋力アシストが極限まで使用を許されているから、どのような姿勢で走り続けても、筋肉や腱を傷めることはない。
不染井は、地表に浮き出た木の根を利用し、クラウチングスタートの数歩を繰り返すように、身を低くして走った。
反面、木々の密度が低下し、必然的にクモの巣が少なくなったことでゴケネコの追跡経路も徐々に短くなっている。
けれど、もう、『目的地』まで目前――いや、到達していた。




